【短編】泥沼の妄執


 俺は清水隼人(しみずはやと)、大学2年生。

家は裕福だが、趣味と勉強を兼ねて親が営む会社の系列カフェ・チェーンでバイトをしていた。

 働き始めて半年ほど経った頃、新人の子が入ってきた。

彼女の名前は蓮田華(はすだはな)といい、その名の通り可憐な花のように美しい顔立ちをした女の子だった。可愛い女性店員が多いと評判のうちの店で、その子は一際目立つ存在になった。


「清水さん、今日一緒ですね。よろしくお願いします。」


 彼女に話しかけられ、笑顔を向けられる度に俺の胸は高鳴った。それは俺だけではなく客にとっても同じで、彼女がシフトに入る日は明らかに男性客が多かった。


 華とシフトが被った日は、店の戸締りを済ませて駅まで色々な話をしながら帰るのが定番になっていた。


「えっ、うちのカフェの経営元って清水さんのお父さんの会社ってことですか?」


「ああ、でも俺と華ちゃんだけの秘密ね。皆に知られちゃうと色々面倒だからさ。」


「わ、わかりました。誰にも言いません。」


 俺はコネで雇われるのはカッコ悪いからと一般的な面接を受けて雇用され、経営者の息子だということも隠し通すつもりだったのに、彼女の気を引きたい一心で自分の身上を明かしてしまった。この頃の俺はもう完全に華に惚れていて、彼女と話をしながら帰る時間は至福のひと時だった。


 ところが、そんな幸せなひと時に水を差す存在が現れた。

駅まで向かうために2人で繁華街の中を歩いていると、途中にある有料駐車場に停車している車の影からこちらを見つめる男の姿がある。マスクをした小柄で冴えない風貌の男だ。

 俺もはじめはあまり気に留めていなかったが、何度も続くとさすがにおかしいと感じる。俺は警戒心をもって男の方を睨んだが、そいつは微動だにしない。


「どうしたんですか?清水さん。」


 華に声をかけられてハッとした。

彼女を怖がらせたくなかったので、軽い調子で答える。


「あー、ごめん。この辺でよく見かける人が居ただけ。気にしないで。」


「そうでしたか。」


 華が俺の見ていた方向をチラと窺う。俺も同時にそちらを見たが、男の姿はすでに無かった。いつの間に・・・?変だなと思いながら俺は華に視線を戻すと、彼女は何かを考え込むような顔つきになっていた。

 どんな時も笑みを絶やさない彼女のそんな様子を見て俺はやっと気づいた。華ほどの美貌の持ち主なら、付きまとう男の1人や2人いたっておかしくはない。


「あのさ、華ちゃん・・・もしかして心当たりある?」


 華は、今度は泣きそうな顔になって小さく頷く。


「多分なんですけど・・・ずっと私のことストーカーしてる人かも・・・。」



2.

 今にも泣き出しそうな華を1人で帰せないと思った俺は、自宅まで送り届けると言った。彼女は少し迷うそぶりを見せていたものの、ストーカーへの恐怖心からか俺の申し出を受け入れてくれた。


 俺の家とは反対方向の駅で降り、華の住むアパートの前まで来た。


「ここまで送って頂いて本当にありがとうございました。清水さんは帰り大丈夫ですか?お家に着くの遅くなっちゃいますよね・・・。」


「俺のことはいいから、華ちゃん戸締りだけはしっかりね。何かあったらいつでも電話して。それじゃ、おやすみ。」


「あっ・・・清水さん!」


「え?」


 華に引き止められ、もしかすると部屋に上げてくれるのだろうかと淡い期待を抱いてしまったが、俺の期待はすぐに打ち砕かれた。


「私、お店を辞めようと思います。」


「えっ?何で・・・まさか、ストーカーの件で?」


「はい・・・何かあってからでは遅いですし、一緒にいるところを見られているなら清水さんにも危害が及ぶ可能性がありますから・・・。」


 俺のことを心配する華の言葉と、伏し目がちの憂い顔に胸がギュッと締め付けられる。俺は彼女の両手を握りしめて言った。


「心配しないで。ハナちゃんのことは絶対に俺が守る。だから辞めないで、側にいて欲しい。ハナちゃんのこと好きなんだ。」


「・・・本当ですか?嬉しい、私も好きです、清水さんのこと。」


 ハナは、初めて会った時から俺に好意を抱いていたと言ってくれた。こうして俺達は付き合うことになった。


 ストーカーがいるといっても、実害がない限り警察に行っても中々対処してもらえないのが実情だ。そこで俺は、しばらくの間うちのマンションで一緒に暮らさないかとハナに聞いてみた。セキュリティは万全だし、ストーカーが俺の家を特定してないうちは安全だろう。ハナも、清水さんが良いのなら是非お願いしますと同意してくれた。


