第五話 インパール作戦

話を戻す

  スイス人医師、マルセル・ジュノー博士は海路中国に入った。

 国際赤十字委員会(ICRC)の要請によるものだった。

 当時の中国は日本の侵略地であり、七〇万人もの日本軍人が大陸にいたという。中国国民党と共産党が合体して対日本軍戦争を繰り広げていた。

 当時の日本の状況を見れば、原爆など落とさなくても日本は敗れていたことがわかる。日本の都市部はBー29爆撃機による空襲で焼け野原となり、国民も戦争に嫌気がさしていた。しかも、エネルギー不足、鉄不足で、食料難でもあり、みんな空腹だった。

 米国軍の圧倒的物量におされて、軍艦も飛行機も撃沈され、やぶれかぶれで「神風特攻隊」などと称して、日本軍部は若者たちに米国艦隊へ自爆突撃させる有様であった。

 大陸の七〇万人もの日本軍人も補給さえ受けられず、そのため食料などを現地で強奪し、虐殺、強姦、暴力、侵略……16歳くらいの少年まで神風特攻隊などと称して自爆テロさす。 ひどい状態だった。

 武器、弾薬も底をついてきた。

 もちろん一部の狂信的軍人は〝竹やり〝ででも戦ったろうが、それは象に戦いを挑む蟻に等しい。日本はもう負けていたのだ。

 なのになぜ、米国が原爆を日本に二発も落としたのか?

 ……米国軍人の命を戦争から守るために。

 ……戦争を早くおわらせるために。

 といった米国人の本心ではない。つまるところ原爆の「人体実験」がしたかったのだ。ならなぜドイツには原爆をおとさなかったのか? それはドイツ人が白人だからである。 なんだかんだといっても有色人種など、どうなろうともかまわない。アメリカさえよければそれでいいのだ。それがワシントンのポリシー・メーカーが本音の部分で考えていることなのだ。

 だが、日本も日本だ。

 敗戦濃厚なのに「白旗」も上げず、本土決戦、一億日本民族総玉砕、などと泥沼にひきずりこもうとする。当時の天皇も天皇だ。

 もう負けは見えていたのだから、                      

 ……朕は日本国の敗戦を認め、白旗をあげ、連合国に降伏する。

 とでもいえば、せめて原爆の洗礼は避けられた。

 しかし、現人神に奉りあげられていた当時の天皇(昭和天皇)は人間的なことをいうことは禁じられていた。結局のところ天皇など「帽子飾り」に過ぎないのだが、また天皇はあらゆる時代に利用されるだけ利用された。

 信長は天皇を安土城に連れてきて、天下を意のままに操ろうとした。戊辰戦争、つまり明治維新のときは薩摩長州藩が天皇を担ぎ、錦の御旗をかかげて官軍として幕府をやぶった。そして、太平洋戦争でも軍部は天皇をトップとして担ぎ(何の決定権もなかったが)、大東亜戦争などと称して中国や朝鮮、東南アジアを侵略し、暴挙を繰り広げた。

 日本人にとっては驚きのことであろうが、かの昭和天皇(裕仁)は外国ではムッソリーニ(イタリア独裁者)、ヒトラー(ナチス・ドイツ独裁者)と並ぶ悪人なのだ。

 只、天皇も不幸で、軍部によるパペット(操り人形)にしか過ぎなかった。

 それなのに「極悪人」とされるのは、本人にとっては遺憾であろう。

 その頃、日本人は馬鹿げた「大本営放送」をきいて、提灯行列をくりひろげていただけだ。まぁ、妻や女性子供たちは「はやく戦争が終わればいい」と思ったらしいが口に出せば暴行されるので黙っていたらしい。また、日本人の子供は学童疎開で、田舎に暮らしていたが、そこにも軍部のマインド・コントロールが続けられていた。食料難で食べるものもほとんどなかったため、当時の子供たちはみなガリガリに痩せていたという。

 そこに軍部のマインド・コントロールである。

 小学校(当時、国民学校といった)でも、退役軍人らが教弁をとり、長々と朝礼で訓辞したが、内容は、                   

 ……わが大和民族は世界一の尚武の民であり、わが軍人は忠勇無双である。

 ……よって、帝国陸海軍は無敵不敗であり、わが一個師団はよく米英の三個師団に対抗し得る。

 といった調子のものであったという。

 日本軍の一個師団はよく米英の三個師団に対抗できるという話は何を根拠にしているのかわからないが、当時の日本人は勝利を信じていた。

 第一次大戦も、日清戦争も日露戦争も勝った。     

 日本は負け知らずの国、日本人は尚武の民である。

 そういう幼稚な精神で戦争をしていた。

 しかし、現実は違った。

 日本人は尚武の民ではなかった。アメリカの物量に完敗し、米英より戦力が優っていた戦局でも、日本軍は何度もやぶれた。

 そして、ヒステリーが重なって、虐殺、強姦行為である。

 あげくの果てに、七十年後には「侵略なんてなかった」「慰安婦なんていなかった」「731部隊なんてなかった」

 などと妄言を吐く。

 信じられない幼稚なメンタリティーだ。

 このような幼稚な精神性を抱いているから、日本人はいつまでたっても世界に通用しないのだ。それが今の日本の現実なのである。


  一九四五年六月………

 マルセル・ジュノーは野戦病院で大勢の怪我人の治療にあたっていた。

 怪我人は中国人が多かったが、中には日本人もいた。

 あたりは戦争で銃弾が飛び交っており、危険な場所だった。

 やぶれかぶれの日本軍人は、野蛮な行為を繰り返す。

 ある日、日本軍が民間の中国人を銃殺しようとした。

「やめるんだ!」

 ジュノーは、彼らの銃口の前に立ち塞がり、止めたという。

 日本軍人たちは呆気にとられ、「なんだこの外人は?」といった。

 ……とにかく、罪のないひとが何の意味もなく殺されるのだけは願い下げだ!

 マルセル・ジュノー博士の戦いは続いた。



 戦がひとやすみしたところで、激しい雨が降ってきた。

 日本軍の不幸はつづく。

 暴風雨で、艦隊が坐礁し、米英軍に奪われたのだ。

「どういうことだ?!」

 山本五十六は焦りを感じながら叱った。

 回天丸艦長・森本は、

「……もうし訳ござりません!」と頭をさげた。

「おぬしのしたことは大罪だ!」

 山本は激しい怒りを感じていた。大和を失っただけでなく、回天丸、武蔵まで失うとは………なんたることだ!

