龍之介と鴎外
九月ソナタ
「孤独地獄」と「細木香以」
一
芥川龍之介には「孤独地獄」という短編がある。その本の著作権はすでに切れているから、ここに書き出しを引用してみよう。
「この話を自分は母から聞いた。母はそれを自分の大叔父から聞いたと云ってゐる。話の真偽は知らない。唯大叔父の性行から推して、かう云ふ事の随分ありさうだと思うだけである。
大叔父は所謂大通の一人で、幕末の芸人や文人の間に知己の数が多かった。河竹黙阿弥、柳下亭種員、善哉庵永機、同冬映、九代目団十郎、宇治紫文、都千中、乾坤坊良斎などの人々である。中でも、黙阿弥は「江戸桜清水清玄」で紀伊国屋文左衛門を書くのに、この大叔父を粉本にした」
芥川龍之介がここで母というのは養母のことだが、随筆的小説なので、そこは問題ではない。
短い文章なので、私が省略したり、説明を加えたりして、やさしく書き換えてみた。
☆ ☆ ☆
私(龍之介)はこの話を母から聞いた。母はそれを大叔父から聞いたと言っている。話が本当のことなのかどうかはわからない。でも、大叔父の性格から考えて、ありそうなことだとは思う。
大叔父というのは粋な人、いわゆる「大通(だいつう)」と言われた人のひとりで、幕末の芸人や文人に知り合いが多くあった。中でも、黙阿弥は「江戸桜清水清玄」で紀伊国屋文左衛門を書く時に、この大叔父をモデルにした。亡くなってから、もう五十年にもなるが、名前だけは憶えている人がいるかもしれない。
姓は細木(さいき)、名は藤次郎(とうじろう)、俳名は香以(こうい)、俗称は山城河岸の津藤と言った。
その津藤がある時、吉原の玉屋という遊郭で、ひとりの坊さんと知り合った。彼は本郷界隈にある禅寺の住職で、名前は禅超と言ったそうである。それが吉原に頻繁に通い、玉屋の錦木という花魁をひいきにしていた。もちろん、そんなことは僧には禁じられているから、医者の恰好をし、人には医者だと言ってある。そんな男と、偶然に知り合ったのである。
偶然というのはこうである。庭の灯篭に火がはいった時分、玉屋の二階で、津藤が便所に行った帰り、それとなく廊下を歩いていると、欄干にもたれて、月を見ている男がいた。津藤は彼を医者の姿をしている太鼓持ちの竹内かと思った。そこで、通りすぎながら、その耳をひっぱった。驚いて振り向いたら、笑ってやろうと思ったのだ。
ところが振り向いた顔を見ると、こちらが驚いてしまった。竹内と似ているところはひとつもない。
この坊さんときたら、額が広いわりには、眉と眉の間が険しく寄っている。目が大きく見えるのは、頬の肉が落ちているからだろう。左の頬の大きな黒子はよく目立つ。その上、頬骨が高い。
こういう顔かたちが津藤の目に飛び込んできて、あわてた。
「何か用事ですか」
その坊さんは腹をたてたような声で言った。いくらか酔っぱらっているらしい。
前に書くのを忘れたが、その時、津藤には芸者と太鼓持ちがついてきていた。津藤が謝り、それから、太鼓持ちが重ねて侘びをいれ、その間に、津藤は芸者と部屋に戻った。いくら粋の人だと言っても、やはりばつが悪かったようだ。
お坊さんのほうでは、太鼓持ちから説明を聞いて、すぐに機嫌を直して、大笑いしたそうである。そのお坊さんというのが禅超だったことは、もうおわかりだと思う。
その後で、津藤が菓子を持たせて、また侘びをいれた。向こうでも気の毒がって、わざわざ礼にきた。そんなことから、ふたりは友達になった。友達になったといっても、玉屋の二階で遭うだけで、お互いの家を行き来したということではない。
津藤は酒は飲まないのだが、禅超は大酒飲みである。それから、どちらかというと、禅超のほうが持ち物に贅沢である。女に溺れているという点でも、禅超のほうがはなはだしい。
津藤はそんな彼を見て、これじゃ、どちらが出家している人間だかわからないと思ったりした。
