このレビューをお読みになってからでは本編は楽しめません(当然)

 本編は一種王道といいますか、ミステリ調でもあるので、未読の方はこのレビューを読まないでください。

 この物語は、語られていることがすべてではありません。

 作者さんが「こう」と思った結末に向けて、情報の取捨選択がなされており、また明かされていない真実もあります。

 主人公の罪の意識や、あの人の本当の苦しみは、優れた著作によくあるように、さりげなく伏線として、また裏の設定として物語の底に流れています。

 ですから、だからこそ。「かなしみ」を「ひとつの優しい話」にもっていく著者の素晴らしいセンス。なかなかのものです。
「かなしみ」を抱く者の一人として、この物語はフィクションではあるけれど、もう一つの現実であること、この世のどこかに隠されているかもしれない事実であることを、ひりひりと感じます。

 まず、悲劇のあった日本にどうしてナツが帰ってきたのか? 事情を鑑みればおかしなことです。おばあさまのご病気を見舞うため、とありますが。それでも本編を拝読した後ではちょっとだけ奇妙に映ります。故郷はそれほどの事件があったところなのです。と、いうことは……書かれてはいませんが、おばあさまのご病気は、命にかかわるほどのものだった、ということです。

 つぎに、ナツを護っていたハルを統合するためにアメリカへいくなら、ナツはハルが死んではいないことを当時は知っていた、もしくはナツ自身の意識は心の底に眠っていて、ハル自身がそれを望んだということになるのか。ナツを護っているハルならば、ナツを放り出すわけにいかないのですよ。ということは、ハルはアメリカへ行くことを拒んだであろうと想像できます。そして、ナツがハルは死んではいないことを知っていて、それこそ「ハルを助ける」必要を説かれたのならば、ナツが「ハルを殺した」と思いこむのはちょっぴりだけ心理学のこじつけじみた仕掛けが発動しています。だって、アメリカにてナツとハルは統合して、意識だって変わっていたと思うのです。ナツはもう大丈夫、と思い安心して初めてハルはナツの中で「ナツを護る」必要性を感じなくなり、眠りにつくことができるのでしょう。そして、ナツ自身も成長できるはず。

 その「はず」というのが、作品内で行われていますが五年という月日が経っているので、小説内時間では時間差があるのです。

 ナツがどれだけの時間をかけて「ハルを助け」たのか、そこは書かれていません。五年間、じっくり、ゆっくりと統合していったのか、ある日「解決しました!」とばかりパーンと統合してハルを忘れたのか。それは治療ではないと思うのですね。強制終了です。

 ですが、ナツは作品内で、最後の回復を成し遂げます。つまり、イレギュラーなハルの復活によって、ナツの心が補完された、ようやく治療が叶ったということなのです。

 結局ナツは自力でハルを救ったんです。そういうことになります。

 カウンセラーがそこに導くまでにどんなカウンセリングを行ったか、また、日本へ帰ることを反対したのか、そのへんは書いてありません。取捨選択された結果なのでしょうか。作者さんにお聞きしたわけではないのでわかりません。

 最後に……「お母さん」は悪い人ではなかったんですよね? ヒロインは何度も彼女を擁護しています。虐待を受けているにも関わらず、庇っています。これは、「お母さん」がまだ家族になるまえに、猫をかぶっていたとか、ヒロインをだまくらかしていたとかではなくて、本当に「大切に」してくれていたということなんでしょう。あの豹変ぶりは、ただ事ではありません。大きな苦しみが彼女を襲っていたのです。ですがそこは書かれていません。取捨選択です。

 作品を初めて拝読したとき、勝手な妄想で「あ、これは悪役」と思ったお母さんが、実はヒロインに擁護されているというのは、幼い子供にありがちな「自責」とか、「罪悪感」とか「依存」によるものかと判断してしまいました。「お母さん」がいなければ生きていけないと、ヒロインが錯覚していたのだろうと。   

 しかし、そうではありませんでした。「お母さん」がいなくなって、初めてヒロインは独り立ちができたというお話なのです。
「お母さん」には「お母さん」の人生があり、想いがあったことをあえて本編からは外してあります。これは物語を編む上で、「お母さん」の終わりが「ヒロイン」の始まりであったことをひそかに暗示しているのではないでしょうか。苦しみではあったけれど、ヒロインは救われた。誰かによってではなく、自分自身の内在する力によって。また周囲の援助者によって。

 こういうお話だったと思いますよ。