第35話 終幕
後に末三自身が、己で書き記した日記の内容を金治に打ち明けた。不死彦が金治に語った、
「私が生まれた理由と、私が今日まで生きて来た意味を、見つけました」
という言葉の真意について、である。
末三は日記の中で、こう記している。
『……さる土地に伝わる秘術が私の脳裏に思い起こされたのだ。それはある種の交霊術に纏わる術だった。人体という我が器に、精霊を受け入れる為の魂の受け皿を強制的にもうひとつ創り上げる方法が存在する、といった伝承を思い出したのだ。
金治様と話をする中で、私はこの秘術を持ってして死神退治に利用できるのではないか、という推測を立てた。要するに、交霊、降霊とも書くその術の前段階である、魂の受け皿を二つに増やすということがもし本当に可能なのであれば、その創り上げた受け皿に乗る魂を餌に、闇に潜んだまま一向に姿を見せない死神を誘き寄せることが可能ではないか、と考えたのだ。
だがこの時の私は、この計画が成功した場合に考えられるいくつかの結果について、十分な考察が足りていなかった。というより、私は間違えたのだ。むろん私自身は死神を受け入れるつもりなどなかったし、この身を丸ごと犠牲にするつもりもなかった。ただ、我が魂の器を増やすという行為自体が、金治様の言う所である「引っぺがす」という表現から着想を得たものであるから、そもそも脳内で膨らませた想像図自体が間違っていた。私が想像していたのは擬似的な仮死状態を作りあげること、つまり魂を差し出すフリをすることだったのだ。
私はとある筋から得た、ここでは名を伏せるが、一種の劇薬を用いてトランス状態に己を持って行くことには成功した。だが、未熟者の私に制御出来たのはそこまでだった。私は呆気なく意識を失い、死神を誘き寄せることは叶わなかった。
この秘術の真髄を、私は誤解していたのである。私は交霊術というものが、例えば死者、例えば精霊といった超自然的な魂魄、あるいはエーテルとの意思疎通を図るためにあると捉えていた。だが本来は違う。本来の用途は神や悪魔との対話である。自分の中に神もしくは悪魔といった別のなにかを降ろし、対話するのだ。その点を正しく認識出来ていれば、私の考えた計画が最初から破綻していたことがすぐに分かった筈である。
だが、私は急いていた。そして自負していた。山形家を救えるのはこの私しかいない。そんな風にだ。その結果私は山形家を引き裂いた。許されざる大罪を犯したのである。事案を解決に導く一歩とする所か、私は金治様から家族を奪った。真白様とご子息から金治様を奪ったのだ』
この日記自体は、末三が不死彦に向かって宣言した、何かあった場合は全てをかなぐり捨てる覚悟がある、と書いたあの日記よりも前に書かれたものである。
不死彦にとって、三十年前に山形家周辺で起きたことは、自分がこの世に誕生するよりも前の出来事である。だから、不死彦はこの日記を読んでも事の真相にまで理解が及ばなかった。末三が深く自らの過ちを悔いていることは読み取れても、その結果この世に生み出されたのが自分であるとは、ずっと後になるまで気が付かなかったのだ。
末三はその後も怪談蒐集家を続けながら考察を続け、自分の説いた死神説を覆すに至った。しかし考察相手である不死彦は、あの日記がいずれ訪れる災厄にとっての大きなヒントになり得るとは、金治から連絡を受け取るまで想像もしていなかった。何故なら末三は、己の犯した愚行を悔いる中で、ただの一度も不死彦の名を出さなかったからだ。
末三は、
「どうしても言えなかった」
と金治に打ち明けた。「どれだけ私自身が責めたてられようとそれはいい。二度と戻らぬ時こそ思えば我が身の一部を失ったとて反論する余地はない。ただそれでも、不死彦だけは守ってやりたかった。私だけは不死彦を、望まれずして生まれた存在であると言いたくなかった。そして、そんな思いを込めて名付けた不死彦を、温かく見守って下さった金治様の御恩に報いる為にも、この私が、死んで地獄に落ちるべきだった」
本来ひとつの肉体にはひとつの魂しか宿らない。その覆しがたい不文律を侵す不死彦という存在は、一本角の老婆鬼に捕まり、二度と末三の体に戻って来ることはなかった。
「なんじゃあの顔」
可奈は、緊張していた。それはおそらく、何十年かぶりに堂々と人前に姿を見せた、スーツ姿の金治よりも何倍も、である。可奈は大きな舞台に組まれたひな壇の、なんと最上段に立って、どこを見ているか分からない顔で頬を真っ赤に染めていた。
まずは合唱。舞台に登った五十人程の園児が一斉に歌を歌う。大きい声の子もいれば、小さい声の子もいる。声の低い子、高い子もいて、まるで歌わずあらぬ方向を見ている子もいた。その中で、可奈は睨むような顔で指揮台に立つ先生を見ながら、あえぐように口を動かしている。
「おいおい……」
金治は金魚みたいにパクパクしている可奈を見つめながら、ぐっと両拳を握り、腹筋を締めた。「……こんなん、笑うな言う方が無理やんけ。なぁ千尋」
次に、ハーモニカの演奏。
先生の合図で一斉にハーモニカを口に咥え、指揮を見たり口元を見たりで視線は大忙しだ。歌も演奏も金治の知らない曲であり、可奈が上手いのか下手なのか判断が付かない。ただ、顔を見る限り、極度の緊張状態であることだけは間違いない。
「大丈夫かいや」
次は、待ちに待った合奏である。可奈はずっと小太鼓がやりたいと言って、卒園間近の年長組になってやっとチャンスをわが物にした。だが、その顔には自信も喜びも皆無である。観覧席に座っている金治にも気付いているのかいないのか、それさえ分かったものではない。
「オカアハン、ワシ吐きそうや」
と金治が独り言ちると、
「おっさんうるさいて」
後ろの席からクレームが飛んだ。
金治は取り合わず、右手を挙げてそれに答えた。
金治の左側に座った年若い母親が金治の顔を覗き込み、クレームを入れた後ろの席の男に向かって、ふるふると頭を振った。
演奏が始まった。
タンバリン、木琴、トライアングル、シンバル、カスタネット、と色々な楽器を手にする園児たちの中で、可奈はたった一人で小太鼓を叩いた。舞台の最上段に立つのは可奈と、その横に置かれた大太鼓の男子園児のみである。
可奈は真顔で小太鼓を叩いた。
テンポが、僅かに遅い。
「可奈。頑張れ」
金治は小声で何度も繰り返した。
その時だった。
舞台の最上段に立つ可奈の背後に、その男は現れたのだ。
「大丈夫や可奈ちゃん。自信もっていき。金治さんもちゃんと見てる」
男は可奈の耳元でそう囁いた。
可奈は頷き、唇を真一文字に結んで、一心不乱に小太鼓を叩いた。
ドン、という先生の合図で、児童らが最後に思い思いの決めポーズを取った。両手を上げてバンザイする子や、ピースサインを突き出す子、変顔を作っている子もいる。そんな中、可奈は右手と左手にスティックを握って腰を屈め、右手を前に突き出し、左手を後ろに回す、という何だかよく分からない変なポーズを取っていた。だが、顔は真剣そのもの。そのポーズはしかし、己が命を代償に、最後まで可奈を守るべく鬼の前に立ち続けた、ジイジの気魄溢れる構えとよく似ていた。
爺-ジイジ- 沢瀉末三 @omodakasuemitu
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