ある日、津藤が禅超を見かけると、彼は花魁錦木の羽織をはおって、三味線をひいていた。日ごろから血色の悪い男だが、今日は特別によくない。目も充血している。たるんだ皮膚が、時々口元で麻痺している。
津藤は何か心配ごとがあるのではないかと思った。自分のようなものでよかったら、ぜひ相談相手になりたい、と言ってはみたのだが、向うは打ち明けるつもりはないらしい。
ただいつもより口数が少なくなって、ややもすると、話からそれがちである。
そこで、津藤はこれは遊びをしすぎた人が陥りやすい倦怠だと解釈した。
酒や女で遊び過ぎた人間の倦怠は、酒や女で直るはずがない。
そういう体験談から、ふたりはいつになく、しんみりとした話をした。
すると、弾超は急に何か思い出したように、こんなことを言ったのである。
仏説によると、さまざまな地獄があるが、大体は「根本地獄」、「近辺地獄」、「孤独地獄」の三つに分けられるらしい。昔から、地獄というものは、地下にあるはずである。
ただその中の孤独地獄だけは、山、広野、木の下、空中、どこからでも、突然、現れる。
言ってみれば、目の前の世界が地獄になり、地獄の苦しみが襲ってくるのである。私は二、三年前から、この地獄へ堕ちた。一切のことが、少しも楽しく感じられない。だから、次から次へと、享楽を追いかけて生きている。
もちろん、それでも地獄は逃れられない。そうかといって、何もしないでいれば、なお苦しい。そこで、やはり転々として、その日、その日を忘れるような欲望の生活をしている。
しかし、それも、しまいには苦しくなるとすれば、死んでしまうよりもほかはない。昔は苦しみなからも、死ぬのが嫌だった。でも、今では・・・・・。
しかし、最後の句は津藤の耳にははいらなかった。禅超がまた三味線の調子を合わせながら、低い声で言ったからである。
それ以来、禅超は玉屋へ来なくなった。誰も、この放蕩三昧の禅僧がそれからどうなったのか、知っている者はいない。ただその日、禅超は、錦木のもとに、金剛教の抄本を一冊忘れていった。
津藤が後年落ちつぶれ、下総の寒川に閉居した時には、その抄本はいつも机上にあった。津藤はその表紙の裏に、
「菫野〈すみれの〉や 露に気のつく 年四十」と自作の句を書き加えた。その抄本は今では残ってはいない。句ももう覚えている人はひとりもいないだろう。
安生四年頃の話である。母は「地獄」という言葉に興味をもち、この話を覚えていたらしい。
一日の大部分を書斎で暮らしている私は、生活の上からいっても、大叔父やこの禅僧とは、はるか遠い世界に住んでいる人間である。また興味の上から言っても、私は徳川時代の戯作や浮世絵には、特別な興味はもってはいない。それでも、どうかすると孤独地獄という語を通して、私の心は彼らの気持ちがわかって、同情を覚えたりする。でも、私はそれが的外れであるとは思わない。
ある意味で、私も孤独地獄に苦しめられているひとりだからである。
☆ ☆ ☆
これを読んだ時、禅を超えると書く「禅超」という名前の坊さんが、孤独地獄に苦しめられたら、普通の人はどうすればよいかと私(筆者)は思った。小説ではたぶん禅超は自殺をし、晩年の津藤は40歳にして、「孤独地獄」が理解できたように書かれている。
また、芥川が「孤独地獄」を雑誌に発表したのは1916年で24歳の時で、若いのにびっくりだが、彼はそんなに若い頃から、「孤独地獄」に苦しめられていたようだが、実際に自殺をするのはその11年後である。
芥川は「菫野や 露に気の付く 年四十」の句を覚えている人はひとりもなかろう、と書いたのだが、覚えている人がいた。
それがなんとあの森鴎外で、彼は「孤独地獄」の翌年の1917年に、「細木香以」という中編小説〈評伝〉を1カ月間連載したのだった。
二
私(筆者)は鴎外の「細木香以」の小説のことは知らなかった。
