第21話 アラン 「幸福論」白井健三郎訳 「人生論集」串田孫一編

 もし、あなたに子供が居たら、その子供に読ませるべき書物として1番に薦めたいのはアランの「幸福論」である。少なくともこの本を読めば、人間として不良品にはならないだろうし、精神的な面でも強くなれると僕は信じる。


 世の中には様々なHow To物が溢れている。それほど世の中は複雑に、かつ変化してい人々にストレスを与え続けており、How to物はそうした問題を解決する一つの手段として年々書店のスペースを侵食している。

 僕は基本的にHow To物は読まないように心がけているのだが、その理由は至って単純で、普遍性の殆どないHow To物は早晩、Not to do物(やってはいけないもの)と化してしまうことが必然だと考えているからだ。大方のHow to物は「これをやれば上手くいく」と述べているが、その時点では例え正しくとも、「同じことをみんながやったら上手くいかなくなる」のは自明の理である。そもそもHow to物が出回った時点で、その領域はカネ絡みのものであれ、人間関係のものであれ、ほぼうまみのない、ビジネスタームでいうred oceanの世界に近づいているのだ。まして、How to物は「猿真似」「自助解決能力の欠如」を相手に悟らしめる危険性が極めて高い。

あえて下世話な話をすれば、男の子に取って「デートで彼女を一晩でゲットする方法」は女の子にとって「そういうHow to物でしか行動をできない莫迦をスクリーニングするための方法」になりかねないのである。


 とはいえ、一方で世の中は時代が進むほどに複雑怪奇になり、様々な時、様々な場所、様々なオケージョンで判断を求められる。そうした時にどう処するべきか、そんな状況に役立つのはマニュアルではない。「考え方」なのだ。その考え方を教えてくれる短いが有用で、哲学ほど面倒でもない書物、それこそがこの「幸福論」である。

 いや、本来「幸福論」はマニュアルの代りではない。その点は勘違いしないで欲しいのだが、しかし「幸福になるための考え方」を様々な例を挙げて教えてくれる。様々な例はあるが、根本は一つしかない。そしてそれさえ理解できれば、あなたのメンタルに強い一本の芯ができるのだ。

 それは「情念にながされるな」という「幸福になるためのHow to」であり、この方式を把握していれば、あなたはつまらない、その場凌ぎのhow toなど必要なくなる。なぜならば、その考え方こそが本質的で、長い目でみれば確実に「あなた自身を幸福にし、そして相手も幸福に感じさせることができる手段」だからである。


 人間は思考を持ったことで、幸福になる手段を一つ失った。ただ、思考をするから不幸になるわけではない。不幸になるパターンの思考をすることができるようになったのだ。それが「ダウンワードスパイラルを招く情念」である。

 例えば「2.刺激」の項には「わたしたちは情念によって病気を悪化させるのだ」という表現がなされている。「3.悲しいマリー」には「情念家は理屈も鎮静剤もともにしりぞけてしまう」とも書いてある。

 「幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだといいたい」という背表紙の惹句は下手をすると誤解されかねないが、単に「笑う門には福来たる」と言っているのではない。人間は情念をコントロールする術を身につけるべきだといっているのであって、その一つの例としてあげてあるのである。様々な例を挙げているのは、抽象的な言葉では伝わらないだろうし、少ない例示では自分にはあてはまらないのではないか、と考える人たちに対する作者の思いやりであろう。賢明な読者であれば、幾つかの章を読めば概要を理解することが出来る。

 もちろん、アランは他のことを全く述べていないわけではない。例えば「1.名馬 プケファルス」では「子供が泣きわめく時、その原因」を勝手に推量する乳母の愚かしさを書いている。父親の遺伝だとか、様々なくだらない推量をしているが、それは赤ん坊を刺す一本の取り忘れたピンが原因だということを。真の原因を探求することなく当て推量をすることによって問題は何も解決しない、というのは今でも殆どの人が侵しがちな過ちであるが、それを的確に指摘する「教師」はどんどん少なくなっている。

 だから僕らはアランの書物のような人生の教師が必要なのだ。(実際アランはフランスの高等学院リセの教師であった)こうした系譜はフランスなどでは恐らくまだ教育の一環として取り入られており、僕は大学の頃フルキエの哲学講義などを読んだが、やはりアランのような知性を受け継いだ書物であったことを覚えている。

