第37話 竜の血を引く娘の養父
タンダはオーガの中でも高齢の部類に入る。嫁はすでに他界し、息子は新たな村を作って村長になるのだと出ていった。いまでも時々は元気にやっている、と手紙が届く。
老後の余生を安穏と過ごし、いつかはこの村で最も強いオーガに村長の座を譲るだけ――の予定だった。それが大きく変わったのは、若いオーガが人間の子供を連れて帰ったあの日から。
「なぜ人間の子供がこのようなところに?」
「それが村長。オオグイワシを狙って射たら、この子供と一緒に落ちてきた。オオグイワシに襲われて、巣に持ち帰る途中だったのかもしれん……」
オオグイワシは巨大な体を持つ鷲のような鳥型の魔物である。人間の子供程度であれば悠々と持ち運べるだろうし、この子供はどうやら若者が引きずってきた鷲の獲物であったようだ。
偶然オーガが撃ち落としたためにこの子は助かった。もしそのままであれば巣へと連れ去られ、魔物の雛たちの餌となっていただろう。
太い腕の中に納まるとまるで赤子のように小さな存在。砂埃に汚れた金の髪と白い肌、破れた衣服が痛々しくも映るかよわそうな少女に、憐憫を誘われる。
「しかしオオグイワシとなるとな……こいつらは行動範囲が広い。どこから攫ってきたのやら見当もつかんなぁ……ひとまず儂が面倒を見よう」
「じゃあ、頼んだ。俺じゃあ人間の子供なんて壊してしまいそうでな……」
タンダとて人間の子供を育てた経験などあるはずもなく、オーガの赤子よりも細い手足をうっかり折ってしまわないかハラハラしながら家へと運んだ。ひとまずタンダの毛布に寝かせ、数日は面倒を見る可能性もあると今は空き部屋となった子供部屋を軽く掃除したり、しまい込んでいた毛布を外に干したり、子供が好む果実水を用意したりとして過ごしているうちに、その少女は目を覚ました。
「ここは……」
「おお、目を覚ましたか。痛いところはないか?」
喉が渇くだろうと果実水を部屋に持ってきたところで、ちょうど目を覚ましたらしい少女と視線が絡む。人間の子供からすれば大柄なオーガのタンダが怖いかもしれないとできるだけ優しい声を出してみたが、効果はないだろうと思っていた。
しかし意外なことに彼女はじっとタンダを見つめるばかりで、怯える様子はない。むしろその特別な“目”の方に、タンダが息を飲むことになった。
(この目……まるでリザードマンのようだな。もしかすると、人間とリザードマンの間の子か?)
異種族間の子は下手をすれば迫害をされ、捨てられてしまうことがある。しかし子供の衣服は破れていてもかなり上等なもので、両親には大事にされていただろうことが窺えた。ならば家に帰してやるべきだと、そう思ったのだが。
「あなたは誰? ……わたしは、どうしてここに……ここはどこ?」
「儂はタンダという。おぬしはオオグイワシに攫われていたところを、この村のオーガが救ったのだ。家は分かるか? 帰れるように儂らが手伝おう」
「……家……わかりません」
「ううむ、そうか。では名前は分かるか?」
「名前……名前は、ロメリィ。それ以外が……何も、思い出せません」
なんと子供は自分の名前以外何も覚えていなかった。オオグイワシに攫われ、余程のショックを受けたのだろう。一時的な記憶喪失、というものではないだろうか。
これでは帰るべき場所も分からない。上等な衣服を着ていることから、下手な相手に渡せば悪事に巻き込まれる可能性があり、ただ人間のいる場所に連れて行けばすむという話でもない。
しばし悩んだが、一時的な記憶喪失ならしばらくすれば帰るべき場所を思い出すかもしれない。それまでは保護をするべきだと、そう判断した。
「なら、思い出すまで儂が面倒を見よう。帰るべき家が分かったら送り届けるから、安心して記憶を取り戻すことだけ考えると良い」
「……はい」
それがタンダと人間の子供、もといロメリィの出会いだった。それからロメリィはタンダの家で暮らし、慣れてくると外に出て村の子供たちと遊ぶようになっていった。
自分たちとは違う白い肌や、美しい金の髪や、不思議な形をした桃色の瞳が皆の興味を惹き、彼女はあっという間に人気者になった。村の子供たちの遊びと言えば、修練で競い合ったり追いかけ遊びをしたりというもので、ロメリィは始めのうちはもっとも力が弱く誰にも勝てなかった。
「いつも負けてばっかり……」
「それはおぬしがまだ、鍛錬などこなしたことがなかったからだ。皆と同じように過ごしていればきっと、力がつくだろう」
「……そっか。じゃあ、頑張る」
しかし一ヶ月もすると徐々に力をつけ始め、一年もするとそれまで遊んでいた子供たちを追い抜いた。オーガと人間では成長が違うため、そのせいかと思っていたがまた一年経つとそれも違ったのだと気づく。
年上のオーガたちと修練をするようになっては、その年代のオーガをすべて追い抜いてまたさらにその上の年代と勝負をする。体格では勝っている若いオーガたちを投げ飛ばすようになり、六十歳程度の一人前のオーガがようやく放てるようになるはずの衝撃波を十二歳の頃には放っていた。
「なぁ、村長。思っていたんだが……ロメリィは何か特別なのではないか? 人間はあそこまで強くはないだろう」
ある日村の若者がロメリィの特異さについて、そのように話しかけてきたことがあった。たしかに人間は知恵と技術と数がもっとも厄介な力であり、種としての身体能力はオーガに遠く及ばない。それよりは体の強いリザードマンであっても、オーガとは比ぶべくもない。
(……リザードマンの子でもない、ということか)
異種族間の子であることは間違いないが、種族は不明だ。いつか正体の分からぬロメリィを恐れるものが出てくるかもしれないと思うと不安だった。
何せ、彼女は全く記憶を思い出すそぶりがないのだ。村に来て五年も経つと元の生活を思い出すどころか、誰よりもオーガらしく強さを求める娘になっていた。
『親父殿! 私は村一番の強者に、オーガの中のオーガになってみせる!』
言葉遣いまですっかり村に馴染んだというか、タンダの影響を受けているのか村の中でも年かさのオーガの方が使っているような話し方をするようになったロメリィは、オーガの少年が口にすればとても自然な内容を口にしていた。
(……いや、年頃の娘は相手の男に強さを求めるようになるんだがな……? 何故ロメリィは自分の強さを求めるように?)
