5-11



 封印石が弾け飛んだ原生林は、そこだけごっそりと木々が吹き飛び、ぽっかりと穴が開いたようになっている。

 そこから月明りが入るのと、防御結界の仄かな発光と、リュカがホルダーのサバイバルキットから出した懐中電灯でかなりな明かりを作ることができた。


「JSAFに救助要請をしましたわ。救助ヘリが十五分ほどで到着するそうです」

 結界に戻ってきた麗子が言った。

「この結界の中は温かいですわね。さすがですわ。富士山の近くだからか、夜の外気はとても冷えてますの。お父様の傷によくありませんわ」

「あー、麗子。君のお父さんは大丈夫、ていうかまったく心配ない。むしろ放っておいていい」


 常人であれば背中に穴が開いていたであろう藤堂司教は、あらかじめ祓魔儀式の準備で身体に防御結界を張っていたらしい。

 出血ほどに傷は深くなく、聖花の薔薇を傷に貼っていくと見る間に塞がっていった。


「ていうか、そういうことも言っておいてほしいですねマスター。相変わらず周囲への情報周知がだいぶ足りない人ですね。結局あのメールの目的は、オレをここへ呼びつけることでしょう。その理由もまだ説明されてないんですけど」

「うむ。君をここへ呼んだのはだね、それはずばり七柱悪魔の一柱、マモンの封印のためだよ、リュカ君」


 微笑む司教の発言に、リュカはあんぐりと顎を落とす。このオッサンは今とんでもないことを言いやがった。


 七柱悪魔――『聖戦』の最後にサタンがゲヘナへ退避する際、その殿しんがりを勤めた七体の悪魔。

 ゲヘナの門が閉まった後、聖騎士団によって捕縛され、世界各地のいわゆるパワースポットにそれぞれ一体ずつ封印された。

 この極東の島国のパワースポット、青木ヶ原樹海にも一体封印された――はずだったのだが、何かの手ちがいで封印されていなかった。そこまではわかった。しかし。


「『聖戦』終結時に聖騎士団がやり損ねた仕事を一人で?! そんな無謀なこと本気で考えてたんですか?!」

「一人じゃない。リュカ君を呼んだじゃないか」


 もう反撃する気にもならず、リュカは肩を落とす。


「ていうか、なんでもっと早くどうにかしなかったんです?」

 藤堂は悪びれた様子もなく肩をすくめる。

「だって君、悪魔マモンは封印されず、おまけにグレゴリオ枢機卿が悪魔マモンと取引したなんてバレたら、とんだスキャンダルだろう。祓魔師協会日本支部の権威は地に落ちるし、聖戦を戦い抜いた聖騎士団の信用も失われてしまうじゃないか。せっかく手に入れた世界平和を、みすみす振り出しに戻すことはできないさ」


 さりげない言葉。しかし、リュカの脳天に火花が散るほどの衝撃を与えた。


「でも……でもそれでは、その重責をマスター一人で背負うことに」

 やっとのことで擦れた言葉を発すると、藤堂は事も無げに笑った。


「だから私は彼の下に付き、ずっと見張っていたんだよ。グレゴリオ枢機卿から側近を請われたときに了承したのは、いつかグレゴリオ枢機卿の中に入ったマモンを封印するタイミングを見計らうためさ」

「は?! 五年間ずっとですか?! しかも一人で?!」

「うむ。しかしさすがは七柱悪魔というか、マモンの憑依が巧妙でねえ。なかなか隙を見せない。それで今回、ちょっと策略を巡らせることにしたんだ」


 丸五年――

 聖騎士団の上層部や『聖戦』で華々しい功績を上げた者、そしてまさに世界を救った英雄とされる者――サタンと死闘を繰り広げ、最後にゲヘナの門を閉じた者。それらのほとんどは『聖戦』直後、国際祓魔師協会の幹部に就任し、悠々自適な生活と世界を思いのままに動かす権力を握っている。

 その中にあって丸五年、この人は用意された特等席を蹴って、極東の島国の片隅で、解体された聖騎士団のやり残した仕事の後始末をするために、秘かに悪魔と対峙し、ひたすら機会をうかがっていたのだ。


