ヘルズ・スクエアの子供たち・パートⅡ・マッシュ編

ふれあいママ

第1話

1・

 俺はマッシュ。十七歳。ホープ島で生まれ育った。

 今は島を出て、自立っていうのかな、一人で生きていくのに悪戦苦闘中。勉強と仕事で、朝から晩まで走り回っている。

 学校を卒業したら、好きな仕事について、きちんと地上にある部屋に住みたいもんだ。

 今現在は、友達の家の地下室で暮らしている。家賃はサービス。タダにしてくれてんのは大いに助かるけど、窓は無く、家具もほとんど無い。近所のじいちゃんに、いらなくなったテーブルを貰い、学校の友達に、使わなくなった椅子と電気スタンドを貰っただけ。

 ベットは今のところゲットできてないが、もうすぐ手に入る予定だ。服はある事情から、俺に合わないサイズばっかり大量に集まって、実は少し困ってる。俺は、すごいのっぽなんだけど、服が小さいと、その効果でよけいに背が高く見えちゃうんだな。

 靴は服ほど集まらず、一足しかない。靴だけは、サイズが合わないとどうしようもないからさ。俺の靴は、かかとに大穴が開いてるし、つま先が剥がれてきてる。でも、バラバラに空中分解する所までには至ってないから、まだ、なんとかイケルだろ。

 余計な物を買う事はできない。優先順位ははっきりしてる。一位、学費。二位、食べ物。おしまい。三位、四位と続けたくても、続けられない。そこまで金が無いからな。わかりやすいシンプル生活だろ?

 何も無いのは、ホープ島での子供時代も一緒だったから、あんまり気にならない。それに、俺がすごく困ってると思い込んだ友達や仕事仲間や、町の人達のお陰で、実は大して困ってないんだ。

 何もかも貸してくれる。不用品も、あれば全部、俺の所に持ち込まれる。服のサイズがバラバラなのはお古だからで、みんなちょっと親切すぎるかもな。ノートや本、ペンみたいな小さな物はもちろん、風呂や電気といった、常識では貸し借りできなそうな物まで、誰かが毎日「貸して」くれる。

 俺はみんなが好きだし、親切がとっても嬉しいから、遠慮せずに何でも貰う。未来のどこかでお返しできたらいいなと思うけど、それも大して気にしてない。俺は今、やるべき事だけで頭が一杯、精一杯だ。

 まずうんと勉強しなくちゃな。したいと思う仕事があるんだけど、結構はば広い知識が必要らしいんだ。学校でなくても身にはつくだろうけど、やっぱり学校に行けるなら、そこで勉強するのが早道ってもんだろ。

 学校を続ける為には、金も必要だ。だから勉強の合間には仕事もしなくちゃ。

 結果、犠牲になるのは睡眠時間で、毎日三、四時間かな。

 でも、大丈夫。平気さ。百年も達っていつか死んだら、雲のフワフワベットで好きなだけ眠れるもんな。生きてる内は、一秒だって無駄にはできない。

 今の俺には、学校でも職場でも、友達が沢山いる。みんな俺を好いててくれて、俺もみんなが好き。いい感じだ。

 だけど・・・やっぱり生まれ故郷のホープ島、ヘルズ・スクエア(地獄地区)が恋しくなる事もある。よく思い出すよ。

 あのトンデモ島の事は、俺の親友エッグが以前に詳しく書いてるから、ここでは繰り返さないぜ。エッグが書かなかった事を書こうと思う。

 エッグは、自分が成し遂げた事を、ぜんぜん書いてない。ホープ島の為に、そこに暮らす人々の為に、俺の為に、どんなスゴイ事をしたのか、まるですっ飛ばしちまってる。

 控え目だからじゃない。自分のやった事の、その結果をよく知らないからなんだ。あいつも俺と同様、十五歳で一人、島を出て行ったから。

 だから、俺はこれを書いている。どこかでいつか、エッグがこれを読んだら、きっと喜んでくれるだろう。

 ああ、俺の大切なエッグ。最高の友。今は別れ別れで、それぞれ頑張っているけど、きっとまたいつか会えるさ。遠い将来のどこかで。

 その時はしっかり抱きしめ合って、泣いたり笑ったり、そんな事をしたいな。

 待っていてくれ、エッグ。俺を信じて。



2・

 エッグの偉業を説明するには、俺の幼な馴染み、サイクロンの事を話さなきゃならない。

 なぜかって、エッグとサイクロンの・・・何ていうか、一種独特の奇妙な関係が、ホープ島再生の道筋を開いたからなんだ。

 この二人が、ホープ島、特に俺達が暮らしていたヘルズ・スクエアの人々を救った。

 だから、エッグやサイクロンが、望もうと望むまいと(多分、望むまいの方だけど)、二人を分けて話す事は、俺には出来ないんだ。

  


 俺とサイクロンは、同じ時間、同じ場所で産まれて、いつも一緒に育った。おふくろ達も親友だったし。その点、エッグとは全く違う。

 エッグは、時々、むかっ腹が立つくらい何でも一人でやれちゃうヤツで、自分で出来る事は自分でこなし、いつも俺とベッタリだった訳じゃない。

それに、俺とサイクロンは悲しみ団地に住み、エッグは暗やみ団地だったから、朝から晩まで一緒にはいられなかったんだ。

 そのせいかな。俺は、いつもエッグが恋しかったっけ。

 一方、サイクロンはどんなヤツだったかっていうと、こんなヤツだった。

 あれは・・・俺達がまだ十三歳だった頃。もちろん、まだエッグも俺も、ヘルズ・スクエアで暮らしてた。

 悲しみ団地では、夕食まであと五分。ふと気付くと、サイクロンの姿が見えない。

 実はこれ、大事なんだ。食い物が出てきた時にその場にいなきゃ、そりゃ、食べるのを諦めたのと一緒さ。団地では、住人全員が一緒に食事を取る。みんなが一斉に鍋に飛び掛かって、ものの十分もすれば、中身はぜんぶ消え失せるんだ。ヘルズ・スクエアでは、一日一食なんだから、全くしゃれになんない。

 俺は、慌ててサイクロンを探しに出た。ところが、見つからないんだ。

 全ての通りを駆けずり回り、ヘル・マーケット(地獄市場)を見て、ルインズ(廃墟)を覗いた。もともと、ヘルズ・スクエアは狭いんだしな。それなのに、どこにもいない。

 最初は腹が減ってるのも手伝ってイライラしてたけど、その内、本気で心配になってきた。

 まさか、スワンプ(沼地)の底無しに落ちたんじゃないだろうな。島は丸ごとひどい湿地帯だし、深い所じゃ、溺れる可能性もある。

 サイクロンは、俺やエッグほどスワンプに詳しくないんだ。方向音痴の気味があるから・・・ていうか、なんに関してもヤツはズレ気味なんだ。標識があるわけじゃなし、暗くなってからのスワンプは危ない。

 俺はスワンプに走り込んで、腹まで泥水に浸かりながら、探し回った。

 夕飯の事なんかすっかり忘れ、ついでに言うなら、サイクロン以外の事は何もかも忘れてた。.

それでも、あわや、見逃す所だったよ。サイクロンが、鮮やかな赤いトレーナーを着てなかったら、間違いなくわからなかっただろうな。

 サイクロンは、北側のスワンプの所々にポッカリと浮いている、コケに覆われた小さな浮島の一つにいた。横たわっている。

 何てこった!倒れてるぞ!死んでる?

 不吉な考えが頭を横切って、俺はヤツの名前を絶叫しながら、泥水をかき分け蹴散らして駆けつけた。

 サイクロンはヒクッとも動かない。こいつはドエライ事になった。どうしよう? 

 パニックになったせいで息が上がり、小島に這い上がるのに、何分もかかった気がしたよ。

 崩れるようにサイクロンの横にたどり着き、震える手でヤツの体を起こそうとした丁度その時、サイクロンが顔を上げた。

 顔の右側を横に向けていたせいで、頬が半分、泥だらけだ。どこからどう見ても、具合が悪そうではない。

 生き生きと目を輝かせ、満面に笑みを浮かべて、元気一杯、大声で叫ぶ。

「やあ、マッシュ!コレ、見ろよ!」

 俺は、安堵のあまり全身脱力してて「コレ」を見るどころじゃない。でも、俺が目を向けるまでサイクロンは喚き続ける。

「コレ、見てくれよ。なあ、コレだってば!」

「コレ」は、一匹の大きく太ったウジ虫だった。白っぽい半透明の、ハエの赤ちゃんだ。ヘルズ・スクエアでは、珍しくもなんともない虫さ。見慣れてるとはいえ、あんまりじっくり顔を会わせたい相手じゃない。

 なのに、サイクロンときたら、ウジ虫に求婚でもしかねない目つきでウットリだ。

 コイツ、大丈夫なんだろうか?


<俺>

 ソレが一体どうしたんだ?


<サイクロン>

 いい事、思いついたんだ。


<俺>

 夕飯を食いっぱぐれるぜ。価値がある事なんだろうな?


<サイクロン>

 もちろんさ!

 マッシュ・・・お前さ、ウジがハエになる瞬間って、見たことあるか?


<俺>

 一瞬で早変わりはしないだろうな。


<サイクロン>

 俺さ、見たことねえなって、ふと思ってさ。

 この子をじっと見ていりゃ、いつかハエに変わるだろう。それまで、待ってようと思う。


<俺>

 ハア?なんでそんな事、知りたいんだ?


<サイクロン>

 よくわかんないけど、多分・・・三、四日くらい見張ってれば解るはずだ。


<俺>

 三日もここにいるつもりか? 

 このウジ虫を、団地に連れて来りゃあいいじゃないか。


<サイクロン>

 ダメだね。自然な姿が見たいんだ。環境が変わったらマズイよ。

 俺が付き添ってる。


<俺>

 病人じゃないんだぞ。

 お前が添い寝してやったって、ウジ虫は嬉しがりやしないんだぜ。


<サイクロン>

 嫌がりもしないだろ。

 まあ、俺に任せとけって。

 帰っていいぜ。大丈夫、大丈夫。

 結果は、ちゃんと教えてやるから。


<俺>

 別にいいよ・・・。

 それよりメシはどうすんだ?


<サイクロン>

 この子は、何を食ってんだろうな。同じ物を食べようかな。


<俺>

 お前、死ぬぞ。


<サイクロン>

 シッ、静かに!

 この子、今、お尻を振ったぜ、見たろ?

何かすんのかも。ハエになるのかも。



 ダメだ、こりゃ。

 幼馴染みってのは、時には本当に厄介だ。俺は、こいつが本気で三日間、ウジ虫と共同生活するだろうことを、知っている。わかっている以上、ほっとけない。



<俺>

 わかった、わかった。

 とにかく、お前、泥なんか食うなよ。

 何か食べ物、探してきてやる。ちょっとだけ待ってろ。


<サイクロン>

 コケなら食べても大丈夫じゃね?

