第68話 学び学ばせ(魔)

 神秘の森には貴重な物が沢山ある。

 翠紅蝶や白英虫などの昆虫、黒闇花や獅髭草といった植物、紅兜熊や銀牙狼などの生き物、純粋に豊富な魔力を含んだ土などなど。

 どれもこれも、他の場所では手に入らないような物ばかりだ。

「意外と集まったな」

「ん、良き」

「それぐらい集めれば十分か?」

「うい」

 イスルギの問いにクシナは笑顔で頷いた。その仕草に合わせて金色の髪が跳ねるよう揺れ動く。御機嫌のようだ。

 そこは秘境の地。

 人が暮らす街から歩いて何十日とかかり、途中には自然の脅威だけでなく、凶暴かつ獰猛なモンスターが跋扈している。

 仮に辿り着けたとしても、森自体も極めて危険が高い。モンスターはもとより、植物たちでさえ他の生き物を襲い捕食しようとするのだ。

 そんな場所のため、この神秘の森の存在を知る者は殆んどいなかった。

 イスルギはかつて各地を放浪した事があるため、この場所を知っており、転移の魔法でクシナを連れてきたのである。神秘の森と名付けたのはイスルギであるし、他にそう呼んでいる者はいない。

「どうだ、この森は。気に入ってくれたか?」

「ん」

「それは良かった。ただし一人では来ないようにな。せめてヤサカと一緒……いや、ヤサカでも気を抜けない場所ではあるか……」

「一緒」

 クシナはイスルギの袖をつまんで、くいくいと引いた。ちょっとだけ上目遣いで、気恥ずかしげな顔をしている。

「ああ、もちろんだ。俺の手が空いている時であれば、いつでも構わん」

「……む」

「どうした?」

「知らない」

 ぷいっとそっぽを向いたクシナは、すたすた歩いて行く。突如真上から植物系モンスターが襲い掛かったが、しかし炎で容赦なく焼き払ってしまう。

 一人でも十分問題ないかもしれない、とイスルギは思った。


 それから何度かモンスターに襲われる。

 だが全てクシナが炎で倒してしまい、回収できそうな素材を剥ぎ取っている内に森の中心辺りにまで来ていた。

「わぁ」

 前方に白くフワフワした小動物が現れ、まさに動く縫いぐるみと言った姿に、クシナは眼を輝かせた。途端に機嫌を直している。

 近づこうとする動きをイスルギが手で制した。

「待て、あれに迂闊に近づいてはいけない」

「うい?」

「カルバンクという名の生き物だ。弱そうな見た目で相手を油断させ、そして近づいて来たところを襲う」

 イスルギはゆっくりと近づいていく。

 その動きは全くの無警戒で無防備なもので――間合いに入った瞬間、カルバンクは風のように駆け、跳躍し襲い掛かってきた。鋭い牙で喉を狙ってくる。

 しかし、イスルギは空中で掴み取った。

「こんな風にな」

 ジタバタと暴れるカルバンクに愛らしさはなく、血走った眼で威嚇と唸りをあげる姿は獰猛そのもの。

 手の中に魔力を集中させ仕留めようとしたイスルギが、ふいに顔をあげた。

 そしてカルバンクを近くの茂みへと放り投げる。軽く優しめに飛んで落下したカルバンクの元に、もっと小さなカルバンクたちが集まった。微かな甲高い鳴き声を一生懸命あげ、心配そうに身体を擦りつけている。

