仏壇と賢いヒロインたち

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第1話

 階下の通りからモンクレア・ロダン・カルカソンヌの情けない声が聞こえてくる。

「立派なマホガニー材のお仏壇だよお、お先祖様の霊魂がいっぱい、いっぱい詰まっているんだよお。買っておくれよお、誰か、誰か後生だから買っておくれよお!」

 めかし屋チンチャケイドは窓の外から流れ込んでくる墓荒らしの哀切極まる声に耳を傾けながら言った。

「面白いよね」

「何がです?」と私は尋ねた。

「モンクレア・ロダン・カルカソンヌの、あの売り声だよ」

 どのように受け答えするのが最善なのか分からなかったので、私は相槌を打つだけにとどめた。幸いなことに、商売上手な墓泥棒に関する話題を向こうの方から勝手に話し始めてくれた。

「立派なマホガニー材の仏壇だ、そんじょそこらじゃ手に入らない逸品だ、詰まっている霊魂は一級品揃い、それなのに今すぐ使える簡単な仕様でセッティング済みだ、これさえあれば今日からあなたも古今無双の死霊使いネクロマンサーだ! と偉そうにほざいて高値で売りつけていたのが、あれだよ」

 握り拳から立てた親指で窓の方を指して、めかし屋チンチャケイドはぐすりと腹黒い笑い顔で言った。

「お願いだから買って下さい! だとさ。町の皆の同情を集めて売りつけようとしていやがる! ちゃんちゃらおかしいよねえ。イカサマ商売ばかりやっていたばちが当たったんだよ。そう思わないかい?」

 私は微苦笑を浮かべた。いや、実際に微苦笑かと言われたら、自信がない。実際のところ、私はモンクレア・ロダン・カルカソンヌに同情していた。ついでに言うと、明日は我が身かもしれないという危機感もあった。あの詐欺師の陥った境遇は他人事ではなかったのだ。

 様々な売り物を扱う行商人である私は魔法に関連した商品も取引している。その中には由緒正しいようで実はまがい物というものが時々ある。信用第一の職業なので、胡散臭い品物は仕入れの段階で弾かせていただくが、どれほど注意を重ねても怪しい物品の入荷が起こってしまうもののだ。

 そんな偽物に高い金を支払ってしまった相手は当然のことながら激怒する。あいつは詐欺師だ! もう取引しない! と町中で言って回った。正直こういう商売には、そういった事態はつきものなので、誰もがモンクレア・ロダン・カルカソンヌの不運に同情した。売った相手が悪かったのだ。馬鹿正直を売り物にする尼僧団の魔術教官は、売り手の失態を許さなかった。不正な商取引と主張し裁判所に売買停止を求める仮処分申請を行い、治安判事がその訴えを認めたため、哀れ仏壇売りは市場での商売が禁止されてしまった。正式な判決が出るまでの間、市場以外なら売っても良いとのお達しは出たものの、格式の高い市場で売れない商人からわざわざ高額な商品を買う者はいない。かくしてあの男は商品と同情を抱き合わせで売る状況にある……いや、誰も買っていないか。元々インチキ商品を知らん顔で売っていた詐欺師だから、当然の報いが来たまでの話だった。

「おわかりのことと思いますが、私は、あの詐欺師のような輩とは違いますよ。私が今回持参した仏壇は黒檀と紫檀それに鉄刀木タガヤサンからできています。どの木材も最高級品質であることはいうまでもありません。使われている希金属部品は宇宙サメの生体軟骨と魔界第四鉄の合金にオリハルコンを平均二十五パーセント添加したもので、霊脳力を二倍に増量すると言われています」

「魔術回路の接続具合を確認しても構わないかな」

「どうぞご自由に」

 私が持参した仏壇から延びるコードを、めかし屋チンチャケイドは自分の両方の鼻の穴へ差し込んだ。フン! と気合を入れる。仏壇のロウソク型照明が光った。私とチンチャケイドは眩い明かりに目を細めた。めかし屋は満足したらしい。その二つ名の由来となった、衣服に付けられた多くの豆電球がキンラキンラキラキラリと色々な色で瞬く。

 鼻からコードを引き抜いて額を汗を拭ってから、実は美少年の――書き忘れていた――めかし屋チンチャケイドは言った。

「私と仏壇の魔力同期性に問題はないようだ。続いて封印された魂のパワーを測定したい。しばらく預からせてもらうよ」

 私はニヤリと笑った。

「申し訳ございませんが、それはご勘弁を。やるのでしたら、私が同席しているときにお願いします」

 めかし屋チンチャケイドの服に取り付けられた豆電球が黒く染まった。

「おいおいおいおいデルノステ君。それはないんじゃないのかな。サルコヴィーの町で一番の魔法使いスパダリンリーン・チンチャケイド様がだよ、買おうとした商品に対し何か細工をしようだなんて考えてはいないだろうね?」

 滅相もございません、と心にもないことを言うだけ言っておいてから、本当に言いたい言葉を付け加える。

「魔法の仏具や魔術用品を地下迷宮ダンジョンから運び出す戦士階級の冒険者たちが、売買契約締結前に売り物を買い手に預けることを嫌悪しておりまして。そこが大切なことなのでございますよ。御存じの通り、これらの品物は彼ら彼女らが危険だらけのダンジョンから命がけで回収してきたもの。あの者たちの意向を無視して、購入希望者に品物を預けることは、私にはできかねます」

 美少年のめかし屋チンチャケイドは氷の微笑を浮かべて言った。

「デルノステ・マクネフネド・ダムミチュドボーネン君」

「なんでございましょうか?」

「君は、この私が信用できないのかい?」

 私は左右の手のひらを胸の高さで上に向けた。チンチャケイドは怪訝な顔をした。

「なんだなんだなんなんだね、そのポーズは」

「私の出身部族に伝わる秘密の手ぶりです。困ってしまって、どうしようもない時にやります」

「困るほどもこともないだろう。この仏具を私に任せてくれたら、それでいいんだ」

 そして商品の仏壇を滅茶苦茶にされ、泣き寝入りというパターンは否定できない。モンクレア・ロダン・カルカソンヌと、あいつを訴えた尼僧団の魔術教官のせいで、こんな目に遭わされるとは……と私が心の中で嘆いた、そのときだった。

「話は聞いた」

 仏壇の中から突然ほれぼれするほど可愛らしい娘が飛び出して来た。空中で一回転してから黒いロングコートの飾り房の付いた裾をひるがえして着地する。海老茶色のブーツの踵がカツッンと鳴った。ちょっとよろめいたものの体勢を立て直して、彼女は言った。