「どういうことなんだ?! 森本!」とせめた。

 森本は下を向き、

「坐礁してもう駄目だと思って……全員避難を……」と呟くようにいった。

「馬鹿野郎!」五十六の部下は森本を殴った。

「坐礁したって、波がたってくれば浮かんだかも知れないじゃないか! 現に米軍が艦隊を奪取しているではないか! 馬鹿たれ!」

 森本は起き上がり、ヤケになった。

「……負けたんですよ」

「何っ?!」

 森本は狂ったように「負けです。……神風です! 神風! 神風! 神風!」と踊った。 岸信介も山本五十六も呆気にとられた。

 五十六は茫然ともなり、眉間に皺をよせて考えこんだ。

 いろいろ考えたが、あまり明るい未来は見えてはこなかった。

  大本営で、夜を迎えた。

 米軍の攻撃は中断している。

 日本軍人たちは辞世の句を書いていた。

 ……もう負けたのだ。日本軍部のあいだには敗北の雰囲気が満ちていた。

「鈴木くん出来たかね?」

「できました」

「どれ?」


  中国の野戦病院の分院を日本軍が襲撃した。

「やめて~っ!」

 看護婦や医者がとめたが、日本軍たちは怪我人らを虐殺した。この〝分院での虐殺〝は日本軍の汚点となる。

 ジュノーの野戦病院にも日本軍は襲撃してきた。

 マルセル・ジュノーは汚れた白衣のまま、日本軍に嘆願した。

「武士の情けです! みんな病人です! 助けてください!」

 日本の山下は「まさか……おんしはあの有名なジュノー先生でごわすか?」と問うた。「そうだ! 医者に敵も味方もない。ここには日本人の病人もいる」

 関東軍隊長・山下喜次郎は、

「……その通りです」と感心した。

 そして、紙と筆をもて! と部下に命じた。

 ………日本人病院

 紙に黒々と書く。

「これを玄関に張れば……日本軍も襲撃してこん」

 山下喜次郎は笑顔をみせた。

「………かたじけない」

 マルセル・ジュノーは頭をさげた。


  昭和二十年(一九四五)六月十九日、関東軍陣に着弾……

 山下喜次郎らが爆撃の被害を受けた。

 ジュノーは白衣のまま、駆けつけてきた。

「………俺はもうだめだ」

 山下は血だらけ床に横たわっている。

「それは医者が決めるんだ!」

「……医療の夢捨…てんな…よ」

 山下は死んだ。

  野戦病院で、マルセル・ジュノー博士と日本軍の黒田は会談していた。

「もはや勝負はつき申した。蒋介石総統は共順とばいうとるがでごわそ?」

「……そうです」

「ならば」

 黒田は続けた。「是非、蒋介石総統におとりつぎを…」

「わかりました」

「あれだけの人物を殺したらいかんど!」

 ジュノーは頷いた。

 六月十五日、北京で蒋介石総統と日本軍の黒田は会談をもった。

「共順など……いまさら」

 蒋介石は愚痴った。

「涙をのんで共順を」黒田はせまる。「……大陸を枕に討ち死にしたいと俺はおもっている。総統、脅威は日本軍ではなく共産党の毛沢東でしょう?」

 蒋介石はにえきらない。危機感をもった黒田は土下座して嘆願した。

「どうぞ! 涙をのんで共順を!」

 蒋介石は動揺した。

 それから蒋介石は黒田に「少年兵たちを逃がしてほしい」と頼んだ。

「わかりもうした」

 黒田は起き上がり、頭を下げた。

 そして彼は、分厚い本を渡した。

「……これはなんです?」

「海陸全書の写しです。俺のところに置いていたら灰になる」

 黒田は笑顔を無理につくった。

 蒋介石は黒田参謀から手渡された本を読み、

「みごとじゃ! 殺すには惜しい!」と感嘆の声をあげた。

  少年兵や怪我人を逃がし見送る黒田……

 黒田はそれまで攻撃を中止してくれた総統に頭を下げ、礼した。

 そして、戦争がまた開始される。

 旅順も陥落。

 残るはハルビンと上海だけになった。

  上海に籠城する日本軍たちに中国軍からさしいれがあった。

 明日の早朝まで攻撃を中止するという。

 もう夜だった。

「さしいれ?」星はきいた。            

「鮪と酒だそうです」人足はいった。

 荷車で上海の拠点内に運ばれる。

「……酒に毒でもはいってるんじゃねぇか?」星はいう。

「なら俺が毒味してやろう」

 沢は酒樽の蓋を割って、ひしゃくで酒を呑んだ。

 一同は見守る。

 沢は「これは毒じゃ。誰も呑むな。毒じゃ毒!」と笑顔でまた酒を呑んだ。

 一同から笑いがこぼれた。

 大陸関東日本陸軍たちの最後の宴がはじまった。

 黒田参謀は少年兵を脱出させるとき、こういった。

「皆はまだ若い。本当の戦いはこれからはじまるのだ。大陸の戦いが何であったのか……それを後世に伝えてくれ」

 少年兵たちは涙で目を真っ赤にして崩れ落ちたという。


  日本軍たちは中国で、朝鮮で、東南アジアで暴挙を繰り返した。

 蘇州陥落のときも、日本軍兵士たちは妊婦と若い娘を輪姦した。そのときその女性たちは死ななかったという。それがまた不幸をよぶ。その女性たちはトラウマをせおって精神疾患におちいった。このようなケースは数えきれないという。

 しかし、全部が公表されている訳ではない。なぜかというと言いたくないからだという。中国人の道徳からいって、輪姦されるというのは恥ずかしいことである。だから、輪姦             

れて辱しめを受けても絶対に言わない。

 かりに声をあげても、日本政府は賠償もしない。現在でも「慰安婦などいなかったのだ」などという馬鹿が、マンガで無知な日本の若者を洗脳している。

  ジュノー博士は衝撃的な場面にもでくわした。

 光景は悲惨のひとことに尽きた。

 死体だらけだったからだ。

 しかも、それらは中国軍人ではなく民間人であった。

 血だらけで脳みそがでてたり、腸がはみ出したりというのが大部分だった。

「……なんとひどいことを…」

 ジュノーは衝撃で、全身の血管の中を感情が、怒りの感情が走りぬけた。敵であれば民間人でも殺すのか……? 日本軍もナチスもとんでもない連中だ!

