5-10


「麗子! 藤堂司教! 準備はできたわ! 早くここへ――」

 ローズが叫んだとき、再び爆風が起きた。

 リュカが何か叫び、藤堂司教が麗子を突き飛ばすように走った瞬間が見えた。


「きゃあ!」


 ローズの紡いだ防御結界。撒かれた聖花の薔薇は地面に魔法円を形成、それは赤く発光し結界を築いている。その中にいたローズは、麗子が結界に飛び込んできたのを受け止めた。

 直後、結界を襲った波動の衝撃でローズは麗子と共に地面に倒れ伏した。


 折り重なった麗子の身体の下から、ローズはやっと這い出す。

「う……麗子、意外と重いわ」

「まあ重いなんて! わたくしの方が身長もありますもの。それより」

 麗子は起き上がり、周囲を確認する。

 防御結界から少し離れた場所に、瑠璃色の司教服姿がうつ伏せていた。


「お父様!」


 血相を変えて飛び出そうとした麗子をローズが抑える。

「今行ってもあたしたちは足手まといよ! ここにいた方がいい!」

「でもっ、お父様が!」


 ローズが防御結界を紡いだことに気付いた藤堂司教は麗子を結界へと押し込んだ――自身が盾となり、麗子を庇うために。


「お父様……!」

 藤堂司教は地面から起き上がろうとしていた。地面に突いたその掌には背中から血が滴っている。


「麗子しっかりして! あたしたちは、あたしたちにできることをするのよ!」


 ローズに揺さぶられ、麗子は濡れたで振り返る。

「わたくしたちにできること……?」

「そうよ」


 ローズは白い袋を開けてみせる。中には特殊加工された薔薇の花弁がぎっしり詰まっていた。


「勢いで出ていったらダメ。あいつアマデウスにやられちゃうわ。あたしたちがやられたら、誰が藤堂司教の手当をするの?」

 ローズの言葉に、麗子は目を見開く。西洋人形クラシック・ドールのような愛らしい顔が、麗子を元気付けるように微笑んだ。

「隙を見て藤堂司教をこの結界の中に連れてきましょ。そして応急処置するの。いい?」

 麗子は濡れた顔を拭って強く頷いた。





「ぐっ」

 避けきれなかった一撃にリュカが膝を付いたとき、ローズと麗子の悲鳴が耳朶を打った。刹那、視界の隅に捉えたよろよろの人影に思わず叫ぶ。


「マスター藤堂!」

 藤堂司教は立ち上がり、巨岩の周囲をよろよろと歩いている。

 何をしているのかわからないが、瑠璃色の司教祭服の背中はぐっしょりと濃い色に変じていた。それでも、苦しそうに上げた顔は微笑んでいる。


「すまない、が……その悪魔を足止めしていてくれないか」

「言われなくてもそうしてます!」


 アマデウスが哄笑と共に飛び立つ瞬間、リュカは『セラフ』から対悪魔特殊弾を放っている。藤堂司教に伸びた黒い腕が轟音と共に弾かれた。


「早くその封印石を何とかしましょう! マスターが無理ならオレがやります! どうすればいいんですか!」

「君、ただ破壊するだけならいざ知らず……タイミングを計らなければならないというのは何とも難しく、これには、祓魔師としての技量にプラスして物事を円滑に進める社会的スキルというものが必要な上に、こんな深手を、負ってしまっては」

「何言ってるか聞こえません! そんだけしゃべれれば大丈夫ですからっ、速く指示を!!」


 リュカは藤堂司教と巨岩を背後に、アマデウスが繰り出す黒い手刀を聖剣で弾きつつ叫んだ。あの傷は早く処置しなくてはまずい。そのためにもあの封印石を早く処理しなくては。


「美しき師弟愛だねえ、妬けるなあ。やっぱり君は、僕のモノにしてみせる」


 背後の恩師、眼前の悪魔。どちらも勝手なことを言いやがって――リュカの腹はふつふつと煮えてきている。

 アマデウスの黒い翼がわずかに動いたかと思うと一瞬でリュカの視界に入った。


(速い!)


 内心舌打ちし、リュカは聖剣を舞うように旋回する。


「あははダメダメ。そんな攻撃じゃあ僕には通用しないよ」

 嗤った悪魔は突き出される聖剣を交わそうと優雅にその半身を左側に逸らした。


――が。


「なに?!」


 聖剣を握ったリュカの手は旋回して突くとフェイク、瞬時に聖剣は左手に持ち替えられ、そのまま下から振りかぶられる。


「ぎゃあああああ!!」


 凄まじい咆哮と共に、ばさり、と重い音が地面を叩いた。


「悪いな。オレは両利きなんだ」

 アマデウスは地面に落ちた黒い翼の上で絶叫した。その姿を静かに見据え、リュカは聖句を紡いだ。



「《Spero te poenitere et pro peccatis tuis satisfacere》――翼をもがれた悪魔は魔力も半減する。おとなしく祓われろ」


 聖剣が閃く。

 肉薄するリュカをアマデウスが凄まじい形相で睨み上げた。


「貴様……許さん! サタン様にも愛でられた僕の、僕の美しい翼をっ!」


 届いたと思った切っ先はアマデウスの緑瞳から走った金色の光に弾かれた。

「許さんっ、祓魔師ぃいいい!!」


 アマデウスが残りの翼を必死に羽ばたかせてやっと宙に浮かぶ。リュカの頭上で黒い腕が大きく湾曲し鉤爪がしなった――と同時に、轟音と地響きが原生林を揺るがした。


「リュカ君! 走れ!」

「は?!」


 背後の声に仰ぎ見ると、巨岩に青白い稲妻のような線が走り、内部からの爆発ではじけ飛んだ岩塊が迫っている。


「マジかよ?! もっと考えて行動しやがれこのアホマスターっ!!」


 リュカは咄嗟に聖剣を地面に突き刺し、渾身の力を込めて地面を蹴り跳躍。聖剣のプラズマアークが作り出す超高圧に自分のありったけの力を込めた跳躍を乗せて飛び上がる。

 遥か数十メートル先へ着地した時には、原生林の中に富士山の噴火かと思うような轟音が轟いた。


「……ふう。間一髪だったねえ」


 振り返ると、やはり聖剣を使って着地していた司教祭服姿が、ローズと麗子に両脇を支えられて立っている。

 マスター藤堂は腕の時計で時刻を確認して叫んだ。


「きっかり現地時間午前9時ぴったりだ! グレゴリオ枢機卿が国際祓魔師協会本部のゲートをくぐるまさにその瞬間に聖櫃を聖穴に投げ入れた! アマデウスも魔法陣の爆発に巻きこまれて祓われた! これでミッションコンプリートだ!」

 高らかに勝利を謳う藤堂は、しかし悲しそうに眉を下げた。

「しかし、尊い犠牲が出てしまった。若い才能が失われるのは悲しいことだ……しかし、彼のおかげで重要なミッションが完了したことは歴史的意義が――」

「……勝手に人を殺さないでくれますかねこのクソマスター」

「おや、無事だったのかいリュカ君。それは僥倖ぎょうこう!」

「何が僥倖ですかっっ。ていうか説明してくださいっ。一体なんだったんですか?! 何が目的でオレを呼びつけたんです?!」


 つかみかかってきそうなリュカを、細い腕が止めた。


「……この無茶苦茶なオジサンに腹立つリュカの気持ちもわかるけど、今は応急処置を優先させて?」


 土埃まみれのローズが、顔を引きつらせて言った。



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