 この人も、世界を救った英雄の一人だというのに。


「まったく、あなたって人は……」


 昔からそうだ。知らないうちに厄介なことを抱え込み、それをニコニコと笑って弟子に割り振る人だった。悪いことをしているという意識がないのでタチが悪い。


 そして善いことをしているという意識もないのだ。

 ただ人々の笑顔のために。平和のために。自分の持っている能力を最大限使う。そこに損得計算は皆無。


 それが藤堂天海という男だった。


「まったく、あなたって人は……変わらない」

「変わらないかい? けっこう白髪が増えたと思うんだが」


 そんなオヤジギャグを言ってあははと笑う師をリュカは半目で睨む。


「もしかして策略って、グレゴリオ枢機卿の側近を外されたっていうことですか?」

「その通り。私が悪魔マモンの憑依に気付いて逃走した、と見せかけたのだ。まんまとグレゴリオ枢機卿は――というかグレゴリオ枢機卿に憑依した悪魔マモンは――私を脅してきた。青木ヶ原樹海に今も存在する封印石と聖穴を塞げば、グレゴリオ枢機卿の命と私と娘の命を保証する、とね。あの封印石と聖穴だけがあの悪魔の唯一の脅威だったからね」


 藤堂はそこでにやり、といたずらっ子のように笑った。


「奴はまんまと引っかかったってわけさ。グレゴリオ枢機卿の五賢人選出と私へ脅迫。それこそが、私が待っていた千載一遇のチャンスだったのだからね」


 千載一遇のチャンス、と聞いてリュカはハッと目を見開いた。


「そうか……五賢人の就任式!」

「うむ。悪魔は、憑依したままでは国際祓魔師協会に入れない。玄関ゲートの堅牢な結界に弾かれてしまうからね。ゲートをくぐるとき、悪魔は一旦、グレゴリオ枢機卿から離れなくてはならない。その時刻を狙ったのだよ。長年、グレゴリオ枢機卿の周囲にいて集めた、悪魔の爪や毛や翼の羽毛を入れた聖櫃を聖穴に投げ入れ、そこに封印石を投じる。受肉体から離れた霊的状態の悪魔ならば、それで封印完了できるからね」


 リュカは言葉を失った。

 藤堂は時間をきっちりかっきり計り、待っていたのだ。

 グレゴリオ枢機卿からマモンが霊的状態で離れたその時、封印のための聖櫃を封印穴に投げ入れる、その瞬間を。


 無茶苦茶だが、必ず結果の出る戦略。

 この人の戦略は昔からそうだった。あっぱれ、という他ない。


 でも、とリュカは首をかしげる。

「なんで封印石をバラしたんですか? あれはかなり大変だったし、あの時間の分だけオレは危険な目に遭ったんですけど」

「そう! 尊い犠牲! それこそがリュカ君、僕が君に依頼したミッションの本質さ!」

「は?」

「君には時間稼ぎもしてもらいたかったんだ。グレゴリオ神父がゲートをくぐる。それから、アマデウスもついでに祓いたかった。それで、君に時間を稼いでもらってグレゴリオ枢機卿がゲートをくぐるタイミングを見ながら、封印石の周囲に魔法円を仕掛けて粉砕する準備もしていたってわけさ」

「見事な作戦ですが……そのためにオレは、死にそうな目に遭ったと?」

「いやーアマデウスはやはり手ごわかったねえ。でも君ならぜったい大丈夫だと思っていたよ。なにせ私の一番弟子だからね」


 藤堂は朗らかに笑ったが、リュカはもうただ脱力した。そう。この人はこういう人だ。

 天然ボケなのか緻密な策略なのかわからない渦に周囲を巻きこみ、最終的にはすべてを丸く収めてしまう、その手腕。


 かなわない、とリュカは思う。

 自分にとって、この人は一生の師であろう、と。

 だからこの人の言うことには従ってしまう。文句を言いながらもこの人には忠実でありたいと思う。


 きっとそれを、敬愛とか尊敬とか言うのかもしれない。





――リュカ達がJSAFの救助ヘリに発見された頃。


 北アメリカ連合ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区の国際祓魔師協会本部前は、大騒ぎになっていた。

 五賢人就任式のために協会本部の玄関に降り立ったグレゴリオ枢機卿が、まさに玄関に入ろうとした矢先、突然倒れたのだ。


 すぐに病院に運ばれたが、すでに息を引き取っていた。


 倒れた直後、グレゴリオ枢機卿の人相が変わり、しゃがれた声で神を罵倒する言葉を吐いたとか、運びこまれた病院で処置に当たった医師団や看護師たちがグレゴリオ枢機卿の身体に悪魔との契約印を見たとか、様々な憶測が飛んだが、結局どれもゴシップの域を出ず、数日間ワイドショーチャンネルを盛り上がらせただけだった。


 後日、国際祓魔師協会からグレゴリオ枢機卿の死因は心筋梗塞であったという発表があり、事態は収束した。



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