第2話

海塚財閥の一人息子、樹。この屋敷にきて十数年。元から無理のある任務だと思っていたけれど、周囲のサポートもありうまくやってこれた。

…でも、そろそろ限界だ。樹と一緒にいるとたまに勘違いをしてしまう。

俺には君に言えない秘密が三つある。

一つ……俺は高校生じゃ、ない。


「樹、そろそろ帰るぞ」

隣のクラス、一番後ろ。任務上、すぐ帰らないといけないので俺は急いで教室を出る。樹を急かすのはいつも俺の仕事だ。部活をやっている訳ではないけどあまり遅いと狙われやすくなる。帰り道も見晴らしのいい田んぼ道にしてあるから安心だが、油断はできない。

「あー、今帰る」

もちろんそんな事情を知らない樹。本人なりに急いで支度をしていた。

樹は目付きが悪く、本人は自覚がないのでぼーっとしているとよく不良に絡まれる。だが中身はいたって健全。喧嘩もしないので、知り合った時はよく俺が不良を追っ払っていた。背は高く、すらっとした体格なので目付きさえ改善すればモテるだろう。ネクタイはゆるみ、ボタンも二番まで開けている。校則違反だが、だいたいの生徒は皆着くずしていた。きちんと着ているのは生徒会役員か俺くらいだ。俺は制服を一サイズ大きくしているので、着くずす訳にはいかない。

扉にもたれかかって樹を待っていると、クラスメイトの滝川が寄ってきた。

「よぉ釘人、今日も樹が淋しがってたぜー」

彼の髪は金に近く、服装も胸元がはだけている。チャラい。樹が言うには『根は良い奴』。…俺はあまり好きではない。

「うるせーなタキ、違ぇし」

案の定からかわれているようだ。樹は気質が優しいので、きっとからかいやすいのだろう。質の悪いイジメではないので特に手は出していないが、当主として大丈夫なのか心配だ。

しかし、話が読めない。軽く首を傾げて考えるが…。

「俺の話って?」

カバンを片手に持つ樹の顔が、不自然に紅くなる。

教室を出る彼の動作もいつもより早い。明らかに動揺している。

「だいたいタキの野郎がさー、変な質問するからさ!

オレも眠かったし、適当に言っただけなのに、あんだけ笑うから」

帰り道、何者かの気配を見逃さないように感覚を研ぎ澄ましながら、樹の話に耳を傾ける。

…いつもならさほど周囲を警戒しないのだが、今日からは特に注意しなければ。

何故なら一ヶ月後に、樹の誕生日が迫っているから。現当主…樹の父親が帰国し、本格的な教育を始める。跡継ぎとして。樹には知らされていないが、俺には樹の母親から事前に通達があった。予想される刺客の手は、おそらくこの期間にやってくるはず。能天気な樹はそんなサプライズに全く気付かない。

ちょっと…いや、かなり鈍い。

「で、どんな質問だよ?」

しばらく黙って見つめ合うと、急に顔をそらす。

「……忘れた」

樹の態度はやっぱりおかしい。

「は? なんだよソレ」

「忘れた。すげーくだらなすぎて忘れた!」

背けた横顔は紅い。

………うーん、やっぱりそうか。

樹も俺もいわゆる成長期、おそらく本能的にも最も互いに異性を意識する年頃。そうなるといくら隠していても、感覚で解ってしまうのかも知れない。樹は鈍いからまだ気付かないみたいだけれど…これまで以上に接触に気を付けなければ。

「まーいいけど、変な奴」

本当は良くない。この事実が明るみに出れば、任から外されるのは目に見えていた。

だが…きっとうまくやれる。離れたくない、という樹への情よりも、ここまで勤めてきて中途半端なまま終わりたくなかった。だから、もう少しこのまま。

「そういや樹、テス勉したか?」

君に言えない秘密……二つめ。

…俺は男じゃ、ない。


海塚家の屋敷には桜庭姉妹がいた。樹の母親が桜庭家と交流があるので、二人ともよく遊びにくる。

「あらぁ、樹。早かったわねぇ」

桜庭薫子は樹目当てで通っているが、樹が女心に気付く訳が無い。傍から見ればあからさまなのだが、……樹は鈍いからなぁ。同じ女として見ても、薫子は綺麗だし性格も純真。なかなか可愛いお嬢様だ。

薫子の真向いに座っているのが、……撫子。にやにやして、わざとらしく無害そうにスコーンをほおばっているが、彼女こそが桜庭家を裏から支えている、薫子の妹。双生児だから関係ないのだが、本人が率先して薫子の妹として裏方へ回っている。一見すると頭は軽そうに見えるが、そう見せているだけ。