 日本軍人は中国人らを射殺していく。

 虐殺、殺戮、強姦、暴力…………

 日本軍人は狂ったように殺戮をやめない。

 そして、それらの行為を反省もしない。

 只、老人となった彼等は、自分たちの暴行も認めず秘密にしている。そして、ある馬鹿のマンガ家が、

 …日本軍人は侵略も虐殺も強姦もしなかった……

 などと勘だけで主張すると「生きててよかった」などと言い張る。

 確かに、悪いことをしたとしても「おじいさんらは間違ってなかった」といわれればそれは喜ぶだろう。たとえそれが『マンガ』だったとしても……

 だが、そんなメンタリティーでは駄目なのだ。

 鎖国してもいいならそれでもいいだろうが、日本のような貿易立国は常に世界とフルコミットメントしなければならない。

 日中国交樹立の際、確かに中国の周恩来首相(当時)は「過去のことは水に流しましょう」といった。しかし、それは国家間でのことであり、個人のことではない。

 間違った閉鎖的な思考では、世界とフルコミットメントできない。

 それを現在の日本人は知るべきなのだ。


  民間の中国人たちの死体が山のように積まれ、ガソリンがかけられ燃やされた。紅蓮の炎と異臭が辺りをつつむ。ジュノー博士はそれを見て涙を流した。

 日本兵のひとりがハンカチで鼻を覆いながら、拳銃を死体に何発か発砲した。

「支那人め! 死ね!」

 ジュノーは日本語があまりわからず、何をいっているのかわからなかった。

 しかし、相手は老若男女の惨殺死体である。

「……なんということを…」

 ジュノーは号泣し、崩れるのだった。


  自然のなりゆきだろうか、ジョンとジェニファーは恋におちた。ハワイでのことである。マイケルを失ったジェニファー、オードリーを失ったジョン……

 愛の行為は、ジョンにもジェニファーにもいまだかってないほどすばらしかった。ジョンの疲れがひどく丁寧に優しく、おだやかにするしかなかったからか、それはわからない。 裸のままシーツにぐったりと横たわり、唇をまた重ねた。

「ふたりとも恋人をなくした」

 ジョンがいうと、ジェニファーは「そうね。でも、もうひとりじゃないわ」といった。 しかし、奇跡がおこる。マイケルが生還したのだ。死んではいなかったのだ!

「ぼくの恋人をとりやがった!」マイケルとジョンは喧嘩になった。ジョンは謝った。

 しかし、ジェニファーはマイケルとよりをもどすことはなかった。

「なぜ? ……もう一度やりなおそう!」

「駄目。わたし妊娠してるの……ジョンの子よ」彼女の言葉に、マイケルは衝撃を受けた。 

     8 原爆投下






  東京湾にも米国艦隊が迫っていた。

 沖縄の米軍も本土上陸の機会を狙っている。

 ハワイ沖の空軍らは軍儀を開いていた。

「あの男はどこにいった?!」

 マイケルはいった。あの男とは、同じく米国太平洋艦隊空軍のクロード・エザリーである。

 ……あの男が! 会議にも出ないで昼寝でもしてるのか?!

 ハワイ沖はほとんど米軍の支配化である。

「原爆か……」

 広島に原爆を落とすことになる爆撃機・エノラゲイの機長、ポール・ティベッツは興奮した。これからこの原爆を……ジャップめ!

 ジョンは「まだわかりません」という。

「大統領が原爆投下の動きをみせているのは本当なんですか?」

「まずは…」爆撃機・エノラゲイの機長、ポール・ティベッツは続けた。「まずは出撃の準備をしろということだ」

 昼寝から起きたのか、クロード・エザリー軍曹がやってきて、

「ジャップに原爆をとられたらどうする?」といった。   

 ポール・ティベッツは激昴して、

「このガキが! なにぬかしとる!」と喝破した。

 しかしエザリーも負けてはいない。

「この原爆(ドラム管ほどけっこう大きい)はリトルボーイといい、ウラニウム弾である」「それぐらい俺も知っとる!」

 エノラゲイの機長、ポール・ティベッツは声を荒げた。

 ……〝トゥ・ヒロヒト(裕仁に贈る)……

 エザリーやマイケルたちは原爆ミサイルにチョークで落書きした。

「これでジャップたちは降伏する。原爆落とされ、あたりはまっ黄色だ!」

 そういったのはエザリーだった。


  七月二十四日、広島などへの原爆投下にむけて、リトル・ホワイトハウスでバーンズは『宣言』をつくる。

 トルーマンは思う。

 ……米英だけで決めてよいものか。中国にも打電しよう。

 トルーマンは重慶の蒋介石に「二十四時間以内に返事するように」と打電した。

 その間も、スティムソンは「天皇制の維持を…」とバーンズ国務長官にうったえていた。 七月二十四日、記念写真。チャーチル、トルーマン、スターリン……

 トルーマンは原爆投下の命令書を出す。

 ターゲットは、広島、小倉、新潟、長崎に変更された。

 ……原爆は日本に対してつかわれるだろう。爆弾は子や女子ではなく軍事拠点に。ジャップは降伏しないだろうが、シグナルにはなる……

                 トルーマン回顧録より


 蒋介石は日本への原爆投下を受諾した。

 こうして、『ポツダム宣言』は発表された。しかし、サインはすべてトルーマンの代筆であったという。降伏せねば全滅する。

 しかし、日本はそれを黙殺していまう。


「よし! 黄色いジャップに原爆の洗礼だ!」

 マイケルは無邪気だった。

 それは当然で、誰も原爆の破壊力など知らないからだった。

「これで戦争も終わる!」ジョンもいった。

 雲がたちこめている。

  結局、エノラゲイは日本上陸を飛んだが新潟は見えず…しかし、広島だけは雲の隙間があった。

 マイケルたちはまだ若く、軍略も謀略もできない青二才だった。

 ジョンは双眼鏡で広島をみながらにやにやと、

「広島上空異常なし!」と仲間にいった。

「……原爆ってどれくらい死ぬんだ?」とマイケル。

「知らない。しかし、相手は黄色だぜ。知ったことか」

「国際法でも認められている立派な策さ」

 そして、一九四五年八月六日午前八時十五分、広島に原爆が投下された。

「目がつぶれるから直視するな!」ティベッツ機長は叫んだ。

 双眼鏡で覗いて見ると、きのこ雲があがっている。

「………やった!…」

「うひょ~っ!」

 エノラゲイ機内に歓声があがった。

 仲間は「これてジャップも降伏だ……」という。

 しかし、予想は外れる。

 日本は、黙ったままだ。

 ……〝原爆の洗礼〝だ!

