弐ノ巻 おうさま、つかまえた!
ごうん、ごうん、という低い音が、巨大な工房を囲む壁に反響している。
空調がきいているから、瘴気だらけでマスクなしでは暮らせない外部に比べれば視界がよい。それでも霞んでみえるのは、巨大な装置の開発にともなう油の蒸気がたちこめているからだ。
「黒竜王さま、そろそろ、上がってきます」
リンドルが耳元で囁くと、ジズは憂鬱そうな表情をうかべて頷いた。銀の髪がゆれる。
黒竜王という
と、地響き。ずずず、という、重い石を引きずるような音とともに、工房の地下から巨大なものがせり上がってきた。技術者たちが焼き菓子に群がる黒蟻のように立ち働く。
黄金の、彫像。
背丈の三倍ほどもある頭部。太い首。見開いた目には硝子の玉がはめられており、作業灯をうけて輝いている。
像はやがて、せり出し廊下に立つふたりの正面に、分厚い胸の部分を示すようにして停止した。ごごん、と鈍い音。
「……なんとも、不恰好なものですな」
リンドルが嘆息しながら肩をすくめた。金髪を頭の左右でとぐろのように巻き、同じ色の長いくちひげを左右に垂らした、四十代の男性としては珍妙な風体。が、皇嗣付きの侍従長から丞相に就任しても、変えない。
「前王さまご病気のおりから、こそこそと。評議会の女狐……おっと失礼、カトエーレ議長らしいといえば、らしいですな」
「……だが、<王の歌>で動かす以上は、おれが乗らなければ動かせない。議長はどうする気だ……だいたい、本当にこいつで、白い森を焼くつもりなのか」
「帝国を覆っている瘴気の原因は、白い森。評議会はそう主張しています。わたくしは、前王さまと同じく、その考えにはくみしませんが」
ふん、と顎をあげて、リンドルは巨像を睨みつけた。
「せっかく白い森の先住民族たちとも縁ができたというのに。もう少しで<王の歌>と<神代の歌>のつながりにも、迫ることができたのですぞ」
ジズも、俯いた。前王の死の原因は明らかになっていない。倒れてすぐにジズは駆けつけたが、政情安定を理由に、評議会は王の身柄を確保してしまった。次に父の顔をみることがかなったのは、葬儀の場だったのである。
若い皇嗣にできることは、少なかった。
太古の知識の尊重、自然への敬慕、多民族の調和。そういった帝国のよき伝統は、野心をかかえる評議会、わけても商人から身を起こして議長にすわったカトエーレの、革新的で耳あたりのよい扇動で、ゆっくりと覆されようとしていた。
評議会の狙いは、白い森の<神代の歌>だった。
この国の王家に伝わり、すべての動力の根源となっている、<王の歌>。だが、その発動には王の許可と、副作用としての瘴気の発生をともなう。
評議会は、白い森をその手におさめ、そこに無尽蔵に眠るとされる膨大なちから、<神代の歌>を手中にしようとしていた。
そのために、森を白く染め、瘴気を発することで帝国に困窮をもたらす、あやしき先住民を殲滅しなければならないと、常に主張していた。
くだらない……。
ジズが憂鬱な想いとともにしずんでいると、ふいに、目の前の巨像がわずかに振動した。ぶううん、という唸り声。
巨像の胸が、中央から割れた。胸板が分厚い扉のようにひらいてゆく。
「……黒竜王さま!」
リンドルが危機を察知し、手を伸ばす。が、胸のなかから伸びてきたなにかに弾かれた。顎をうたれ、転倒する。
ジズは腰の短剣を引き抜いて構えたが、その腕に、なにかが巻き付く。金属のような太い繊維を編み込んだ、鞭だった。短剣ごと縛られた腕が、ひかれる。
巨像の胸のなかは暗く、工房からははっきり見えない。が、その奥で、鞭をたぐってジズを引きずり寄せる影があった。リンドルがジズの背にすがりつく。
そのとき、うぉぉん……という地響きのような音と共に、巨像の腕が、動いた。身体とおなじほどもある拳が、ジズとリンドルのほうへ向かってくる。
「……う、うごいた……!」
リンドルは驚愕の表情でことばをはっしたが、巨像の指に弾かれ、壁に背を打ち付けて昏倒した。
巨像の腕はジズをつかみ、みずからの胸のなかに放り込んだ。胸の扉がぐぐぐっと軋みつつ、閉じた。
巨像の右脚が、浮いた。工房の設備にかまわず踏み出し、ずずん、と、踏み下ろす。逃げ惑う技術者たち。動力索がぶちぶちと千切れ、火花をちらしてのたうつ。切断されたパイプから蒸気が吹き出し、工房を埋める。
工房のそとは、帝国の大門である。その両端の見張り台の兵士たちは、工房からの轟音に振り向き、驚愕した。
工房の壁が、崩壊した。
中から蒸気が溢れ出てくる。巨大ななにかが歩み出てくる。やがてそれは、人型の像……黄金の巨像であることがみてとれるようになった。
警報が鳴り響く。無数の技術者が像にとりつく。兵士が投石器などを利用して、巨像に綱をかけようとする。が、像はすべてを軽々と払いのけてしまった。
ずずん……ずずん……と、重い音を響かせながら、巨像は鉄製の大門へ進み、静止した。恐る恐るちかづく、兵士たち。
が、像の目が徐々にひかりを帯び、やがて激しく唸りをあげはじめたから、全員が、転ぶように逃げた。
次の瞬間、巨像の両の目から凄まじい閃光がはしり、大門を直撃した。轟音と爆煙。視界が戻ると、溶けた鉄と石の瓦礫がみてとれた。
巨像は、帝国の境界をこえ、白い森の方向へ歩きだした。
その、胸のなか。
ごうん、ごうん、という断続する低い音。音のたびに、床が揺れる。目を覚ましたが、視界は暗かった。ジズは左右に目を走らせる。
暗く、まるい天井の部屋。正面には映像が写っている。窓ではない。なにかのちからで、外部の風景を映し出していた。
映像のまえで、こちらに背を向けて、なにかの作業をしている、少女。顔はみえない。帝国の兵士の制服を着ている。短く刈り込んだ赤毛の髪に、ちいさな白い花の装飾がおかれている。
「……おい……」
声をかけると、少女はびくっと身体をゆすり、手元の鞭をとって、振り返った。
「うごくな!」
ジズは両のてのひらを相手に向け、攻撃の意思がないことを示した。
「……おまえは、だれだ。ここは……<黄金王>の操縦席、か」
「わかってるなら黙ってて。あなたがいないとこの子は動かない。わたしが<浄化の歌>を歌うまで、付きあってもらう」
少女は一息にいって、赤みがかった瞳をジズに向けた。ジズと同い年くらいと思えるその顔は、ほほに涙を乗せていた。
「王子……黒竜王さま。悪いけど、協力してもらう。あたしは……あの森を、あたしのおじいちゃんを殺したあの森を、焼かなきゃいけない」
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