ぶきっちょ先生のパンづくり

野栗

ぶきっちょ先生のパンづくり

 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは――


 分校の家庭科室から、なにやら調子外れな歌声が聞こえてくる。

 弾けもしないウクレレを抱えた辺見蕗千代へんみふきちよ先生が、右手でせわしなく弦をかき鳴らしている。左手はまともに弦が押さえられなくて出る音出る音ヘンテコで、そのくせカッコだけはいっちょまえのフォークシンガーだ。


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは――ちえさん!


 ふいに呼ばれた二年生は、鳩が豆でっぽうをくらったような顔になる。


 辺見蕗千代先生お得意の無茶振りだ。鳴門の大学を卒業してすぐに池田の小学校に赴任したはいいものの、「へんなぶきっちょ先生」のあだ名通り、一年間あれやこれややらかして、あげく山の分校でおまはんちっと修行し直しなはれ! ということでこの学校にやってきたんでよ、というのが六年生から聞いたうわさ話だ。

 うわさに違わず、ぶきっちょ先生は赴任そうそう分校に一台しかないラミネーターを壊してしもうた。算数カードをはさんだフィルムを逆から突っ込んだのだから、これはもうひとたまりもない。月末から大型連休じゃけん、修理から戻るのは早うて五月半ば過ぎる、辺見先生にカード作り頼んだこっちがアカンかった、と高学年担当の長尾先生は長嘆息やった。


 ウクレレがベベン! と鳴る。

 ちえさん、もう一回、行くよ――


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは――


 ちえはふくふくのパンのようなほっぺたを膨らませて


 早う食べたい

 パン食べたい


 とどなるように歌うと、五年生のけんたが


 へんな先生

 ぶきっちょ先生

 パンよう作るんでか


 と歌いながら茶々を入れる。


 そやそや、

 へんなぶきっちょ先生がパンなんかこっしゃえた日には、また焦げ焦げのへんなのになるんちゃう? 長尾先生おらんのに、大丈夫やの?


 四年生のはるこが痛いところを突いてくる。


 せんせえ、これ、なんの時間? ……ですか?


 一年生のしろうだ。質問に「ですか」をつけおわると、思い出したようにあわててピンと手を上げた。


 ――はい、しろうくん。


 辺見先生はウクレレをかき鳴らす手を止めて、しろうの顔をのぞきこんだ。


 六年生が修学旅行でおらんので、今日は一年生から五年生までいっしょに勉強します。一年生と二年生は生活科、三年生と四年生は理科、五年生は家庭科……おっと、今の時間は全員で音楽です!


 今日は「パン屋さんの歌」をやります。作詞作曲演奏歌唱、ぜんぶ辺見蕗千代です! みんな、集中してるかい? いえい!


 でも、半分しかできてないので、後半はみんなで歌を作って、完成さして下さい!


 辺見先生はわざとらしくウインクしてみせる。


 うわー、めちゃくちゃやな!


 子どもたちはあきれて目をくるくるさせている。へんなぶきっちょ先生をほっておくと、どんな歌をこしらえられるかわからへん。えらいこっちゃ。


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは――あやさん!


 五年生のあやに、子どもたちの目が集まる。


 みんなの……笑顔が……笑顔が……


 がんばれ! あやちゃん!


 うーんと……うーんと……そや!

 みんなの笑顔、広がるように!


 辺見先生は「助かった!」という表情でベンベンとウクレレを鳴らすと


 いいですね!

 あやさん、ありがと!

 これで行きましょう!


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは

 みんなの笑顔

 広がるように


 さん、はい!


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは

 みんなの笑顔

 広がるように!


 分校の家庭科室で「パン屋さんの歌」が生まれた。長尾先生がおらいでも、音楽ちゃんとできた!


