参ノ巻 かみさま、にげた!
「もう。ちゃんと歌ってください!」
真っ白な森の木々より少し高い、切り立った崖。そこにリティ・リティとダイゴは並んでいる。はるか下には清流、右手には大きな滝。
風でも吹いたらまた落ちるのではないかとダイゴはびくびくしていたが、リティ・リティは落ち着きはらっている。落ちたなら、また、飛べばいいということなのだろう。
さきほど、森の中を歩きながら、リティ・リティはいくつかのことを説明した。
この白い森には、<墓>とよばれる、古代の遺跡がたくさん眠っていること。彼女はその<墓>を管理する一族の生き残りであること。<墓>は、さだめられた歌、<神代の歌>をうたうことでさまざまな奇跡を起こすこと。白い森の住人たちはそのちからを利用して暮らし、あるいは外敵から森と自分たちを護ってきたこと。
そして、いまこの白い森は、隣接する帝国の侵入により焼かれようとしていて、それを防げるのは、伝説の<とこしえの
その歌をうたえるのは、異世界からやってきた神だけだということ。
「……だから、僕は、ちがうってばあ……」
ダイゴは、とにかく元の世界に戻してくれ、と、なんどもリティ・リティに抗議したのだが、彼女は笑って受け流した。
「大丈夫です。ちゃんと歌がうたえるようになれば、奇跡も起こせるし、元の世界とも自由に行き来できますよ。まずは、練習です!」
歌の練習をしろというのだ。呼び出されたばかりで歌に慣れていないから奇跡を起こせないと、理解しているらしい。ダイゴは、ついにあきらめた。
それでさきほどからこの崖で、まずはちからを使うことに慣れようということで、滝の流れを止めるという歌を教わっている。
「もう一度あたしがやってみますね……えりすとる、そしえりお、ざいん!」
みじかい歌。それでも、地の声がふわっと高いリティ・リティが口ずさむと、まるで空気に色がつき、白い森ぜんたいが瞬時、艶やかに染められたように感じられた。
滝は、さあっという音をたて、水のながれを止めた。削れた岩肌が濡れて見える。どういう理屈か、流れ込む水がどこへ行ったのか、ダイゴにはまったく見当がつかない。
「……こんな感じです。さあ、もういっかい!」
リティ・リティは深い緑の髪をひらめかせ、ダイゴの背をぽんと叩いた。かみさま、と呼ぶわりには気軽に触りすぎだよ、と唇を尖らせる。
ダイゴは、元の世界では趣味で音楽をやっている。父親から譲り受けた古いノートパソコンに、デジタル音楽の編集ソフトをいれて遊んでいる程度だが、歌うことが大好きだったし、年上のいとこがバンドをやっている関係で、小さい頃からいろいろ楽器にも触れている。
が、しらない言葉の歌を、奇妙で不思議なリズムにのせて歌えといわれると、おもったような声が出なかった。照れくさいような、少し馬鹿らしいとおもう気持ちもある。
流れが戻った滝。リティ・リティが頷いた。すう、と吸い込んで、声をだす。
「……えりすとる、そしえりお、ざ、いん……」
ざざっ、と、わずかに水が反応した。ふたりは目を見開いた。が、水流がわずかに細くなっただけだった。すぐに元に戻り、リティ・リティはため息をついた。
「かみさま、もっと、気持ちを込めて。歌は、<墓>たちに、愛を伝えるためのものだと言われています。ずっとむかしのひとたちは、愛することで、愛を歌うことで、いろいろな奇跡を起こしたと。だから、気持ちが足りないと……」
「できないよっ!」
ふん、とリティ・リティと逆のほうをむき、ダイゴは、むくれた。
「急にこんなところに連れてこられて、へんな歌を歌えっていわれて、気持ちこめろったって、できるわけないじゃん、そんなの!」
「……」
「だいたい、知らないよ、こんな森、僕にはなんの関係もないし! 元の世界に戻れるっていうから練習しようと思っただけで。知らないよっ」
一息で言い切って、ふう、と息をつく。リティ・リティの反応をしばらく待つ。大きな声で怒鳴られるか、笑って、手を引っ張られると予想していた。
