欠ける偽
《山羊の穴》を移動するために、気が遠くなるような年月をかけた。娘のアミーは十歳になったし、おばあは死んでしまった。わたしは十年分老いて、昔ほど美しくはなくなった。クリフが愛してくれた黒髪を短く切り、クリフの使っていた革マスクを受け継いで、《山羊》の長をやった。たくさんのアンドロイドの新入りが入ったし、同じくらいの仲間が故障して動かなくなった。わたしは、皆を平等に見送った。
砂塵はわたしで、わたしは砂塵だった。常に何かに渇き、何かを求めていた。それは失われた過去の安寧だったり、あっけなく去ってしまった夫のことだったりした。わたしの人生から失われたそれらが、《電気羊》の壊滅のなかにあると、わたしは信じて疑わなかった。だからこそがむしゃらに、ジープを駆って外へ出た。たくさんの
アミーは寝る間際、今日あった出来事を私に話し、「ねえ、パパはどう思うかな」と締めくくる。わたしはやるせなさのなかで、アミーの金髪を撫で――クリフから受け継がれたそれらを愛した。
「おやすみ、アミー」
そしてわたしは、ろうそくの明かりのもと、《電気羊》壊滅の策を練る。その繰り返しが続いた。
※※※
アミーがジープに乗りたいと言い出したのは、その日が初めてだった。わたしは助手席にはしゃぐアミーを乗せて、「いい子にするように」と言いつけた。アミーは興奮を隠しきれない顔で、うんうんと頷いた。わたしは念のため、護身用の銃を腰に提げた。
アミーが遠出をするのはこれが初めてなのだ。十歳の女の子が、初めてのドライブに興奮するなというほうが難しい。わたしは鼻歌など歌っている娘のあたまに、砂除けのマスクを被せた。
「肺に砂が溜まらないようにマスクをしなさい」
「ママとお揃いだ」
アミーのはしゃぎようは加速していく。一抹の不安を感じながらも、わたしはジープのアクセルを踏み込んだ。
ジープはきまったルートを縫うように走っていく。旧い時代の
探し始めてから一時間、窓にへばりついていたアミーが、「あ」と声をあげた。
「女の子が倒れてる」
「どこ?」
娘の指す方角へ方向転換する。ジープは進路を変えて、砂を巻き上げて前進する。ナチュラルだろうがアンドロイドだろうが、間に合ってくれ、と願いながら、アクセルをぐっと踏み込んだ。
「アミー、ここで待っていなさい」
わたしは砂漠の上に降り立ち、砂を踏みしめて彼女……たちに駆け寄った。
「無事?」
わたしの第一声はそれだった。マスク越しにくぐもって、聞こえなかったかもしれない。起きている方の少女は、倒れて動かない少女をしきりにゆすっている。
「アイ、アイ、おきてよう」
わたしの脳ががんと揺れた。
アイと呼ばれた――それはアイに他ならなかった――幼い少女は、目を閉じて長い黒髪を砂の上に散らしていた。見たところ、砂を取り除く処置をすればもとどおりに動き出すだろう、と思われた。他人事のように目の前の光景を処理しながら、アイはアンドロイドだった、という事実をわたしはゆっくり飲み干した。
アイをゆすっていた少女が、わたしの存在に気づいて顔をあげる。砂まみれの頬に、黒目がちな瞳。
「……あなた、だれ?」
首筋を焼かれており、彼女の
「大丈夫?」
しかし《彼女》は、わたしから身を引いて、慄いた。わたしは自分の手元を見下ろした。気づいたら、腰から銃を抜いて、その銃口を彼女に向けていたのだ。
完全に、無意識のうちに。
「……やめて、殺さないで」
《彼女》の瞳に涙が浮かんだ。アイを庇うように後ずさって、覆いかぶさり、双子の姉を庇うけなげな妹――わたしがいちばん最初に奪われた場所に、《彼女》は完全に居座っていた。わたしは無言で銃の安全装置を外した。
「殺さないで!」
わたしはそれに答えられない。砂塵の渇きを満たすものが目の前にあって、今更思いとどまれるほど、わたしには余裕がなかった。
「やだ、やだよう、死にたくない」
「わたしも」
わたしは余裕なく答えた。《彼女》の名を聞いたらわたしは死んでしまう。そんな気がしていた。その前に黙らせるのだ。ひどく合理的な選択だと思う。わたしは姉を奪われた。妹の座を奪われた。その顔を奪われた。その上名前まで取られたら、わたしは、死んでしまう。これは生存本能だ、と頭の冷めきった部分がそう判断をくだした。わたしは一歩、二人に歩み寄った。
「わたしも死にたくない」
「やめて」
「だから、ごめんなさい」
その時、わたしの腰にアミーが勢いよく縋りついてきた。発射された弾は、《彼女》の足をかすった。血は出なかった。
「ママ、何してるの、だめだよ、だめ」
「アミー、放して」
「だめだよ! 二人ともこれから《山羊》になるんだよ! この子たち、《電気羊》に捨てられたんだよ!」
わたしはその言葉で、ようやく自分のしていることを客観的にとらえることができた。わたしは銃をだらりとおろした。
アミーが二人に駆け寄っていく。
「もう大丈夫だからね、心配ないからね、怖かったよね」
わたしはそれを黙ってみていた。優しいアミー。クリフにそっくりな、わたしの娘。
「わたしはアミーっていうの、あそこにいるのはわたしのお母さんなの。あなたは?」
《彼女》は自分の名を告げた。アミーはころころ笑った。
「お母さんと同じだ!」
『どっちがイミテーションなの』
ケビンの亡霊が耳もとで囁いた。
『どっちがイミテーションなの』
『僕はきみのほうがイミテーションだと思うよ』
わたしは銃の安全装置をもとにもどして、完璧な双子を眺めた。もうそこにわたしの居場所はなかった。アイは、わたしを必要としていなかったし、わたしはわたしで、もうどうしようもないくらい変わり果ててしまっていた。
「……いいえ、私のことは、《山羊》と呼んで」
わたしは山羊だ。木の根も芽も食い尽くして、砂漠を広げていく山羊。永遠に潤わない砂漠の中で、砂に打たれることしかできない、無力な山羊だ。
完全にイミテーションとなり果てたわたしは、唯一わたしをわたしたらしめる、娘の肩を持った。そして、低い声で言った。
「ようこそ、《山羊の穴》へ」
アイマイ 紫陽_凛 @syw_rin
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