第9話 ざらりとした
筆箱を持ち上げて顔の前へ。
「机の中にありました。動かぬ証拠です。この席は筆箱の持ち主の席なのでしょう。おそらくは円形平次くんの、ね」
クラスの出席はすでに取った。みんなが返事したのだから残るは必然、彼だろう。たまたま本来の持ち主がいなかった空いた席へと、私は導かれたわけだ。
「もちろん先生は知っていたはずですよ。今日に限らず、出席は取ったでしょうし」
手のひらを広げて天井に向け、わからないといったジェスチャーをしながら大袈裟に肩をすくめて見せる。
「たまたま円形くんが休んだから良かったものの、どうする気だったのでしょうか。不思議ですよね。まさか転校生の私をずっと立たせておくわけでもないでしょうし」
そっと唇を湿らす。自信満々に振る舞ってはいるけれど緊張しているのだろうか。迷いを置き去りにし、言葉を紡ぐ。
「どうして席を準備しなかったのです? まるでもう使われない席がひとつ出ることを知っていたみたいじゃないですか」
「それは、その。あれよ、事前に」
苦しい言い訳をぴしゃりと撥ね付ける。
「知るはずがないですよ。あの様子では、今しがた訃報が入ったとしか取れません。犯人でもない限り知る由もないでしょう」
アイリン先生はガックシと俯き、だらりと髪を垂らした。顔を伏せたままで言う。
「なぜわかったのですか。いつから?」
なんだそんなことかと思い、机に放置されていた型の古い教科書を手に取る。私の教科書を準備仕損ねたことこそが敗因だ。これが仇となった。隣の席と机を寄せ合い話をきく機会を私に与えたのが運の尽き。
そこまで考え。はた、と止まる。
足が浮き立つ。胸がざわつく。そして言い淀んだ。まただ。ざらりとした違和感が全身を駆け巡り私を襲っていく。それはあの時に感じたイヤな感覚を濃くしたもの。
どうしてこの教科書は残っていたのだ。
円形平次くんの痕跡を消す為とはいえ、さすがに杜撰すぎではないか。教科書をすべて取り替えるだなんてことが、果たしていち教師の判断でとり行えるものなのか。
「大丈夫?」
「どうかした?」
動きのなくなった私に対して、周りのみんなは心配そうに声をかけてくれた。私の身を案じて窺うように、探るように見る。
「それで、どういう推理なんです?」
サッと血の気が引く。決定的な違和感。どうしてみんなは私の推理を聞いている。探偵があたり前のこの時代。私なんてどこにでもいるただの名探偵に過ぎないのだ。みんなだって既に解いているはずだった。
ガタッと立ち上がる。
解くな、というあの声が不意に蘇った。逃げなきゃ、ここから。そう思った瞬間、私の耳はふたたびあの言葉を耳にする。
「──おめでとう」
手を打つ音。音のする方に目をやると、アイリン先生がまっすぐにこちらを見ていた。口もとにはにんまりと笑みを携えて。
それはどう見ても、追い詰められた犯人がする表情ではないものだと感じた。反論するのでもなく、諦めでもなく。その表情の意図するところが私にはわからない。
ドン、と衝撃が走った。
「えっ」
ぽたり。
雫が落ちる。這うようにして伝う感覚。遅れて、激痛。真っ赤に燃えるように鮮烈な痛みが広がる。目に入るは赤、赤、赤。
血だ。私の血が吹き出ている。倒れ込みながら身体はねじれていき、うっすらと見えた先には刃物をにぎる金田くんの姿。
私は背後からひと突きに刺されたのか。
なんで、どうして彼が。犯人はアイリン先生ではなかったのか。本人も認めていたじゃないか。間違いなく訪れるだろう死の瞬間を前にして、私の脳は加速していく。
ああ、そうだった。
アイリン先生の他にもうひとり、前の席が空いていると手をあげていた生徒がいたじゃないか。共犯か、それに近しい何か。どちらが主犯なのかはもうわからない。
だって私はただの名探偵だものと、加速していた脳は緩やかに停止してい──。
本当にあった異世界転生 モグラノ @moguranoki
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