 その様子からすると親子のようだ。

 イスルギは肩を竦めた。

「不要な獲物を捕まえる必要もないと思わんか?」

「ん」

 この優しい魔王の様子に、クシナは軽く笑いを堪えている。そして飛びつくようにして手を握ると、そのまま引っ張り歩き出した。


 神秘の森での散策は続き、イスルギはあれやこれやとクシナに語っていた。

「あの木の根元を良く見るといい。何が分かる?」

「んー? うーん」

「土が露出しているだろう。つまり、そこで何かが暴れたという事だ。しかも、ほぼ一箇所だけで動いている。そうなると――」

 イスルギは上を指差した。

 それを追って見上げたクシナは木漏れ日に目を細めつつ、枝振りの良い樹木の様子を見つめる。ややあって、そこに別の存在の姿を見つけた。

 蔦のような触手の間から、目のない獣の様な顔がある。

 植物系モンスターが真下に来た相手を捕らえるため潜んでいたのだ。

「あれはビオランという奴だな。成長すると厄介な奴で、他の生物に寄生する。今の内に倒しておくが、その場合は少し離れた方がいいだろう」

 イスルギは少し横に移動する。

 どうしてなのかと思っているのだろう、クシナは素直に従いつつ、ほんの少し首を傾げた。

 軽く指が鳴らされる。

 それを合図に放たれた風の刃は鋭く、一瞬でビオランを両断する。

 途端にビオランの中身が零れ、その消化液や消化中のものが滝のように雪崩れ落ちた。もし近くにいれば、悲惨な事になっていたに違いない。

「うわぁ」

 それを想像したクシナが嫌そうな声をあげた。

 イスルギは苦笑気味に笑いつつ、ビオランの落下した辺りを見に行く。

「そして、こいつの場合は……あったぞ」

 地面に転がっている黒い塊を幾つか蹴飛ばしてみせるが、それは角や爪といったものだ。とりわけ固い部位のため、容易には消化されず残っていたのだ。きっとビオランも胃もたれしていたに違いない。

「何の素材かは分からんが、加工すれば何かには使えるのではないか?」

「んー、うん!」

「そうか楽しみにしているぞ」

「ういうい」

 ただし消化液に塗れた状態を手に取りたくないので、そっと草で包んで触れないようにしながら、慎重に袋の中に放り込んだ。

 教えるでもなく教わるでもなく、二人並んで森の中を歩いていく。


 神秘の森は静かな環境だが無音ではない。

 風が吹けば雨音に似た葉擦れの音が広く長く続き、鳥の鳴き声や羽ばたきが突如として響く。手の平より大きな虫が騒々しい羽音をさせながら周りを旋回する。

 大きな葉が重なり合い、視界は濃い緑で遮られる。いつモンスターが襲ってくるかも分からない。普通の者であれば恐怖を感じる環境だろう。

 そこを通り抜けると湖に出た。

 鏡のような水面には空と対岸の景色が逆さに映り込む。美しさに目をやりつつ湖岸に腰を降ろすと、持って来た軽食を広げる。ヤサカが持たせてくれたサンドイッチはパンの間に卵焼きが挟んであり、表面が軽く炙ってあった。

「ジニーとは上手くやれているようだな」

 イスルギが話しかけたが、クシナはさっそく齧りついていたので直ぐに返事ができない。それもモグモグやって呑み込むと頷く。

「ん」

「それは良かった。一緒にやってる錬金はどんな調子だ?」

「まあまあ?」

「なるほど、まあまあか」

 イスルギは口元が綻びそうになるのを辛うじて堪えた。そんな事をしては、クシナが変な風に受け取らないかと思ったのだ。しかしクシナはイスルギの堪えたものを直ぐに察知した。

「笑った」

「笑ってないさ」

「笑ってた」

「やれやれ、残りのサンドイッチをやるから許せ」

 今度こそ口の綻びを抑えきれなくなったイスルギの前で、クシナはサンドイッチに手を伸ばした。


 イスルギは青い空を見上げた。

 尾の長い鳥が数羽、優雅に飛んでいた。のんびりとした光景だ。

「人は我らより早く老い、そして死んでいく」

 視線を空に向けたままイスルギは言った。

「いつか必ず別れがあり、別れはとても哀しいことだ。それが嫌で人との関わりを避ける者もいる。だがな、俺はそれは違うと思う」

 そんな言葉にクシナは黙り込んで、気落ち気味に足元を見つめる。

 自分より早く人が世を去る事は、ずっと心の中に引っかかっていたのだ。だから友人との付き合いも一歩引いていた。

「出会おうと出会わずとも人は死ぬ。ならば、出会った俺が覚えていてやらねばと思う。俺が覚えている限り、そいつは俺の中で生きている」

「覚えている……」

「だから友であるジニーやフウカを大事にして、その思い出を沢山つくるといい。特別な事はしなくてもいい。ただ思うがまま普通に過ごせばいいさ」

「ウイオラも」

「ああ、そうだったな。ウイオラも友達だったな。皆でいろいろやるといい」

「ん」

 クシナは顔をあげた。少しだけ寂しさを内包しつつ、それでも明るく笑って空を見上げる。その様子を一瞥してイスルギも再び空を見上げた。

 二人はしばらく並んで、そこに居た。

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