 でも、まあ頼むよ。

 俺、目が離せないから。


<俺>

 ああ・・・せいぜい、その、頑張ってくれ。

 すぐ、戻ってくるから。


<サイクロン>

 しっ、静かに。

 今、この子、何か言ったような・・・。鳴き声、出したみたいだぞ。

 ク―、面白いなあ。



 面白いのは、お前の方だ。ウジが鳴くかよ。

 しかし、どうしたもんか。

 スワンプを離れ、ロトン・アレー(腐敗路地)に入りながら、俺は頭を悩ませていた。

 わずかでも、食い物が残ってりゃいいんだが、その望みは、とても少ない。

 まあ、サイクロンは、あんまり好き嫌いがない方だし、特に今は、何を食わせたところで味もわかりゃしないだろうが、さすがに空気を食ってるだけじゃ、この先、体がもたないだろう。

 そこで、俺自身も、何一つ食ってないことを思い出した。ヤレヤレ・・・。

 やるせない気持ちでフラフラ、力なく歩いていたら、暗やみ団地の巨大な影の中、誰かが一人、そこに立っているのに気がついた。

 エッグだ。暗くて顔はよく見えなくても、立ち姿ですぐわかる。

 腕を組み、片ヒザを少し曲げて、団地の壁に寄りかかっている。静かな力強い落ち着き。

 間違いなく、それがエッグだ。

 俺が気付くと同時に、エッグは体をずらして影から出た。夕闇の、薄れゆく紅色のわずかな光に身をさらして。微かな、優しい微笑を浮かべて。



<俺>

 どうしたんだ、エッグ。そんな所で。

 暗やみ団地でも、夕メシ時だろ。


<エッグ>

 君を待っていたんだよ、マッシュ。

 サイクロンを探しに出ているんだろう、そう思ってね。


<俺>

あいつ、ウジの成長を見守る為に、三日間、お守りするつもりらしいぜ。

本当に愉快なヤツだよな。


<エッグ>

 これ、渡しとくよ。



 エッグは、派手なバックハンドで、クシャクシャのビニール袋を投げつけてきた。

 中には、大量のパンの耳。ヘルズ・スクエアの子供達にはごちそうさ。エッグのお袋さんが作る、ホープ島一うまいスイカの皮のピクルスも。リンゴの芯からお酢を絞って、漬け込むんだ。それに、ボタン・ランプも入ってた。

 ヘルズ・スクエアには電気が無かったから、暗い中での作業には、このランプを使うのさ。

 小皿に油を少し入れる。その上に、ボロ布で包んだボタンを置く。油を吸った布の端っこを、ピンと立てて火をつければ、小さな灯がともる。



<エッグ>

 そのパンは、今日の朝、ヘル・マーケットで拾ったんだ。まだ、さして悪くなってない。


<俺>

 ありがとな。


<エッグ>

 サイクロンの為じゃない。

 君が心配だったからだよ、マッシュ。

 あんまり気を揉まないようにね。好きにやらせておくさ。



 エッグはニッコリすると、そのまま暗やみ団地に戻っていった。

 俺もサイクロンの元へ戻ろうとして、歩き始めてから、ふと気が付いた。

 エッグは、サイクロンがスワンプにいるのを知っていたらしい。

 だったら、どうして自分で食べ物を届けなかったんだろう。



<俺>

 ほら、エッグからの差し入れだぜ。後で礼を言っとけよ。


<サイクロン>

 誰からだって?


<俺>

 エッグだよ。


<サイクロン>

 ふーん・・・。

 そりゃまた、ご親切なこったね。


<俺>

 なんだ、その言い草。

 まあ、それはともかく・・・。

 どうだ?ウジ虫さんのご様子は?

 もうハエになりそうか?


<サイクロン>

 マッシュ・・・。こいつ、スゴイ生き物だぜ。お前も、じっくり見るべきだ。

 だって、そうだろう?

 今はまだ、イモムシかナメクジみたいでさ、ちっぽけな触覚を動かして、周囲を探って、ノタノタ這ってる。

 それが今に、羽が生え、大きな目を持って、なんでも見えるし、どこにでも行けるようになる。現実とは思えない。

 ハエに変化した時、この子はどう感じるんだろうな?何を思うんだろう?

 どこに飛んでいくのかな?島を出ていくだろうか?

 俺は知りたい。ただ、知りたいんだ。


<俺>

 へえ・・・。

 それで?なあ、それで?



サイクロンは話し続け、俺は(なぜか)、夢中になって聞き入ってしまった。

 途中、どうにも目が見えにくくなったなと思ったら、夜になってたくらいだ。

 サイクロンはボタンランプに火をつけ、それから更に一時間、俺は、ウジ虫の人生についての考察を、じっくりたっぷり聞かされた。

 正直に言うと・・・実は楽しかったんだ。本当に面白かった。

 これが、サイクロンなのさ。巻き込まれちまう。どうしてこんなものを?と思うような事に目を向ける、不思議なヤツ。

 サイクロンは、何が何でもウジ虫と一緒に寝るといって聞かないから、俺はチェリーに頼んで、毛布を持ってきてもらった。彼女は、使い物にならなくなっても、ちっとも惜しくないような、オンボロズタズタ毛布を選んで、グリーンタンと一緒に運んできた。ちゃんと二枚。さすが、よくわかってる。

 二人はすぐに悲しみ団地に帰らせたけど、俺はどうしても、サイクロンを一人残しては帰れなかった。結局、二人で野宿するハメになったんだ。

 辛かったかって?そりゃまあ・・・ホープ島特有のものすごい湿気と、一晩中、降ったり止んだりする霧雨には参ったけどさ。寒くはない夜だったし、なかなかいい感じだった。ステキな夜だった。

 パンの耳にピクルスを添えてかじりながら、クスクス笑い合っていると、キャンプしているみたいでさ。サイクロンと二人、幼い頃に戻ったような気がした。

 なんなら、三、四日、ずっとこうしていても良かったんだけど、まあ、色々とやらなきゃいけない事もある。

 朝日が差すのと同時に、俺はウジ虫ちゃんとサイクロンをその場に残し、仕事に出かけた。

 ヘル・マーケットの仕事(ゴミ拾いともいう)が、人手不足だったんだ。ヘブン・スクエアの住民が捨てたゴミの山から、使える物、食べられる物を見つけ出すのが、ヘルズ・スクエアの子供達の仕事。でも、ここ数日は欠勤が増えるって、ピーウィから報告が来た。

 クリスタルは熱を出し、ピーチは下痢に嘔吐、ハッピーベビーは捻挫。

 いつもなら、怪我人の世話はクレイジー・グランマがしてくれるんだけど。ばあちゃん、腰を痛めちまったんだ。

 だもんで、三人の看病は、まるで当然のようにエッグに降りかかってきて、あいつは悲しみ団地の「病室」に缶詰めになった。

 大人達に迷惑は掛けられないしな。オヤジ達は一日中、碌に成果の上がらない釣り。お袋さん達は、水作りと料理で忙しいんだ。調理するにしても燃料集めからだし、それがまた容易な事じゃない。

ヘルズ・スクエアには、電気もガスも、もっと言うなら資源って物が何もない。木さえ無い。ヘル・マーケットで、燃やせそうな物をかき集めても、一日一食つくるのがやっとで、それさえ、しょっちゅう生煮え。大変なんだよ。

 エッグが仕事から抜けるのはシンドイ。他の子達だって、みんな働き者のいい子だけど、エッグや俺の指示がないと、うまく動けないからな。

 一日があっという間に過ぎていく。エッグがいなくて俺一人、大わらわだ。

サンダー・キッドには、シュガー・ベビーの子守をさせ、マネーマネーとドール、エンジェルとサンシャインには、悲しみ団地の掃除を割り振った。グリーンタンとピーウィー、トリッカーとリリーの方は暗やみ団地の掃除で、ワイルド・キャットとワイルド・ビーは裁縫がうまいから繕い物。チェリーには、その手伝いと見張り役をあてがった。二人のワイルドちゃんは、目を離すとすぐケンカをおっ始めるんだ。

 ブーブーとキャンディは、ヘル・マーケットで見つけた古着の仕分け。キューティとパンプキンは、オヤツ集めと、その分配係。それから・・・と、全員分を話してたらキリないよな。

 その上、子供達は俺も含めて全員、毎日四時間、ルインズでプロフェッサーの授業を受けなきゃならない。レインとスパンキーも、先生がわりで、算数のテストをすると張り切ってやがる。

 チビども全員に気を配り、勉強を見てやり、ヘル・マーケットの仕事もしまくって、俺はそれから数日、ヘロヘロ状態だった。

 でも・・・エッグもヘロヘロのはずだけど、頑張ってる。会えなくても、俺にはわかる。だから、俺も頑張るのさ。

 それから、サイクロン。あいつの方は、あれから三日どころか七日間も、まるで姿を見せなかった。

 食事はキューティかドールに運んでもらったけど、二人とも、ウジ虫の成長にはとんと興味がない。

 だから、その後の様子はよくわかんないけど、どうやらサイクロンのウジ虫は、ハエとして自立するのが遅いらしいな。

 八日目の朝になって、ようやくサイクロンはヘル・マーケットに姿を現した。一週間以上の野宿で、目も当てられない程に汚れ、やつれた顔になって。それなのに、ものすごい勢いで仕事をしてた。

 ヘル・マーケットのゴミを漁り、食べられそうな物、使えそうな物、燃料になりそうな物をかき集め、分類するそのスピードときたら。サイクロンは、決してサボリ屋じゃないんだ。

 でも、あいつは何か悩んでる。俺にはすぐにピンときたよ。サイクロンは、苦しんでいる時ほど、常識破りなすさまじいスピードで仕事をするんだ。作業する事で、辛さを紛らわせるんだな。

 だから、声を掛けてやんなきゃいけない。

 ヤツは、俺を見て心底ホッとした表情になり、駆け寄ってきた。ずっとずっと俺を待っていたみたいに。



<俺>

 大丈夫か、サイクロン?


