ホラー短編集
プロキオン
【短編】帰り道(還り道)
1.
私の名前は片岡綾香(かたおかあやか)、一般企業に勤める会社員です。
その日は月末で仕事が立て込んでおり、残業を終えて最寄駅に着いた頃には深夜1時を過ぎていました。
通勤用のヒール靴をおろしたばかりで少し足も痛かった私は、タクシーで帰ろうかなとタクシー乗り場の方を見ました。金曜日の夜だったせいか、あいにくタクシーは一台も停まっておらず、待っている時間が勿体無いので私は近道を使って帰ることにしました。
帰宅ルートは、大通りかその近道のどちらかを使っていました。
近道は、信号がないぶん自宅から駅を結ぶ道のりを5分ほど短縮出来るので、忙しい朝などは重宝していました。
なぜ夜はあまり使わないかというと、この近道で以前殺人事件があったからです。道の途中にあるマンホールの中に、中年男性のバラバラ遺体が捨てられていたとネットニュースの記事で読みました。
その事件が起きたのはもう10年近く前で、私もこの町に越してきてからしばらくはそのことを知らずにこの近道を利用していました。事件の詳細を知った直後は少し怖くて大通り使うようにしていましたが、やはり近道は便利です。私は、電車に乗り遅れたり遅刻するよりは良いとまたその道を通るようになりました。
近隣住民は皆その道を普通に使っていましたし、私もあまり気にしても仕方ないという気持ちになっていました。事件後に街灯の数を増やしたそうなので、却って安全なくらいかもしれません。
この時間ともなると人や車の往来はほとんどありませんが、少しでも早く帰って休みたかった私は近道を歩き始めました。
“ガッ”
「きゃあっ!?」
何かに躓き、私は転倒してしまいました。
「いったぁ〜・・・嫌だ、ストッキング破けてる。何なの・・・?」
身体を起こして振り返ると、マンホールの蓋が15センチほど浮き上がっていました。私はそこに足を引っ掛けてしまったようなのですが、歩いている時は全く気がつきませんでした。
(何これ、危ないなぁ。連絡とかしたほうがいいかな?こんな時間だけど・・・。)
次の瞬間、私の全身が総毛立ちました。
浮き上がってる蓋の下から、白い歯を覗かせた笑顔の男性が頭を傾けてこちらを見ていたのです。
「ヒィッ!」
おかしな人がいると思い、私は悲鳴をあげて後退りました。
メガネをかけた中年らしきその男は、私に向かって言いました。
「ここが、私の帰り道なんです。」
男はそれだけ言うと穴の中に顔を引っ込め、同時にマンホールの蓋も閉まりました。
「い・・・いやーーーっ!!」
深夜にも関わらず、私は絶叫してその場から逃げました。
2.
(あの人何?!何なの?!)
私は、そこでやっとあの事件のことを思い出しました。
(まさか、マンホールの中に遺棄された被害者の・・・イヤッ、怖い!)
あの男があの世の者かこの世の者かわかりませんが、まともでないことは確かです。走った先にまたマンホールがあり、私はその手前でハァハァと息を切らせながら立ち止まりました。
先ほどと同じように、浮き上がったマンホールの蓋の下から男が顔を覗かせていました。メガネをしていませんでしたが、グリグリとした大きな目が特徴的なので同じ人物だとわかりました。
男は、今度は薄く微笑みながら言いました。
「ここが、私の帰り道なんです。」
「いやっ・・・!」
あの男はどこまでついてくるのだと恐怖に震えながら、私は大通りに繋がる道に逸れて走りました。
広い大通りに出れば大丈夫だと思ったものの、様子がおかしいことに気づきました。街灯だけが煌々と明るく、人や車の往来が全く無いのです。建物にも人の気配がありません。
(この時間、この辺りで大掛かりな通行止めでもあったの・・・?)