「私は“青銅の白昼夢”尼僧団の魔術教官ドゥーモネイ・ヴォーゲル・ザップ210」

 教官というより学生みたいな外見のドゥーモネイ・ヴォーゲル・ザップ210は頭のサイズより少しばかり大きめに見える真紅のとんがり帽子をサッと取って会釈した。

「人呼んで“青銅の白昼夢”尼僧団の賢いヒロインでございます。お見知り置きを」

 美少年の魔法使い、めかし屋スパダリンリーン・チンチャケイドは美少女の尼僧で魔術教官のドゥーモネイ・ヴォーゲル・ザップ210を、こちらの知らぬ間に音もなく忍び寄ってくる毒虫か何かを見るような憎悪のこもった目で睨みつけた。

「いつの間に我が結界内部に入ってきたのだ! 何なのだ、お前は!」

「私の名前はドゥーモネイ・ヴォーゲル・ザップ210、“青銅の白昼夢”尼僧団の魔術教官でございます」

「それはさっき聞いた! 何の権利があって人の家に入り込んだのだ!」

「人の家に入り込んだのではございません。私は仏壇の中に入り込んだのです」

 ぴかぴか光る尼僧の頭に私が持って来た仏壇が映った。そのうち画面が変わった。運河を進むゴンドラが見えた。この仏壇はチンチャケイドの邸宅に面した運河を使いゴンドラで運搬したのだ。私の使い魔数体が仏壇をゴンドラから降ろし、魔法使いの邸宅の中へ搬入している。人の形をした玉虫色に煌めく使い魔の中に、色彩の変化が若干ではあるが鈍い個体があった。

「お気づきでしょうか? フフフ、この玉虫色の色調にワンポイントのアクセントが入った使い魔が、この私の変装だったのです」

 とんがり帽子を被りニコッと笑うドゥーモネイに、仏頂面のチンチャケイドが再び問い質す。

「聞いてないけど邸内に入った方法は分かった。何が目的で潜入してきたのだ?」

「潜入の目的は何か? 答えは仏壇の中にあります」

 ドゥーモネイが指し示す仏壇の中を覗き込んでチンチャケイドが首を横に振る。

「普通の仏壇と何も変わらない。一体全体、何なのだ?」

 チンチャケイドの服に付いた無数の豆電球が紫色に瞬いた。同時に、彼の全身から同系色のオーラが揺らめきながら立ち昇ったように見えた。私には、それが何を意味するのか、実を言うとよく分からない。

「私が詐欺の罪で商人モンクレア・ロダン・カルカソンヌを告発したことは、お聞きになっていることでしょう。あの人物が以前から眉唾物の商品を善良な呪術師に売りつけることで財を成していたのは裁判官もご存じでしたので、訴状は速やかに受理されました……が、それは氷山の一角。粗大ゴミ同然の品物を高級品と吹聴して売りさばこうと企む邪悪な商人は後を絶ちません。私はこの際、他の詐欺師たちも町の市場から一掃すべきだと決意し、極秘調査を始めました。その一人目が、この人物――」

 ドゥーモネイ・ヴォーゲル・ザップ210は、どこからともなく取り出したピンク色の羽根が付いたステッキで私を差した。

「デルスノテ・マクネフド・ダムミチュドーンボーネンです」

 めかし屋スパダリンリーン・チンチャケイドは眉間を指で揉んだ。

「もう一度言ってくれ」

「デルスノテ・マクネフドネ・ダムミツドボーネン」

「もう一回」

「デルノスケ・マフドネド・ダルビシュドボーネン」

「もう一回頼む」

「ノスケ……ちょっと待って」

 私に向けられたピンク色の羽根が付いたステッキの先端が上下動する。ステッキを握るドゥーモネイは私に向かって「あなたの名前はなんでしたっけ?」と尋ねた。

「デルノステ・マクネフネド・ダムミチュドボーネン」

 答えた私に「ありがとう」と礼を言ってから彼女は続けた。

「この人物が犯した罪は、詐欺師モンクレア・ロダン・カルカソンヌより重罪です。この者は仏壇の中に邪神パーロネイトモアマッシンの封印されて深い眠りに就いた魂の欠片を潜ませていました」

 チンチャケイドは強いショックを受けたようだ。美少年の外見を作る魔法の仮面が崩れ、骸骨の本体が現れた。骸骨は顎をカタカタ鳴らして言った。

「この世界を貪り食うために異世界から飛来した、とされる伝説の邪神が、この仏壇の中にいるのか? パーロネイトモアマッシンは、遥かな太古に十七人の勇者が封印したと聞いているが」

「パーロネイトモアマッシンの魂を砕いて、その欠片を世界の各地に封印した。私は、そう聞いています。そして、その一つが、この仏壇の中にあったのです」

 深刻な表情を浮かべる二人に合わせ、私も困った顔をした。実際、困っている。

「ちょ、ちょ、ちょま、ちちょっと待ってください。待ってくださいよ。伝説の邪神パーロネイトモアマッシンの魂の欠片が、この仏壇の中にある、と。商売のために私が持って来た、この仏壇に。それが何なのです?」

 チンチャケイドの骸骨が言った。

「そんな危険物を市内に持ち込むことは許されない」

「知らなかったんです。そんな物騒な物、というか魂の欠片でしたっけ。そういうのが封印されているなんて、少しもね。それに、それが法に触れると分かっていたら、そもそも市内に運び込んだりなんかしませんって。無罪ですよ、私は無罪です」

 私の主張を聞いてドゥーモネイ・ヴォーゲル・ザップ210は頷いた。

「罪びとは皆、同じことを言うわ。何も知らなかった、何かの間違いだ、自分は誰かに嵌められた、うんぬんかんぬんと」

「だから、違うんですってば!」

「違いません! 弁解するなら私にではなく、お役人に言ってくださいませ」

 窓の外から騒がしい音が聞こえてきた。私は窓辺に走った。運河に架かる橋を重装備の兵卒が隊列を組んで渡っているのが見えた。階下の通りには先遣隊が到着していたようで、めかし屋スパダリンリーン・チンチャケイドの邸宅の敷地内を、立派な鎧を着込んだ将校らしき人物が部下と共に歩いているのも見える。