 次は一、二年生の生活科兼三、四年生の理科兼五年生の家庭科――パン作りだ。


 一学期の生活科兼理科兼家庭科の時間で豆玉まめたま作りした時は、長尾先生のグループはぷくぷくほかほかのおいしい豆玉やったのに、辺見先生のグループときたら、こげこげぱさぱさの真っ黒黒助。あの時は長尾先生が余分にこしらえてくれとったけん、みな泣かいですんだ。それから、真っ黒焦げのは分校に遊びに来た狸の子たちが全部もろうてくれたけん、捨ていですんだ。


 みんな、焦げ焦げパンにせんよう、しまっていこう! ファイト!


 五年生のけんたが両手を高々と上げてみんなに声をかける。パンをこしらえるのか、野球の試合をするのかようわからんノリだ。へんなぶきっちょ先生とパンを作るのは、確かに二死満塁のリリーフで甲子園のマウンドに上がるぐらいドキドキかもしれない。


 はかりとにらめっこしながら大騒ぎで粉を計量し、ドライイーストの袋を恐る恐るあける。


 40度ってどのぐらい?


 お風呂の少し熱いくらいちゃう?


 先生、牛乳さわって!


 はるこが、レンジから下ろした片手なべをぐっと突きつけてくる。

 辺見先生はカップにちょっと牛乳を入れると、そっと指をひたした。


 いけるんちゃう?


 横からけんたの手が伸びてくる。


 あかん! ぶきっちょ先生の「いける」は、ぜったいに信用したらあかん!


 けんたがサッとなべの牛乳に指を入れる。


 汚いなあ!


 あやが顔をしかめてみせると、けんたは焼いてしまうんやけん、かんまんかんまん、ええ湯加減や! と胸を張る。


 粉と牛乳とドライイースト、砂糖と塩を入れて、手分けしてこねる。


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは

 みんなの笑顔

 広がるように


 歌に合わせて、生地をこねこね。

 一年生が疲れたら、辺見先生がピンチヒッター。二年生が疲れたら、やっぱり辺見先生がピンチヒッター。

 低学年のパン生地を一手に引き受けて、先生の額に汗が浮かぶ。

 低学年の子たちは頭まで真っ白の小さなスノーマン、辺見先生は大きいスノーマン。三年生のたかしが生地でベタベタの手で辺見先生の頭の粉をはたくと、生地のかすが髪の毛にべったりひっつく。一年坊主のしろうが


 先生がパンになってしもうた!


 と大声を上げると、高学年の子どもたちはもう、腹を抱えて大笑いだ。


 ちえは白い生地で大小二つの玉を丸め、くっつけ合わせて「雪だるま」をいくつも作っている。


 パン作りの本を見ながら、高学年の子どもたちはさんざんこねた生地を延ばして、プチプチ切れないことを確かめる。


「いちじはつ……なんとか、いうのせんならん」


 パン作りの本に鼻をくっつけるようにして、あやがみんなに声をかける。


 後ろからひょいと先生が本をのぞきこむ。


「一次発酵」やな。生地をこのボウルに入れて、ラップしてぬくうにして置いといたら、ごっつ膨らむんや。これがあんばいよういったら、もう半分は成功や。


 さあ、生地集めて入れよ!

 ちえ、それ貸し!


 あやは、妹のちえがこしらえた雪だるまに手を伸ばした。


 いやや姉ちゃん!


 ちえは雪だるまの上にかぶさって懸命にかぶりを振る。


 ちえちゃん、お姉ちゃんの言うこと聞き!


 うち、これに入れる!