周囲を見回しても、案内板などは特に見当たりません。私は悪夢でも見ているのだろうかと恐怖と混乱でおかしくなりそうでしたが、とにかく家に帰りたい一心で歩きだしました。
私が歩道を歩いていると、道路中央寄りの場所にあるマンホールからまたしてもあの男が顔を覗かせていました。さっきと同じ言葉を繰り返しており、今度は両目がありませんでした。私は慌てて顔を背け、家路を急ぎました。
マンホールがある所には必ずあの男がおり、回数を重ねるごとにその風貌はどんどん崩れていって言葉も不明瞭になっていきました。
「・・・・・・・・・。」
恐らく「ここが、私の帰り道なんです。」と喋っているつもりなのでしょうが、とうとう骨だけの姿になってしまった男は顎をパクパクと動かすだけでした。
3.
駅から15分ほどの道のりが永遠にも感じられましたが、骨だけの姿になった後はマンホールがあっても男が出てくることはなくなり、私は少しホッとしました。
次の角を曲がれば自宅に着くという所まで来て、頭も少しずつ冷静になってきました。
(あの人「ここが、私の帰り道なんです。」って繰り返していたけれど、結局どういう意味だったんだろう・・・。マンホールの中が帰り道・・・?)
私はスマートフォンを取り出し「マンホール 事件」と検索ワードを入力して、事件の詳細が載っている記事を読み始めました。
〇〇町マンホール殺人事件の発生場所という注意書きの下にあの近道の写真、それから被害者としてマンホールから顔を覗かせていたあの男の写真が掲載されていました。記事によると、あの男・・・被害者の穴井さんの自宅は隣町だったそうです。あの近道を帰り道として利用しているはずがありません。
(それならどうして「ここが、私の帰り道なんです。」なんて言ってたの?)
私は思考を巡らせているうちに、ある考えに思い至りました。
(あの人の肉体は、水の中に還って、下水管を流れて行った・・・だから、あの辺りのマンホールならどこからでも出て来れたんだ。
それに帰り道じゃなくて、正しくは還り道・・・?)
そこで私は身震いしました。
家はもうすぐそこだというのに、私はこんな所で何をしているのでしょう?
だけど、還り道という言葉が私にとって重要なことであるような気がするのです。
還り道・・・つまり、私は・・・
その瞬間、全てを思い出しました。
私はこの先の角を曲がった後、何者かに攫われて命を奪われました。
だからここから中々動けずにいるのです。
今日だって、会社になど行っていません。
行けるはずがありません、私はすでに肉体を失っているのですから。
マンホールの中に居たあの男性と同じく、私も還り道を彷徨う存在だったのです。
何度も同じことを繰り返すうちに、自分が死んだことさえ忘れてしまっていました。
あの男性のおかげで、今やっとそのことに気づけました。
あの人は自分の体が発見された後も彷徨い続けているようですが、私は自分の身体さえ見つけてもらえれば、もう彷徨うこともなくなる気がします。
こうして彷徨っているのは、私の体がまだ見つけてもらえていないからに違いありません。
私の肉体が還った場所、還り道の最終地点に辿り着かなければ、死んでも死にきれない。
よく思い出して、還り道を突き止めなくては・・・。
4.
俺の名前は村田。
俺が、元同僚の片岡アヤカの遺体を山中深くに埋めてから2年ほどが経つ。
あの女の身体はとっくに土に還り、今頃は冷たい土の下で白骨化していることだろう・・・あの女に相応しい末路だ。
きっかけは、あの女がセクハラだ何だと騒ぎ立てたことだった。
他の社員は俺の言い分も聞かず、こぞってあの女の味方をした。そのせいで居づらくなった俺は、会社を辞めるハメになった。
その後、俺が転職活動をしていた時に外回り中の片岡を偶然見かけた。
あの女は俺の存在に気づくことなく、同僚達に囲まれていかにも充実してますという笑顔を浮かべていた。
その瞬間、あの女に対する怒りが猛烈に湧き上がってきた。
俺が転職でこんなにも苦労しているというのに、何でお前は笑っているんだ?