「仏壇の中からテレパシーで警察署へ通報しました。観念してお縄に掛かりなさい」

 私は呟いた。

「なんでやねん」


§ § § § § § § § § § § § § § § § § § § 


 サルコヴィーの警察署は、かつて街を支配していた爬虫人類と鬼の一族が共存共栄の証として建設費用を折半して建築した古城を改造したものだ。様々な色と大きさの美しいタイルを組み合わせた外観と複雑な構造の尖塔は街の名物で、観光名所となっている。市外から市内へ入った行商人は警察署の隣の市役所で商売をする許可のスタンプを手の甲へ押してもらわねばならないので、近くを何度も歩いたが、時間がなくて、じっくり見学したことはない。今回は絶好のチャンスかと思われたが、警官たちは私に所内見物の機会を与えず、地下の留置場へ送り込んだ。

 風通しが悪く黴臭い石壁の地下牢には、私より前に叩き込まれた連中がいた。暇を持て余していた彼らは私に「お前は何をやらかした」といった質問を浴びせてきた。

「誤解なんだ。無実だ、無実の罪なんだよ」

 何を言ってんだ、こいつ。そんな顔で皆が私を見つめる。その中の一人が尋ねた。

「何の容疑で捕まったんだ?」

「売ろうとした品物に魔物が潜んでいて、それが私のせいだと言うんだ」

「仕込んだの?」

「違うよ、知らなかったんだ、勝手に入っていたんだ」

「その品物って、なに?」

「仏壇」

「入っていた魔物って、なに?」

「封印された伝説の邪神パーロネイトモアマッシンの魂の欠片だそうです」

「あ、それ重罪だわ」と誰かが言った。

「俺のおじさんは家財の一切を没収された」

「若頭は処刑されたな」

「別の魔物をサルコヴィー市内へ搬入した奴は殺された後も脳だけを永久保存されて今も精神的な拷問を受けていると聞いた」

 私は呻き声を出した。

「うう……そんな、そんな酷い話って、あるのか……」

 聞きたいことを聞くだけ聞くと皆は私への興味を失った。放心していたら留置場の警備をしていた双頭の泥人形ゴーレムが私に取り調べが始まることを告げた。

 留置場を出て取り調べ室へ入る。取り調べ室の壁は石造りではなく、前時代に製造された工業製品のセラミックを遺跡から掘り出して再加工したものだった。今日では作れない代物だ。観光収入で潤っている警察署の内装は一味違う。取り調べの担当者も何かが違った。取り調べ室には四人の人間がいた。そのうちの三名は男性だった。

 全身が光沢のある水銀に似た金属で覆われた婦人警官が私を取り調べた。

「私はサルコヴィー警察署特命係のジョージーニイ。ここら辺りの犯罪者の間では、賢いヒロインの呼び名で通っているわ。よろしく」

 この街は賢いヒロインというあだ名に何らかの深い意味があるのだろうか? 金属の胸に名札が見えた。ジョージーニイ・バウンド。一等警視正、とある。偉い人なのだろうか、そうでもないのか? さっぱり分からない。

 一等警視正ジョージーニイ・バウンドは仏壇の入手経路を尋ねた。

 ダンジョンから地上へ運び出される仏壇を卸売り市場で買ったと説明する。

 証明はできるのか? と聞かれたので現地で発行した書類があると答える。

「それを出して下さらない?」

「喜んで」

 私は呪文を唱えた。空中に書類の束が出て来たので、指で挟む。

「どうぞ」

「ありがとう」

 ジョージーニイ・バウンドは書類を読み始めた。それはダンジョン冒険家クラブと冒険者ギルドが共同で発行した本物の購入証明書類であり、書いている内容はまごうことなき真実だ。

 ダンジョンで発見された宝物は綿密に鑑定され評価額が決まる。私が競り落とした仏壇は専門の鑑定家によって異世界の日本国で第三次大戦後のシン高度成長期に製造された最高級品と判定された。遥かなる時空の旅路の果てに私の物となった仏壇は、自称サルコヴィーの町で一番の魔法使いスパダリンリーン・チンチャケイドが購入を希望したので彼の自宅へ運び込まれた。そこに現れた超絶お邪魔虫にして美少女尼僧で魔術教官のドゥーモネイ・ヴォーゲル・ザップ210が変な言いがかりをしてきたために、私はこの憂き目に遭っている。何の因果で、こんな酷い目に……といった愚痴を、調書を書いている事務の人間らしき男性に語っていたら、ジョージーニイから「少し静かにして下さらない? 集中したいの」と言われ、黙り込むよりほかに選ぶ道はなくなった。

 することがないので、自分の人生や世界について考える。

 この世界で生まれ育った私だけれども、前世は別世界の住人だった。前世の記憶は鮮明にあるし、何なら前々世の思い出も残っているよ。昔の思い出話は尽きないね。そう、たとえば、飼っていた竜の思い出。私以外には懐かず、凶暴な宇宙怪獣だと皆から恐れられていたけど、とてもかわいい獣だった。名前は忘れた。

「このダンジョンの管理者へ問い合わせてみて」

 ジョージーニイ・バウンドは私の背後に立っていた大柄な男性警官に向かって私の頭越しに書類を見せた。その警官が呪文を唱える声が聞こえてきた。私が使う魔法の系統とは異なる魔術体系に属するタイプのようで、何を言っているのか分からない。私は尋ねた。

「ダンジョンには管理者がいるのですか? そこへ魔法で連絡が取れるのですか? 管理する者のいない無法地帯だとばかり考えていたのですが」

 スタイル抜群だが、のっぺらぼうの婦人警官はウンウンと頷いた。

「ダンジョンにもよるわ。全部そうじゃないけど、たまにあるの。ダンジョンの内部が異世界と通じている場合、それがゲーム世界のときがあるから。そのゲームの世界を運営する業者に連絡が取れたら、事情が分かるかもしれない」

「ゲームの世界、ですか」

「そう」

 前世や前々世の記憶がある私だが、もっと自己の内面を観察したら、新たにゲームの世界を生きた体験が蘇ってくるのかもしれない。だが、それはまたの機会で良い。

「それで、私の容疑なのですが。それは一体、何なのでしょう」

「邪神パーロネイトモアマッシンを市内へ持ち込んで復活させようとした罪です」

「ちょいと待って下さいよ? その邪神を復活させると、街はどうなるんです?」

「滅亡します。言うまでもありませんが、その罪は重いです。最高刑に相当します」

 私は困惑の表情で言った。

「いや、いや、いや、それは違うんです。まったくの誤解なのですよ。遥かな太古に異世界から転移してきたと思われる魂が宿った仏壇がダンジョンの奥にあって、それを冒険者たちが回収してきて、競り市に掛けたのを私が買った。ただ、それだけなのですよ。むしろ、そんな恐ろしいものを売りつけられた私こそが被害者ですよ」

