第29話 聴こえないメロディー
わたしがその人とはじめて会ったのはまだ、高校生のときのことだった。
いつも公園にいて、いつ見てもギター弾いているお兄さん。いつ見ても楽しそうにギターを弾いていたけれど不思議なことに、そのギターからはちっとも音が出ていなかった。
わたしだけに聞こえなかったわけじゃない。
「変よね、あの人。いつもギター弾いているのに、ちっとも音が聞こえないんだから。壊れてるのかしら?」
「わざと、音を出していないんじゃないか? いまはちょっとでも音を立てると『騒音だ!』って訴えられる時代だから」
公園を行き交う人たちはみんな、お兄さんを見ながらそんなことを言っていた。
ただ不思議な人ではあったけど、危なそうな人ではなかったのでみんな、気にしてはいなかった。いつの間にか公園に付きもののオブジェみたいになっていた。
いつでもそこにいてギターを弾いているけれど、誰も気にしないし、奏でる音楽も聞こえない。
そんな人。
わたしは、そのお兄さんが妙に気にかかっていた。用があるわけでもないのに毎日、公園に出かけていった。そして、お兄さんを見た。楽しそうにギターを弾きつづけるお兄さんを。
「やあ」
ある日、わたしはいきなりお兄さんに話しかけられた。やさしそうな笑顔とともに。
話しかけられたのなんてはじめてのことだったからドキリとしてしまった。
「こんにちは。いい日和だね」
「うん」
わたしはそう言いながら、お兄さんに近づいた。
「不思議なギターね。いつも、熱心に弾いているのに音はちっとも聞こえないんだから」
「ああ。僕の奏でる音楽は人には聞こえないんだ」
「人には聞こえない? どういうこと?」
わたしが言うとお兄さんはニッコリと微笑んだ。
「君はどうして、この世界にはこんなにも色々なものがあふれているんだと思う?」
「なんでって……当たり前でしょう?」
わたしはそう答えるのが精一杯だった。いきなり、こんなことを聞かれて他になにを答えろって言うの?。
「なにが当たり前なんだい? この世界はすべて同じ素粒子からできている。そのことは知っているよね?」
「それぐらいは知ってるけど……」
「だったら。どうして、同じ素粒子からできているものがこんにも色々な姿をしているんだい? どうして、生物と非生物のちがいがあるの? どうして、知恵ある人間と知恵のない動物とがいるの?」
「それは……」
わたしはますます答えられなくなった。
って言うか、こんな質問に答えられる人間なんている?
お兄さんは自分で自分の言葉に答えた。
「実はね。この世界にはあまねく『聴こえないメロディー』が流れているんだよ」
「聴こえないメロディー?」
「そう。世界のすべてを覆うそのメロディーに乗って、素粒子が集まり、ダンスを踊る。そのダンスによって同じ素粒子が太陽になり、惑星になり、植物になり、動物になり、人間になる。聴こえないメロディーが世界に満ちているからこそ、この世界はこんなにも様々なものであふれていられる。
もし、このメロディーが途切れてしまえば、世界は同じ素粒子が寄り集まっただけの退屈な場所になってしまう。だから、僕はこうして聴こえないメロディーを奏でつづけるんだ。この世界がこの世界のままでいられるようにね」
「それじゃ、お兄さんは神さまなの?」
「神さま? う~ん。その言い方が正しいかどうかは僕にもわからないな。ただ、僕はずっとこうして聴こえないメロディーを奏でつづけてきたし、これからもそうする。それだけだよ」
そう言って、お兄さんはギターを弾きつづけた。
わたしはそれからも毎日、お兄さんの――聴こえない――演奏を聴きに行っていた。でも、いつの間にか、お兄さんは公園から姿を消していた。
「そういえば、あの人どうしたのかしら? あの音のしないギターを弾いていた人」
たまにそんな声を聴くことはあったけど、お兄さんのことはほとんど誰も気にしていないようだった。
でも、わたしの心にはずっとお兄さんの言葉が残っていた。お兄さんの言っていたこと信じていたわけではないし、本当にあの人が神さまだったなんて思っていたわけじゃない。でも、
「聴こえないメロディーに乗って素粒子がダンスしている。そのダンスによって素粒子は様々な姿をとるんだよ」
その言葉だけは妙に心に残っていた。
そしてわたしは、その言葉に導かれるように宇宙物理学者になった。毎日まいにち、宇宙を観測し、宇宙からの信号を捉え、計算する。宇宙の姿を計りつづける。
いつか、あの人の言っていた『聴こえないメロディー』を感じてみたい。
そう思いながら。
お題企画参加作品集 ASSS宝島! 藍条森也 @1316826612
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