第3話
コーヒーショップのソファに座りながら、そのときを今か今かと待ちわびていた。
商談をした五日後、ウィリアム・パーカーから電話があったのだ。話したいことがあるのでいつものローゼン・コーヒーで待ち合わせをしたい、
「ああ、ドーセットさん、遅くなってすみません」
どぎまぎしながら待っていた自分の前にパーカーが現れた。丁寧にアイロンが掛けられたシャツの上に薄手のセーターを着て、グレーのジャケットを羽織っている。
「すみませんね、お待たせして」
そう言うと、パーカーはどかっとソファに腰を下ろした。
「いえ、とんでもありません。ご注文はもう?」
自分の頬が緩んでいることに気付きながら、彼に尋ねた。
「ええ。今、店のLANに接続して、注文しましたよ」
パーカーはこともなげにそう言った。
そうですか、と小さく答えながら、彼の言葉を待った。色よい返事が聞ける、そう思うと気持ちが
給仕用のヒューマノイドがプレートに乗せたアイスコーヒーを持ってきて、パーカーの正面に丁寧に置いた。彼が一息つくかのようにそのコーヒーに口をつける。
それで、ご検討の方は。そう言いたい気持ちを抑えてじっと彼の顔を見つめた。
「実はね、色々ありまして、ご提案頂いたあの保険、止めようと思うんです」
コーヒーカップから口を放したパーカーの第一声を聞いたとき、思わず、えっ、と言いそうになった。ここまで来て、まさかそんな言葉が返ってくるとは夢にも思っていなかったからだ。
「何か不都合でもございましたか?」
保険外交員らしい真っ当な言葉をなんとか絞り出した。
「いえね。偶然なんですけど、ドーセットさんにご提案いただいてから二日後だったかな。うちの系列会社ミネルヴァ・バイオニクスに出向していた同期と会ったんですよ」
「はあ」
話の筋がまるで見えず、
「完全生体人型ロボット、いわゆるバイオニクス・ヒューマノイドをご存じですか?」
首を縦に振った。今、社会には多くのロボットが実装されている。特定作業に特化したもの、動物型、その中でも特に汎用性が高いものが人型であるヒューマノイドだ。
だが、そのヒューマノイドにも規制があった。それは
「今、完全生体人型ロボットの実用化が水面下で進められているらしいんです。もちろん政府は公式にはアナウンスしていないし、法案も審議入りしていません。でも水面下では行われているらしいんです」
そこで言葉を切り、パーカーは軽く咳払いをした。
「私はそれを聞いたとき考えたんです。もし完全生体人型ロボットができたとしたら、文字通り私の完全なコピーを作ることも可能になる、と」
確かにそうだ。バイオニクス・ヒューマノイドであれば、骨格などのフレームも含め、それを動かす筋肉や臓器、皮膚などのほぼ全てを人工培養した生体パーツから造ることになるだろう。
もし誰かを模倣したいなら、顔や肉体を三次元CGデータ化し、それをベースに顔を造ればいい。理論上は、完全なコピーを作ることはできる。
「そして、デジタルコンストラクト、これは今もう普及していますよね。つまり、私の人格データです。もし、もしですよ。私を完全に模倣したバイオニクス・ヒューマノイドの
次にくる言葉を予感し、唾を飲みこんだ。
「それは、果たして私なんでしょうか?」
返す言葉を持たずに、その場で固まった。パーカーは自分とは対照的に妙に熱っぽい表情を浮かべている。
「少なくとも他人から見て私にしか見えないバイオニクス・ヒューマノイドは、社会の中で私とみなされる。そして、デジタルコンストラクトによって再現された私の人格も、間違いなく私のはずです。だとしたら、私とはいったい何者なのでしょう?」
明らかに自分の仕事の領分を越えた問いだった。答えなど持っているはずもない。
「私もこの問題を考える前は、デジタルコンストラクトを気軽に利用していました。亡くなった両親に会える、自分の死後もデジタルコンストラクトになって息子や娘にアドバイスしてやれる、そう思っていました。ですが、思ったのです。死んだ人間に会いたい、彼らからアドバイスが欲しい、などというのは残された者のエゴに過ぎないのではないか、と」
残された者のエゴ、その言葉は自分の心を激しく
「すみません、熱っぽく語ってしまって。もちろん、ドーセットさんがあくまでビジネスとして、こちらのデジタルコンストラクト保険を私に勧めてくださったことは分かっているんですがね」
パーカーはそう言って苦々し気に笑ってみせた。
「いえ、そんな」
それしか言葉は出なかった。
「まあ、そういうわけでして、今回はご遠慮させてください。なにせ私は両親のデジタルコンストラクトの消去まで考えている始末ですから」
そう言ったパーカーは
「そうでしたか」
答えた自分の顔は自分でも信じられないほどに引きつっていた。
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