 ここで頑張らないと私は冤罪の被害者になってしまう。何とかして誤解を解かないことには、家財没収やら死刑やら、私の脳だけ取り出されて精神的な虐待もあるそうだから、もう必死になって弁解しないといけない。そう思って必死に、それこそ気合の入りすぎで頭に血が上りまくって脳の血管がぶち切れそうな勢いで私は弁明した。「私は何も知らなかったんです。本当です。信じて下さい。何も知らずに買った商品に禁制の品が入っていた、それで私の罪になるのですか? これは絶対に、そう絶対に間違っています。大体にしてですよ、私がサルコヴィーの町に何の恨みがあるって言うんですか? 私は、この街で稼がせてもらってます。そんな大事な場所を滅ぼそうなんて、思うわけがないですよ」

 ジョージーニイ・バウンドは銀色の髪の枝毛を探しながら言った。

「無差別大量殺人を目論んでいる犯罪者予備軍は後を絶たないわ。逮捕しても逮捕しても、後から後から湧いて出てくる。いたちごっこよ。それでも、我々サルコヴィー警察は負けない。邪悪な存在と完全に立ち向かうの。町の平和を保ち、市民を災厄から守り抜く」

 私は自分が無差別大量殺人を企む犯罪者だと疑われていることに気付いて、ゾッとした。そんなこと、一度だった考えてことはないぞ!

 この相手には理性的な話し合いが通じない恐れがある、と私は思い至った。理屈ではなく、感情に訴えかけるアプローチに路線を切り替えよう。

「あんまりです、こんなの、あんまりですよ。どうしたらいいんです、私は! 正直に商売をしていたのに、詐欺師どころか無差別大量殺人犯の疑いを掛けられるなんて、酷すぎますよ。助けて下さい、お願いします、どうか助けて下さいませ! 何でもしますから許して下さい、お願いですぅ、頼みますからぁ……」

 涙を流して訴える私に向かって、涙を流す目が顔に見あたらない女性一等警視正は冷たく言った。

「あなたが手下としてこき使っていた詐欺師モンクレア・ロダン・カルカソンヌは、あなたよりもっと泣き真似が上手かったわよ。あなたに脅されて悪い仕事を嫌々手伝わせられたって、とても後悔していた。あなたを死刑にするために、何でも捜査に協力するから、自分のことはどうか許して欲しいって言っていた」

 私が愕然とした。いつの間にか、私は主犯格になっていた。モンクレア・ロダン・カルカソンヌが自分の罪を許してもらおうと、嘘の密告をしたのだ。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、ちょっと待って下さいって。私とモンクレアは何の関係もありませんって! どうして私があいつのボスになっているんですか!」

「脅されて無理やりって言ってた」

「だ、だ、だから、無関係なんです!」

 ジョージーニイ・バウンドは銀色の髪から抜き取った枝毛を床に払い落とした。

「残念だけど賢いヒロインとしての私の頭脳は、あなたの無罪を完全に証明できずにいる。邪神パーロネイトモアマッシンが仏壇に入っていたことを、本当に知らなかったのか? それとも故意の犯行か? それによって結果には天と地くらいの差があるわ。それをちゃんと見極めないと」

 枝毛を見つけ出す暇があるなら真実を見つけ出して欲しい、と私はごねた。後になって考えると、それが相手の心証を悪くした恐れがある。ジョージーニイ・バウンドは私を重犯罪者用の留置場へ入れるよう部下に命じた。

「さっきまであなたがいた留置場は軽犯罪者用なの。大量殺人を考えている凶悪犯を入れておくわけにいかない。別の場所へ移ってもらうから」

 状況がさらに悪化したことを私は自覚した。呟く。

「なんでやねん」


§ § § § § § § § § § § § § § § § § § § 


 重犯罪者用の留置場は、サルコヴィー警察署の最上階にあった。小さな窓ガラスの手前に太い鉄格子が数本嵌められており、ただでさえ狭い窓がもっと見えにくくなっていたけれども、窓があるだけ先程までいた軽犯罪者用の地下留置場より圧迫感が無くて過ごしやすい気がした。

 部屋の隅に置かれたマットレスへ横たわり、一息つく。マットレスの横にある黒い壁に浮き出た謎の染みを見ながら、口唇を噛む。

 状態は最悪だった。何も悪いことをしていないのに、物騒な重犯罪者だと勘違いされているのだ。人権意識なんて高級な思想とは無縁な連中ばかりが暮らしている野性の都市サルコヴィーの警察は、私のために弁護士を呼ぶ気配が微塵も感じられない。理不尽な話だ。まるで悪夢だ。これが夢なら醒めて欲しい、今すぐにでも。少しでも早く。とにもかくにも、この悪夢が終わって欲しい。

 そんなことを考えていたら黒い壁に浮き出た謎の染みがズズズと動いた。目の錯覚だと思ったら、染みがボトリと音を立てて床に落ちた。染みの中から黒く長い髪を腰まで垂らした灰色の上っ張りを着た年齢不詳の女が出てきた。

「うおぅ……」

 声にならぬ悲鳴を上げて私はマットレスから起きようとした。しかし何たることか! 体が金縛りに遭い、動きたくても動けないのである。

 灰色の上っ張りを着た長い髪の女は私が横になっているマットレスの横に立ち上がった。身長は高い。いや、見上げているから高く思えるだけもしれない。

 正体不明の女は黙って私を見下ろしている。私も彼女から視線を逸らせない。私と彼女との無言の睨み合いは、一体どれくらい続いたのか……無限の時が流れたような印象だが、意外と短時間だったようにも感じられた。

 無言の行に飽きたのは向こうの方が先だった。女は言った。

「お前は、誰だ。ここへは誰に頼まれて来たのだ。言え、言わないと殺す」

 口が上手く動くか心配だった私は唾をゴクンと飲み込んでから話し出した。

「誰かから頼まれて、ここへ来たのではありません。自分の遺志で来たのでもありません。私がここへ来たのは、強制連行されたからです。それも、無実の罪で」

 女はしばらくの間、何も言わなかった。やがてマットレスの横を離れ、反対側の壁際に向いて立ち、それからやっと話し始めた。

「お前の体臭は異常な匂いがする。臭いのだ、あまりにも臭すぎるのだ。どう考えても、お前はおかしい」

 不気味な女に対する気味悪さより、臭い臭いと連呼されたことへの怒りが私の中で上回った。反論する。

「私の体が臭いのではございません。私が先ほどまで入れられていた地下の牢獄が黴臭かったのです。その匂いが衣服に沁みついてしまったのでしょう」

 女は私を横目で見た。

「着ている服も、元から臭かったのではないか? センスも良くないし」

 失礼な話だった。私が着ている濃い茶色の上着と緑色のズボンは、サルコヴィーの如き野蛮人の住処とは洗練さにおいて桁違いの美の都●▽(注:原著に記載されていたはずの文字は飛び散った血液の汚れで見えなくなってしまっており、解析機器の力をもってしても判読困難だった)の天才デザイナーの手による一品で、それに私は常に香水を振り撒いている。臭いはずがないのだ。