「原爆! 原爆! 投下せよ!」

 トルーマンたちは動揺を隠せない。

  一九四五年八月九日長崎上空に、爆撃機ボックス・カーが接近した。そこにはマイケルたちは乗ってなかった。同時に爆撃機はプルトニウム爆弾を投下する。午前十一時二分。「くたばれ!」

 トルーマンの号令で、爆撃機にのっていた米軍兵士たちが原爆を二発もおとした。

 この原爆で二十万人もの民間人が犠牲になったという。



「斬り込め! 斬り込め!」

 日本軍は中国で次々と中国兵士を斬り殺していく。

 が、もはや時代は剣ではなく銃である。

 すぐに中国軍は回転式機関銃を撃ってくると、日本兵たちはやられていった。

 いわゆる初期のガドリング砲は、大砲ほどの大きさがあった。

 ガドリング砲の銃口が火を吹くたびに、日本軍兵士たちは撃たれて倒れていく。

「くそったれめ!」

 谷中はガドリング砲を撃つ中国軍たちの背後から斬り込んだ。そして、ガドリング砲を使って中国軍たちを撃っていく。が、戦にはならない。次々と米国艦隊がやってきて砲撃してくる。谷中小将はひととおりガドリング砲を撃ったところで、日本軍車に飛び乗った。 ……中国への進出(侵略)は失敗したのだ。

 日本軍は全速力で遁走した。

 日本は原爆を二発もうけて、大ダメージを受けた。アジア侵略が失敗したのはいたかった。が、それよりも貴重な兵士たちを失ったのもまたいたかった。

 東条は、

「こんなことなら戦争などしなければよかった」

 と悔がった。

 鈴木貫太郎は「なにをいまさらいっていやがるんだこの男は!」と怒りを覚えた。

 とにかく原爆で損失を受け、大打撃であった。


  雀之丞の弟・大塚浪次郎が戦死した。

「浪次郎!」

 兄の大塚雀之丞は号泣し、遺体にすがった。

 榎本中将がきた。

「君の弟は優秀な人材であった。惜しいことだ」   

 とってつけたように、榎本はいって労った。

 涙で顔を濡らしながら、雀之丞は、

「弟の死は犬死にですか?! 中将!」と声を荒げた。

 榎本は戸惑ってから、

「戦は殺しあいだ。連合軍があくまでもわれら日本帝国を認めないなら、戦うしかない。これは〝義〝の戦ぞ!」

「……しかし…日本が血に染まりまする!」

「〝義〝の戦では勝つのはわれらだ。米英には〝義〝がない。勝つのはわれらだ!」

 榎本はどこまでも強気だった。

「……そうですか……」

 雀之丞は涙を両手でふいて、いった。

「義の戦ですね? 弟の死は犬死にではなかったのですね」

「そうだ! 大塚雀之丞……励め!」

「はっ!」

 大塚雀之丞は平伏した。


           

  若く可愛い看護婦と、日本脱走軍の兵士の若者・英次郎は李春蘭とデートした。

「君、今好きなひととかいるの?」

 英次郎は勇気をふりしぼってきいた。

 是非とも答えがききたかった。

 李春蘭は頬を赤らめ、

「えぇ」

 といった。

 純朴な少年の感傷と笑うかも知れないが、英次郎は李春蘭が自分のことを好きになっていると思った。

「それは誰?」

「…ある人です」李春蘭は顔を真っ赤にした。

 そして「あのひとはもう治らないとやけになってるんです」と吐露した。

「………治らない? なんだ……俺のことじゃないのか」

「すいません」

「いや!」英次郎は逆に恐縮した。「いいんだよ! そのひと病気治るといいね」

「……はい」

 李春蘭は可憐に去った。

「ふられたか? 英次郎」

 兄・恒次郎はからかった。弟は「そんなんじゃねぇや!」といった。

 ふたりは相撲を取り始めた。

 兄が勝った。

「元気だせ。もっと可愛い娘がいっぱいいるって」

「だから! ……そんなんじゃねぇって」

 ふたりは笑った。

 まだ恋に恋する年頃である。


  ダガルカナルの戦地では、若者たちが英雄をかこんでいた。

 英雄とは、米国兵士を何百人と殺した男・今井信助である。

「今井さんは鬼畜米英を斬ったそうですね?!」

「…まぁな」

「斬ったときどんな気持ちでしたか?!」

 若者たちは興奮して笑みを浮かべながらきいた。

「うれしかったよ。なんせ鬼畜だからな」

「鬼畜はどういってましたか? 死ぬとき…」

 若者は興奮で顔をむけてくる。

「なんもいわなかったよ。でも連中は頭を斬られて死んだんだな」

「へぇ~っ」

 若者たちが笑顔で頷いた。

 かれらにとっては米兵は明らかな〝敵〝である。



  木之内と伊庭八郎は、敗退を続ける隊員を尻目に、銃弾が飛び交う中を進軍した。森の中で、ふたりは「これは義の戦だ!」といいあった。

 伊庭八郎は、「木之内! 日本にすごい武器がおとされたって知ってるか?」ときいた。 しかし、木之内は「知ってる。しかし、おれは最後まで戦う! お国のためだ」

「そうか」伊庭八郎はにやりとして、「まだサムライがいるんだな」

 といった。

「その拳銃の弾はあと何発残ってる?」

「いっぱつ…」

「そうか」

 そんな中砲撃があり、爆発が近くで起こった。木之内は額から出血した。

 しかし、伊庭八郎は直撃を受けて血だらけで倒れていた。

「伊庭さん?! だいじょうぶですか?」

「………木之内…」

 伊庭八郎は脇差しをもって切腹した。「かいしゃくを!」

 木之内は動揺したが、「分かりました」といい銃口を伊庭八郎のこめかみに当てて引き金をひいた。

 砲弾が飛び交う。

「やあああ~っ!」

 木之内は進軍する米国軍に剣を抜いて叫んだ。

 しかし、米軍はかれを射殺して進軍していった。

 米軍絶対的優位で、ある。

  長崎にも原爆投下され、日本大本栄は動揺した。すぐに閣僚会議が開かれた。軍部はポツダム宣言など受け入れれば国体が壊れる…と反発した。大和魂が死ぬ…とまでいう。 鈴木貫太郎首相は穏健派で知られた。御前会議にもっていく。そこで裕仁の聖断を受ける。昭和天皇は「本土決戦では日本国そのものが滅亡する。忍び堅きを忍び…世界のひとたちを不幸にするのは避け、この地の日本人たちがひとりでも多く生き残って繁栄の道を進んでほしい。武装解除で、朕は別によいが指導者たちが戦犯として裁かれるのは辛いが日本国が滅ぶよりいい」という。8月10日、日本は条件付き降伏をする。しかし陸軍がいきりたっていた。しきりにクーデターで軍による政権をつくり世界と戦うなどと馬鹿げたことをくりかえす。そんなだから空襲はますます激しくなる。日本中火の海だ。