 ある晩、俺はサークルの飲み会で少し遅くなってしまった。

ハナに通信アプリで連絡すると「私はもうお家にいるよ。ハヤトさん、気をつけて帰ってきてね!」と返信があった。俺は彼女が下の名前で呼んでくれるようになったのが嬉しくて顔を綻ばせたが、スマホの画面から顔を上げた瞬間固まった。


 自宅までもうすぐの所にある電柱、その後ろからあのストーカー男がぬるりと出てきた。


 とうとう俺のマンションまで特定されてしまったのかと血の気が引いたが、これはストーカーを撃退するチャンスかもしれないと気持ちを奮い立たせた。相手は俺より小柄だ、いざという時のために練習しておいた護身術で・・・と思った次の瞬間、恐ろしい素早さでストーカー男が目の前に迫っていた。


 俺は思わず「ヒッ」と声を漏らし、相手に両腕をガッシリと掴まれた。男の手を振りほどこうともがくほど、奴の指が俺の腕に食い込んでくる。


「わああっ!痛ぇっ、離せ!離せよ!」


「あおおああいえうあっ!!おあえおおおあえうっ!」


 血走った目をカッと見開き、口角から泡を飛ばして意味不明な言葉を叫ぶ男の迫力に俺は戦意を喪失しそうになる。

 頭のおかしい男相手に、真正面から対峙しようとした己の浅はかさを悔いたが、男は少しだけ指の力を緩めて先ほどより落ち着いたトーンで同じ言葉を繰り返した。


「あおおああいえうあ。おあえおおおあえう。」


 俺は男の目を見て、必死に何かを訴えようとしているのを感じ取った。


「ハヤトさん?!」


 華の声がして俺はハッとする。

俺が男と揉み合っている間に彼女がマンションの外まで出てきてしまった。


「華っ!!中に戻って警察に通報して!コイツは俺が抑えてるから、早く!!」


「コイツって・・・?」


「え・・・。」


 気がつくと、男の姿は嘘のようにかき消えていた。

奴と揉み合った感触もまだ残っているのに、そんなバカな・・・と俺はその場に立ち尽くした。


 華は、帰宅する旨のメッセージを送った俺が中々帰ってこないのを心配して外に出てきたらしい。彼女に背中を支えられ、俺はエレベーターに乗り込む。


 袖を捲ると、あの男の指の跡が赤くくっきりと残っていた。


「これ、あのストーカー男にやられたんだ。だけど・・・華、あいつって本当に人間なのか・・・?」


 俺はポツリと呟く。

華は質問には答えなかったが、俺の背中を擦りながら言った。


「・・・ごめんね、ハヤトさん。ストーカーの件で神経がすり減っちゃってるんだね。ねぇ、良かったら今度の連休、私の帰省に付き合ってくれない?ちょっと田舎だけど、空気も綺麗で自然がいっぱいの良い所なの。少しは心も休まると思うし、私のお姉ちゃんにも連絡しておくから。ね?」


 …確かに、幽霊だなんて非現実的だ。

俺はハナの言う通りなのかもしれないと思い直し、彼女の帰省に同行することにした。




3.