「この風雅な香水の匂いを理解できない、そんな美的感覚ゼロのあなたは一体、何者です?」

 言った瞬間、私は後悔した。心臓の辺りに強い痛みを感じたのだ。すぐさま呼吸が苦しくなる。水に溺れて息ができないときのような時間が、どれほど続いたのか? 突然その苦しみが和らいだ。私はゼーゼーと喘いだ。

 そんな私の横に再び女が立ち、恐ろしい目で私を威圧した。

「このサルコヴィーの守護天使の一人、シービープーラス・スサーナ・パリシアナに対して無礼な口をきく者は断じて許さない」

 痛みは引いていった。自分のしでかした大失態の許しを請うためなら焼き土下座を十セットくらいならばやっても良いくらいの苦痛だった。私は態度を改め、心からの謝罪の言葉を口にした。相手は受け入れなかった。

「誰に頼まれてここへ来たのか、答えよ」

 同じ質問である。うんざりしながら「誰からの依頼でもございません。自分の遺志でもなく、無理やり運び込まれたのです」と答弁する。

 どこからともなく黄色い液体の入ったガラス瓶を取り出した女は、私の全身に瓶の中の液体をぶっかけた。その悪臭に私は吐き気を催した。

「うえぇぇ……守護天使様、この液体は何なのです?」

 ガラス瓶を手品のようにサッと消してシービープーラス・スサーナ・パリシアナは言った。

「聖水だ。消毒と消臭効果がある」

「そんなにか」

 それから地味で陰気臭い守護天使は私の頭をむんずとつかんだ。

「痛い! いえ、痛いでございます。ああ、守護天使様、痛いでございますですよ、はい。もう少しお手柔らかにお願いします」

 私の哀願を一切聞かず、サルコヴィーの守護天使の一人を名乗る暴力女は人の頭を鷲づかみしたまま、この体を持ち上げた。物凄い握力だった。頭が割れるくらい……まあ実際の話、頭が割れたことは一度もないのだけれど、それくらい痛い。この女は私の頭を握り潰すつもりなのだろうか?

「あの……何をなさっているのです?」

 シービープーラス・スサーナ・パリシアナは細い口唇を長い舌でベロリと舐めた。

「お前の頭をサイコメトリーで読み取る。それで何もかも分かるだろう。もしもお前の話が嘘だったら、ただでは済まないからな」

 私の知識ではサイコメトリーとは、遺品などに残された人間の思いを読み取る似非科学だったが、それはこの際どうでもいい。

「サイコメトリーでございますか! 初体験なのですが、いやはや、これはもう最高でございますな! このために自分は生きてきたのだと、たった今わ、わ、かりました……ところで、守護天使様! お聞きしたいことがございます」

「何だ、うるさいぞ」

「申し訳ございません。あのですね、とても痛いのですけど、どうにかなりませんか?」

「ならん」

「そうでございますか! それでは、あの、えっと、これは一体、一体いつまで続くのでしょうか?」

「しばらく続く」

「し、しばらくとは……何秒くらいでございますか?」

「お前の頭の構造は読み取りにくい。十数時間は掛かるかもしれない」

 私は気が遠くなった。いや、いっそ失神できたら、どれほど幸せか!

「麗しの都サルコヴィーの偉大なる守護天使のお一人、美しき魂の化身にして女性美の権化シービープーラス・スサーナ・パリシアナ様に謹んでお願いがございます」

「お前の願いをかなえるかどうかはともかくも、言うだけ言ってみろ」

「サイコメトリーの間、眠らせていただくわけには、まいりませんでしょうか」

「不可」

「痛みを和らげる魔法をかけてはいただけませんでしょうか」

「断る」

「それでしたら、せめて、何か、ご慈悲を……」

 シービープーラス・スサーナ・パリシアナは、私の体をぷーらぷらと揺らしながら言った。

「暇潰しになるような情報を、お前の頭に注ぎ込んでやろうか。いと賢きヒロインと天上世界で褒め称えられる、このシービープーラス・スサーナ・パリシアナが、この部屋に引きこもっている間、暇に飽かせて書き散らした小説の文面だ」

 私は涙をポロポロポロポロこぼしながら礼を言った。

「ありがたき幸せに存じます。本当にありがとうございます」

 いと賢きヒロインはヒヒヒと笑った。

「感謝するのは読み終わってからで良いだろうよ」


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『速いカタツムリに賭けろ! すべてを賭けろ!』


 昨年末から始まった○ド●ワ協賛の列島縦断オリンピック耐久レースは、いよいよ中盤戦に突入した。個人から団体まで、出場する全選手が荒廃した日本列島を自力でひた走りゴールを目指す過酷な競技は今、世界中から注目されている。現在のところ首位から最下位まで団子状態で毎日トップが入れ替わる白熱した戦いが続いており、どのチームが優勝するか予想できない状態だ。一瞬の隙で一気に順位が落ちる、まさに油断したら終わりの緊迫した勝負の連続といっていい。当然ながら出場者のストレスは大変なもので、それに打ち勝つのも一苦労だ。つまり列島縦断オリンピック耐久レースはライバルとの戦いであると共に自分との闘いでもある。

 そんな息詰まる熱戦を繰り広げる出場チームの中で、異彩を放つ合同グループがある。別の世界からやってきた外訪者たちが結成したジャンボ蝸牛かぎゅう、かたつむりチームだ。

 カタツムリは誰もがご存じだろう。その動きは遅く、競争に向かない動物といっても間違いではない。しかし毒物で汚染され、さらに危険な怪物たちの蠢く荒野が舞台の列島縦断オリンピック耐久レースでは事情が異なる。毒物の侵入を防ぐ働きを持つ粘液と怪物たちの攻撃を跳ね返す硬い殻で防御されたカタツムリは耐久力に優れており、このレースにうってつけなのだ。

 異世界からの訪問者たちは、生体改造と魔力で巨大化かつ強化した特大サイズのカタツムリの体内に、自分たちの体をミクロのサイズにまで縮小させて乗り込み、内部からカタツムリを操縦・操作している。カタツムリのパワーアップのおかげで元から高い防御性能に加え速度も大幅に改善し、操縦者たちのサイズダウンの努力が実り操縦性や居住性も桁違いに向上した。

