第4話

 パーカーと別れてローゼン・コーヒーを出た後、打ちのめされたような気分でとぼとぼと歩いていた。

 アスファルトの歩道の横ではひっきりなしに飛空自動車フライング・ビークルが離着陸を繰り返していた。車体の下部や後部にある噴射口からは水素燃料の推進剤が噴き出している。だが、水素燃料だけあってほぼ無臭だった。


 それからはどこをどう歩いたか、覚えていなかった。だが、気づくと妻と息子が眠るデータセンターに辿り着いていた。

 黒い箱、まるで墓標にも見える物理サーバーが自分の前で物言わずにたたずんでいる。

 ――残された者のエゴではないか。

 パーカーが放った言葉はまだ自分の心をぐりぐりとえぐっていた。自分もかつてはそう考えていた。しかし、二人を失った悲しみでその考えを改め、この二年の間、幻想にすがって生きてきたのだ。

 だが、果たしてそれは正しかったのだろうか。もし妻グレイスや息子フレッドが生きていたとしたら、デジタルコンストラクトに話しかける自分を見て喜んだのだろうか。

 そして、もしバイオニクス・ヒューマノイドが実用化されたとして。妻や息子と瓜二つの存在ができ、そこに彼らのデジタルコンストラクトがインストールされたとして。自分はかつての自分と同じように彼らを愛することができるのだろうか。

 答えはもう見えていた。自分の光学式義眼オプティック・デバイスにはデジタルコンストラクト契約解除用の電子書面がポップアップで表示されている。この書面の『解除します』に視線を合わせて、ウインクをすれば、二人は永遠に消えるのだ。

 本当ならきっとぽとぽとと涙がこぼれるはずなのだろう。だが涙腺るいせんごと光学式義眼オプティック・デバイスにした自分は涙を流すことさえできなかった。

 決められない。そんな優柔不断さを抱えたまま、光学式義眼オプティック・デバイスに映るブラウザタブを切り替え、もう一度、デジタルコンストラクト接続画面を呼び出した。

 ――接続します。

 その合成音声が流れると同時に、目の前にある黒い台座型のホログラム発生装置に二人の姿が浮かび上がった。

 ――お帰り、あなた。

 ――パパ。お帰り。

 立体ホログラムがそう言った。

「なあ、俺、二人のデジタルコンストラクト、消そうかなって思ってるんだ」

 僅かな時間をも無駄にしないように本題から入った。二人が悲しげな表情を浮かべる。

 ――どうして? 私達に会いたくないの?

 妻、グレイスが問いかけてきた。

 そんなわけがない。会いたくないわけがない。だからこそ、二人を失ってから二年の間、生活を切り詰めてでもレンタルサーバーの管理費を捻出してきたのだ。

 ――ここにあなたが来てくれさえすれば、私達は一緒にいられるのよ?

 グレイスの言葉は、すぐにでも屈してしまいそうなほど甘い誘惑だった。

 ――後悔がないように毎日精一杯生きなきゃ、でしょ?

 どうしたらいいのか分からなくなった瞬間、妻の口癖が頭をよぎった。

「なあ、グレイス。お前の口癖だったよな。後悔がないように精一杯生きなきゃ、って」

 そう問いかけるとホログラムの妻は力いっぱいうなずいた。

「その言葉で気づいたよ。お前もフレッドも精一杯生きたんだよな。後悔がないように、一生懸命生きたんだよな。なら、俺が本当にしなきゃならないのは、お前たちの幻想にすがることじゃなくて、お前たちの気持ちに応えること、だよな?」

 ホログラムはバグでも起こしたように何も答えなかった。

「今まで、ありがとう。でもお前たちのデジタルコンストラクトがなくたって俺はもう大丈夫なんだ。お前達はずっと俺の心の中にいるから」

 そう言って、光学式義眼オプティック・デバイスに映るブラウザのタブを切り替えて契約解除書面を出した。書面の『解除します』に視線を合わせる。

「さよなら。愛してる、ずっと」

 そうつぶやいてウインクをした。


《完》

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Soul in the Server watergoods @aquagoods

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