5-12



 日当たりのいい縁側にしつらえられた籐椅子に座り、藤堂天海は庭を眺めていた。新緑が目に眩しく、鯉の泳ぐ池の周囲には燕子花カキツバタが紫色の蕾をふくらませている。


「きれいだなあ」

 呟いて、ふと芳しい香りに顔を上げ、わずかに目を見開く。


「麗子じゃないか。学校はどうしたんだ」

「休んでますわ。怪我人を放って学校に行けるほど神経太くありませんのよ」


 麗子はコーヒーを乗せた盆をテーブルに載せた。盆の上には水のコップと、白い薬包もある。

「ローズが薔薇をはじめ、さまざまな聖花をブレンドした薬包を作ってくれましたの。悪魔の爪痕と瘴気によく効くそうですわ」

「ほう。あの少女はリュカ君の助手だと言ったが……見事な結界を紡ぐ優秀な少女だったねえ。なんでリュカ君の所にいるのかなあ」

「リュカさんの所だから、でしょう。お父様もそう思っているくせに。リュカさん、聖騎士団時代の一番弟子だったのでしょう?」

「うむ。一番弟子で一番言い争いもして、一番共に戦場を駆けたなあ。そして私は彼の後見人でもある」

「後見人?」

「彼は孤児でね。リュカという名も、私が付けた」

「そうだったんですの?! お父様みたいな協調性ゼロのぼんやりした人が、そんな責任重大なことをなぜお引き受けになったのです?!」

「今地味に失礼な言葉が……まあいいか。後見人を引き受けたのは、彼なら息子にしてもいかなーって思ったからさ」

「なんですの、それ。リュカさんが整った容姿をなさっているからですか?」

「まさか。聖騎士団の私のチーム内で、私の訓練指示をすべてこなすことができたのはリュカ君だけだったからさ」

「……どんな無茶ブリをなさっていたのですか、お父様」


 呆れるように言った娘に、ふと藤堂天海は尋ねる。


「そう言えば、あの時――私が怪我をする直前、君は何か言いかけたね? あれは何だったんだい?」

「ああ……」


 麗子は思い出す。あのとき、自分が言いかけたこと。

――わたくしは、ただ。


 空を仰げば、爽やかな青空が広がっている。コーヒーカップを父に手渡して、麗子は微笑んだ。


「もういいのです」


 父と麗子は一緒にコーヒーを飲んだりおしゃべりをするような、世間並の家族の在り方ではないのかもしれない。父は変わり者で、祓魔講師で、だから麗子を置いてよく家を不在にするし、何も言ってくれないし、家にSAF仕様のサブマシンガンを常備していたりする。


 けれど。


 父が麗子を大切に思っていることに変わりはないのだ。

 それが、よくわかった。

 

「早くお怪我を治してくださいませ」

「なんだね、気になるなあ」


 のんびりとコーヒーをすする父と一緒に、麗子もコーヒーを愉しんだ。





 八畳一間の物置小屋、もとい研究室ラボで、ローズは薔薇の花弁をフードプロセッサーにかけていた。


 中古品で買ったフードプロセッサーは工事現場のような轟音を立てて回り、ローズはポット部分を押さえながら顔をしかめる。

「はあ……ラボラトリーブレンダーがあればなあ。納得いく粉砕状態になるにはやっぱり高出力の特殊鋼一枚刃が――」

「買おうか?」


 耳元でした声にぎょっとし、顔の間近にリュカの顔があることにドキッとしてローズは慌ててフードプロセッサーの停止ボタンを押した。


「なななななななんで! ノックくらい! ていうか声かけてよ!!」

「ごめんごめん、ノックもしたし声も掛けたのに返事がないからさ」

「もうっ、リュカのバカっ! 何百回も言ってるけど薬の精製はデリケートな作業なんですよっ。ビックリして手元狂ったらどうすんですかっ。限られた材料と設備で最高の効果を出せなくなっちゃうでしょうがっ」