<サイクロン>

 ああ、マッシュ!聞いてくれよ。

 あのウジ虫ちゃん・・・スゴイんだ。不思議だ。どう考えていいのかわかんない。変なんだよ、変だ。それって、何だって、ともかく妙で、だからさ・・・解るだろう?いや、解らねえか。ともかく、あのさ・・・。


<俺>

 落ち着け。

 まず深呼吸して、最初から話してみな。

 ゆっくりでいい。大丈夫。俺はどこにも行かないよ。最後まで、きちんと聞くからさ。


<サイクロン>

 そうだよな、その通りだ。

 でも、どこが最初なんだろう。

 そうそう!まず、あの子(ウジ虫)はさ、泥やら苔やら、腹一杯、何か食ってた。

 その内、ジッと動かなくなって、体が茶色くなってさ、さなぎになったんだ。あれには、興奮したなあ。さなぎになるなんて、正直、思わなかったんだ。

 けっこう固くてさ。つついても平気だよ。

 すこしモゾモゾ動いたりして、中でなにかやってんだ。ものすごい変化が起こってんだな、ワクワクしたよ。

 それから三日後・・・たった三日だぞ!さなぎを少しずつ破って、外の世界に出てきたんだ。あの瞬間は、それこそもう、感激したなあ。胸がドキドキして跳ね上がった感じ?

 赤色の大きな目をして、もうすっかり立派なハエで、でも・・・変なんだ。変なんだよ。


<俺>

 なにが変なんだ?


<サイクロン>

 マッシュ。最初に会った時、あの子はウジだったよな?


<俺>

ああ、ウジだった。本人に聞く訳にはいかないけどよ。間違いない。ウジだった。


<サイクロン>

 ウジはハエになるんだよな?


<俺>

 象になったりはしないな。ハエになるよ、そりゃ。


<サイクロン>

 ハエは飛ぶよな?


<俺>

 何が言いたいんだ、お前?

 ハエは飛ぶだろうよ。

 本を読んだり、服を着たりはしないな。でも、飛ぶ事はできるさ。


<サイクロン>

 飛ばない種類のハエだっているんだぜ!

 まったくもう・・・あんまりアホな事、言うなよな。


<俺>

 はい?

 あ・・・そう・・・そうなんだ。えっと、そういう事なら・・・まあゴメンな。


<サイクロン>

 でも、あの子は違う。キアオアロエハエって種類のハエなんだ。飛ぶタイプのな。

 プロフェッサーの持ってる図鑑を借りて、徹底的に研究したんだ、間違いない。

 キアオアロエハエの特徴、ぜんぶ言うと長くなっちゃうんだけど・・・。



<俺>

 かいつまんだ所だけでいいよ。要点、話してくれ。


<サイクロン>

 だから、さっきから話してるじゃないかよ。

 あの子は飛ぶ種類のハエで、その証拠に羽もあった。

 だけど、その羽がさ。体にくっついてるみたいで動かせねえんだ。それで、飛べねえんだ、あの子。


<俺>

 ええっと・・・。そりゃまた、何て言うのか、お気の毒にな。さなぎからの脱出に失敗したんだろう。


<サイクロン>

 違うね、そうじゃない。

 気になったんで、スワンプのアチコチを調べてみたら、羽がくっついてたり、極端に小さくなってて、飛べないハエがたくさんいた。

 その子達は・・・走るんだ。飛ばないで走る。すごい速さでね。ゴキブリみたいに。何で、走るんだよ?


<俺>

 そう言われても・・・。

 ハエじゃなかったんじゃないか?


<サイクロン>

 何だと?おいおい、お前、バカかよ?

 みんな、ハエなのは間違いない。


<俺>

 ハエっぽいゴキブリだったとか・・・。


<サイクロン>

 ケンカ売ってんのか?俺が、そんな間抜けだとでも?

 ハエの体の特徴は、ぜんぶ知ってんだ。説明してやろうか?第一に・・・。

<俺>

 いやいやいやいや、俺が悪かった。取り消すよ、取り消す。

 お前がそう言うなら、そうなんだろうな。


<サイクロン>

 なんで走るんだ?ハエなのに。

 羽があるのに使えず、飛べないのは、なぜなんだ?

 マッシュ、お前、聞いてんのかよ?


<俺>

 聞いてるよ。よく見てみろ。俺、全身が耳になってるだろ?


<サイクロン>

 じゃあ、答えてくれよ。

 これって、どういう事だ?


<俺>

 え・・・えっと・・・その・・・。


<サイクロン>

 聞こえねえな。さっさと言え。


<俺>

 わかった、わかったってば!

 えっと・・・そう、そうだ。

 新種・・・新種のハエだったんじゃね?

 きっとそうだよ。


<サイクロン>

 新種・・・。なるほど、さすがマッシュだ。

これですっきりした。今の所はな。

 だから・・・もういい。行けよ。


<俺>

え?どこへ行けって?


<サイクロ>ン

 エッグの所へさ。行けよ。行きたいんだろ。

わかってるさ、そんなこと。ここは俺に任せとけ。


<俺>

 いいのか?


<サイクロン>

 よくねえよ。

 でも・・・仕方ないだろ。


<俺>

 ありがとな。お前はいいヤツだよ。



3・

 やっぱり俺はサイクロンが好きだ。俺の気持ちをわかってくれる。 

 あいつが、ヘル・マーケットの仕事を片付けてくれたおかげで、俺はようやく、エッグの手伝いに行く事ができたんだ。

 エッグは相変わらず、悲しみ団地の「病室」に籠りきりだった。

 クリスタルとハッピー・ベビーは、すっかり良くなって「病室」から脱出できたんだけど、ピーチの嘔吐下痢はまだ続いていた。

 ヘルズ・スクエアには医者がいないけど、経験でわかる。悪質な伝染病っぽい。「病室」は立ち入り禁止になっちゃった。

 だもんで、エッグは一人、眠らずに看病だ。キレイな話じゃない。

 ピーチがゲーッと吐いたり、ビュービュー下痢したりする度に、そこいら中、目も当てられない惨状になる。

 ボロ布を濡らして汚れた体を拭き、毛布やタオルをタライですすぐ。

 熱が出てくれば、濡らした布で額を冷やし、泣き出せば涙を拭ってやる。

 気を紛らわせる為にお話を聞かせ、子守唄を歌って眠らせる。

 汚れ物が山ほど出るが、洗おうにも水が不足してる。ヘルズ・スクエア唯一の溜め池、〈ウェル〉の濁って汚い水しかないし、天候が天候だけに、なかなか乾かない。

 特に注意しなくちゃいけないのは脱水だ。下痢したり嘔吐すれば、体内から水がどんどん出ていく。

 お袋さん達は毎朝、何度も何度も漉しに漉して、出来るだけキレイにした水を一ビン、病室に届ける。

 でも、ピーチはなかなか飲まないし、やっと飲んだかと思えばゲゲッーと吐いて、体が吸収できないんだ。このままじゃ、カラカラに干からびて死んでしまいかねない。

 グイッと飲ませようとすると、その刺激で吐くんだ。そう気が付いたエッグは、パールに言いつけて、ごくごく小さなスプーンを一本、病室に届けさせた。

 そのスプーンに半分、水を掬って、そっとピーチに含ませる。十分間、様子を見る。吐かず下痢もしなければ、また半杯、水を飲ませる。十分間、様子を見る。また含ませる。十分間、様子を見る。また含ませる・・・

一日中、際限なくこれを繰り返す。一回一回の量はごく僅かでも、合計すればかなりの量になる。百五十回、一日に繰り返すんだからな。

 俺だったら、気が狂う。

 食べさせるのも、苦労なんてものじゃない。苦行だ。

 ヘル・マーケットで見つかる、ややキレイ目のパンやら米やらは、みんなピーチの為に取り分けられる。

 お袋さん達が、貴重な燃料でそれをトロトロに煮て、これも毎朝「病室」に届けられる。

 だけどピーチは食べないし、食べたとしても、上から戻し下から下して、もうどうしょうもない。

 スプーンがもう一本、必要だ。

 バカ小さいスプーンに半分、おかゆを掬って、そっと含ませる。飲み込むのに、一分かかる。十分間、様子を見る。吐かず、下痢もなければ、またちょびーっと食べさせる。飲み込むのに一分。十分間、様子見。平気そうなら、またちびっと口に入れる。十分間、見守る。大丈夫なら・・・一日、繰り返すこと百四十回。

 エッグ以外の誰に、こんな事ができる?

 ピーチは両親を亡くしてるんだ。まだ赤ちゃんだった時、二人とも死んだ。だからかな。エッグはいつだって、ピーチを気遣ってた。病気になれば、尚更だ。

 暗い病室で、ピーチが不安がって泣くと、「大丈夫だよ、大丈夫。僕に任せるんだ。すぐに良くなるよ」

 そう言い聞かせ、エッグは手を握ってやる。

 ピーチはエッグを心の底から信じてるから、それだけで落ち着くんだな。

 俺じゃあ、とてもエッグのマネはできないけど、少しでもあいつを休ませてやりたくて「病室」に手伝いに行ったんだ。伝染ったとしても、それが何だっていうんだ。

「立ち入り禁止」の張り紙を無視して部屋に入っていくと、エッグはトリッカーが届けた飴の欠片を、ピーチになめさせているところだった。俺を見ても驚かず、無表情だ。

「病室」は、すごい悪臭が籠っていて、息が詰まりそうだった。悲しみ団地も暗やみ団地も、ほとんど廃墟同然だから、窓ガラスなんて物は、砕け散っててもう無い。開けっぱなしの窓から微風が入ってはいるんだが、湿気がものすごいから、臭いはしみつき、なかなか消えないんだ。

でも、俺は不愉快そうな顔は見せなかったよ。ピーチに微笑みかけ、エンジェルから借りた本と、ワイルド・ビーが作った折り紙の花を見せた。青白い顔で、目ばかりを虚ろに開き、斜めに傾いだオンボロベットに横たわるピーチ。かわいそうに、ガリガリにやせちまって・・・。

 本を読んでやると、終いまで聞かずに、体力の無くなったピーチは眠りに落ちた。というよりも、昏睡状態に近いのかもしれない。大丈夫なのかな・・・。

 エッグは、じっとピーチを見つめたまま、何も言わず、動かなかった。唇を噛みしめ、両手を拳に握りしめて、震えながら全てを堪えてる。

 俺は、そっとエッグに寄り添った。どんなにか辛いだろうに。我慢しなくてもいいんだ、そう囁く。

 エッグはワッとばかりに泣き出した。必死に俺にしがみついて、涙をボトボト落としながら、声を上げてワンワン泣く。

 疲れたんだよ、エッグ。誰だってまいるさ。大丈夫、俺がいるよ。

 俺達は、お互いにすがりつくかの様に、もたれたまま、ズルズルと床に崩れ落ちて座り込んだ。ジメジメしてお尻が冷たかったし、虫も這いあがってくるんだけど、それでも、もう、立っていられなかったんだ。

