死神の花送り

向日ぽど

*****


 世界で一番大切だった。

 世界中の誰よりも大好きだった。


 今日も私はあなたを思い、死への恐怖を抱いて眠りにつく──。





「──ここは?」

 目を開けているのか閉じているのか。分からないほどに、あたりは真っ暗だった。最初こそ混乱したが、すぐに冷静になる。ああ、とうとう──。


 暗闇からゆったりと人影が現れる。

 感情をすべて奪われたような、温かみなんて忘れてしまったような、表情の読み取れない女性。真っ黒なワンピースを身にまとう姿はさながら死神だった。


「──私は案内人。“死”という名の新たな旅路へご案内いたします」

 これまた感情の全く籠っていない声に、ああ、私は死んだのか。と納得する。


 私は重い病を患っていた。余命宣告だって受けたのだから、いつ死んでもおかしくなかったのだ。毎晩、明日こそ朝が来ないかもしれないと思いながら眠りについた。


 ああ、やっと──苦しみから解放された。

 死んでからこんな場所があるなんて想定外だったけれど。


「どこへでも、連れて行ってください」

 素直に立ち上がった私に、女性は驚いた風もなく囁くように告げる。


「最期に会いたい人はいらっしゃいますか」


 そう言われて、動かしかけた足を止める。──会いたい人。

 そういわれて思い浮かべたのはたった一人だった。


「…恋人に」

「わかりました」

 随分と優しい死神ではないか。彼のもとへ、連れて行ってくれるというのか。

 すぐに背を向けて歩き出す死神の後を追った。



 しばらく行くと暗闇に一枚の扉が浮かび上がる。彼女がノブに手をかけて扉を開いた瞬間、漏れ出た光の眩しさにギュッと目を瞑った。


「──青木慎吾。あなたの恋人だった男です」

 景色が一変し、見慣れた部屋にたどり着いた。そこは私が病気になる前に何度も訪れた場所。恋人である慎吾の部屋だった。


 彼は優しい人だった。死んでしまう彼女を見捨てることもなく毎日のように見舞いに来ては私を励ました。どんな時も笑顔を絶やさず、私の手を握ってくれていた。「結婚しよう」とあり得ない未来まで──語ってくれたのだ。



 そんな、笑顔しか見たことがないくらいに笑っていた彼が──

「…美結っ」

 膝に顔を埋めて、泣いていた。私の名前を呼ぶ、掠れた声。時折顔を上げたときに見えた真っ赤な腫れた目。そんな弱い姿、彼からは到底想像もつかなかった。私が死んでも、切なそうに微笑んで、静かに涙を流す──そんな風に想像していたのに。ああ、私は思っていたよりもこの男に、愛されていたらしい。


 素直な愛情表現なんてできやしない私を。ひん曲がった、可愛げのない私を。「どうせ死んでしまうから」と全てを諦めてしまった私を。


 彼はこんなにも、想ってくれていたのか。



 覚悟はとうの昔にできていた。平気だと思っていたけれど、彼のそんな姿を見たらどうにも感情がコントロールできない。

「…慎吾」

 悲しくても泣かなかった。辛くても苦しくても泣いたことなんてなかったのに。


 幽霊になったからだろうか。今までの苦しみが全て溢れ出たように、涙が流れる。

「…美結?」

 慎吾がぱっと顔を上げて、こちらを見た。死神を見れば小さく頷く。姿を見えるようにしてくれているらしい。


 目を見開いて驚く慎吾へ微笑みかけた。

「…ごめんね」

 初めに出たのは、謝罪だった。慎吾は首を横に振る。

「ありがとう」

 そして次は感謝。またしても、彼は首を振った。


 私は苦笑する。謝罪も感謝も、受け取ってはくれないのか、この男は。

「“ごめん”も“ありがとう”も…俺のほうだよ」

 震える声で、そう言った。今度は私が首を横に振る番だ。


「君が辛いときに代わってあげられなくてごめん。何もしてあげられなくてごめん」


“何もしてあげられなくて”?あなたがそばにいてくれるだけで、大きな力になっていたっていうのに。


「出会ってくれて、ありがとう。恋人になってくれて──ありがとう」


 愛情なんて何一つ返せなかった。あなたはいつだって惜しみなく捧げてくれたっていうのに。


 慎吾の綺麗な瞳から零れ落ちる涙を拭う。

 そして手に持っていた、一輪の花を彼に手渡した。

 これは死神がここへ来る前に渡してくれたものだ。


『──ここは冥界の花園。今から会いに行く人へ贈る花を一輪選んでください。現世へ生きる者への最後の贈り物です』


 本当にたくさんの種類が並び、咲き誇る。花になんて興味はないから名前も分からないものばかりだが。

 近くにあった紫の花を指さして、死神に問う。

『これは?』

『それは──』



「──慎吾」

 その手に花を握らせる。跪き、同じ目線になって、世界で一番大好きな瞳を覗き込んだ。


「…大好きだったよ」

 初めて告白するのが、死んでからなんて──本当に、馬鹿らしい。思ったよりも恥ずかしくない。生きているうちに、一度くらいは言えばよかったと後悔した。


 紫色の花──カキツバタを握りしめて、慎吾は泣き崩れる。


「どうか──幸せに、なってね」

「…ばいばい」


 触れているのかどうかも分からないが──そっと彼を抱きしめた。



 ──さようなら。

 私の体は光に包まれて、跡形もなくこの世を去った。





「──彼女はいい花を選んだ」

 死神は口元を緩めた。


 冥界の花園で、そっとカキツバタに鼻を寄せた。

「彼女も彼も──良い人生を、歩んだのだろう」

 二人が寄り添う姿を思い起こす。最後の瞬間をあれだけ美しく彩ることができるのは珍しい、と死神は思う。まさしく、“真実の愛”といったところか。


「願わくは、彼女にはまた幸せな人生を──。あの男性と生まれ変わってもともに過ごせることを、祈っている」


 紫の美しい花を切り取ると、分厚い本のある一ページへそっと挟み込んだ。





 ──カキツバタの花言葉は“幸せは必ずくる”


 たった一人の愛する人へ向けた、自らがいない未来を応援するメッセージ。


 二人で過ごしたかけがえのない幸せな時間と同じくらいの幸せが、きっとこの先残された彼に訪れますようにと願いを込めて。







「──私は花送りの案内人。大切な人へ、死にゆくあなたが送りたい花言葉を贈って差し上げます」

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死神の花送り 向日ぽど @crowny

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