 8月12日、外務省は降伏状を訳していた。…〝サブジェクト トウ〝…『従属する』…陸軍や海軍ら軍部は「これでは天皇制が維持されず奴隷と同じである! 陛下のためにならない!」という。そこで鈴木首相は最後の懸けにでる。もう一度の天皇の聖断である。 御前会議が開かれる。天皇の前ではクーデターも文句もない。昭和天皇はいう。

「戦争はこれ以上は無理だと思う。ポツダム宣言を朕は受諾する。もう終戦である」という。こうしてすべて決まった。愚鈍だった天皇が、最後は役にたった訳である。


  そして、一九四五年八月十五日敗戦……

〝耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び…〝

 昭和天皇(裕仁)の声がラジオから流れてくる。日本軍敗戦、ポツダム宣言を受諾したのだ。やっと、泥沼のような戦争は終わった。

 日本国中、焼け野原だった。

 しかも、戦後は食料難がおそい餓死者まででた。

 日本を占領するためにきたのがマッカーサー元帥だった。パイプをくわえながらプロペラ機のタラップをおりてくる。「アイル・ビー・バック」……の宣言通り彼は日本に戻ってきた。連合国総指令部(GHQ)は、さっそく日本を統治しはじめた。

 憲法(いわゆる平和憲法)をわずか二週間でつくりあげる。

 マルセル・ジュノー博士は荒廃した中国の町で、「広島と長崎に原爆が落とされ、一瞬にして何万人ものひとが犠牲になった」というニュースをラジオできいた。

 ジュノーは思う。「広島へいかなければ…」

『戦争は悪で人殺しだ』……多くのひとたちはそう思っている。確かに、戦争は悪でありひと殺しである。ただし、その悪によってもっと強大な悪を叩き潰すこともできるのだ。 例えば、太平洋戦争で連合軍が帝国日本やナチス・ドイツを叩き潰さなければ今頃、ヨーロッパやアジア諸国はどうなっていただろう? 確かに広島長崎の原爆、東京大空襲、沖縄戦、シベリア抑留、学徒出陣、神風…それらは悲惨なことだ。しかし、被害者意識ばかりもってもらっては困るのだ。じゃあナチスや帝国日本はあの戦争で何をやったのか? 虐殺侵略したじゃないか! ヒトラーや帝国日本はなにをしたのか?

 なぜ日本人は被害者意識だけしかもてないのだろう。なぜ靖国に参拝し続けるのだろう。反日デモがおきたとき著者はそう問いつづけた。だが、日本人からの反応はなかった。

 改革を念じるしかない。ただこの拙著だけではかわらないかも知れない。しかし、信じるしかない。太平洋戦争が間違った、侵略戦争であったということを…日本人たちが誰もがわかるまで……。                        


        9 昭和天皇崩御





 ジュノー博士は、荒廃した中国の町で「広島に原爆が落とされ、一瞬にして数千万人が死亡した。これによって日本は降伏…」というラジオ・ニュースを聞くことになる。

 つねに平和を願っていた彼は愕然となり、それからこう思う。「広島にいかねば…」と。 ジュノーは日本軍に頼み込んで飛行機に乗り、日本に向かう。千島列島に侵攻してきたソ連軍のミサイルをかいくぐって。しかし彼は東京でとめられ、頼んでも「広島」には連れていってもらえなかった。「軍の機密だから」というマッカーサー総司令官につめよった彼は、無惨な子供の死体や焼け野原となった写真をたたきつけていう。

「これが広島です。いまも多くの人々が何の治療もうけられず外部から見捨てられたまま苦しんでいるのです。軍の機密は、人の命より大事なのですか?!」

 死体の山、砂漠のような瓦礫の町「広島」、薬は底をつき、人々はバタバタと死んでいく。そこに彼がやってくる。「薬がきましたよ」彼のはにかんだ表情がまたすごくいい。こうして何万トンもの薬が届けられ、多くの人々が救われていく。

 去っていくジュノーと日本人医師の別れは、夕暮れの空がとても美しく印象的だ。

「センキュー・ベリーマッチ、ドクタージュノー」

「ザッツ・オーケー」

 ジュノーは八時十五分でとまった駅の時計をみていう。「あれは新しい時代の始まりです。けして戦争をしてはならないという証しです」それはとても感動的な言葉だった。

 しかし彼の意思に反して、世界は、朝鮮や、ベトナム、中東でも、同じ様な過ちを繰り返してしまう。それがとても哀れで仕方がない気持ちを覚えたりもする。……「もし不幸にも戦争がさけられないのなら、せめて治療方のない兵器は使わないで下さい」「戦争がもし不幸に起こっても戦う両者とは別に第三の戦士がいなければならない」


  ジュノーは引退してミズリー州に引き籠もっていたトルーマンと接見した。

 彼は、無惨な子供の死体や焼け野原となった写真をたたきつけていう。

「これが広島です。いまも多くの人々が何の治療もうけられず外部から見捨てられたまま苦しんでいるのです。軍の機密は、人の命より大事なのですか?!」

 トルーマンは「この戦争の全責任は私にある。しかし、米国人の犠牲を最小限におさえるために、戦争を早くおわらせるために仕方のなかったのだ」と頭を下げた。

「それは詭弁でしょう?!」

 ジュノーはトルーマンに迫った。

 しかし、トルーマンは同じことを繰り返すばかりだった。

「……日本人たちをどうする気かね?」

 ジュノーは迫った。

「裁判にかける」トルーマンはいった。

「殺す気かね?」

「……裁判次第だ」

 ジュノーは声を荒げた。

「人材の浪費は駄目です! 今日本国を思えば……たとえ敵軍だったとしても貴重な人材は残すべきです! 違いますか? 閣下」

 トルーマンは感銘をうけた。

 ……まさしくその通りだ!