 やがてエッグは、俺の肩に頭をもたせかけてウトウトし始めた。けど、すぐにハッと目を覚ましては、またしゃくり上げて泣き出す。

 胸が痛んだ。エッグはずっと一人、この調子で頑張ってきたんだな。

「心配するな、エッグ。俺がついてる」

 何度も言い聞かせ、やっとエッグは静かになった。

 寝息が落ち着くのを待ってから、ゆっくりそっと、ごくごく静かに少しづつ、エッグの体をずらしていって、俺の膝を枕に、横にならせた。

「頼む、エッグ。俺に手伝わせてくれ。力になりたいんだ」

 俺は、そう言い続けた・・・。

 


ピーチが回復するのに、まるっと三週間もかかった。俺もエッグも感染しなかったけど、疲労と睡眠不足でくたばるところだったよ。

 良くなってきたら良くなってきたで、まあ、ピーチのヤツ、我がまま言いたい放題だしな。

 一日中、一分ごとに、もう「病室」を出ていいか、外で遊んでいいか聞いてくる。まだダメだと言うと、キレる。アレが食べたい、コレが欲しいと要求しまくり、断るとキレる。

 ずっと苦しんできた反動なんだろうけど、わかっちゃいても腹が立つ。

 それなのに、エッグときたら

「ヤンチャが言えるぐらい、元気になったんだね」

 と、何を言われてもニコニコだ。

「おかゆなんか食べたくない。マズイ」

 文句をつけては、ピーチはスプーンを投げ飛ばす。俺は怒る。叱る。ピーチは泣く。

ところが、エッグは、

「腕に力がついてきたね」

 とピーチの頭をナデナデだ。

「こんなの、もう飽き飽き!」

 ピーチは本を投げ飛ばす。エンジェルの本なんだから、俺は当然、怒る。叱る。ピーチは泣く。エッグは、

「泣かせちゃダメじゃない、マッシュ。まだ本調子じゃないんだよ」

 と俺を本気で睨んでくる。

 何で、俺がエッグに叱られるんだよ。

 でも、夜になって眠くなると・・・ピーチはエッグに両手を差し伸べる。「抱っこして」と甘える。

 エッグはピーチを抱き締めて、添い寝してやりながら、涙を落とすんだ。

「本当によかった。よく頑張ったね」

 ピーチに頬を寄せ、彼女が寝付くまでずっと、エッグは背中をさすってやる。



4・

 さて、サイクロンの方はどうなったかというと、その後しばらくの間は、新種のハエを大量に発見したとかで、その独自調査について、何週間も喋り通しに喋りまくりだった。

 けど、そのうち、誰からも・・・すっかり回復したピーチからさえも相手にされなくなり、仕方なく現実世界に戻ってきた。

 でも、平穏無事は長く続かない。

 ある朝、突然、ヘルズ・スクエアの住人は、魂も凍るようなサイクロンの叫び声で、叩き起こされた。

「何だ?何事だ?」

 寝ぼけ眼のまま、悲しみ団地からロトン・アレーに飛び出した俺は、やはり、暗やみ団地からすっ飛んできたエッグと、ものの見事に正面衝突した。

 頭と頭がゴッツンコで、目に火花が散る。

 俺とエッグは、顔を見合わせて笑い出した。

 二人とも同じ様に尻餅をつき、同じ様に額を手で押さえてるんだもんな。鏡を見ているみたいにさ。

 ホープ島はまるごと湿地帯だし、ロトン・アレーはドロドロの、見事なまでに汚い通りだから、俺達は下着までベチャベチャの泥だらけになった。それでも、朝から友達と笑い合えるのは、いいもんだ。

 その笑いのど真ん中に、サイクロンが飛び込んできた。もう全く、気が狂ったみたいに何やら叫び、グルグル円を描いて走り回っては、腕も千切れんばかりに帽子を振り回している。

 サイクロンは何語を話してるんだか、言ってる事が俺にはさっぱりわからない。人間の声とも思えない。

「私の帽子!私の帽子を返してよう!」

 こっちの言葉はわかった。

 ワイルド・キャットが、サイクロンの後ろを追いかけながら、キャンキャン叫んでるんだな、これが。

 よくわからないこの状況から、無理やりでも冷静に判断するなら、サイクロンの奴が、ワイルド・キャットの帽子を取り上げちまったらしいけど。それに加えて、サイクロンがピョンピョン飛び跳ねては、目茶目茶グルグルその辺りを走り回り、その間ずっと、問題の帽子をブンブン頭上で振っているともなると、これはもう・・・ダメだ!あいつ何やってんだ?全然、わっかんねえ。

 ポカンと口を開けっ放しで、バカみたいに座り込んでいる俺の目の前に、手が差しだされた。

「心配ない。サイクロンは、理由があって行動してるんだよ」

 エッグは静かにそう言って、俺の手を握り、立ち上がらせてくれた。

 理由?理由ねえ・・・。

 気が付けば、ロトン・アレーには、ヘルズ・スクエア中の子供らが勢ぞろいだ。みんな、興奮してしゃべり散らし、不思議そうに首をひねっては、サイクロンにつられて飛び跳ねる。ワイルド・キャットは遂に泣き出すし、サンシャインは、サイクロンに足を踏まれてカンカンに怒鳴り散らす。グリーンタンは、マネーマネーが押したと喚き、マネーマネーは、ピーウィが押したと怒り、今にも取っ組み合いが始まりそうだ。

 この大混乱のまっただ中で、サイクロンは相変わらず、バッタかノミみたいに跳ね飛びながら、ギャアギャア何やら叫んじゃいるが、なぜか顔は満面笑顔で、不思議で不気味で、気味悪い。

「理由があって」だと?さぞかし、ご立派な理由があるんだろうな。頭のネジが一、二本、もしかしたら五、六本も抜けちまった・・・みたいな理由かよ?他に何があって、こんな妙な事になる?

 エッグはニッコリして、俺に囁いた。

「ナカカタアタ・カワキリキノメキリチョウ」

「はあ?」

「とても珍しい蛾なんだ。名前にはチョウとついてるけど、蝶じゃない。数が少なくて、滅多に見つからないのさ。ほら、サイクロンの頭の上で飛んでるよ」

「へ・・・へえ・・・」

 そう言われれば確かに、すんげえ小さな蛾が、ヒラヒラというよりフワフワ、頼りなく飛んでいる。てんで安定性の無い、怪しげな飛行スタイルで、今にも墜落しそうなのに、落ちない。サイクロンの振り回す帽子の、約三十センチほど上を、あっちこっちフラついてる。いっそ、空高く舞い上がってしまえば、諦めもつくのにな。

 エッグはため息をついた。

「貴重なんだよ、あれ。サイクロンが取りたがるのも無理ないな」

 俺は目を凝らした。

 マニア垂涎らしい、貴重品たる蛾。一番それに似てるのは、ボロ雑巾だ。

 羽の先はズタズタに破れて、触覚は折れ曲がっているようだし、色は黄ばんだ薄汚い白。

模様はあるように見えるけど、掠れてよく見えない。

 こんなショボイ虫、見たことない。

 でも、仕方ないじゃないか。サイクロンは、この貧相な虫がどうしても欲しいんだろう?どうにか決着が着くまで、この大騒ぎを止めないんだろう?

「よし、エッグ。お前は右から飛び掛かれ。俺は左から行く。一発で決めるぞ」

「OK」

 俺達二人は、稲妻の様な素早さで、思いっきりジャンプした。

 決まらなかった。

 クソッ。ナヨナヨしたヘナヘナ虫のくせに。一グラムの脳みそもない、紙切れみたいな虫に逃げられるとは。蛾だぞ、あれは。ただの蛾のクセに。

 カワキリキノメなんとかチョウとかいう、蝶みたいで蝶じゃないその蛾は、いともあっさり俺達の指をかわした。俺とエッグとサイクロンは、ひと塊になってロトン・アレーにぶっ倒れ、イマイマシイその虫は、俺達を振り向きもせずに、まんまと逃げ去ろうとしている。

 それから、大追跡が始まった。ヘルズ・スクエアの子供達が全員参加だ。

 もちろん、あいつらは、その蛾が珍種だなんて知らないけど、鬼ごっこが大好きだからな。追いかける相手がいるだけでいいのさ。

 俺は思うんだけど、もし俺達が、あんなに猛烈に追いかけ回さなきゃ、蛾のヤツもあんなに必死に逃げ回らず、かえって早く捕まえられたんじゃないかなあ。

 それでも、追い駆け続けてヘルズ・スクエアを八周もし、九周目に入ろうかという時には蛾のヤツ、遂にスタミナ切れを起こした。羽を動かせなくなり、クルクル回転しながら落ちていく。

 先頭を走っていたサイクロンは、勝利の雄叫びを発した。他の連中も、それにならって絶叫する。

 どんなもんだ。俺達はまだまだいくらでも走り続けられるんだぜ。諦めな。

 蛾は、ポテッと情けない音を立てて、地面に落ちた。丁度、悲しみ団地の玄関の前、ヨチヨチ歩きのシュガー・ベビーの足元に。ざまあみろ。

 シュガー・ベビーは、柔らかい小さな手で、蛾をつまみ上げた。羽が一枚、千切れて落ち、宙をヒラヒラと舞う。

「ダアアッ!それに、触るなあ!」

 サイクロンの警告を、シュガー・ベビーは平然と無視した。そのまま、花びらの様に可愛い口を大きく開けて・・・パクリ。なんと蛾を食っちまった!

