第2話

 パーカーが喫茶店を出るのを見送った後、電子マネーで会計を済ませ、店を出た。

 太陽が昇り、空は澄み切った青に輝いていた。だが、この超高層摩天楼が林立し、その隙間を埋めるかのように飛空自動車フライング・ビークルが縦横無尽に飛び回っているこの街ではその折角の青もほとんど見えない。

 だが、それでも空を飛び回っている連中はましな方だ。自分がいる地上はあの摩天楼とはかけ離れて薄汚れていた。

 ここには空をくっきりと映し出すような磨き上げられた硝子張りの壁はない。アスファルトの道路に、煤けたトタン屋根の家々、ほとんどスラムと言っていい。

 少し歩けば、ヒッピーみたいな連中やヒップホップカルチャーに毒された連中、過激な記憶追体験装置メモリーチェイス・チップを電脳に接続してラリっているような連中がうろついている。

 ふう、と息を吐き、メンソールの煙草をくわえた。

 今の時代、金持ちは何から何までバックアップを取ることが当たり前になっていた。万が一病気になったり、酒の飲み過ぎで肝硬変にでもなったりすれば、医者にかかるのではなく、豚や牛を使って培養しておいた専用の人工培養臓器プラント・オーガンと取り換える。視力が落ちれば、最新式の光学式義眼オプティック・デバイスを入れ直す。そんな具合だ。

 だが、それは金持ちに限った話だった。自分のようなしがないサラリーマンにはそこまでの金はない。せいぜい生体マイクロチップを埋め込んで電脳化し、型落ちの光学式義眼オプティック・デバイスを入れるのが関の山だ。高価な人工培養臓器プラント・オーガン換装義体バイオニック・パーツなどにはとても手が届かない。

 短くなっていく煙草を片手にこれからどうしようか考えた。

 また二人に会いたい、ふとそんな想いが湧いた。二年前に飛空自動車フライング・ビークルの墜落事故で亡くなった妻グレイスと九歳だった息子フレッド。あの二人なら、会えばきっと、また自分を励ましてくれる。

 ふっと息を吐いて、飛空自動車フライング・ビークルタクシーを呼んだ。


     *


 訪れた場所は、妻と息子が眠る場所だった。とは言っても遥か昔の人間の文化にあった霊園などではない。デジタルコンストラクトが保管されているデータセンターだ。

 目の前には三メートル近い高さの真っ黒な物理サーバーが置いてあった。自分の電脳からそこに接続すると、アカウントの認証を求められた。

 頭の中でパスコードを思い浮かべると、光学式義眼オプティック・デバイスに表示されていたパスコード入力欄に数字とアルファベットが自動入力されていく。

 ――認証されました。

 その文字が光学式義眼オプティック・デバイスに表示されると同時に、サーバーの手前に黒い円形の台座に妻と息子の立体ホログラムが投影された。

 古いSF映画にあるような青一色でできた子供騙しのものではない。触れられるのではないか、そう思わされるほどリアルだ。

 ――お帰りなさい、あなた。

 ――父さん。また来てくれたの?

 目の前に映し出された妻と息子のホログラムがそう語り掛けてきた。それを聞くだけで涙が出そうになる。

「また、来たよ。五日前にも来たばかりなのに」

 そうこぼすと妻がふふっと笑った。

 ――いいじゃない、そんなこと。私達は家族なんだから。

 妻の口調は生前と何一つ変わらなかった。

 もちろん、この反応パターンが加工されたものだとは知っている。利用者の足を遠のかせないように、敢えて厳しい言葉などは掛けないように設定されているのだ。そのおかげでここに来る人間は、もう二度と会えないはずの人間と理想的な時間を過ごすことができる。

 サーバーに再現された模造型人工知能イミテイト・インテリジェンスと会話する、そんなことは単なる慰めでしかない、そう批判する人間は少なくない。実際、かつての自分もそうだった。現実から逃げ回っているみっともない奴、利用者のことを心の中でそう蔑んでいたものだ。

 だが、あの飛空自動車フライング・ビークル墜落事故で妻と息子をいっぺんに失くしてからその考えががらりと変わった。

 もう一度でいいから二人に会いたい、そう何度も願った。そして、自分は弱い奴だ、という考えから、弱い奴でもいい、という諦めのような境地に至った。

 そこからの行動は早かった。妻と息子が保存していた生体記録ライフログからすぐにデジタルコンストラクトの作成を模造型人工知能イミテイト・インテリジェンスの専門業者に依頼し、レンタルサーバー会社からサーバーを借り受けて、二人をこういう形で弔った。

 ――何かあったの?

 たたずんでいた自分に妻が声を掛けてきた。

「いや、仕事帰りでさ。二人に会いたくなったんだ」

 ――そう、お疲れ様。上手くいきそう?

「まだ、分からないよ。でも手応えはあったんだ」

 ――なら、よかったじゃない。毎日精一杯、後悔がないように生きなきゃ、だものね。ねえ、フレッド。パパ、お仕事頑張ってるんだって。

 ホログラムの妻が息子の頭を撫でながら語り掛けた。

 ――お疲れ様、パパ。

「ありがとう。それでさ」

 そう言いかけたときだった。

 ――サーバー接続限界です。切断リンク・オフします。

 電脳の中で警告音と共にアナウンスが流れた。

「ちょっと待って」

 そう言いかけたとき、二人のホログラムは消えていた。

 ぐっと奥歯を噛み、喉に湿りをくれた。まるで白昼夢はくちゅうむに溺れているような気分だ。切断リンク・オフされた途端、強い力で現実に引き戻されたような気分になる。

 ふっと息を吐いて、その場を離れた。

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