しかし、そちらもオンラインで簡単に見つかったので、それで急いでさらりと読んでみると、津藤についていろいろなことがわかり、おもしろいといったらない。
「細木香以」の中に、あの俳句があるが、「年四十 露に気のつく 花野哉」
として載っていた。俳句の上下の句が微妙に違うだけではなく、その状況も違うようだ。
それでますますおもしろく思い、今度は「細木香以」をじっくりと読んでみた。
それは鴎外自身の「渋江抽斎」に似ている。
私がそれを若い頃に「渋江」を読んだ時には退屈し、なぜこんなに余計なことばかり、軍隊の行進みたいにわき目もふらずに、たんたんと書くのだろう。半分くらいにできるだろうなどと思ったものだが、今読んでみると、こういうのが読みたかった小説なのだと思った。鴎外がドイツに住んでいたから言うわけではないが、固いドイツパンのようで、一度好きになると、この大人のパンこそパンだと思うように。
私は一行一行楽しんで読んだ。
しかし、どうしてあんなカタカナの外国語を使わなければならなかったのか。読者は、それが何だかわかっていたのか、という疑問はあるのだけれど。
三
鴎外の文章は「細木香以は津藤(つとう)である。摂津国屋(つのくにや)藤次郎である」
で始まっている。私はここで、(津)の国やの(藤)次郎だから、津藤なのだと初めてわかった。
「わたくしは少年の時、貸本屋の本を耽読した。(略)わたくしは初め馬琴に心酔して、次で馬琴よりは京伝を好くようになり、また春水、金水を読み比べては、初から春水を好いた。丁度後にドイツの本を読むことになってからズウデルマンよりはハウプトマンが好だと云うと同じ心持で、そう云う愛憎をしたのである。春水の人情本には、デウス・エクス・マキナアとして、所々に津藤さんと云う人物が出る。情知で金持で、相愛する二人を困厄の中から救い出す。大抵津藤さんは人の対話の内に潜んでいて形を現さない。それがめずらしく形を現したのは、梅暦の千藤である。千葉の藤兵衛である。
当時小倉袴の仲間の通人がわたくしに教えて云った。『あれは摂津国屋藤次郎と云う実在の人物だそうだよ』と。モデエルと云う語はこう云う意味にはまだ使われていなかった。
この津藤セニョオルは新橋山城町の酒屋の主人であった」
と続く。
この小説は中編なので、ここからは私(筆者)が簡単に説明してみよう。
鴎外は子供の頃から読書が好きで、特に、春水が好きだった。春水の人情本には、所々に津藤さんというデウス・エクス・マキナがでてきて、何でも解決してくれる。
ところで、デウス・マキナというのは「機械仕掛けの神」という舞台用語で、ギリシャ劇で、話が絶体絶命になった時など、機械仕掛けで神が現れ、水戸黄門のように、問題を一件落着させるのだそうだ。
津藤はそうやって、いろいろと人を助けていたようだが、人の話の中にでてくるだけで、実際にその姿を現したのが、海暦が書いた「千藤」だったそうで、それを友達が「摂津国屋藤次郎」がモデルだと教えてくれた。その津藤の祖父というのが、新橋山城町の酒屋の主人だった、
豪商というから何をしていた人かと思ったら、ああ、酒屋だったのだ思ったら、酒店は一代で閉め、父の竜池は諸侯の用達の店を始め、津藤はその二代目なのである。
しかし、鴎外は龍池や香衣のことを長い間、忘れていた。それが、鴎外の父がだんご坂の影の上に小家を買い、鴎外もそこに住むことになる。その時、ここの家で、取り巻きによって、津藤の一周忌が行われたということを知り、彼の人生を書いていくことになった。
タイトルの「細木香以」の「香以」は津藤の俳諧の号で、「香」のほうは俳人の晋永機の「晋」から、「以」は「関為山」の「い」からつけたと書いてある。ちなみに、鴎外は彼の経歴については、仮名垣魯文の「再来紀文来廓花街」を参考にしたそうだである。
「細木香以」というタイトルが俳人の号であり、また作品の中には、いくつかの俳句が出てくる。