 ただ・・・敢て言えば原文を読むのが望ましい。残念ながら訳文はかなりわかりにくいところがある

 例を挙げれば、集英社版「45.エゴイスト」の末文にある「そして、彼(エゴイスト)の絶望は私から言えば、かれが自分自身を誤解したことを証明するものだ」という原文はEt son désespoir me prouve qu'il s'est mal compris lui-même. であるが日本語にしたことで却ってわかりにくくなってしまった。「私には彼が絶望する理由は彼自身が誤っているとしか思えないのだ」程度の意味なのだが、忠実に訳そうとするあまり、むしろ意味が通りにくくなっている。

 だから全てを読もうと言うより幾つかの興味のありそうな章をピックアップして丁寧に読む方が良いかもしれないし、他にも幾つか翻訳は出ているので、チェックして自分にあったものを見つけるのも良いかと思う。

 ちなみに巻末に挙げた白水社の訳は「幸福論」に関しては中村雄二郎氏の訳で訳文としてはこちらの方がこなれている。但し、「幸福論」は抄訳でPropos sur(語録)の次に「人間とか、情念、教育」など(つまり人間語録、情念語録、教育語録)といったアランのよる別の書物の抄訳と共に掲載されている。それはそれで興味深いが、「幸福論」の全訳を求めるならば他にも岩波文庫などから出版されているようだ。


 さて、せっかくだからHow toものに対する考え方をもう少し述べておこう。

 僕が思うにHow toの本質はarbitrage(裁定)なのだ。今の世の中は金融世界だけではなく、価値を評価されるものは殆どarbitrageを纏っている。

 実は経済的利益を今の世の中で生み出すものは殆どarbitrageだからである。但し、経済的便益や価値を生み出すものではない。あくまで「利益」を生み出すものである。

 そんな事は実は遙か昔から分かっていることなのだ。金融学でいう裁定とは、例えば様々な条件下にある金利というものは、その要因を全て計算した結果、低いところから高いところに流れて同一化する、というような状況を示す事である。物の流れでも同じで、新奇性ノヴェルティの高い物は本来的な「価値」とは別に「新奇性と希少性」で「高値」を呼ぶ。その「高値」が市場の裁定によって本来の「価値」に落ち着くまでの期間が「利益」の本質でありblue oceanの状態なのであって、裁定の期間は新奇性や希少性の解消されるまでであり、その期間は生産の可塑性マレアビリティや市場の規模によって決定する。東インド会社の時代の「胡椒」はもの凄い利益を生み出したが「胡椒」という商品は遙か以前に既に裁定は終わってしまった。現在、日本の果物市場では「シャインマスカット」が裁定の最後の段階を迎えつつあり、やがて「巨峰」と同じ途を辿ろうとしている(ちなみに「便益」としては僕は遙かに巨峰の方を好む)

 そして世の中では最近「辛い唐辛子」が裁定が利益を生み出す最終段階に突入している。なんだか馬鹿らしいけど、裁定が生み出す利益なんて全体としてみたら陽炎

のようなものである。だが全体として陽炎でもそれに最初に投資した人間には莫大な利益を齎す。


 How toなどという本が出た時点で既にそこにはarbitrageは失われているのである。確かにそこには金山があったかもしれない。しかしそのマニュアルが出た時点で金は掘り尽くされているのだ。そしてそれを「書物にして」彼らは稼ぎ、あなたは金を失う。

 まあ、それでも構わない。もしかしたらそこにも何らかのヒントが隠されているかも知れないし、金は掘り尽くされたかも知れないが、何かの有用鉱物は残されているかも知れない。


 だが人間という複雑な「機会」に何らかの本質的なマニュアルが必要だとするならば、この書こそ特に若い人々にとっての「人生のマニュアル」として最も適当な書だと僕は思っている。

 もちろん、この本は相手をデートで口説き落とせる場所や方法を教えてくれるわけでもなく、家庭を平和にする手段や、上司(や部下)に好かれるための会話術を教えてくれるわけでもない。だが、もっと豊かなものをきっと与えてくれる物に違いない。


 

「幸福論」 アラン 白井健三郎訳   集英社文庫

   ISBN 978-4-08-752037-8 C0197


アラン 人生論集  串田孫一編    白水社

   135-9 A

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My Bests(僕の好きな短編小説) 西尾 諒 @RNishio

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