 怒って振り上げた細い腕に、微かに痛々しい痣の痕が見える。とたんに、リュカは神妙な面持ちになった。


「どうだ、瘴気しょうき抜けたか?」


 強大な悪魔はそれだけで病気になってしまうほどの瘴気を発している。ローズも一応、祓魔師の資格を持つので民間人よりは耐性があるが、しばらく身体に浮き出る痣や頭痛が続いた。


「ええ、もう大丈夫よ。瘴気に効く薬もストックがあったけど、さらに効果が高まるように自分の身体を使って実験できたわ。よく効く薬ができたから麗子にも渡したの。また来週渡す約束したから、準備しているのよ」


 ティナの店で、ローズは麗子と会っている。藤堂司教への薬包を渡す用もあるが、どうやら三人で『姉妹のお茶会』を催しているらしい。


 鼻歌まじりに粉末を計るローズに、リュカは言った。


「……ごめん」

「え?」


 ローズの手が止まる。すみれ色の瞳を大きく見開いてリュカを振り返る。


「オレのせいで、おまえを危険な目に遭わせたな」

「な、なによ改まって」

「今回は、完全にオレの私的な事でおまえを巻きこむことになってしまった。アマデウスは特級悪魔だった。下手をすれば、おまえは命を落としていた」

「そ、そんなの、リュカの私的な事情とか関係ないわよ。あたしだって祓魔師の端くれよ? あれくらいのことでビビったりは――」

「生き延びろ」


 リュカは、黄昏色の双眸を真っすぐローズに向けた。


「おまえには、おまえが生きていた場所がこの世界のどこかに必ずある。その場所が見つかるまで必ず生き延びろ」

「リュカ……」

「聖騎士団員だったオレには、この先もこういう過去の因縁がつきまとう。おまえがそれに巻き込まれる必要はない。おまえはおまえの場所に戻ることだけ考えろ。だから」「ちょっと待ったぁっ!!!」


 先を言わせぬローズの大声が研究室に響いた。


「何勝手なこと言ってんのよ! リュカに言われなくてもあたしは生き延びるわよ! 死んでたまるもんですか! あのアマデウスって悪魔からも逃れたのよ? 死なないわよ何があっても!」

「ローズ」

「それに! あたしの居場所はあたしが決めるわ! この世界のどこかにあたしの生きていた場所があるとしても、今在る場所はここなの! 違う場所に行って危険じゃないって保証がどこにあるのよ?!」

「それは……」


 リュカは言い淀む。確かにローズの言う通りだ。しかし。




――しかし、オレにはやらなくてはならないことが。




 そう言おうとして、ローズの怒声に勢い呑まれた。


「だいたいねえっ、リュカは今あたしがいなくなったらこの祓魔事務所やっていけるわけ?! ほぼ毎月赤字で足りない分をあたしの香油その他のネット販売収入で補っている現状をどうするのよ?!」

「う。そ、それは」

「言うこと間違ってるわよっ! これからも危険だから――サポートよろしく、でしょうが!! ほらっ、早く!」

「え、ええ?!」

「言いなさいよっ、ローズ様よろしくお願い致しますってほらっ!!」

「いや、えーっと……」

「何よ? 今月の赤字埋めないわよ? 埋めなきゃ、これから毎日、白飯しろめしオンリーの食事よ?」

「それはイヤだっ!」

「じゃあほらっ」

「え、えーと……よろしく、お願いしまっす」

「言葉遣い間違ってる!! もう一回!!」

「えー……よろしくお願い……」

「声が小さい!」


 小さな研究室ラボ(ただの物置を改造した小屋)の中で、ローズの怒声としどろもどろなリュカの会話がしばらく続いた。



 こうして、古い教会の夜は更けていくのだった。




【 Episode5 Godfather  おわり】

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リュカと奇妙な祓魔依頼 桂真琴 @katura-makoto

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