 華の郷里は思ってた以上に田舎だった。

新幹線からローカル線に乗り換え、人もまばらな駅に降り立つと、華の姉の蜜(みつ)が車で迎えに来てくれていた。


「あなたが隼人さん?姉の蜜です。いつも妹がお世話になってます。」


「いえ、こちらこそ。」


 華に見せてもらった写真の通り、多少気が強そうではあるが姉の方もとびきりの美人だった。


 俺と蜜が挨拶をしている間に、華が3人分の缶コーヒーを買ってきてくれた。


「はい、これ隼人さんの分ね。」


 華が気を利かせてプルタブを開けておいてくれたコーヒー缶を、俺は礼を言って受け取った。


「あなた達、カフェに勤めてるのよね?こんなの、泥水啜ってるみたいな味なんじゃないの。」


 蜜が片方の口角を上げて笑う。


「お姉ちゃん、それは言い過ぎ(笑)でも、うちのカフェのコーヒーの方が美味しいのは間違いないよね、隼人さん。」


「はは、そうだね。」


 そのコーヒーは泥水とまではいかないが、ほんの少しだけ変わった味がした。


 コーヒーを飲み終わると、俺達3人は車に乗り込んだ。2人の実家までは駅からもう少しかかるらしい。


 俺は後部座席に座り、自然豊かな景色を眺めた。動画でも撮ろうかなと上着のポケットの中をまさぐると、スマートフォンの他にぬるっとした柔らかい物の感触が指先に触れた。


 俺は反射的に手を引き抜いたが、もう一度手を入れて恐る恐るポケットの中の物を摘み上げる。


 それは、人間の舌だった。


「わあああああっ!!」


 俺の叫び声に驚いた蜜は車を停めた。


「何?どうしたの?!」


「隼人さん!大丈夫?!」


「しっ、した!人間の舌が・・・!」


 その瞬間、車内がシーンと静まり返る。

シートの上に放り投げたはずの舌も消えている。


「・・・何もないよ。隼人さんには、何が見えてるの?」


「いや!ポケットの中に、本当に・・・!」


 そこで俺は気づいた。

あのストーカー男のおかしな喋り方・・・あれは恐らく舌がないせいだ。

今のはあの男が俺に見せた幻覚か?あの男は俺に何を訴えようとしてるんだ・・・?


 俺は突然強烈な眠気に襲われて、華の肩に倒れ込んだ。


「華、あんたオサムの事、その人に話したの?」


「話すわけないじゃない、お姉ちゃん。この人を引っかけるために、私がストーカーされてるって勘違いさせたの。だけどまさか、オサムの幽霊が見えていたとはね。オサムの舌を抜いたのは私とお姉ちゃんしか知らないはずだもんね。」


「へぇ・・・オサムのやつ、幽霊になっても私達の周りをウロチョロしてるわけ?あいつだけ沼に沈めなかったせいかしら?」


「きっと、そうよ!お母さんの生贄に捧げなかったから化けて出るんだわ。」


「そうよね・・・面倒だけど、この人を沼に捧げた後に、オサムの体も掘り起こして沼に捧げなくちゃいけないわね。」


 一体何の話をしているんだと思いながら、俺の意識はとうとうそこで途切れた。



4.

 ・・・夢の中で、俺はオサムと呼ばれる男になっていた。

それが、あのストーカー男の名前だった。


 集落の外れにある華たち姉妹と母親が暮らす家、そこに取り付けておいた盗聴器から聞こえてくる内容に耳を澄ます。

 美しい3人の女が住む家の中から聞こえてくるのは、明るく和やかな話し声などではなく、母親の怨嗟の言葉だった。


「都会の男なんてろくでもないの。この村で1番若くて綺麗だったお母さんがわざわざ結婚してあげたのに、田舎暮らしはもうたくさんだって自分だけ逃げて・・・。

人を散々利用尽くして捨てる、本当に都会の男はろくでもない。あなた達が辛い思いをするのはね、何かもお父さんみたいなろくでもない都会の男のせいなんだからね。

2人とも大きくなったら精々あいつらを利用してやることよ。わかったわね?ああ、ろくでもないろくでもないろくでもない・・・。」


 姉妹は来る日も来る日も、精神に異常をきたした母親から父親への恨みつらみを聞かされて育った。それは姉妹の精神にも影響を及ぼし、都会の男は悪だという刷り込みと復讐心を植えつけられていった。


 それからしばらくして、母親は村の者も滅多に寄りつかない底なし沼に身を投げた。

 沼の側に置かれていた遺書には、判別し難い文字で「生贄を捧げ続けろ」という内容が書かれていた。母の洗脳によって狂っていた姉妹は、手始めに自分たちを捨てた父親を探し出し、騙して故郷に連れて行って沼に沈めた。