 貴重な珍種の蛾。サイクロンの大事な蛾を。

 赤ん坊は、何でもかんでも口に入れる。そんな事は知ってるけどさ。それでも、これはまた、あんまりな展開だ。

「ギャアアアア!」

 予想はしていたけど、サイクロンの叫びのすさまじさには、思わずビビッた。

 サイクロンは、スライディングで泥を跳ね上げながら、シュガー・ベビーの前に着地、「ベエッするんだ。口から出せよう。吐き出してくれよ、頼むよ」

 半泣きで、口をこじ開けようとする。

 驚いたのはシュガー・ベビーで、後ずさりしようとしてバランスを崩し、ドシンと尻餅。ワッと大声で泣き出した。

 生え始めたばかりの歯の奥にチラリ、蛾が見える。まだ飲みこんでない。サイクロンは指を突っ込んで、取りだそうとした。

 それをみてキレたのは、シュガー・ベビーの兄キのブーブーで「離れろ!」と叫ぶなり、サイクロンに飛び掛かった。

 本当はそんなに大げさに騒ぐ程の事じゃなかったんだけど、妹の事となると、ブーブーは少し神経質になるんだよ。

 あわや取っ組み合いになろうかという瞬間、エッグが、素早く割って入った。両者の襟首を引っ掴んで、力任せに引き離す。

 荒っぽく泥道に投げ出されたブーブーとサイクロンは、すぐに頭が冷えたと見えて、争うのは止めたけど、もう遅い。

 シュガー・ベビーは、涙と一緒に、哀れな蛾も飲み込んじゃった。

 まあ、タンパク質の補給にはなったよな。

 沈黙の中、サイクロンはフラフラと立ち上がった。消え入りそうな掠れ声でブーブーにゴメンと呟くと、体の向きを変え、ヨロヨロこっちに歩いてくる。顔を伏せたまま、おぼつかない足取りで、俺の方へ歩いてくる。

 俺は、みんなから少し離れた場所に立ってたんだ。そこで、サイクロンを待ってた。

 トボトボ、ノロノロ、それでも、ようやく俺の所にたどり着いたサイクロンは、俺の肩に顔を埋めた。

 泣いているんだな。熱い涙で、俺のシャツがじんわり湿ってくる。俺はしっかりとサイクロンを抱き締めた。

 かわいそうに。辛いな、サイクロン。

 自分で、自分の感情の激しさを、どうする事もできないでいる。

でも、大丈夫さ。大人になっていくにつれ、少しずつ落ち着いていくよ。今はまだ、そのまんまのお前でいいんだ。

 俺は、サイクロンの涙が止まるまで、そう言い続けた。



こんな事ばかり話していると、サイクロンは面倒な厄介者だと思われそうだ。確かに半分はその通り。だけど、もう半分のサイクロンは素晴らしいヤツなんだ。

 俺は、どっちのサイクロンも好きだけどな。半分だけのサイクロンはサイクロンじゃないから。いい面、悪い面、両方を合わせてやっと、一人の人間になるんだから。



5・

 蛾のゴタゴタからしばらく経った頃。こんな事があった。

 俺とエッグは、チェリーがなくした鈴を探して、スワンプをウロウロしていた。

 この鈴も、例によってヘル・マーケットに捨てられていた物で、ピンポン玉の様に大きいんだ。音はあんまり鳴らないけど。

 三日前、チェリーとワイルド・ビーはコレを取り合って、二時間も取っ組み合いの大ゲンカをした。チェリーが勝利して、ようやく自分の物になったっていうのに、あっという間になくしちまうんだからな。そしたらそしたで、今度は大泣きが始まって、またキッチリ大騒ぎしてくれる。

 でも、何でいつも、俺とエッグが探してやるハメになっちゃうかなあ。

 ヘルズ・スクエアの北側まで来た時、遠くの岸辺に、海に向かって一人たたずむサイクロンを見つけた。

 また、あいつ・・・。あんな所で何をやってるんだ? 

 海に飛び込んだりするつもりじゃないだろうな・・・。まさかとは思うが、サイクロンが何をしでかすかは、誰にもわからない。

 ホープ島を囲む海は水温こそそんなに低くはないが、複雑な潮流が強く流れてて、すごく危ないんだ。俺は、大慌てで駆けつけた。

 エッグはサイクロンには知らん顔。相変わらず、コケの下に鈴が隠れていないか、丹念に見て回っている。



<俺>

 サイクロン!何してんだよ?


<サイクロン>

 マッシュ・・・。不思議だと思わない?どうしてだろうって、そう思わない?


<俺>

ああ、思ってるよ。だから聞いたんだろ。


<サイクロン>

 俺、喉が渇いてるんだ。


<俺>

 はあ?ああ、そうなんだ・・・。

 海風に吹かれてりゃあ、当然さ。

 一走り〈ウェル〉に行って水を貰ってきてやるよ。


<サイクロン>

 違う!

 ダメだ、行かないでくれ!ダメなんだ!


<俺>

 な・・・何だよ?

 何か悪い事でも言ったか?


<サイクロン>

 〈ウェル〉の水なんて、濁ってて嫌だ。


<俺>

 贅沢いうな。あれで、今まで誰も、大して腹は壊してないんだから、多分。


<サイクロン>

 きれいな水が欲しいんだ。汚れても濁ってもない、透明な真水が。


<俺>

 ムチャ言うな。そんなもの、ねえよ。

 ホープ島じゃ、井戸を掘っても、出てくるのは海水の混ざった泥水だけなんだ。知ってるだろ。

 雨はそりゃ、すごく多いけど、あんなシトシトの霧雨じゃ、ろくに溜められないしさ。

 今ある水で我慢しな。それだって、貴重なんだから。


<サイクロン>

 マッシュ・・・。

 不思議だと思わない?


<俺>

 お前、さっきもそんな事、言ってたよな。ちゃんとした質問だったのかよ。


<サイクロン>

 ああ、もちろんさ。

 海にはいっぱい水があるのに、なんで飲めないんだ?あれ、飲めないかな。


<俺>

 普通に飲めないだろ。

 しょっぱ過ぎるし、微生物もけっこう入ってるんだぜ。


<サイクロン>

 ヘルズ・スクエアの連中は、バイ菌に強いから大丈夫さ。

 塩辛いのだけ何とかすれば、何とかなる。


<俺>

 何とか何とかって、何ともなりゃしないぜ。病気になるだけだ。


<サイクロン>

 塩を抜けばいい。

 どうやったら出来る?


<俺>

 どうやってって・・・。



 俺達は沈黙になった。

 ホープ島は湿地帯なのに水不足。ジトジト、ベチョベチョしてるからって、水が十分にあるわけじゃないんだ。ヘルズ・スクエア唯一の溜め池〈ウェル〉は、小さい上に、コンクリで固めてあるわけでもなく、はっきり言って大きな水たまりに近い。

 きれいな水。病人や赤ちゃん達に、澄んだ水をあげられたら、どんなにいいだろう。欲しいさ、そりゃ。できるなら。

 でも・・・。

 俺は海を見つめた。海水を缶に汲み上げる所を思い描いた。その一杯に手を突っ込んで、塩の白い固まりを掴み出すのを想像してみた。それが出来れば、真水が残る。

 どうしたらそれが出来るんだろう。海水から真水を作るなんて。うーん・・・。


<俺>

 エッグにも聞いてみよう。


<サイクロン>

 なんで、エッグに聞くんだよ?


<俺>

 真面目に考えてみたけど、俺には何にも思いつかないからさ。


<サイクロン>

 いいよ、聞かなくて。

 水なんて、別になくたっていいじゃん。

 エッグはなんか忙しそうだし。水ぐらいの事で、わざわざ呼ぶ事ないさ。考え、変えたんだ。俺、水なんてどうでも・・・。


<俺>

 グズグズ、ブツブツ、どうしたんだ?

 キレイな水が欲しいって言ったり、欲しくないって言ったり。お前は色々と迷い過ぎなんだよ。

 おーい、エッグ!

 ちょっと来てくれよ、おーい!


<サイクロン>

 なんで走ってこないんだ、エッグのヤツ。

 いつだって落ち着き払って、ゆうゆうと歩いてやがって、ジリジリすんぜ。トロイなあ。

 俺が走り回りたくなっちまう。


<俺>

 お前が走ってどうするよ。

 エッグは早いから、大丈夫なんだよ。


<サイクロン>

 早い?


<俺>

 解決までが早いのさ。


<エッグ>

 どうしたの、マッシュ。大声だして。



 サイクロンのお悩みを話して聞かせると、エッグは妙な顔をして、サイクロンを見た。

 それから、俯いてじっと考え込み・・・

「サイクロン、君ね。チェリーの鈴を踏んづけてるよ」

 サイクロンが慌てて足をどけると、もう見つからないかと諦めかけてた、例の鈴が現れた。泥の中に半分うもれてて、何で、エッグが気が付いたのか不思議だ。

 エッグは、屈んで鈴を拾い上げようとして、そのまま・・・固まっちまった。動かない。



<俺>

どうした?


<エッグ>

 この鈴、しずくがついてるよ、マッシュ。

 泥から覗いている部分にホラ、細かいしずくがいっぱいついてる。


<俺>

 今朝はさ、この島にしては珍しく冷え込んで、かなり寒かったじゃないか。温度差でしずくがついたんだろう。


<エッグ>

 このしずくは、どこから来たのかな?


<俺>

 泥から立ち昇る暖かめの空気のさ、中に含まれてる水分がさ、冷たい鈴に触れて冷めて、それでしずくになって・・・。


<エッグ>

それだよ、マッシュ・・・。

それだ!



 エッグは突然、クルリと俺達に背を向けると、もと来た方へと走り出した。膝下までくる泥をものともせず、ものすごい勢いですっ飛んでいく。

 どうした?何だ?何事だよ?

 さっぱり訳がわからんけど、ここに取り残されれば、ますますもって解らなくなる。

 エッグは、稲妻のように足が早い。

 あっと言う間にスワンプを飛び出し、ストランド・アレー(立往生の路地)からヘルキャット・ロウ(地獄猫横丁)に入り、ドライボーンズ・アレー(やせっぽちの路地)をつっ走って、ヘル・マーケット(地獄市場・・・ゴミ捨て場)へ飛び込んでいく。

 ゴミを漁って、役に立ちそうな物を探していた子達が、びっくり顔を向けたけど、エッグの方は目もくれない。

 チビ達の間をすり抜けて、ゴミ山の一つに走り寄り、ひたすらムチャクチャにひっかき回しはじめた。

 やがてエッグは、クシャクシャで一部が破れた、汚らしいレインコートを掴み出し、立ち上がった。

「これも湿ってるよ、マッシュ。濡れてる」

 俺は答えなかった。まずは、一息入れなくちゃな。

 サイクロンは無言で俺を押しやると、エッグに何かを差し出した。錆びてへこんだ缶。いつの間に手にしたんだ?