 ジャンボ蝸牛チームのリーダー、ルーボンノキャ・フラナガンズラン氏は、こう語る。

「我々のチームは良い状態でレースを進めている。手ごたえを感じているよ。優勝圏内にいると思う。このままのレース展開で、今の調子を維持していければ、好結果は必ず付いてくるはずだ」

 列島縦断オリンピック耐久レース主催者の広報は、解説者による次のような今後の予想を発表している。

「(前略)ジャンボ蝸牛チームは予想より善戦していると思った。これなら、まさかの結果がありえるよ。あのチームが勝ったら、高配当が期待できるね。賭けた人間は今頃、興奮して眠れないんじゃないかな。多くのブックメーカーはノーマークだったからね」

 この新聞記事を読んで、私は全身が震えた。それ、俺のこと? そう思った。そう、私はジャンボ蝸牛チームに、ちょっとした額の金を賭けたのだ。

 列島縦断オリンピック耐久レースの状況はテレビやラジオに新聞そしてインターネットのニュースで毎日確認していた。ただし私の暮らしている地域では詳細な情報は入手できず、上位三チームの名前ぐらいしか報道されないことが多かったので、ジャンボ蝸牛チームがどうなっているのか、さっぱり分からなかった。他の賭け事で大損を出した私は、ジャンボ蝸牛チームの勝利にわずかな望みを抱く反面「どう考えても無理だろ、どうして俺はこんなのに賭けたんだ?」との後悔に苛まれていた。

 しかし今、消えかけていた希望の灯が赤々と輝き始めた。これ、いけんじゃね? 勝つんじゃね? 大逆転じゃね! そう思った私は現在の順位を確認しようと、スマートフォンをチェックした。順位が出ている記事を見つけた。三位までしか掲載されておらず、ジャンボ蝸牛チームの現在位置は分からない。もっとマニアックな情報が欲しかった。しかし調べ方が悪いのか、検索に引っ掛からない。

 苛々していたら床屋の親父が私を呼んだ。

「次でお待ちの方、どうぞ」

 私はソファーから立ち上がり鏡の前の散髪用の椅子に座った。

「どうします?」

「短くしてください」

 不毛にも思える質問と返答に続いて、薄くなった私の頭の散髪が始まった。目を大きく見開いてスマホを操作する私に、床屋の親父が世間話をしてくるが何も聞いちゃいなかった。

「……なんですよ、凄いでしょ?」

「そうだねえ」

「ところで旦那、何を熱心に見ているんです?」

 私は列島縦断オリンピック耐久レースに賭けているので順位を調べていると言った。床屋の親父はウンウン頷いた。

「いい勝負みたいですね。私は博打をやらないので詳しく知りませんが、大穴狙いの人が、何だか大きく勝ちそうって噂は聞きましたよ」

 それは、俺のことか? とニヤニヤしそうになったが、ちょうど髭剃りの最中だったので笑うのは耐えた。

「牛車チームだったか、亀さんチームだったか、何か遅そうな名前のチームが優勝しそうらしいですね」

 私は床屋の親父に尋ねた。

「ジャンボ蝸牛チームじゃなくて?」

 床屋の親父は頷いた。

「はい、そんな名前じゃなかったと思いましたけど」

「あそこの新聞にはジャンボ蝸牛チームが優勝候補みたいな記事が書いてあったけど」

「あれは一か月くらい前の新聞ですから、その後で大きく順位が変わったみたいですよ」

 古新聞を置いておくな! と怒鳴りたくなったが、床屋の親父が操る剃刀に首筋を撫でられている状態で文句は言いにくい。スマホを再度チェックするが、やはり上位三チームの名前しか分からず、そこにジャンボ蝸牛チームの名前はない。

 散髪を終え床屋を出た私は、列島縦断オリンピック耐久レースの情報を早く知りたかったので、床屋の前の通りからノミ屋へ電話を掛けた。レースがどうなっているのか知りたい、早く教えてくれ! と催促するも、なかなか教えてくれない。

 このとき、少し嫌な予感がした。電話に出た相手の声の調子が何だかおかしかった……と思い、通話を切ろうとしたら、通りの反対側から駆けつけてきた警官に職務質問をされた。今あなたが電話していた相手はノミ行為をしている人物ですが、あなたは客ですか? とストレートに聞いてくる。違います、と言ったら携帯電話の発着信履歴を確認したいと言われた。断ると、裁判所から令状を取って携帯電話会社に開示請求するという。やれるもんならやってみろと啖呵を切ったら、物の十分もしないうちに令状が下りて携帯電話会社が発着信履歴を提示したそうで、私は違法なスポーツ賭博の容疑者として警察署へ連行された。

 情報化時代とは、どうでもいい情報は飛び交うくせに、本当に大切な事柄は伝わらないものだと私は実感したが、それはこの際どうでもいい。

 弁護士が来るまで黙秘を続けるつもりだが、気がかりな点が二つある。

 一つは私は、とある贈収賄事件の重要参考人であること。今回の容疑とは無関係だが、その事件は大規模なスポーツイベントなので、二つの関連性を司法当局が追及してくる恐れが多分にある。

 もう一つは列島縦断オリンピック耐久レースの結果だ。勝負の決着がついたのか、我がジャンボ蝸牛チームは優勝したのかどうか、気になって気になって仕方がない。落ち着いて座っていられないので、私は留置場の折の中を動物園のクマのようにグルグル回って歩き続けている。


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 サルコヴィーの守護天使の一人を自称する女流小説家にして、いと賢きヒロインであらせられるシービープーラス・スサーナ・パリシアナが私の脳髄に送り込んできた小説が、上記のものである。頭が握り潰されそうな激痛を伴うサイコメトリーの真っ最中に読むような作品ではなかった。いや、何もない時にも読むべき小説とは思われない。マジで困った。自分が目にしているのは何の話だと思った。冗談かと疑ったが、冗談にしてもつまらない。

 ただただ脱力する私に、作者が尋ねた。

「どうだった?」

 先程この女が「もしも嘘を吐いたらなら、ただでは済まさないから覚悟しておけ」といった趣旨の発言をした記憶が頭をよぎった。嘘を言えないとしたら、この私は何を言えば良いのだろう? ええい、なるようになれ!