俺に優しくして気を持たせたのはお前の方なのに、ちょっと顔が良いからって調子に乗りやがって・・・。
お前みたいな女のせいで、何で俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ?
片岡への憎悪に取り憑かれた俺は、転職活動も手につかなくなった。代わりにあの女をこの世から消し去るべく計画を練り、帰り道で待ち伏せをして実行に移した。
しばらくは美人OL行方不明事件などと世間で騒がれていたが、日々新しい事件が起こっているので片岡の事件は既に風化しつつある。入念に立てた計画のおかげで俺は捕まることなくこうしてシャバで過ごせているし、この先も捕まる気がしない。
俺は片岡の命を奪った日以来、何も怖くはなくなった。
また片岡のように俺に楯突く奴が現れたら、同じ目に遭わせてやればいい・・・。
「村田君・・・。」
背後で女の声がして、俺は驚き振り向いた。
「ぎゃあああっ!?か、片岡っ?!わあああっ!!」
俺が、確かにこの手で命を奪ったはずの女が目の前に現れた。
一体どういうことだ、今頃化けて出てきたとでもいうのか?
「思い出したの、あなたが待ち伏せして私を・・・ねぇ、私の体どこにあるの?」
「ヒッ・・・うるせぇ!!お前は死んだはずだろ!」
片岡がどんどんこちらに近づき、気づけば俺は部屋の隅へと追いやられていた。
「還り道、探してるの。ねぇ、私の体どこに還ったの・・・?」
「やめろっ、来るなぁ!訳のわからねぇこと言ってんじゃねぇよ!還り道って何だ、さっさとあの世に帰れぇ!」
「私の体・・・どこ?」
片岡の幽霊は、左右の眼球を別々の方向に回転させた恐ろしい形相で俺にしつこく尋ねてくる。喋るたびに口からはウジ虫がこぼれ落ちた。
「ヒッ・・・ヒィイイイ!!!!」
俺が悲鳴をあげて失禁しても、片岡は還り道を探しているのだと繰り返した。
~後日~
主婦1「ねぇ、今朝のニュース見た?〇丁目で起きた行方不明事件、〇〇山で遺体が見つかって、犯人も逮捕されたらしいわね。」
主婦2「そうそう、続報が無くて忘れてたけど、美人OLって騒がれてた事件よね〜。犯人は元同僚の男だったらしいじゃない。」
主婦1「捕まって良かったけどさぁ、どういう心境の変化で今頃警察に自主したのかしらねぇ?」
主婦2「さぁねぇ、良心の呵責があったのかしら。それとも、被害者が夢枕に立ったとか・・・?」
主婦1「やぁねぁ、ゾッとしちゃう。そういえば、10年くらい前にあの辺りのマンホールで男の人の遺体が見つかった事件もあったじゃない?あっちはまだ犯人捕まってないのよね?」
主婦1「あー、あったわねぇ!恐ろしい事件だったわ。」
5.
