見つけてくれた主人へ、愛を込めて

森津あかね

第1話

 小さな子供に仕えるというのは、大人に仕えるのとはまた違った困難が待ち受けている。

 私はとある貴族のお嬢様に執事としてお仕えしているが、このことを実感しない日はない。


 今日のお嬢様は、庭を駆け回ったことが淑女に相応しくないという理由で、父上の旦那様から注意されてしまっていた。

 旦那様は貴族としての教育意識が高いのだが、十歳のお嬢様に対しては少し厳し過ぎるように見えてしまう面がある。今日のことは心配もあってのお説教だったが、まだ幼いお嬢様にそのことを察しろというのは無理な話である。結局、お説教の途中で泣き出してしまったお嬢様を執事の私に預けて、旦那様は部屋へ籠もってしまわれた。雇用主ながら、不器用で面倒な方である。

 さて、部屋のベッドに臥せて、枕に顔を埋めたまま泣いてしまったお嬢様を見守って、三十分ほど。ぐすん、ずび、とお嬢様がすすり泣く声はまだ止まない。

「お嬢様。そろそろ泣き止みませんか」

「うー……だって、理由も聞かずに、おこられたんだもん……」

「何か理由がおありで?」

 どれほどの理由があっても、ピンクのドレスに満遍なく泥汚れをつけていいことにはならないだろうが、とりあえず聞いてみる。お嬢様はずずっと鼻をすすりながらも標本、と言った。

「お父様の部屋に飾れそうな、きれいな蝶がいたの。だから、捕まえたら、喜ぶと思って」

 父親を喜ばせたい娘の気持ちからの行動だったらしい。お互いを思いつつもすれ違うのは、この家の親子のよくある光景だった。

「でも、すごく怒ってた……うう、私が、わるい……。きっとお父様は、私がきらい……」

「そんなことはありませんよ。ただ、旦那様は少し、お嬢様の姿に驚いただけかと」

「うそよ……」

 嘘ではないのだが、今のお嬢様は怒られたことで、自分に向けられている信頼も、自分のことすらも判断できなくなっている。ここまで落ち込んだお嬢様はめんどくさい。予想通り、彼女は枕に顔を埋めたまま、自己肯定感の低さを振り回し始めた。

「私みたいな子供の相手は、めんどうなんでしょ。メイドたちがひそひそするの、聞こえてるもん。お前も、私のわがままで近くにいるだけ」

「私がお嬢様に仕えているのは私の意志ですが」

「嘘つかなくていいわよ。お前も、私のことなんてきらいなんでしょ……」

「まさか」

 ぐずぐずと鼻声で駄々をこねる主人。子供とはいえ、まったく、手のかかる人だ。それに、私がお嬢様を嫌っているなど、とんでもない誤解である。

 少々荒療治ではあるが、知ってもらうのが一番だろう。私は身をかがめて、枕に顔を埋めているお嬢様にだけ聞こえるようにそっとささやいた。

「私は、マーガレット様のことを愛していますよ」

 下町でその日暮らしをしていた少年の私を選んで、救ってくださったから、というのは言わなかった。そのことは、私だけが覚えていればいい。

「は、え? ハルバート?」

 がばりと勢いよくベッドから身を起こしたお嬢様の頭突きを食らわないようにさっと離れる。私が一歩引いたことを何か他の意味と取り違えたお嬢様はむっとするが、そこは勘弁していただきたい。

 兎にも角にも、お嬢様は私の言葉が気になって、落ち込むことは忘れたようだった。もそもそとベッドから降りると、ドレスのしわを整えはじめた。彼女の頭に乗ったリボンが歪んでいるので、私は軽く断ってから直してさしあげる。ついでに絡まってしまった髪も梳いておいた。

「ねえ、ハルバート」

「なんでしょうか」

「その、さっきの、もう一度言ってくれないかしら」

「……さて、なんのことでしょう。私にはさっぱり見当がつきませんね」

「なっ……言ってたでしょ、私のことが」

「貴方のことが?」

「〜〜ッ、その先、その」

「失礼ながら、そろそろ用意をしないと、午後のティーパーティに遅れてしまいますよ」

「ハルバート!」

 無理のあるとぼけ方なのは承知の上ではあるけれど、あんな台詞を一日に何度も言わせないでほしい。

 お嬢様の目は私を睨んでいて、まだうっすらと涙が残っている。気恥ずかしいので二度は言いたくないけれど、せっかく持ち直した機嫌が地の底に逆戻りされても困る。悩んだあと、私は少しだけ譲歩することにした。

「そうですね。お嬢様がもう少し、淑女として成長したら、その時はもう一度申し上げてもいいかもしれません」

 その瞬間、お嬢様の目がきらきらと輝きを増して私を見た。この方は小さな頃から、いつだって眩しくて愛おしい。

「本当に? 私が淑女になったらって、約束できる?」

「ええ」

「絶対よ。私が立派なレディになるまで、お前は私の執事を勤めるのよ。暇はやらないし、他の人のところへ行くなんてもってのほかよ。わかる?」

「承知しておりますよ」

 なんなら、お嬢様が嫁に行くまできっちり勤め上げるつもりでいるのだが、そこまで言わずともいい。お嬢様は本当に、すぐに舞い上がってしまうから。私はブレーキ役に務めるべきだろう。

 お嬢様の、真昼の空のような青い瞳がまっすぐに私を見つめた。

「じゃあ、約束してちょうだい。私が立派なレディになるまで!」

「かしこまりました」

 もう少し淑女に近づいたら、が、立派なレディになったら、に変換されていたけれど、あえて訂正しなかった。主人が立派になることを拒む従者なんて、いるはずがない。

 私は出来る限りうやうやしく礼をしながら、まだ小さな主人に誓いを立てた。

「マーガレット様が立派な淑女になるまで、私は貴方のお側に居ます」

「ふふ、よろしい」

 彼女にとっては、日常の小さなごっこ遊びにすぎないのかもしれない。明日には忘れて、また庭を駆け回るのかもしれない。それでも、この誓いは私の中に残り続けるだろう。それでいい。私がこの小さな主人に救われ続けていることは、私だけの宝物で、私だけの秘密だ。

 部屋を出て行くお嬢様の後をついて歩きながら、私はもう少しだけ、彼女がゆっくり成長するよう祈っていた。

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見つけてくれた主人へ、愛を込めて 森津あかね @nasu2bitasi

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