「わかりました。ジュノー先生」

 昭和二十五年九月、東篠らA級戦犯は巣鴨の牢獄の中にいた。

 一番牢  東篠英機、木戸孝一、大島浩、武藤章、土肥原賢二、松岡洋石、永野修身

 二番牢  岸信介、重光葵、広田弘毅、賀屋興宜、東郷茂徳、小磯国昭、白鳥敏夫、

 岡敬純、南次郎、大川周明、佐藤賢了、星野直樹、橋本欣五郎、荒木貞夫、嶋田繁太郎、 畑俊六、鈴木貞一

 三番牢  笹川良一、板垣征四郎、木村兵太郎、平沼騏一郎、梅津美治郎、松井石根

 四番牢  児玉誉士夫………


「馬鹿野郎!」

 東篠英機の前の首相、近衛文麿は電話を受けてそういい、そして服毒自殺した。

 東篠英機は東京法廷で「自分には統帥権(軍の指揮権利)がなかった」という。つまり、天皇でも自分でもなく、陸軍がすべてを取り仕切っていたというのだ。

 彼等らは『A級戦犯』と呼ばれて東京裁判で裁かれた。

 しかし、A級戦犯とは『もっとも悪い戦争犯罪者』ではなく、『戦争を指揮した人間』で、BC級は戦争による虐待殺戮などをした戦犯だ。東篠英機らは死刑になった。       

 重光葵は戦後、副首相兼外務大臣になり、賀屋興宜は戦後、法務大臣になった。

 岸信介は戦後、首相になったのは有名だ。あの安倍晋三の母方の祖父だ。

 昭和天皇は戦争末期、防空壕内部で只、頭を低くして陸軍の暴挙を黙認していた。

  1945(昭和20)年、昭和天皇はマッカーサーと会見した。場所はGHQ本部…

 そして、例の写真を撮影した。戦争ではアジア人二千万人、日本人三十四万人が死んだ。マッカーサーはミス・インフォメーションを信じていた。〝天皇制を廃止すれば日本人は激怒して暴動になる〝というのだ。それで彼は天皇制を維持することになる。

 たった数週間で「平和憲法」がつくられた。

 極東裁判が開かれ、東条秀樹らは死刑となり、露と消えた。

 昭和天皇は『人間宣言』をする。           

「私は現人神ではない。ただの人間である」

 日本は敗戦により、ほとんど焼け野原となり、浮浪者やホームレス、孤児、餓死者、食料難があり、またパンパンと呼ばれる売春婦たちがアメリカ兵たちに体を売り、外貨を稼いだ。疎開地でも餓死者が出た。GHQではそれでも無視した。

 しかし、日本が破壊されたのは建物や工場や軍事施設といったいわばハードであり、ソフト……つまり人材は守られた。松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫、田中角栄、吉田茂、岸信介、司馬遼太郎、山田風太郎、三島由紀夫、川端康成、美空ひばり、石原裕次郎、黒澤明、そして皇族たち……世界に冠たる人材は守られ、日本はパックス・アメリカーナ(米国の核の下の平和)により冷戦でも奇跡の経済成長を遂げることになる。

 それは昭和天皇の願いでもあった。

「私は夢は、日本国が平和な、経済大国・技術立国になることである」

  そして、昭和天皇は荒廃した地方を、日本全国を巡幸していった。どこでも歓迎と拍手の嵐である。しかし、沖縄にだけはいけなかった。巡行慰問予定の年に体調を崩し、そのまま崩御してしまったのである。ひめゆりの生き残った女性は悔しがる。「……昭和天皇には沖縄にきてひめゆりの塔におがんでほしかった……」

 朝鮮戦争、JFK兄弟暗殺、ベトナム戦争の泥沼、日米安保による学生デモ、大阪万博、中東戦争、イラン革命、日米貿易対立、プラザ合意、ウォーターゲート事件……

  昭和四十年には息子の現在の天皇(当時・皇太子明仁)と民間人・美智子との結婚の儀が行われた。孫も出来た。テレビも売れに売れ、日本経済は奇跡の発展を遂げた。

 東京オリンピック、日本の高度経済成長、それにともなう南北貧富の格差…

 田中角栄による中国国交正常化、電電公社、国鉄の民営化………

 昭和の間、天皇はすこやかに静かに暮らした。そして、昭和の暮れ、ガキどもがメルトダウンしだし校内暴力、学力低下があいついでホームレスをリンチで殺したりいろいろ犯罪を犯した。バヴル経済でみんなが浮かれ、株価の意味もわからぬ主婦までもが「財テク」などと称して湯水のように金を遣った。アグリーに不良債権だけがふえた。

 中東情勢が緊迫化して湾岸戦争が勃発、世界同時不況、株価下落……

 石原祐次郎、美空ひばり、田中角栄が、松下幸之助、井深大、本田宗一郎が死んだ。

  昭和天皇・裕仁は病に倒れた。

 多年の苦労と不摂生がわざわいした。病気は進み、喀血は度重なった。

 回復の望みはなかった。

 ……せめて世界が平和になるまで。

 世界平和の業が成るのをこの目でみたい。それが願いだった。

  肌はやつれ、痩せて、骨まで痛むようになった。

 ……沖縄にだけはいきたかった……

 昭和天皇は病の床にあった。

 一九八九年、一月九日、昭和天皇は死を迎える。

 彼が愛してやまなかった日本赤十字委員会の医師たちは「俺がかわってやりたい」と泣いた。

 昭和天皇の死は朝まで気付く者がいなかったという。

 一進一退の病魔が昭和天皇の躰を襲った。

 その夜、昭和天皇は目が覚めた。

 不思議と躰が軽い。

 ……もうおわりだから最後に軽くなったか。

 昭和天皇は気力をふりしぼってようやく起き上がり、負けじと気力を奮いたたせた。

 ……まだ死ぬ訳にはいかぬ。

 ……まだ世界平和をみてはおらぬ。みるまで死ねぬ。

 昭和天皇は不敵な笑みを浮かべた。壁をつたって歩いた。

 ……私はまだ…死……ね…ない。まだやることがある…

 ……まだせめてもう一度平和活動をさ…せてください…被害者への謝罪がまだです…

 窓を開けて夜空を見上げると満天の星空がみえた。

 走馬燈のように懐かしい顔が浮かんだ。

 大正天皇の顔。

 マッカーサーの顔。息子の顔。妻の顔。孫の顔。虐殺した無辜なアジアの民…

 その他の顔、顔……

 裕仁なくして、日本の平和はあり得なかったはずだ…この私が…まだ謝罪してません… 昭和天皇は喀血し、倒れた。そして、その血により溺れ死んだ。

 享年八十七歳……

 元号は『昭和』から『平成』にかわった。故・小渕恵三が『平成』の文字をかかげる。ベルリンの壁崩壊、ソ連崩壊、冷戦終結、同時多発テロ、学力低下、イラク戦争……

 時代は刻々と変わっていく。オゾン層の悪化で環境は破壊の一途を辿り、環境が悪化。 日本は深刻な不況にみまわれた。女性天皇も認められた。愛子ちゃんが天皇になる?