「これも必要だろ、エッグ」

「君ならわかると思っていたよ、サイクロン。ついでに、僕はトロくないって事もわかっただろ」

 エッグの右側、ちょっと離れた場所で、いきなり泣き声が上がった。ワイルド・ビーとキューティが、お互いの髪を引っ掴んで、猛烈に蹴りあってる。また、例によって例のごとく、一つしかない物の取り合いだ。

 エッグの顔に、困った様な、なんとも優しい微笑が浮かんだ。

 レインコートをサイクロンに押し付けると、

「後は君がやるんだな」

 きっぱりそう言い渡し、ワイルド・ビーとキューティの方に、ゆっくりと歩いていく。

 二人を静かに引き離したエッグは、彼女達の前に膝をつき、忍耐強く話を聞き始めた。

 おチビさん達は、大興奮で喚き立て、その言葉ときたら、地球上のいかなる言語とも違うように聞こえたけれど、それでも、エッグは一生懸命に聞いてやっていた。

 サイクロンが呟いた。

「エッグはああいうヤツなんだな」

 そうさ。今ごろ気が付いたのかよ。

 エッグはこういうヤツなのさ。



 エッグに「後は君がやるんだな」と言い渡されたサイクロンは、その通りやってみせると、ヘル・マーケットの片隅で「水作り」の実験を始めた。

 俺は、何が何だかわからないまま、問答無用で手伝わされた。サイクロンは何も説明しないし、エッグはいつの間にかどっかに消えてるしさ。

 まず、缶の中に海水を入れる。下から火を起こして沸騰させ、海水を蒸発させる。最初はここから始めるらしいんだが、これだけの事がなかなか難しい。

 ホープ島の天気は、曇りか霧か小雨ばかりで、太陽の光はろくに差さない。蒸発させるには火を使うしかないんだけど、これが口で言うほど楽じゃないんだよ。

 ヘルズ・スクエアでは火も貴重でね。木はもちろん、燃料になる物が何もない。乾かしたコケ、役に立たないゴミ・・・それくらいしか燃やす物がないし、コケからはなかなか水分が抜けないときてるんだから。

 仕方なく、火種は、悲しみ団地のかまどから少し失敬したんだけど、料理当番リーダーのクリスタルの母ちゃんに、あわや見つかりそうになり、俺は命からがら逃げ延びた。サイクロン先生の助手を務めたがるヤツが誰もいないのも、無理はない。

 サイクロンのヤツは、どっかり構えていい気なもんだ。息も絶え絶えで戻ってきた俺に「遅い」と文句を言い、燃料になるゴミを集めさせて火を焚かせ、その上に海水の入った缶を載せさせる。続けてあのレインコートを押し付けてきた。

 今度は何だよ・・・。

 サイクロンの命令はこうだ。

 熱した海水から蒸気が立ち昇り始めたら、その上にビニール製のレインコートをかざす。テントの天井みたいに、ピンと張ってなきゃいけない。

 火の上に中腰になったまま、両腕でレインコートをギュウッと引っ張ってるのは、ものすごくしんどい。腰も腕も痛くなってくる。

 でも、サイクロンは知らん顔だ。腕組みして、じっと見つめているだけ。

 ヤツの目論見では、蒸気がレインコートに触れて冷え、そこにしずくが生まれ、ポタリポタリと落ちてくるはずだった。そのしずくはしょっぱくない。蒸気の中には、塩分が含まれないからさ。これが、海水から真水を作るカラクリなんだな。

 理屈では出来るはずだったんだけど、現実にはさにあらず。

 何度、海水を沸騰させても、しずくがつかないんだ。蒸気はもうもうと上がってる。なのにしずくにならない。

 燃やす物はだんだん少なくなっていくし、俺の腕は痛いのを通り越して痺れ始め、やがて、引き攣れてピクピクしだした。

 辛いのは俺の方のはずなんだけど。なぜか、見守っているだけのサイクロンが、ブーブー文句を垂れる。

「くそったれ!なんで、出来ないんだ?」

「喚くなよ。俺がこんなにガマンしてるんだから、お前もガマンしなくちゃ」

 そう宥めた途端、俺の腕にものすごい激痛が走り、ガクガクと震えだして、止まらなくなった。腰も痺れきって無感覚になってる。一時、ギブアップだ。

 俺は、レインコートを放りだし、尻餅をついて倒れ込んだ。横たわったまま背中を伸ばすと、今度は腰が、すさまじい悲鳴を上げた。

サイクロンは、とても文字には出来ない、荒くれ言葉を喚き散らして、缶を思いっきり蹴り上げる。

 缶は舞い上がったけれど、地面には落ちなかった。誰かの手がサッと伸びて、缶を空中でキャッチしたんだ。

 見上げると、そこにはエッグの優しい微笑があった。



<エッグ>

 疲れたみたいだね、マッシュ。

 今日はもう止めて、休んだ方がいい。

 もうすぐ夕飯時だし、一緒に帰ろう。


<サイクロン>

 俺達、まだまだ続けるんだ。

 お前は帰れよ。すぐ追いかけるから。


<エッグ>

 ダメだ。

 間違ったやり方でいくら続けたって、ムダだからね。マッシュが可哀想だよ。


<サイクロン>

 どこが間違ってるってんだ?


<エッグ>

 密閉性が足りないのさ。


<サイクロン>

 そうか・・・なるほど、そういう事か!

 ちょっと待って・・・待ってろよ・・・。

 今、新しい装置を作るから。今度は絶対にうまくいく!


<エッグ>

 いや、待たないよ。マッシュは、僕が連れて帰る。装置が完成したら教えてよ。

 一つ忠告しとくけどね。全部を完全に密閉すると、火が消えるよ。空気が通らないと、火は燃えないからね。


<サイクロン>

 そんな事わかってるさ、イチイチうるせえなあ!

 大体、間違ってると思うなら、もっと早くアドバイスしろよ、このバカ!


<エッグ>

 さあ、行くよ、マッシュ。僕に寄りかかって。歩けるかい?


<俺>

 そこまでバテてやしない。一人で歩けるさ。

 サイクロン、お前もキリのいい所で引き揚げろよ。頼むからさ。疲れてブッ倒れちゃ、何にもできないだろ。


<サイクロン>

 おい、エッグ!俺、お前のこと、バカって言ったんだぜ。無視すんな!


<エッグ>

 聞く価値のあることを言うんだね。


<サイクロン>

 な・・・何だと?お前なあ!


<俺>

 そこまで。

 悪態ついてる場合じゃないだろ。

 俺、お前の新装置を楽しみにしてんだぞ。

 大丈夫。お前なら出来るさ。


<サイクロン>

 ホントに?

 任せておいてよ、マッシュ。明日までに作り上げる。

 約束だぜ。朝一番にここに来てくれよな。



 徹夜する気満々じゃないか。本当に変わったヤツだ。そう思うと急におかしくなって、俺は吹き出した。疲れすぎて頭がハイになってるのか、笑いが止まらない。

 やがて、エッグも笑い出し、最後にはサイクロンも笑った。

 それでOKさ。

 大丈夫。この二人がいれば、俺はいつだって、何だって頑張れる。そう思えた。



 こうして、新しい装置が完成した。

 缶の上に、小さなテントを被せた様な代物。

 よく出来てるように見えるし、実際によく機能はしたんだけど、現実はやっぱり厳しい。

 火はたくさん必要なのに、作れる水は、ほんのちょびっと。一日中、海水を蒸発させ続けて、空き缶半分くらいの水しか出来ないんだ。

 燃料不足を考えれば、あんまりいい発明とは言えないのかもしれない。

 でも・・・。それでもな、やっぱりステキな事だったし、意味があったんだ。

 病人や赤ちゃん達に、キレイな水を与えられる事、それだけじゃない。

 より良いものを求める気持ち、それを俺達が持てた事。実現させる為に考え、行動を起こした事。それが素晴らしかったんだ。




6・

 さて、水製造機が成功した事で、天まで舞い上がったサイクロンは、次のアイディアを練り始めた。

 水の次は・・・当然の流れで、食べ物へと移る。なにしろ、育ち盛りだからな。いつも腹が減ってる。

 おりしもヘル・マーケットでの俺達の仕事、ゴミ漁りで、手に入る食料が少なくなってきていたんだ。

 ヘブン・スクエア(天国地区。金持ち地区)の連中は、まだまだ食べられる物をポイポイ、ヘル・マーケットに捨てる事が多い。

でも、もともとヘブン・スクエアに住んでるのは七家族と少ない上に、そっちの住人も貧しくなりつつあるらしい。そいつらが出すゴミだけじゃあ、ヘルズ・スクエアの人口、六十七人分を、支えられるわけはない。

へルズ・スクエアの人間の食事は、一日一食。それには慣れちまってるけど、その一回でさえ、この先も取れるか怪しくなってきた。

島の大人の本業は、実は漁師だ。おやじ連中は、毎日、決死の覚悟で釣りに出かけるけど、一日ねばって二十匹も取れればいい方で、全部、金魚みたいな大きさ。

ヘルズ・スクエアの人間は、いつでもどこでも誰でも、空腹が原則だ。

誰のせいでもない事だと思うから、みんなジッと我慢してるけれど、我慢ならなかったヤツが一人いて、そいつがサイクロンなんだ。

サイクロンは、食べ物を自分達で作れないか考え始めた。

と言っても、なあ。前にも説明した通り、ホープ島は丸ごと湿地帯で、天気はジメジメ、グズグズ、メソメソ。植物で育つのはコケくらい。土には塩気が混じってるし。

ヘブン・スクエアの人達は、ホープ島が属してる本国(本土?どっちでもいい)の連中にコネがあるらしくて、わずかな支援を受けて暮らしてるらしいけど、ヘルズ・スクエアの連中に、そんないいものは何も無い。

なんで?と質問はしないでくれ。昔からそうだったし、それが普通って思ってたからなあ。腹も別に立たないし、理由を知りたいとも思わなかった。

他人にイライラするより、自分達で何とかする方がいいとも思うんだよね。

サイクロンもそう思うタイプなんだろ。

ヤツはまず、キノコ栽培を考えた。ジメジメした所でも育ちそうなイメージだからだ。

「胞子を植え付けなきゃダメだ」とエッグに言われて、サイクロンはガックリ。そんな物、手に入らないだろう。見たこともないし、どうしたらいいのか、皆目わかんない。

 次は、ジャガイモに注目した。ヘル・マーケットに皮がよく落ちてるから、ジャガイモの目の部分を植えたら、それこそ芽が出るんじゃないかと、まあ、思ったワケ。

「たちまち腐るだろうね」とエッグが予言し、その通り、集めた芽はすみやかに腐って、あっと言う間にハイお終い。

 リンゴの種やカボチャの種、スイカの種も、サイクロンは物は試しと植えてみた。汚たならしいスキ二―・ロウ(ガリガリ横丁)の泥土にな。一番、水っぽくなく見えたんだけど。ベトンベトンの粘土質だから、種を埋め込むのも大変だった。ヘル・マーケットで見つかる種っぽいシロモノは、みんな植えてみたんだぜ。ニンジンのヘタとかも。

「あんな土じゃ、種が窒息するよ」とエッグは言い「どれか一つでも芽を出したなら、海の水を残らず飲んでやる」とまで続けたもんだから、サイクロンはプッツンさ。

 こぶしでエッグに殴りかかっていったんだけど、あっさりスイッと身をかわされ、逆にガッチリと取り押さえられて、ギブアップ。

 エッグは、その気になれば、ヘルズ・スクエア一の武道家を名乗れるほど、実は強いんだ。その気にならないだけで。

 エッグは、サイクロンの耳元で低く囁いた。

「みんなを苦しめるのは、やめるんだ。この島には何も無い。何も出来やしない。今はまだ、ありのままを受け入れなきゃいけない」

 なるほど、エッグにはそれが出来る。俺も、他の子達も、日々それをやってる。

 でも、サイクロンは出来ないタイプで、それだからこそ、サイクロンなんだ。

 エッグから身をもぎ離し、サイクロンは燃える瞳でエッグを見据えた。二人はそのまま、一歩もひかずに睨み合う。スキ二―・ロウ(ガリガリ横丁)のど真ん中でな。

 俺は止めなかった。あいつらにはあいつらの信念があって、時にはぶつかる事も必要なんだ。

 やがて、二人は無言でクルリと背を向けて去り、その時はそれで済んだんだ。

 だけど。やっぱりな展開で、その日の夕方さっそく、俺はサイクロンにとっ捕まった。

 ヤツときたら、何の前触れも無く、一言半句の説明もなしに、いきなり俺の腕をつかみ、ものすごい勢いで、悲しみ団地の外に引きずりだした。

 ボロボロで、半分崩れた団地の外壁に、俺の体を叩き付けたから、そんなはずないってわかってるのに、ケンカ売ってんのかと思ったよ。

 訳がわかんないけど、殴られたりする時に、よくあるシュチュエーションだろ?

