リティ・リティの白い森
壱単位
壱ノ巻 かみさま、きた!
「……かみ、さま?」
「えっ」
目を開けると、女の子が、泣いていた。
ダイゴは中学生になってからも音楽は頑張っているが、絵は苦手だ。だから、色の名前をあまりしらない。
それでも、目の前の女の子の髪の色が、道端の草のみどりでも、絵の具のみどりでもなくて、不思議に奥深い色だと、考えた。
女の子は、ながい翠色の髪を震わせて、くちに手を当て、ぽろぽろ泣いている。
「……あ、ありがとう、ございます……かみさま」
涙でいっぱいの、髪とおなじ色のふかい翠色の目を、女の子はぐいっとぬぐった。その髪が、こちらに向かって、激しくたなびきはじめた。
「きて、くださった……歌って、くださるのですね。よかった……よかった……!」
「な、なに、えっ」
言うまもなく、ふわっとした感覚。ダイゴは目を瞬かせ、女の子とおなじようにこすり。
絶叫した。
「うわああああああああっ!」
女の子の背後に見えるのは、ダイゴの家、二十階建てのマンションの部屋よりも、ずっと、ずっと、何倍も遠い地面。そこは森だった。だが、緑ではない。氷の細工のような、真っ白な森が、女の子の背後にひろがっている。
遠くには白い霞で隠された地平線、そして、どよんと曇った空。
砂色の岩のようなものでできた、塔のような、城のような場所。その最上端は槍のようなかたちになっている。その突端は、三十センチほどのまるい台だ。
そこから、ふたりは、落ちたのだ。
「ちょ、えっ、なんで、なに」
ダイゴはとっさになにかを掴もうと手を伸ばしたが、なにも手に触れない。目の前の女の子以外、どちらを見ても、はるかな地平線。
女の子は、風圧にかき乱される髪を片手で抑えながら、わらった。
「あっ、かみさま、跳ぶのははじめてですか」
「と、とぶって、おちるおちる、おちるううう」
「だいじょうぶ、あたしの手、握ってください」
そういって、女の子は手を差し出した。ダイゴは強い風圧を受けながら、その手をにぎる。風切り音がひどいが、女の子の声はふしぎに届いた。フルートを鳴らしたみたいな声だ、と、こんなときでもダイゴは連想した。
連想したが、地面は、容赦なく迫る。
ダイゴの意識が遠のきかけた。目をつむろうとしたが、身体が言うことをきかない。目は、しろく広がる森から、離れない。
巨大な純白の木々が、ぐんぐん、迫ってくる。もう目の前だった。このままいけば、激突する。
そのとき。
「あすとらいだ、そうりおん……そるば、ざいお、あすとれいお」
女の子が目を閉じ、微笑みを浮かべながら、透きとおるような声で、歌いはじめた。
えっ、う、う、歌ってる、この子、こんな、ときに……!
「ありすとら、りお、るお、ざいお……」
と、風が、止まった。
女の子の髪が、ふわっと、浮いている。
風景もとまっている。
ダイゴはまわりを見回した。止まっているのは、風景でも風でもなく、女の子とダイゴのふたりであった。
空中でふたりは、手をつないだまま、静止していた。
そのままゆっくり、ゆっくりと下降して、やがて地面についた。
下草も、花も、しろい。
木立ほどに純白ではなかったが、わずかな緑をおびた、澄みとおった白。
女の子とダイゴの身体は、うまい具合に反転し、足を下にしてふわりと着地した。
「……かみさま、お怪我、ないですか」
女の子は笑ってダイゴに話しかけたが、答えがない。気絶していた。たったまま、目を見開き、ぽかんとした表情。
「……かみ、さま? あれ? かみさま?」
女の子がダイゴの頬を、ぴたぴたと叩く。
「……むう。眠ってしまわれた。ええと、それじゃあ……」
ものも言わぬダイゴを置いて、女の子はどこかへ立ち去り、しばらくしてからなにかを持って戻ってきた。
おおきな木の葉。それもやはり、真っ白だ。皿のように弛められたそのうえに、清潔そうな水がたっぷりとたたえられている。
女の子はくちをつけ、水を含んだ。頬がふくれる。
顔をはなし、ダイゴに、近寄る。
流れ込む冷たい水の感触が、ダイゴの意識を戻させた。
一度目を閉じ、あけると、まつ毛が触れる距離に女の子の顔があった。深緑の瞳が笑っている。
「……ほ。あ。ひ、ひゃああああ」
間抜けな声を出しながら、ダイゴはとびすさった。
「お目覚めになられましたか、かみさま」
「な、な」
女の子は笑顔をおさめ、まじめな顔になり、膝をついてあたまを下げた。
「あたしは、リティ・リティ。白い森の、墓守りです」
「……」
ダイゴは改めて、まじまじと、目の前の女の子をみた。
青と緑が混じったような、深い海のような、懐かしいような、翠色。その長い髪が、背中のまんなかまで伸びて、無造作に跳ねている。
陽に焼けたような、すこしあかい肌。身につけているのは……教科書で見た、弥生時代といったか、そのころの服装のイラストと似た、薄いベージュの質素なもの。
首元には、うすく蒼く輝く、ペンダント。
女の子……リティ・リティと名乗った彼女は、すこし首をかしげて、ダイゴを見ている。大きく、すこし目尻のあがった目が、まっすぐこちらに向けられている。
年の頃は、たぶん、中学二年生の自分とおなじくらいと、見当をつけた。
「……ここ、どこ……?」
ようやく意識を取り戻しつつあるダイゴは、ちいさく、声をだした。
「……僕、ばあちゃんからもらった、音楽、聴いてた……ばあちゃんの部屋で、カセットテープ、ばあちゃんの、機械に、かけて……それがなんで、こんなところに……」
「……おんがく!」
リティ・リティが目を輝かせた。
「どんな音楽ですか! どんな、歌ですか!?」
肩をつかまれ、ダイゴはおもわず、ひゃっと声をだした。
「ど、どんなって……」
「とこしえの
なおも強くつかまれ、ついダイゴは、リティ・リティを突き放した。きゃっ、という声をあげて、彼女はよろめいた。
「……ちょ、ちょっと、まってよ。君、誰なの、ここはどこ、どうして僕は、こんなところにいるの……?」
その質問に、リティ・リティは、不思議そうな顔を浮かべた。
「……かみさま、こちらの世界、はじめてですか?」
「そ、その、かみさま、っていうのもやめてよ……僕は普通の人間だよ。ただの中学生。ダイゴって名前だよ」
「だいご、さま……。わかりました。では、あたしはリティとお呼びください。きっと急に儀式をとりおこなったから、びっくりしておられるのですね」
リティ・リティはそういって、ふふっと笑った。健康そうな唇から歯がのぞく。
その表情をみたとたん、胸がぽんっと、おかしなふうに爆ぜたのは、きっとこの訳のわからない事態のせいだろうと、ダイゴは無理やり納得した。
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