 04年には孫でもあった皇太子が「雅子のキャリアを否定するような発言があった…」と異例の会見をし、また高松宮喜久子(最後の将軍・慶喜の孫で昭和天皇の弟の妻)が十二            

月に他界した。また昭和天皇の孫娘にあたる清子は、05年黒田さんと結婚した。

 中国は世界の工場としてめざましい経済発展を遂げていく……

 イラクや中東、北朝鮮は『ベトナム化』していく、EU(欧州連合)拡大……

 日本の改革も往々として進まない。子供がひとを殺し、自殺率も失業率も高くなる…

 世界大恐慌で何百万人もの失業者が路頭に彷徨う…。平成(今上)天皇はよむ。           

……〝戦なき 世を歩みきて 思い出づ かの難き日を 出きし人々〝……

 太平洋戦争敗戦から七十年以上が過ぎた。すべてが終わった訳ではない。

 しかし、昭和天皇はどんな悪人だったのだろう? どんな善人だったのだろう?

 我々日本人にひとつに疑問をなげかけた。




インパールの戦いを描いた作品

日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声 (1950年、東横映画、監督:関川秀雄)

ロボット三等兵 (著者:前谷惟光)


参考文献


荒川憲一 「日本の戦争指導におけるビルマ戦線―インパール作戦を中心に(PDF形式)」『平成14年度戦争史研究国際フォーラム報告書』 防衛庁防衛研究所、2003年。

伊藤正徳 『帝国陸軍の最後 3―死闘編』 角川書店、1973年。

大田嘉弘 『インパール作戦』 ジャパンミリタリーレビュー、2009年。ISBN 9784880500089。

戸部良一ほか 『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』 中央公論社、1991年。ISBN 9784122018334。

NHK取材班(編)『ドキュメント太平洋戦争 4 責任なき戦場』 角川書店、1993年。 同上 『太平洋戦争 日本の敗因〈4〉責任なき戦場 インパール』 角川書店〈角川文庫〉、1995年。ISBN 9784041954157

陸戦史研究普及会編(吉川正治執筆) 『陸戦史集 インパール作戦 上巻』 原書房、1969年。

陸戦史研究普及会編(吉川正治執筆) 『陸戦史集 インパール作戦 下巻』 原書房、1970年。

防衛庁防衛研修所戦史室 (不破博(元ビルマ方面軍作戦参謀)執筆) 『戦史叢書 インパール作戦』 朝雲新聞社、1968年。

防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書 イラワジ会戦』 朝雲新聞社、1969年。

新見政一 『第二次世界大戦戦争指導史』 原書房、1984年。

渡辺考 『戦場で書く 火野葦平と従軍作家たち』 NHK出版、2015年。

デリク・タラク(著)、小城正(訳) 『ウィンゲート空挺団』 早川書房、1978年。

ルイ・アレン 『ビルマ 遠い戦場』(上・中・下) 原書房、1995年。 (原書)Allen, Louis. Burma: The longest War. Dent Publishing, 1984. ISBN 0-460-02474-4.


関連書籍

高木俊朗 『インパール』 文春文庫、1975年。

同上 『抗命―インパール 2』 同上、1976年。

同上 『全滅―インパール 3』 同上、1987年。

同上 『憤死―インパール 4』 同上、1988年。

同上 『戦死―インパール牽制作戦』 同上、1984年。

丸山静雄 『インパール作戦従軍記』 岩波書店〈岩波新書〉、1984年。

山岡荘八 『小説 太平洋戦争』 講談社、1965-1971年。

黒岩正幸『インパール兵隊戦記』光人社、1984年

「ビルマの戦い~インパール作戦」 「白骨街道」と名付けられた撤退の道 - NHKの特設サイト。 参加した日英双方の兵士の証言、当時の日本で放送されたニュース映画が視聴できる。

戦慄の記録 インパール - NHKのドキュメンタリー番組。 日本側の生存者、参加した元英軍兵、現地の住民へのインタビューを含む。

 

元・上等兵の山田直夫さん「大砲とか分解してですなあ、後で組み立てる。道なんかないから戦車も分解して部品を背負ったりして運ぶ。急な崖の傾斜に行くと牛ががけからおちたりした」

大河をわたり、高い山を越える日本軍。

柳田師団長から牟田口司令官への電報〝いまだ敵拠点を占領するに至らず。突撃隊を玉砕に激しめた。至急適切なる対策を講ずるの要ありと認め、忍びがたきを忍びとあえて意見を具申す〝

齋藤少尉の証言ではインパール作戦の実行の期間は司令部の官舎には牟田口司令官の怒号がいつも響いていたという。

第31師団第38連隊元・少尉・平山良昭さん「これは作戦を実行すると死ぬ。やらなくても死ぬ。みんなやけくそでしたね」

元・日本兵・山田直夫さん「いったら確実に死ぬ。そういう無謀っていうか……意味が分らない作戦だった」

ビルマ方面軍・後 勝参謀「インパール作戦はやめるにやめられない戦争だった」

第33師団第214連隊・山川政徳准尉(当時・28)「食べ物がないと死んだ戦友の骸を食べた。一週間で八百人死んだ。日本兵は竹や葉っぱで機関銃のような音を立てて大軍にみせたり……みんな「くやしい」といいながら餓死したり病気で死んでいった。戦略どころかあれは作戦でさえなかった」

元・日本兵・持田為太郎さん(96)「戦友を〝置き去り〝にした……悪いことをしたなあ。でも、生きて帰れただけましだった。」

そして、現在(2017年度)、老人ホームで車椅子で暮らす齋藤博圀元少尉(96)はいった。

「戦争はぜったいにやったらいけない。……インパール作戦の実行そのものが悪というより、戦争の愚かさ…を示しているのですよ。戦争をしたい人はいろいろ綺麗事を並べるけどねえ……インパール作戦の実行のような愚かさをみせるだけ。戦争だけは人間を狂わせるからぜったいに駄目……戦争が近づいたらインパール作戦を……思い出して……ね?」

 戦争はぜったいにやったらいけない。歴史とはまさにその刹那にさえ、葛藤と戦争と闘争の歴史である、という。これが戦慄の記録・インパール作戦のすべて70年目の真実で、ある。歴史の愚、インパール作戦……まさに、戦慄の記録、で、あった。

 

戦争犯罪者は時に「勝者の為に犠牲者」になる。彼らだっていい訳ぐらいあるだろう。が、だからと言って、被害者意識丸出しで世界に訴えてもかわらない。小林よしのりは「A級戦犯などいない」という。なら誰が戦争を始めたのであろうか?軍部か?天皇か?何はともあれ「いい訳」で歴史を改ざんされては堪らない。歴史から逃げるな!と言っておわりとしたい。「こうして最悪の泥沼の地獄の太平洋戦争はおわった。そして敗戦より70年あまり、この物語をすべての戦没者たちに捧げる」         大河小説 インパール作戦  おわり