 理由は全くなくても、それでも、乱闘とかしなくちゃいけない気になっちまう。

 もちろん、サイクロンは怒ってもいなかったし、ケンカをしたい訳でもなかった。

 ただもう、目をキラキラさせて、

「ねえ、マッシュ。きっと何かあるよ。育てられる物が。何がいいと思う?考えてくれ。きっと出来る。きっと出来るんだ!」

 だとさ。昼間、あれだけエッグにコテンパンにやられたのに、きれいさっぱり忘れてる。

あるいは、憶えててもてんで気にしていないのか、切り替えが早いのか、立ち直りが早いのか、これも一種の才能だよな。

思わず笑ったら、

「賛成してくれると思ったよ、マッシュ」

ときた。

 俺は賛成だなんて一言も言ってないつもりなんだけど、もしかしたら言ったのかも?って思い込んじまうような、そんな言い方で。

 断りたかったけど・・・断れないって解ってもいた。だから

「わかった、わかったよ。一緒にやってみるさ。だけど、やっぱりエッグも仲間に入れるぞ。エッグが必要だからな」

 エッグは、栽培計画には反対だ。そんな事はわかってるさ。でも、それでもエッグ抜きでやるなんて、俺には考えられない。

エッグと一緒に過ごせる時間が増えるなら、サイクロンの計画に乗ったかいも出てくる。例え大失敗したって(多分、そうなるんだけど)、エッグといられたんだからいいじゃないかって、それが嬉しかったんだからいいじゃないかって、そう思える。

サイクロンはイヤーな顔をした。それでも、いかにもサイクロンらしく、悩まないでもいい所で、真面目に悩みだした。十分間もあれこれと考えをひねくり回したあげく、

「エッグ・・・。俺とは気が合わないんじゃないかな・・・」

 そんな事は、ヘルズ・スクエア中が知ってるさ。今更、悩む必要があったのかね。そう突っ込むと、

「一応、悩んでおかないとな」

 更に十分間、難しい顔で唸った挙句、

「お前が頼むなら仕方ないか」

不承不承、お許しがでた。

 こんな事に、十分間プラス十分間も悩んだりする所が、そもそもエッグと合わない部分なんだよ。先が思いやられる。

 サイクロンの気が変わらない内に、エッグに会って話した方がいい。俺はサイクロンをその場に残して、暗やみ団地に出掛けた。

 暗やみ団地のハッピー・ベビーが、いわゆる夕暮れ泣きを始める前に行かないとな。

 赤ちゃんに分類されるかされないか、微妙なお年頃のハッピー・ベビーは、時々、彼女にしかわからない理由で、大癇癪を起す。

 泣き喚き出したら最後、兄貴のパンプキンの抱っこか、兄貴でもなんでもないエッグのオンブか、どちらかしてやらないと、泣き止まないんだ。

 今、パンプキンは腹痛起こしてるから、お鉢はエッグに回ってくる。まあ、ハッピー・ベビーのご機嫌次第だけど。

 どう考えても、エッグはサイクロンより、ハッピー・ベビーの傍で過ごす方を選ぶだろう。

 だけど、驚いた事に、エッグを呼び出す必要がなくなった。

 悔やみ団地から近づいてくる、黒い人影を見たんだ。すぐ、エッグだとわかった。

 顔かたちや体型でじゃない。歩き方で解るんだ。落ち着いた、それでいて迫力のある、力強い歩き方。自分がどこに向かえばいいのか、はっきり確信している歩き方。

「どこに行くんだ?」

 俺が声を掛けると、

「ここだよ。君が呼んだ気がしたからね」

 エッグは静かに答えて、微笑んだ。

 霧でかすむ夕闇の中でもそれとわかる、あの微笑み。

 口の端をほんのわずか上げて歪め、まるで泣き出しそうに目をうるませた、限りなく暖かい、あの微笑み。

 それは、エッグが俺にだけ向ける、特別な微笑みなんだ。意識してそうしてるんじゃないけど、エッグは他の誰にも、それを見せない。俺だけの微笑み。

「何も言わなくてもいいよ、マッシュ。僕にはわかってるから」

 エッグには、何も言わなくていい。

 俺が呼ぶその前に、エッグはいつも来てくれる。俺が求めるその前に、エッグはいつも傍にいてくれるんだ。



 さて、作物の話だ。

 三人で、あれやこれやと山ほどアイディアは出てきたけど、どれもこれも、当然の様に片端からポシャッた。

 エッグは、クロレラとかいう物が、島のコケに混じってかもしれない、と言ってた。栄養価が高くて体に良く、何より売れるらしい。すごいアイディアだけど、問題が一つ。

 クロレラってどんな見た目してんのか、誰も知らなかったんだ。万能のプロフェッサー(ルインズ学校のじいちゃん先生)も「小さくて緑色をしたもの」としか説明できなかった。それじゃあな。

 エッグの考えからしてこの有様だよ。俺とサイクロンはもう・・・お手上げだ。

 結局、最後はやけっぱちで、サツマイモに決めた。

「サツマイモは葉が多くて、弱い光もキャッチできるから、天候が悪いホープ島でも栽培ができるかもしれない」

と、これはエッグの考え。

 サイクロンは

「サツマイモは超強いらしいから、何とかなるだろう」

という、お得意の何とか理論。

 そして、この俺の考えは

「サツマイモなら、食べの残しのかけらが、そのまま苗として植えられる。ヘル・マーケットのゴミ山で良く見つかるから、これでいくしかない」

という、まあ、なんとも情けないものだ。

 でもさ、そうだろう?「あんまり良くない土でも、ヒエやアワなら育つ」とか聞くけどさ。ヒエやアワなんて、見たことあるかい?あんた、食べたことあるかよ?どんなにいい作物だって、手に入らないんじゃ意味がない。手近なシロモノでやるしかないじゃないか。

 まあ、失敗した所で失うものなんか無いし、やってみなきゃ、失敗することすらできない。迷ってばかりじゃ、考えてばかりじゃ、人生が終わっちまう。そういうことだ。

 植える場所については、割と簡単に意見がまとまった。候補があまりに少ないからな。

 ヘルズ・スクエアの中で、ネチョネチョやビショビショ、グチョグチョが少なめの場所。泥じゃなく、土がある場所といえば、一つしかない。ホープ島では、土もまた貴重品だ。

 スワンプに点在している、ちいさな浮島。もしかしたらクロレラかも知れぬ、得体の知れないコケに覆われてはいても、その下にはちゃんと土がある。仮に絞ってみたら、水がジョロジョロしたたり落ちそうなくらい、凄まじく湿ってはいても。泥じゃないだけ儲けものだ。

 俺達三人は、早速、浮島を調べに出掛けた。今の所は七つあった。昨日までなかった浮島が、突然、出現したりするから、数はあんまり意味がないんだけどさ。

 とりあえず、いちばん大きいのによじ登ってみる。両手両足を広げて、三人がゆっくり横になれるくらいの広さがある。

 けど、グラグラした。まさかひっくり返ったりはしないだろうけど、船の上にいるみたいに、足元がユラユラと頼りない。サイクロンは早速、船酔いみたいな浮島酔いを起こして、気持ちが悪くなった。沈没しそうな畑なんて、理想的とは言えない。

 そこで、二番目に大きな浮島に決めた。平らな面が多いのも、プラスポイントだ。実際には浮いていなくて、スワンプの底(そんなものがあるなら)に、どっしりと据わっているらしい。飛び跳ねても揺れないんだ。

 もっとも、スワンプの浮島は、いきなり現れたり消え失せたりするから、いつまでも安定しているとは、断言できないけど。

 いつ消滅するかもわからない場所に、畑なんか作るな、そう言われそうだな。

 それはその通り。ただし、俺達にはそうするしかなかったんだ。

 広々とした良質な土や穏やかな日の光。希望の分量だけ降る雨。肥料。駆虫剤。それが、カタログ注文でも出来るなら無論そうしたし、世の中には、本当に出来ちゃうヤツもいるのかもな。すっごい大金持ちとかだったらさ。

 ヘルズ・スクエアではそれは出来ない。俺達には何も無い。

 だからといって、泣くことはないさ。いや、泣いてもいいけど、諦めちゃダメだ。俺達三人とも、諦めはしないんだ。

 浮島の水はけを良くしたいな、とエッグは言う。土に溝を掘ればいい、とサイクロンが言う。ごもっとも。

 問題は、溝を掘ると、浮島の土が崩れやすくなることだ。手で静かにそっと掘ったんだけどなあ。あっちでドサドサこっちでドシャンと、土がスワンプになだれ落ち、汚らしい水しぶきが派手に上がる。その度に、

「ドワ―ッ!俺の土!俺の貴重な土があ!何しやがんだよ、マッシュ!お前、アホか!」

 声を限りにサイクロンは叫ぶ。大声出すのがあまり好きでないエッグは、顔をしかめる。

 そもそも「お前の」土じゃないし、元はと言えば、お前がやれって言ったんじゃないか・・・とツッコミたいのは山々なんだけど、どうせ聞きやしないんだから、言うだけ無駄。

 コケを全部むしり取らなきゃな、とエッグは言う。畑にはコケなんか生えてちゃいけない、とサイクロンも同意する。

 ここでも問題は、コケをひと塊(確かに一本と表現する気になれない)引き抜く度に、土もごっそり抜けてしまうことだ。コケの細かい根は、土をしっかり捕まえてて離さない。

コケをスワンプの泥水に投げ捨てる度に、貴重な土も一緒になくなる。おまけに、根という支えを失った土は、これまた、あっちでズブズブこっちでズルズルと崩れ出す。

 サイクロンが、再びドワッと叫んだから、アホというセリフが飛び出す前に止めといた。

 土を手入れし、ちゃんとした畑を耕したいと思う。やる気は十分さ。でも、出来そうにない。

 仕方ないから、そのままの状態で、強引にスタートする事になった。

 俺達は、農業の事なんて何も知らないんだから、かえってそうブルーになる事もないさ。もしかしたら、もしかしたで、水はけの悪いコケだらけの畑を、サツマイモは好むのかもしれないだろ?そんなワケないか。