なにも起きない。
そろっと、ゆっくり、リティ・リティのほうへ振り返る。
じっと、ダイゴを見つめていた。
怒っていない。笑ってもいない。涙も浮かんでいない。ただ、見つめていた。
「……え……と」
ダイゴがなにか声をかけようとすると、リティ・リティは、目を逸らした。遠くの空をみる。
「……そう、ですよね。かみさまだって、急にあたしたちの森を助けてくれって言われたって、困りますよね」
「……リティ……」
「あたし、かみさまは、あたしたちのことみんな好きでいてくれてるって、思い込んじゃってて……」
そこまで言ったときに、リティ・リティの目から、おおきなしずくがぽろぽろ溢れてきた。ぐしっと、それを乱暴にぬぐう。ダイゴのほうをみて、無理やり、わらった。
「……帰れる儀式、あたし、知ってるんです、ほんとは」
「えっ……」
「でも、やっぱり、あたし、かみさまに……」
大粒のしずくが、笑ったままのリティ・リティの頬をつたって、いくつもいくつも落ちていった。が、がまんできない。顔がこどものように歪む。
「うああ。うああああん」
とうとう、口を大きく開けて、空を見上げて、泣き出してしまった。
ダイゴは凍りついている。こんなときになにをどうすればいいのか、泣いている女の子になにをしてあげればいいのか、知識がない。
この子はどうして、泣いてるんだ。えっ、僕が悪いの。どうして、なんで。なにか、わるいこと言ったかな。僕は悪くない。なんにもしてない。悪くない。そんなことがぐるぐると、頭のなかを巡っている。
と、そのとき。
ぶううん、と、羽虫のような音が空から降ってきた。
影が、さっとふたりの上を流れる。
『……リティ・リティだな! 墓守りの!』
頭の上。上空で、紅い巨大なトンボのようなものが飛んでいる。そのトンボから、羽音にまけないくらいの大きな声が響いた。
リティ・リティは涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭いもせず、ぽかんと空を見上げている。ダイゴも手の甲をかざしながら、同じ方を見る。
「……あ、あの声! リンドル!」
リティ・リティは素っ頓狂な声を出した。
『おお、覚えてたか、いかにもわたしはリンドル、帝国の丞相だ』
巨大なトンボは、地上の二人の声も拾えるようだった。リティ・リティは眉を怒らせ、叫んだ。
「なにしにきた! また森の木を切りにきたのか! 痛い目にあわすぞ!」
『いやまて、あれは誤解だ、わたしたちは白い森の伐採調査をしようと……と、とにかく今はそれどころではない、ちからを貸してくれ!』
「意味がわかんない! ちゃんと言え!」
『帝国の巨大兵器が暴走した。もうすぐ、この白い森にやってくる。狙いはわからないが、おそらく、森が焼かれてしまう』
森が焼ける。その言葉に、リティ・リティは凍りついた。
「おまえら……やっぱり、はじめから森を焼く気だったんだな!」
『だから! わたしたちではない! いやいや、帝国の兵器だが、我々はそんなつもりはなかった、いや、もう、とにかく、時間がない! 協力してくれ!』
そのとき、ずずん、という地響きが聞こえた。
同時にばりばり、めきめきと、木が切り割かれ、倒されるような音。
リティ・リティとダイゴの正面には、山の峰がある。その峰の向こうから音が響いていた。
『しまった。もう来てしまった……!』
峰のむこうの音が、大きくなる。ずずん、ずずんと、近づいてくる。木々が揺れるのが見えた。鳥たちがぎゃあぎゃあと飛び立ち、森がざわめいた。
峰の横、切り立った岩の陰から、黄金の頭が、のっそりと、のぞいた。
硝子の玉のようなふたつの巨大な目が、陽の光をうけて、ぎらりと輝く。
それをみたとたん、ダイゴの足は、しぜんと逆方向に走り出していた。
リティ・リティは振り返って、叫んだ。
「あっ、かみさま……逃げた!」
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