 ちえは食器棚からどんぶりを引っ張り出した。


 ちえちゃん、ナイスアイデアや。

 このおっきいタッパーも使おうか。


 先生は上の棚からタッパーを出した。


 しゃーないなー、この子ホンマに。


 あやはぶつくさ言いながらも、手早くどんぶりとタッパーを洗ってふきんできれいに拭いた。


 ちえはどんぶりとタッパーに雪だるまを入れると、何度も失敗しながらラップをかけた。


 生地の入ったボウルとどんぶりをかごに入れ、日当たりのよい場所に置いて上から黒い布をかける。


 さて、教室で一休み。

 先生はタッパーを持ってきて、タオルでくるんで窓の近くの日当たりのいいところに置いた。


 本には、生地が二倍の大きさになったらガス抜きをする、と書いてある。ここのところであわててしまうと、かちかちのひとっつもおいしいないパンになる、と。


 みんなでタッパーの中の生地を見る。まだまだ、全然膨らみが足りない。


 今、パン作り、どこまでやったかわかる人!


 いちじはつ……なんとかや。


 けんたが答える。


 漢字で何て書いてあるで?


 一と次と発明の発と……先生、この字まだ習うてないです。


「一次発酵」


 辺見先生が黒板に書くと、教室は蜂の巣をつついたように大騒ぎだ。


 まだ習うてへん!

 漢字わからん!

 読めん!

 知らん!


 先生はにやりと笑うと、次々に黒板に難しい字を書いた。


 イースト(パン酵母)

 発酵

 微生物


 みんな、漢字ものっそ難しいけど、これが全部わかったら、長尾先生がおらいでも、おいしいパンが作れるようなるけんな。


 「おいしいパン」の言葉に子どもたちはごくりとつばを飲んだ。


 イーストはさっき使うたから知っとるな? パン酵母とイーストは、同じ意味や。そう、日本語と英語。


 微生物は、小さい生き物のことや。

 そう、酵母は微生物、小さい小さい生き物や。

 このドライイースト1グラムに、酵母が何匹おるか、わかる人おるで?


 耳かき一杯のイーストに、子どもたちの目が吸いつく。


 300億匹以上おるんや!


 えー!

 300億!


 教室は再びにぎやかになる。


 300億の酵母が粉といっしょになって、みんなにこねこねしてもろて、お砂糖食べて、ぬくいところでゆっくり昼寝して、目ぇがさめたらしっかり働いて、ほしておいしいパンになるんや。


 先生の「パン屋さんの歌」が子守唄や!


 たかしが腕を振り回しながら元気いっぱい歌い出す。


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのはーー


 あかんあかん、そんな大声で歌うたら、パンがびっくりするでよ。


 ほな、みなでやさしいに歌てみるか。


 辺見先生はウクレレをポロンと鳴らすと、ささやくように歌い始めた。


 ……朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは……


 子どもたちがやさしく声を合わせる。


 ……みんなの笑顔

 広がるように……!


 あんな姉ちゃん、パン焼いてしもたら、酵母みな死んでしまうん?


 ちえが、膨らみかけた雪だるまをなでながらつぶやいた。


 ほんまやな。

 300億匹のお葬式やな。

 

 あやがちえのふくふくほっぺをつん、とつついた。


 わいの指のバイキンもいっしょにお葬式やな。


 けんたが、牛乳につっこんだ指をあやの目の前につき出してくる。いらんこと言いないな! とあやは口元をイーとさせて、そっぽを向く。


 ――長尾先生と六年生は、あさって分校にもんてくる。


 そや! パンようけこっしゃえて、食べてもらお!

 へんなぶきっちょ先生とだって、小さい子たちとだって、おいしいおいしいパンこっしゃえられるんでよ!

 今度は狸の子たちにも、真っ黒黒助とちがう、ふくふくのおいしいパンあげよう。


 ほして、辺見先生にむつかしい字ぃようけ習うたって話したら、六年生びっくりするやろか?


 家庭科室では、膨らんだパン生地がボウルからあふれて逃げ出そうとしている。


 さあ、そろそろガス抜きの時間や。


 教室からは調子外れのウクレレがベンベン鳴り、子どもたちの歌声が響く。校庭の花壇の横では、狸の子たちがポンポコ踊っている。


 朝起きて

 生地をこねこね

 思うのは

 みんなの笑顔

 広がるように!









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