父親が亡くなり、二代目藤次郎は35歳で、山城河岸の本家を継いだ。その時は女房に子供もふたりいたけれど、四十九日が済むと、遊所に出かけた。彼には取り巻きが多かった。歌舞伎役者、俳諧師、狂言師、狂言作者、書家、彫工、医師、落語家、関取、専門の太鼓持ち、などなど。
吉原には玉屋の濃紫〈こむらさき〉と稲本の二世小稲。
やがて濃紫を見受けして、うちにいれた。
その時、濃紫が詠んだ歌、
「紫の初元結に結込めて 契は千代のかためなりけり」
〈紫色の紐で、髪を元服結に結んだのは、私達がどんなことがあつても緒にいるという強い決心です〉
というような意味だと思われる。
しかし家では女房と濃紫とは反りが合わず、女房のほうが木場で商売をしている実家に帰されたそうだ。
たぶん香以の性格から考えて、女房に意地悪をされているのを耐え忍ぶ濃紫を見て、追い出したのではないかと思われる。
その後、濃紫は女房になり、くみという名前で呼ばれた。
しかし、彼の吉原通いは続いていて、その頃のひいきは若紫だった。香以は、家での生活は贅沢ではなかったそうだ。それでも、伊勢勘というとこめから料理を取り、またかば焼きが好物だったというから、外での豪遊に比べたら贅沢ではないという話のようだ。そのくらい金使いは荒いということで、36歳の頃、鎖銀の煙草箱入れが流行した時には、数十個も作らせ、取り巻きに配ったし、古渡唐桟の羽織をおそろいで作ってやったりした。
37、38歳の頃が豪遊の絶頂期で、贔屓の七代目団十郎が死んだ時には、豊国に描かせた追善の摺りものを配った。その時に香以の句が、
「かへりみる春の姿や海老の殻」
海老蔵は団十郎を襲名する前の名前。思い出すと、海老蔵の美しい姿が思い出される。しかし、今は死んで空になってしまった、というような意味だと思う。
四
「この年香以上は四十歳であった。香以は旧に依って讌遊(ゆうえん)の事としながらも、漸く自己の運命を知るに至った」
と鴎外は書いている。
文久二年、香以が40の時、山城河岸の店が没落したのである。
その時、読んだ句が、
「年四十 露に気の附く 花野哉」
今まで花街で楽しく遊んでいたけれど、40歳になり、花野にも露時があることに初めて気づいた。
店は継母に渡して、月々の手当をもらうことにして、香以はくみと息子を連れて、浅草の猿寺境内で暮らすことになった。ということは、店は完全につぶれたというわけではないようだ。
継母というのは父、竜池の後妻で、香以の母である前妻は、彼が十代後半の頃、暇を出された。香以の妻についてもそうなのだが、鴎外という人は女性の事情には興味がないらしく触れていない。
香以はお金の足りない分を、脚本を書いたり、俳諧や狂歌の判をしたりで儲けようとするが、思ったようには儲からない。しかし、その庵は芸人たちのたまり場になり、お金がかかるのである。
香以の庵にはいつも食事が用意されていて、それでもおかずは塩からなど一、二品ではあったが、膳の横には、二分のはいった金包みがいつも用意されていた。
くみは木綿にたすきがけでかいがいしく働いていたそうだ。
それを見て、香以が作った句、
「針持ちて 遊女老いけり 雨の月」
私(筆者)には、あの「紫の初元結に結込めて 契は千代のかためなりけり」の約束を守ろうと、必死に働くくみの姿が見える。
香以も、貧乏になり、ようやく心が見えてきた感じする。
しかし、ここではあまりに人が来すぎるいうことで、親戚の世話で、香以とくみと息子は下総国千葉郡寒川の村に移り住むことになった。
五
芥川の「孤独地獄」では、寒川で「露に気のつく 年四十」の句を詠んだことになっている。
しかし、鴎外によると、実際に香以が寒川に住んだのは42から45歳の間で、その後はまた江戸に帰った。
寒川にいた時のエピソードとしては、彼は子供達に相撲を取らせなどして、買ったほうに小銭を与えたりしていたそうだ。