中身は頭脳明晰でかなり狡猾。薫子がやれない汚い仕事をこなす、それを傍らにいる薫子に悟られずにやれてしまう大胆さ。

二人の間にまるで鏡でもあるかのように、姿形が瓜二つだが中身は真逆だ。

「母さんから言付け? 今パリだろ?」

薫子から樹の母親に言付けがあったらしく、わざわざ待っていたようだ。電話や執事にやらせればいいものを、可愛らしいものだ。しかし樹は全く気付かない。

「まぁSPの長谷川さんがいれば大丈夫だろ。気を付けるよ。釘人、お前も気を付けろよ」

急に話をふられて、笑ってしまった。

「俺はただの居候だろ。危ない目に合うかもなのは樹なんだから、お前が気を付けろよ」

俺が狙われても危ない目にあうわけない。望むところだ。樹を護るためにここにいるのだから。

ちらり、と視線を感じる。撫子が俺に笑いかけていた。『外』で演じている無垢な笑顔。

――今夜、召集か。

意図を察し、笑いかけると撫子は満足したのかスコーンをまた食べはじめた。

俺を指揮している、撫子。…これから何を始めるつもりなのだろう。

………君に言えない最後の秘密、三つめ。

俺は夏目釘人じゃ、ない。


「わかっていると思うけどさ。

この桜庭家は白波様の家系…くにしま家に代々お仕えしてきた所謂『お庭番』。

そして海塚家に嫁がれた白波様を護衛する為に分けられ、ここにいるお前たちは白波様より樹様を託された特別分隊。まだ樹様は正式に家督を継いでいない。

故に契約上、お前たちの存在も明らかにしてはならない。…もし、それを破ったら?」

撫子はかなりのご立腹だった。

いつもなら表モードのまま、ゆるゆるとした雰囲気で集会になるのだが…今回は裏全開だ。

「撫子に言ってごらんよ、釘人」

「情状酌量の余地なく、極刑です」

跪いているので撫子の顔は見えないが…見なくとも分かる。皆の視線も痛い。…こんなミス、初めてだ。

「そうだよねー、撫子がどんなに優しくても釘人の屍を弔うことも許されないんだよ。

……ま、幸いにも樹様は釘人だって分からなかったから、次回のミスまでその処分を先伸ばしにしよう。樹さまのその寛大さに救われたね、釘人」

気取られないように息を吐く。ただし撫子に顔をあげろ、と言われないので、そのまま頭を床から離さない。

「それで…クロガネ、捕獲できた?」

「はい、しかし直後に絶命しました。自害用の薬物を仕込んでいたかと」

俺の後ろから、よく通る女の声。クロガネが庭にいたんなら、あんな奴すぐ捕まえられただろう。彼女は隊で選りすぐりの脚力。普通の人間を取り逃がすことはない。

「ふーん、ちゃんと教育されてるんだ。これで単なる泥棒の線は消えたね。

それじゃハクギン、なんか出た?」

え、と声をあげそうになる。今回はハクギンも来てるのか、いつもラボに籠りきりなのに。報告の為に引っ張り出されたのだろうけど。

「…毒の解析は完了。該当箇所はサキガネ《・・・・》と吟遊・・

今、血液検査含む精密検査の結果待ち。個人の確定は、可能」

よく耳をすましていないと聞こえないくらいの声。彼女はお庭番ではなく…鑑識に近い。

「んー、故人の特定しても洗われちゃってるかもねー。

まぁ事後処理速度で一流組織かどうかだけでも判るから無駄じゃないだろうけど……まー、ちょっかい出しとくくらいでいいか。

ヒビキ。お前、サキガネ機関と吟遊の支店、二つくらい潰してきて」

「了解ッス」

「よし釘人、顔をあげていいよ」

ようやく顔をあげると、すぐさま頬を殴られた。血の味…不意打ちだったので口の中を噛んでしまったようだ。でも頬を押さえることなく、すぐによろけた姿勢から正座し直す。

「姉様を不安にさせた仕返し。

お前は樹様を頼んだよ、どんな手を使ってもいいから守れ。…期待してるんだからね」

「はい」

撫子の顔は無邪気な笑顔のまま。その顔でヒビキに無情な任務を告げたり、俺の頬を容赦なく叩くなんて……心底怖い女だ。

撫子は何よりも大事にしている姉薫子が、愛した樹を大事にしている。彼が自覚していないと口にしようと、俺達は命を削って闘う。

だからこそ、と心の中で呟く。

「自覚してほしいもんだ…」

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