「面白かったです」

「気分は楽になったか? まだ痛みは気になるか?」

 あまりにも小説が酷すぎて、頭の骨が歪みそうな痛みの程度が半分くらいになった。別の頭痛で吐き気を覚えるが、死にそうな痛みではない。

「良い具合になってきました。サイコメトリーの終わりが近付いてきたのですか?」

「いや、まだまだだ」

 私の頭を握るシービープーラス・スサーナ・パリシアナの力が増した。激しい頭痛がぶり返す。この痛みが和らぐのなら! と思い、グロッキー寸前の私は心にもない美辞麗句を並べ立てた。

「先生の作品を、もっと読みたいです! この辛い日々を生き抜いていく痛みを忘れるくらい、面白い小説を! 素敵な物語が、何かございませんか!」

 シービープーラス・スサーナ・パリシアナは寂しげに笑った。

「守護天使としての生き方を貫き通すことに疲れた私は、この部屋の壁の染みの中に引きこもり、己の心の傷を癒そうと執筆を続けてきた。ただ、自分のためだけに書いてきた。人に喜ばれる面白さは求めずに、気の済むまで書き殴ったのだ。そんな私の書く小説が、素敵な物語であるはずがない」

 人の頭を唐揚げにレモンを掛けるときみたいにギュッと握り締めながら自分語りを始められても迷惑だ。しかし唐揚げレモンな私に、何ができよう?

「守護天使様! 畏れながら申し上げます! 作品が面白いかどうかを決めるのは、小説家ではございません。読者でございます! どうか私めに、先生の玉稿を拝読させていただけませんでしょうか?」

 へっぽこ小説家は少々出し渋ったが結局、私の頭の中に変な文章を送信してきた。それが下記の作品である。


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 東京オリンピック・パラリンピックを巡る汚職事件で東京地検特捜部が本社と自宅を家宅捜索する事態に陥っても、その男は余裕の表情だった。それもそのはず、彼は無実なのだ。ここはどれだけ強調しても足りない点なので、繰り返しておこう。

 彼は無実、そう、無実なのだ。逮捕され、起訴されたとしても、実は無実なのだ!

 それにも関わらず家宅捜索されているのは、実に不運なことだ。しかし押収書類の中から証拠が出ないのは分かり切っているので、動揺の色はまったく見えない。

 むしろ彼の表情には、応接室のソファーで相対している東京地検特捜部長への同情が現れていた。これだけ大騒ぎして証拠が出なかったら、責められるのは捜査を指揮する東京地検特捜部長なのだ。自分を疑っている相手に対しても哀れみを抱くとは、神や仏顔負けの人類愛の持ち主といえよう。仕事の鬼だが、心根は優しい男なのだ。

 家宅捜索の間、男は東京地検特捜部長と世間話に興じていた。確かに世間話であるが、それも尋問の一種であることは間違いない。捜査の鬼である東京地検特捜部長は、さりげない会話の中に相手を刺激する言葉を混ぜることで、男に揺さぶりをかけているのだ。その効果はあった。男の表情に激しい怒りと嫌悪が浮かび上がる瞬間があったのだ。マイナスの感情を表に出すのは、その男には珍しい。それは男の兄についての話題が東京地検特捜部長の口から出たときだった。

 男の兄はコカイン密輸事件で逮捕されていた。東京地検特捜部長は昔、その捜査に加わっていたというのである。自分と兄は義絶しています、と男は言った。会社とも無関係である、と付け加える。

 男の兄は、その会社の前社長だった。だが逮捕されたため社長を退任し、弟である男が会社を継いだ。マスコミはお家騒動とかクーデターと面白おかしく騒ぎ立てたが、男が立て直さなければ会社は潰れていただろう。お得意の映画と出版を組み合わせたメディアミックスの経営戦略が右肩下がりとなっていたところで、まさかの社長の逮捕である。そこで経営破綻してもおかしくない、まさに危機的状況だったのだ。

 男の顔色が変わったのは、その時を思い出していたからである。断じて、贈賄に関与していたからではない。しかし東京地検特捜部長は、そう思わなかった。黒だ、との確信を深めたのである。

 東京地検特捜部長は男に対し任意での同行を求めた。

 容疑を晴らすためなら、致し方ないでしょう……と男が答えた、そのときだった。

 部屋の隅に置かれた観葉植物の植木鉢がボン! と大きな音を立てて煙に変わった。壁に掛けられていた薄型テレビに宇宙から放射されるマイクロ波の白黒画面が電源を入れていないのに映る。晴れていた空に見る間に黒雲が湧き、続けざまに稲光が煌めき雷鳴が轟いて、窓が真紅の雨に濡れた。続いて地鳴りが聞こえ高層ビルがガタガタと音を立てて揺れ動く。天井の照明が消えた。男と東京地検特捜部長が不安げに立ち上がり、顔を見合わせる。そして何者かの声が室内に響き渡った。

「二人とも安心して。隕石の衝突と富士山の噴火と関東大震災は、この私が今、防ぎました。世界と日本の滅亡は、この私は食い止めたのです」

 二人は声のする方を見た。観葉植物のあった場所の煙が晴れて、そこに白い服を着た男が立っている。頭の上に光り輝く輪が浮かんでいて、背中に白い鳥の羽が生えていた。顔は老人で、任意同行を求められた男に酷似している。

 逮捕する者とされる者。立場の異なる二人だが、両者ともその男に見覚えがあったことは共通している。

 二人が口を開く前に、天使みたいな外見の男が言った。

「東京地検特捜部長、私は抗議します。これは不当な権力行使です。尋問は取り調べ室ではなく武道場で行うつもりでしょう? 取り調べと称しリンチで自白を引き出す魂胆でしょうが、そんなことは絶対に許しません」

 そして男に笑顔で言った。

「潔白が証明されるまで異世界に雲隠れするといい。なーに、心配することはない。面倒を見てもらえるよう手配するから」

 天使っぽい格好の男はスマートホンを出して何処かへ電話した。

「あ、いつもお世話になっております。は、例の件で。ええ、お願いします。この前お話しした、あいつが、そうです、私の弟ですけど、はい、弟の方の角川ですが」

 男の方を見て頷く。

「ええ、そうです。弟の方の角川ですけど、すぐに逮捕されそうなんで異世界に潜伏させます。どうか面倒を見てやって下さい。私も後から顔を出しますから。その前に、幻魔界転生の件を片づけないといけなくて。ご面倒をおかけして、すみません」

 そして男に白い粉をぶっかける。

「さあ、弟よ。異世界にトリップだ!」

 白い粉を頭から掛けられた男は一瞬で気を失った。

 そして男は、トリップ先の異世界で目覚めた。前世の記憶は消失している。自分が転生する前の、真実の記憶は失われているのだ。前世では、とある大型出版社の辣腕経営者だった、その男。この世界での職業は何でも扱う行商人。そして、その男の名は、デルノステ・マクネフネド・ダムミチュドボーネンという。