またある時、川のほとりにいた時、相撲の一行がやってきて、香以の姿を見て、砂の上に頭をすりつけたそうである。それを見て、村人はお相撲さんが土下座するくらい偉い人なのかと驚いた。香以は交肴を一籠与えたので、そのために、1カ月、節約生活をしなければならなかったそうだ。
彼は江戸に帰り、47歳で店を閉め、49歳で亡くなった。
遺稿の中に、いくつもの俳句があった。
たとえば、
冬枯れてゐたは貴様か梅の花
紅梅に雪も好けれど加減もの
只遊ぶ萍(うきくさ)も経る月日かな
霧晴れて皆こちら向く山のなり
わびぬれば河豚を見棄てて菜大根
絶筆は
「己にも飽きての上か破芭蕉(やればしょ)」
だった。
明治40年10月10日のことである。親戚の営む一周忌にわざとひと月遅れて、かつて香以に世話になった人々が団子坂の小倉是阿弥の家に集まり、墓参りをした。
その時、其角堂永遠機が作った句
此墓の落葉むかしの小判哉
鴎外の小説は十五章あり、十四章で「細木」を「さいき」と読むか「ほそ」と読むかについて書かれている。その時、最近芥川龍之介さんが親戚だということを聞かされ、そのことを正してくれたら幸いであるということを書いた。
この小説の追記に、芥川が鴎外を訪問したことが下のように書かれている。
☆ ☆ ☆
(略あり)香以伝の末にわたくしは芥川龍之介さんが、香以の族人だと云うことを附記した。幸に芥川氏はわたくしに書を寄せ、またわたくしを来訪してくれた。これは本初対面の客ではない。打絶えていただけの事である。
芥川氏のいわく。香以には姉があった。その婿むこが山王町の書肆(しょし)伊三郎である。そして香以は晩年をこの夫婦の家に送った。
伊三郎の女を儔(とも)と云った。龍之介さんは儔の生んだ子である。龍之介さんの著した小説集「羅生門」中に「孤独地獄」の一篇がある。その材料は龍之介さんが母に聞いたものだそうである。
(中略)
芥川氏は香以の辞世の句をわたくしに告げた。わたくしは魯文の記する所に従って、「絶筆、おのれにもあきての上か破芭蕉」の句を挙げて置いた。
しかし真の辞世の句は「梅が香やちよつと出直す垣隣(かきどなり)」だそうである。梅が香の句は灑脱(しゃだつ)の趣があって、この方が好い。
☆ ☆ ☆
芥川は想像していたよりも細木についてよく知っていると私(筆者)は思った。
芥川と鴎外の同一人物を描いた小説を読むと、森鴎外のほうは「細木香以」についての事実を緻密に積み上げていくタイプの作家。
しかし、芥川は違う。「孤独地獄」は違う。
彼は津藤についてではなくて、そのエピソードを使って「孤独地獄」を書きたかったのだ。
最初に私が「孤独地獄」を読んだ時には、母から聞いた話をそのまま書いたのだろうと信じた。それにしても、母親はそういう話をする人なのだなぁ、くらいに思っていたのだが、鴎外の「細木香以」を読んでみると、造影剤をいれてCTスキャンをすると問題の個所がくっきりと見えてくるように、芥川が創造した部分がくっきりと見えてきたように思った。
禅超という放蕩三昧の禅僧を創作し、女のもとに、金剛教の抄本を一冊忘れていったこと。
その抄本は津藤の手にわたり、彼が後年落ちつぶれた時、その本はいつも彼の机上にあった。その表紙の裏には、「菫野〈すみれの〉や 露に気のつく 年四十」という津藤の自作の句が書かれていたこと。その抄本は今では残ってはいないというところ。特に、「年四十 露に気の附く 花野哉」を「菫野〈すみれの〉や 露に気のつく 年四十」と書き換えたところは超絶妙。
これらはすべて芥川が「孤独地獄」を書くために創作したところなのだろうと思う。
うんうん。
彼はこうやって小説を作っていったのだと感服するしかない。すごいね。
龍之介と鴎外 九月ソナタ @sepstar
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