私の名前は穴井と申します。
バラバラにされマンホールに捨てられた当時、確か私は40代半ばでした。
ごく普通の中年男で、妻子もいたと思います。長い間、あのマンホールの中で自分の死を繰り返しているものですから、死にまつわる記憶以外は曖昧になっているのです。
犯人の顔だけは絶対に忘れません、私の死に深く関わる存在ですから。
それに、首を絞められ心臓が止まる最後の瞬間まで私は犯人の顔を見つめ続けていましたから、あの男の顔だけは絶対に忘れません。私が死後も彷徨っている理由はひとえにあの男に復讐するためですから、妻子の顔はもう覚えていないんですけど、あの男の顔だけは忘れるわけにはいかないんです。
私の体は水に還り、下水管から浄水場を流れて川、海、湖などに散らばっていきました。私の意識が宿った水にあの男が近づけば、それは絶好のチャンスです。
…そうして待ち望んできた機会が、今ようやく巡ってきたようです。
多少歳をとっていますが、間違いなくあの男です。
私の記憶や意識も時を経てすり減ってきていますから、ここで失敗すれば永遠に復讐の機会を失うことでしょう。ですから、慎重にならなければいけません・・・。
‥‥‥‥‥‥
‥‥
「うおぉー!釣れたぞぉー!」
「うわー、見事な大物ですねぇ!この川の主なんじゃないですか、そいつ?!小島さん、写真撮りますよ!はーい、撮りますー。」
“パシャッ”
「ははは、その写真は後で送ってく・・・うわっ!」
「大丈夫ですか?!」
「・・・ああ、コイツが水を吐いて口の中に・・・少し飲んじまった。ペッペッ・・・」
「あちゃー、良かったらこれどうぞ。これも同じ川の水ですけど、濾過して天然水として売られてるものですから。安心して口直しして下さい。」
「おお、悪いな。ここに越してきて随分経つが、こんなものを売っているとは知らなかった。ゴクゴク・・・。」
「はは、さっき売店で買っておいて良かったです。・・・このポイント、確か穴井さんが教えてくれたんですよねぇ。懐かしいなぁ・・・。」
「・・・ああ、穴井・・・あいつが亡くなって10年くらいか?」
「はい。本当に良い人でしたよね。毎週一緒に釣りに行って楽しかったなぁ・・・。あんな悲惨な事件の被害者になってしまうなんて、今でも信じられませんよ。一体犯人は穴井さんに何の恨みがあって…。」
「・・・どんなに良い奴だって、知らず知らずのうちに恨みを買ってしまうことはあるさ。とにかく、犯人が一刻も早く見つかることを祈るばかりだよ・・・。」
「ええ、そうですね・・・。」
「ウッ?!」
「小島さん?!」
「ググッ・・・グォッ!息が・・・グォォッ・・・!」
「どうしました?!しっかりして下さい!小島さん!」
‥‥‥‥‥‥
‥‥
・・・あの男が私をバラバラにしてくれたおかげで、私の意識が宿った水は川魚の体内や、濾過された天然水としてあいつの中に入り込むことが出来ました。
最後の力を振り絞り、あいつの食道を遡って気道を塞ぎ、私がされたのと同じように窒息させてやりました。
あの男に同じ苦しみを味わわせられたので、もう何も思い残すことはありません。
近いうちに私の意識も消えて、ただの水に還ることでしょう・・・。
~後日~
主婦1「奥さん、こんな時間にごめんね。回覧板回しに来たわ。ねぇ、〇丁目の高台の方に住んでた小島さん覚えてる?」
主婦2「小島さん?ああ、何となく・・・。」
主婦1「ご夫婦で10年くらい前に引っ越されたのよ。ちょうどあのマンホールの事件が起きた頃だったかしら。私あの奥さんと仲良くしてたから、さっき電話で連絡頂いたのよ、旦那さん亡くなられたんですって。何でも、釣りに行った先で突然窒息死したらしいわ。胃には水しか残ってないから誤嚥でもないし、変死ってことらしいけど・・・。」
主婦2「へぇ、そんなことってあるの?、怖いわねぇ。」
‥‥‥‥‥‥
‥‥
僕は、主婦達の井戸端会議の内容をぼんやり聞きながら通り過ぎる。
(変死?何かあったのかな。〇〇町も最近物騒だよな。僕は平和に暮らしたいんだけど・・・。)
引っ越しを考えつつ僕は帰り道を進む。
「・・・あれ?」
急に、アパートまでの帰り道がわからなくなった。
何でだ・・・?これじゃ家に帰り着けないじゃないか・・・。
帰り道がわからない。かえりみち・・・還り道・・・。
僕は還り道がわからないまま、彷徨い続けた・・・。
(終)
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