× × × × × × × × × × × × × × × × × × × 


 上記のバカ話の作り手である、汚濁と混沌の町サルコヴィーの守護天使が、誰にも頼まれてもいないのに自作を解説し始めた。

「ずっと書きかけのまま放置していたんだけど、この際だから少々書き直してみた。サイコメトリーでお前の頭の中を覗かせてもらったんで、その要素を加えたのが最大の変更点かな。この調子でね、もうちょっと書いてみてもいいかな~なんて考えたんだけどさ。時間的にね、最後まで行くのは無理そうだから、ここで話をちょん切ることにしたんだわ」

 シービープーラス・スサーナ・パリシアナは私の体をマットレスの上に落とした。安物のマットレスだったのが、落ちた弾みに怪我はしなかったので良かった。

「サイコメトリーの結果だけど、どうやらお前の話に嘘はないみたいだね。この部屋から私を引きずり出そうとする奴らとお前には、何のつながりもなかったよ」

 私はこめかみを揉みながら言った。

「誤解が解けて何よりです」

「そうだ、お前に連絡が入っていたぞ。ゲーム世界の管理運営委員会代表代理からの緊急通信、だったかな」

 それを早く言え。

「今回の災難の原因が、その業者のせいかもしれないんです。私から連絡すれば良いのでしょうか? しかし私が連絡したくても、その方法が分からないのですが」

 読者サービスだ、と言ってサルコヴィーの守護天使にして賢いヒロインは、私の頭をむんずとつかむとゲーム世界の管理運営委員会代表代理のオフィスまでぶん投げてくれた。ありがたや、ありがたや。


§ § § § § § § § § § § § § § § § § § § 


 ゲーム世界の管理運営委員会代表代理のオフィスはタバコ畑のど真ん中にあった。ゲーム世界の住人なのだろうか、様々な外見の生物がトラクターに乗ってタバコ畑を鋤き返している。あぜ道の脇に生えていた食虫樹の枝に引っ掛かった状態で目覚めた私は、親切な農業労働者たちの助けを借りて甘い匂いを漂わせた樹木から土の匂いがする地面に降りた。事情を説明し、オフィスに案内してもらう。

 誤解されるかもしれないので、書いておく。オフィスというと何だか立派な建物を予想されるかもしれないが、単なるトレーラー・ハウスだ。中は暗かった。開け放した扉から差し込む日光と、パソコンの白黒画面だけが光源だ。よく見たらパソコンのモニターはブラウン管みたいだった。それがいつ製造されたものなのかは神のみぞ知るだろう。

 見たところ無人のようである。私は中に向かって声を掛けた。

「すみませ~ん。どなたかいらっしゃいませんか~。怪しい者じゃございませんよ。行商人のデルノステ・マクネフネド・ダムミチュドボーネンと申します。何か御用があると伺いまして、飛んで参りました」

 御用聞きそのままの私のセリフを聞いて、誰かが反応した。

「パソコンの前にあるカウチに座ってくれ」

 女の声だった。言われるがままにカウチに座る。再び声が聞こえてきた。

「君は我が社のゲーム情報の一部が混ざっていた仏壇の所有者だね」

 その声はパソコンの両脇にある小さな卓上スピーカーから聞こえてきた。マイクの場所が分からなかったので、どこへともなく話しかける。

「よく分かりませんが、多分その通りです」

「済まないね。君に迷惑をかけたようだ。どうか許して欲しい」

 ごめんで済むなら警察は要らない。ごめんで済まなくてもサルコヴィー警察は不要かもしれないが、それについての結論は後回しだ。

 私は事情説明を求めた。古いパソコンの中の人が事の発端を語り出した。

「私の経営するゲーム会社の各種ゲームでクロスオーバーをやろうとしたんだ。色々なゲーム世界に、様々なアイテムやデータを隠し、それを見つけ出すキャンペーンだ。いい企画だと思ったんだけどね、難しすぎた。リファインしようという話になって、修正したらバグが出た。それがもう、訳が分からないレベルのミスだ。異世界の邪神パーロネイトモアマッシンとか何とかいう名状し難い電子生命体が隠しアイテムである仏壇の中に紛れ込んでしまったんだよ。あり得ないよね、そんなこと。まったく信じられない話だよ。修正パッチでは補えないくらいの失策だったんだけど、まあ何とかなりそうだ」

「それは何よりですね」

「迷惑をかけてしまったお詫びがしたい。今このパソコンの中で楽しいパーティーをしているんだ。どうだい、君も来ないか? こっちへ来るのは簡単だよ。パソコンの画面に頭を突っ込むだけでいいんだ」

「遠慮しておきます。それよりサルコヴィー警察の方に、私は無実だと伝えて下さいませんか」

「もちろんだとも。他に何かご希望はあるかな?」

 私の希望。いっぱいある。だが、いっぱいありすぎて「これをお願いします!」と言うのが思い浮かばない。

「それじゃ、三つあるんですけど、よろしいですか」

「欲張りすぎじゃね?」

「そこを何とか」

「分かった。私も賢いヒロインと呼ばれる凄腕の女社長だ。君の希望を、できる範囲内でかなえてあげる。何だい? 言ってみて」

 魔法を使える行商人の私だが、物理攻撃が苦手という弱点がある。それを補完する必殺技が欲しかった。

「何か下さい。〇×はめ▲みたいなやつがいいです」

 賢いヒロインと呼ばれる凄腕女社長は私に仏壇返しという技の全貌が分かる教育用ソフトの脳内閲覧コードを送ると約束してくれた。

 それから性別を好きなように変換できる魔法も知りたかった。

「なんでまた、そんなのを。女風呂に入るためか?」

「私も賢いヒロインの仲間入りをしたいんです」

 かくして私も賢いヒロインの一員となった。しかし、そのグループに入っても、特にこれといった特典が無く、今にして思えば不要だったという感じがしなくもない。

「三つと言ったな。もう一つは何なの?」

「あ、これはどうにかなりそうです」

 三つ目のお願いは、締め切りまでに本作品を完成させたいので力を貸して下さい、だった。二万文字を超えるのは絶対に無理だと思ったが、無理に無理を重ねた結果、無理が通ってしまった。「無理が通れば道理が引っ込む」ということわざ通りの滅茶苦茶な荒業だった。酷い話である。小説な下手くそな守護天使にして賢いヒロインを笑うに笑えない。だが、これも一つの経験だ。この反省を生かし次作をより良いものに死体。間違えた。より良いものに姿態あるいは、艶めかしい肢体(なんだそれ)。

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