村一番の強者になって見せると意気込む小さな少女の姿を思い出し、タンダは眉間を押さえた。この娘は一体どこへ向かっているのだろうか。
「ところで村長。……ロメリィの嫁入りを願いたいんだが。大人になるまで待つので婚約を許してくれんか」
「儂は村一番の強者以外にロメリィを任せるつもりはないぞ。それにおぬし、昨日ロメリィに投げられていただろう」
「だからこそなのだが、ううむ……修行し直すか」
力こそすべて。強いものが正しく美しい。その価値観を持つオーガにとって、ロメリィはまだ少女と言える見た目であるにもかかわらず、とても魅力的な存在になっていた。何せ、彼女の力はいまだ天井が見えない。どんどん強くなるロメリィに、村のオーガたちが尊敬の眼差しを向け始めていることにもタンダは気づいている。
(このままではロメリィが孤立するのではないか? 誰にでも慕われてはいるが……特別に見られるということは、対等に見られていないということでもあるからな)
そんなタンダの懸念どおり、ロメリィは特別な存在になった。村の誰よりも強く、誇り高きオーガの中のオーガ。求婚が相次ぐが、誰もロメリィには敵わない。老いも若きも、男も女も関係なく、誰もが彼女とを特別な強者として見るようになってしまった。
「親父殿。人間の国へ行き、そちらで暮らすことにした」
ある日突然村を襲った人間の集団。それを一度追い払うと彼らはロメリィを知っているようで、彼女が竜の子孫であり特別な存在だからと身柄を引き受けたがった。なんだかんだと交渉した結果、ロメリィは外へと出る決意をしたようだ。
心配ではあったが、彼女がこの村で孤独を感じているだろうことは分かっていたし、彼女の意思を尊重して送り出した。
「……大丈夫であろうか」
「大丈夫だろう。ロメリィは強いからな、傷つけられる者などいるはずもない」
「……いや、そうではなくてな」
ロメリィを肉体的に心配などしていない。誰よりも強靭な肉体を持ち、かすり傷どころか日焼けすらしないあのロメリィを、村中の男を軽々と投げ飛ばしていたあのロメリィを、一体誰が傷つけられるというのか。
「むしろ振り回されるであろう周囲の人間が心配でな。……まさか竜の子とはな。オーガの中にいても規格外であるのに、人間の中ではさらに輪をかけて規格外だろう」
「ああ……」
「加減を間違えて建物を壊したり、意図せず脅してしまったり、善意から周囲ではあり得ぬことをしでかして驚かせたり……していそうでな」
「それはありそうだなぁ……」
彼女が元気にやっているのは間違いないと思いつつも、心配しながら空を見上げた。そんなロメリィが急に里帰りしてきた時には「友人ができた」と嬉しそうに笑っていたので、それには少し安心したものである。孤独だった彼女が認める友人、対等な相手ができたのだと。
しかも連れてきたいとまで考えている。オーガに紹介できると思っているならば、それは強者であるのだろう。
(……ロメリィがここまで気に入っているのであれば、そうなのかもしれん)
婿を探すと出ていった娘が連れてきたい友人、しかも男であるという。無意識かもしれないが、すでに婿として定めている可能性も考慮しつつその友人を迎えた。
とても美しく、深く強く練られた気を持つ少年の髪が酷い風に吹かれたようにぼさぼさとなり、服もよれてくたびれた様子であるのを見た時にタンダは思った。
――娘が存分に振り回しているようで大変申し訳ない。しかしどうか今後もよろしく頼む、と。
オーガ令嬢は力がお好き Mikura @innkohousiMikura
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