 それからも自分たちの美貌を利用し、旅行だと偽って男達を誘い込み、金品を奪った後に生贄として母に捧げることを繰り返した。


「これが私たちがお母さんにしてあげられる供養だよね。」


「そうよ、これからも2人でお母さんの魂を鎮めてあげましょう。」


 俺に盗聴されてるとも知らないで、姉妹は楽し気に笑っている。

昔から見目麗しい姉妹に心惹かれていた俺は、彼女達の犯行を知りつつも黙って見ているだけだった。


 ある日、彼女達の家の付近を歩いていると姉のミツと目が合った。

その瞬間、彼女は顔を歪めて言い放った。


「あんた、いっつもうちの周りウロウロしてるわよね。こっち見ないでもらえる?気持ち悪いったらありゃしない。」


 狭い集落で育った仲だというのに、何という言い草だろう。

次の瞬間、俺の口は勝手に言葉を発していた。


「き、君たちが沼で何をしてるか、俺は全て知ってるんだ。俺を怒らせたら何を喋るかわからないぞ?」


 俺の言葉を聞いて、蜜の表情が変わった。


「・・・オサムさん、何のこと言ってるか分からないけど、あなた誤解してるわ。言いたいことがあるなら中で話してよ。お茶くらい出すわよ。」


 蜜が俺の名を呼び、とびっきりの笑顔を向けている。罠だとわかっていながら、その美しさに見惚れてしまう。


 その瞬間、俺は後ろから殴られ気絶し、2度と目覚めることはなかった。




 ・・・俺はオサムになった夢から目覚めた。

朦朧とした意識の中、自分の体が縛られ木にもたれているのがわかった。今目の前にあるのは、夢の中に出てきた底なし沼に違いない。


「あ、隼人さん起きちゃった。眠ったままの方が楽に逝けたのに。」


「華ちゃん・・・オサムを殺した・・・?」


「そんなことまで知ってるんだ。そうだよ、後ろから殴ってお姉ちゃんと家の中に運んだんだ。・・・ハヤトさんは色々知り過ぎてるみたいだから、生かしてはおけないの。」


 俺は、愛した女性の狂った笑顔に戦慄する。

今思えば、オサムは俺に何度も警告を与えてくれていたのだ。


「オサムはどこに・・・?」


 沼の側でタバコをふかしていた蜜が答える。


「あいつ?うちの床下よ。私達を脅すなんて百年早いって舌を抜いて埋めてやった。

だけど、やっぱり沼に沈めなきゃいけなかったんだわ。死んでも私たちに付きまとうなんて身の程知らずも良いところなのよ。」


 蜜がフーッと煙を吐き歪んだ笑みを浮かべた直後、人の形をした虫の大群が羽音を立てながら木々の間から現れた。

それは、いつか見たオサムの姿形とよく似ていた。


「きゃあっ!」


 沼の縁に立っていた蜜はバランスを崩し、悲鳴を上げながら沼の中に落ちた。


「お姉ちゃんっ!」


 華が姉を引っ張り上げようと手を掴むが、2人はズブズブと沼の中に沈み込んでいく。


 俺は、たくさんの青白い人間の手が姉妹を沼底へと引き摺り込む光景を目の当たりにし、自分の拘束を解こうと死に物狂いで暴れた。足の紐が外れると一目散にその場を離れ、大声を上げながら助けを求めた。


 …その後、村人に保護された俺の証言をもとに沼を攫ってもらったが、驚くことに何も出てきはしなかった。


 俺は確かに華と姉が沼に沈むのをこの目で見たのだが、結局2人は行方不明という扱いになった。


 東京に戻ると、アパートで起きたある殺人事件のニュースが世間を賑わせていた。TVに写っていたのは、いつか華を送り届けたあのアパートだった。俺はこれ以上恐ろしい事実知りたくなくて、咄嗟にTVを消した。


 バイト先では、華の履歴書の住所が出鱈目で大学生でもなかったことが知れ渡っていた。彼女は母に捧げる生贄を探しに都会に出て、そこに俺は運悪くひっかかってしまったのだろう。


 オサムの亡骸は、蜜が言っていた通り彼女たちの家の床下に埋められているに違いない。だが俺は、余計な嫌疑をかけられるのが怖くて黙っていた。


 あれ以来オサムの幽霊は現れない。

姉妹に復讐を果たしたことで成仏したのだろうか・・・。


 俺は、あれから毎晩悪夢にうなされている。

森の奥にあるあの沼から女が這い上がり、俺に向かって手招きをしているのだ。

全身泥にまみれていながら、顔だけは異様に美しい女。


 その顔は、いつか見せてもらった写真の華にも蜜にも、そして母親にも似ている。


 俺はたまらなく恐ろしいのと同時に、あの底なし沼を再び訪れてしまいそうな予感を覚えるのだった。


(終)

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ホラー短編集 プロキオン @onemusun

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