「参考文献」

この作品の参考文献一覧をご紹介します。『東京裁判』(上)(下)児島襄(中公新書)、『東京裁判』(上)(下)朝日新聞東京裁判記者団(朝日文庫)、『私が見た東京裁判』(上)(下)冨士信夫(講談社学術文庫)、『秘録東京裁判』清瀬一郎(中公文庫)、『世界がさばく東京裁判』佐藤和男監修/終戦五十周年国民委員会編(ジュピター出版)、『日本の歴史30十五年戦争』伊藤隆(小学館)

『昭和史をさぐる』伊藤隆(朝日文庫)、『東京裁判 勝者の敗者への報復』新人物往来社戦史室(新人物往来社)、『別冊歴史読本 A級戦犯 戦勝国は日本をいかに裁いたか』(新人物往来社)、『東京裁判の全貌』平塚柾緒/太平洋戦争研究会編(河出文庫)、『看守が隠し撮っていた 巣鴨プリズン未公開フィルム』織田文二/茶園義男監修(小学館文庫)、『東条英機 大日本帝国に殉じた男』松田十刻(PHP文庫) 

『祖父東条英機「一切語るなかれ」』東条由布子(文春文庫)、『大東亜戦争の真実 東条英機宣誓供述書』東条由布子編(WAC)、『週刊日本の100人東条英機』(ディアゴスティー二・ジャパン)、『昭和の発見』花山信勝(朝日新聞社)、『秋霜の人 広田弘毅』渡邊行男(葦出版)、『黙してゆかむ 広田弘毅の生涯』北川晃二(講談社文庫)、『落日燃ゆ』城山三郎(新潮文庫)、『昭和天皇独白録』寺崎英成/マリコ・テラサキ・ミラー(文春文庫)

『秘録 板垣征四郎』板垣征四郎刊行会(芙蓉書房)、『秘録 石原莞爾』横山臣平(芙蓉書房)、『コンビの研究 昭和史のなかの指揮者と参謀』半藤一利(文藝春秋)、『秘録 土肥原賢二 日中友好の捨石』土肥原賢二刊行会編(文藝春秋)、『軍務局長 武藤章回顧録』武藤章/上法快男(芙蓉書房)、『南京事件の総括』田中正明(展転社)、『「南京大虐殺」はこうして作られた』冨士信夫(展転社)、『日本陸軍 指揮官総覧』新人物往来社戦史室(新人物往来社)

『松岡洋右 その人間と外交』三輪公忠(中公新書)、『その時歴史が動いた13』NHK取材班(KTC中央出版)、『東郷茂徳 伝記と解説』萩原延濤(原書房)、『時代の一面』東郷茂徳(原書房)、『危機の外相 東郷茂徳』阿部牧郎(新潮社)、『海よ永遠に 元帥海軍大将永野修身の記録』永野美紗子(南の風社)、『最後の参謀総長 梅津美治郎』上法快男(芙蓉書房)、『葛山鴻爪』小磯国昭(小磯国昭自叙伝刊行会)、『怒り宰相 小磯国昭』中村晃(叢文社)

『平沼騏一郎回顧録』平沼騏一郎(平沼騏一郎回顧録編纂委員会)、『大川周明 ある復古革新主義者の思想』大塚健洋(中公新書)、『決断した男 木戸幸一の昭和』多田井喜生(文藝春秋)、『木戸幸一関係文書』木戸日記研究会編(東京大学出版会)、『南次郎』御手洗辰雄編(南次郎伝記刊行会)、『忠鑑畑元帥』梅谷芳光(国風会本部)、『畑俊六 巣鴨日記』小見山登(日本文化連合会)、『橋本欣五郎一代』田々宮英太郎(芙蓉書房)、『荒木貞夫風雲三十年』有竹修二(芙蓉書房)

『駐独大使 大島浩』鈴木健二(芙蓉書房)、『佐藤健了の証言 対米戦争の原点』佐藤健了(芙蓉書房)、『鈴木禎一氏談話速記録』(上)(下)木戸日記研究所(日本近代史料研究会)、『完本・太平洋戦争』(上)文藝春秋編(文藝春秋社)、『嶋田繁太郎海軍大将裁判中参考資料』、『見果てぬ夢 満州国外史』星野直樹(ダイヤモンド社)、『評伝賀屋興宣』宮村三郎(おりじん書房)、『重光葵 上海事変から国連加盟まで』渡邊行男(中公新書)、『孤高の外相 重光葵』豊田穣(講談社)

『「勝者の裁き」に向き合って』牛村圭(ちくま新書)、『昭和の動乱』(上)(下)重光葵(中公文庫)、『共同研究パル判決書』(上)(下)東京裁判研究会(講談社学術文庫)、『パール判事の日本無罪論』田中正明(小学館文庫)、『國、亡ぼす勿れ 私の遺書』田中正明(展転社)、『平成22年版日本の防衛 防衛白書』(防衛省)、『海をひらく 知られざる掃海部隊』桜林美佐(並木書房)、『そのとき自衛隊は戦えるか』井上和彦(扶桑社)、『ホントに強いぞ自衛隊!』加藤健二郎・古是三春(徳間書店)

『別冊歴史読本 江田島海軍兵学校 写真で綴る江田島教育史』(新人物往来社)、『今こそ知りたい江田島海軍兵学校 世界に通用する日本人を育てたエリート教育の原点』平間洋一・市来俊男・雨倉孝之・影山好一郎・北澤法隆・齋藤義朗・中村梯次・左近允尚敏・長田博・手塚正水(新人物往来社)、『中国大虐殺史なぜ中国人は人殺しが好きなのか』石平(ビジネス社)、『TPPが日本を壊す』廣宮孝信・青木文鷹・監修(扶桑社新書)、『自由貿易は、民主主義を滅ぼす』エマニュエル・トッド(藤原書店)

『原発と日本の未来 原子力は温暖化対策の切り札か』吉岡斉(岩波ブックレット)、『原発のウソ』小出裕章(扶桑社新書)、『福島第一原発「放射能の恐怖」全記録』(FRIDAY6・29増刊号)、『偽善エネルギー』武田邦彦(PHP新書)、『日本は原子爆弾をつくれるか』山田克哉(PHP新書)、『国土学再考「公」と新・日本人論』大石久和(毎日新聞社)、なおここから数行はウィキペディア、『国防論』小林よしのり(小学館)と『いわゆるA級戦犯』小林よしのり(幻冬舎)から引用いたします。盗作ではなく引用です。あらかじめご容赦下さい。裁判とか勘弁してください。


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小説 戦後78年最大のドキュメント   大河小説 インパール作戦~戦慄の記録~最期の真実 長尾景虎 @garyou999

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