 コケの隙間を指で掘り、ヘル・マーケットで、二週間もかかって拾い集めたサツマイモのしっぽを三十個、苦労して埋める。他の子たちには、この農業計画はまだ秘密だ。無駄な期待を抱かせたくないからさ。だから、成功するまでは、俺たち三人でやらなきゃならない。うまくいったらその時は、チビ達もうんとこき使うつもりだ。

 そんな日がきますように。祈りを込めて、一つ一つ、苗に大事な土を掛ける。どうか、そんな日が来ますように。


 

 別に不思議でも何でもないが、最初の試みは失敗した。そうなるだろうな・・・と思っていたから、芽が全く出なくても、それ程はへこまなかった。

 別の理由で、へこんだ。

 浮島に植えた苗は、そのままグニョグニョになって腐ったのにさ。ヘル・マーケットに置き忘れて、そのまま放置されてたイモのカケラからは芽が出た。クイクイ伸び、葉までつけてたんだ。見つけた時は目を疑ったよ。

 丁寧に植えたヤツはダメになり、転がしたまま放ったらかしてたヤツは成長。すごーく納得いかない。なんかこう・・・げんなりするよな。

 それにこりて、その後は、しばらくヘル・マーケットに置いといて、芽が出たら、浮島に植え替える事にした。

もう一つ。畑としては使えない、小さな浮島をいくつかブッ壊して、その土を出来るだけ乾かし、俺たちの畑に盛り土をした。

 エライ手間が掛かったけど・・・。イモを腐らせずに育てる為には、もっともっと土が必要だって、そう思ったんだ。

 俺たちみんな、いつの間にか、この計画に夢中になってた。成功しないと、わかっていても。それでも、ステキな日々だった。



 そんなある朝。まだ暗い内から、俺たちは浮島の一つをまた掘り返し、土を取り出す作業に苦闘していた。とりわけ、あのトンデモなコケ、あれを取り除くのは、本当にしち面倒さかったな。

 朝日がすうっと差し込み、俺たちの泥まみれの顔を浮かび上がらせる。エッグが手を払い、立ち上がった。

「ヘル・マーケットでの仕事時間だ。団地に帰って、みんなと一緒に作業に行かなきゃ。今日はここまでにしよう、マッシュ」

「ああ、そうだな。行くぞ、サイクロン」

「・・・」

 断っておくけど、サイクロンは、わざと俺を無視したわけじゃない。夢中になっていただけだ。ただ集中していただけ。聞こえないんだよな、そういう時って。だから、同じ事を四、五回は言わないといけない。悪意で答えないんじゃないんだし、たいした手間でもないし。

 四回目の「行くぞ」で、ようやっとサイクロンの耳は、音を拾った。

 ヤツはしゃがみ込んだまま、

「行かなくていいさ」

 と一言。

 エッグは、サイクロンの前に片ヒザをつき、じっと顔を見つめた。

「行かなくちゃダメだよ。仕事はしなくちゃ」

 と、こう文字にすれば優しく聞こえるかもしれないけど、エッグの声は深くて真剣だった。ヘルズ・スクエアの子供は誰でも、こういう時のエッグには逆らわない。

 唯一の例外がサイクロンなんだ。

 土をかき集めるのに夢中で、また何も聞いてない。

 エッグはエッグで、二回三回と、しつこく言い続けるタイプじゃない。ただ、

「好きにすればいいさ。行こう、マッシュ」

 俺をうながして、歩き始める。

 途端に、サイクロンがパッと顔を上げた。

 その時だけ、なんで一発で聞こえたのかは千古の謎だが、一番マズイ時にマズイ答えを返してしまうのも、サイクロンの困ったクセなんだ。

「マッシュ、君は行かないんだぜ。一緒に畑やるって、約束したんだから」

 当然の様に主張する。

「だから、やってるだろ?でも、お前との約束が全てじゃない。ヘル・マーケットの仕事も、俺の約束の一つなんだ」

 よくあることだけど、俺の答えは失敗だったらしい。サイクロンは怒って飛び上がった

 だけど、俺にじゃなく、なぜかエッグの方に向かっていく。

 息がかかる程に詰め寄ったサイクロンは、エッグの顔に指を突き付け、

「ヘル・マーケットの仕事だあ?くだらねえ!こっちの方がずっと大事だ!」

 と喚き散らした。

 エッグは仁王立ちしたまま、髪の毛一本、動かしはしなかったけど、俺には、あいつが秘かに深呼吸したのがわかったよ。

 驚いた事に、イライラしているようだ。

 エッグは、滅多な事ではブチ切れたりしないから、どんな展開になるのか想像もつかない。

 幸い、エッグは懸命に自制したらしい。肩で息をしているし、声は押し殺してるしで、相当に腹立ってのは間違いないけど。

「くだらなくても、必要な仕事だ」

 これには、さすがのサイクロンもグッと詰まったようだが、エッグと違って、自制心などカケラも持ち合わせちゃいないサイクロンは、詰まったものを飲み込んで口に出さないという事ができない。

「だったら一人で行けよ!俺とマッシュまで巻き込むな!」

 エッグは、地獄も凍る目つきでサイクロンを見た。なんか、非常にマズイ感じだ。俺は慌てて割り込んだ。

「おい、お前ら。それ以上、近づくとキスしちまうぞ。大丈夫、俺は両方やるよ。ヘル・マーケットで仕事したら、こっちに飛んで帰る。こっちで一仕事したら、またまたヘル・マーケットに戻る。それでいいだろ?」

「疲れちゃうよ、マッシュ。それじゃあ、あんまり可哀想じゃないか」

 サイクロンのセリフときたらまあ、どうだ。誰のせいだと思ってんだよ。普通、こういうこと言わないだろ。まったく・・・。でも、仕方ないか。これが、サイクロンなんだから

 エッグはギリッと歯噛みしたが、それ以上は何も言わずに、背を向けた。

 そこへ、サイクロンがトドメの一言だ。

「お前も両方やるんだぜ、エッグ。俺はこっちに専念するけど。いいか、すぐ戻ってこいよ。やること、いっぱいあるんだ」

「へ?・・・はあ?」

 もう我慢できない。俺は笑い出した。「へ?」だってさ。エッグの顔ときたら。ポカーンとしちゃってさ。

 笑い続ける俺を見て、さすがのエッグも、苦笑いした。

 サイクロンは、また土に向かってブツブツ独り言だ。何を言っているのかは、わからなかった。



 二人の違いがモロバレになるのが、こうしたシーンだ。考え方が全く違う。

 サイクロンの考えでは、この計画が成功すれば(その見込みはてんで薄かったけれど)、ヘルズ・スクエアの人間みんなが助かるんだから、通常の仕事は完全無視して、畑だけに取り組んでいいんだ、となる。

 一方、エッグの考えはこうだ。この計画が失敗する可能性が高い以上、平常の仕事も、サボってはいけない。

 そして、俺は・・・。

 二人の様に、ガッチリと固めに固めた考えがあるワケじゃない。

 俺はただ、俺のいるべき場所にいるだけだ。

 夢の様な成功も、苦い失敗も、普通の一日を止められない。

 例えば、この日。

 キャンディは、前歯を折った。ワイルド・キャットに押されたのが原因で、二人は大ゲンカ中だ。

 クリスタルは、ヘル・マーケットで黄色のスカートを見つけた。少しばかり毛玉とほつれと汚れがあるが、それを除けば新品同様の上物。それを、エンジェルにやるか、ピーチにあげるか、クリスタルは迷いに迷い、結局、決められずにいる。

 レインは、アイドルワイルが宿題をサボッたと言って怒り、アイドルワイルは、レインが掃除当番をサボったと言って怒ってる。

 グリーンタンは、ペットのノミが行方不明だとか言って、スワンプ中を引っ掻き回し、シュガー・ベビーはスワンプのコケにかぶれた。ハッピー・ベビーはオムツかぶれだ。

 ピーウィはブーブーに嫌われたと思い込んでガックリ落ち込み、ブーブーはピ―ウィに嫌われたと思い込んで落ち込んでいる。

 サンシャインとドールはトリッカーのオヤツを横取りし、トリッカーは二人を叱れない。

 問題は山積みで、いつも俺を呼んでいる。

 俺は、あの子たちを守らなきゃならない。だから、呼ばれたら行くさ、それだけのこと。




7・

 俺には、特別な思い出がある。今でも心をざわめかす、忘れられない記憶。

 俺は、その日、いつものようにイモ畑に向かっていた。まだ夜も明けきれずに薄暗く、霧が濃く立ち込める、肌寒い朝。

 どう転んだって、立派なイモ畑になんか、なりっこないのに。無駄な事をしてるって、そうわかっているのに。俺は作業が止められなくなってたんだ。どうしても、どうしても諦め切れなくて、ずっとずっとチャレンジし続けてた。

 エッグもそうだったんだろうか。必ず来てた。決してサボらなかった。

 ところが、その日、エッグはいつもの時間、いつもの場所に来なかったんだ。

 サイクロンは、気にも留めやしない。あいつ自身が、スケジュールを守るタイプじゃないからな。遅刻は当たり前。いきなりサボるかと思えば、徹夜で作業したり、気まぐれもいいところなんだから。

 でも、エッグはそうじゃない。

 俺は、なんだか胸騒ぎを憶えた。で、サイクロンを畑に置き去りにしたまま、ストランド・アレーを、団地に向かって逆戻りした。

 そしたら、北東寄りのスワンプに、人影が見えたんだ。雨に煙り流れる霧の中で、濃くなったり薄くなったりする、グレーの影。

 とても小さく、霞んでて、見過ごしても不思議じゃなかった。それでも俺はすぐわかったんだ。

 あそこにいるのは、エッグだ。

 あいつのクセでさ。片ヒザをついて、背をピンと伸ばしてしゃがむ、彫像の様に美しいあの姿勢。今も、ネチョネチョの泥をものともせずスワンプに屈みこみ、じっと動かないでいる。

 具合が悪いようには見えなかったけれど、どうしてあんな所にいるんだろう?

 俺は、早足でエッグのところに駆けつけた。足音を忍ばせてたわけじゃないから、普段のエッグなら、すぐに振り向いただろう。

 なにしろエッグは、レーダー探知機が服着て歩いているようなヤツで、あっちこっちの動きを、同時に捉えることが出来るんだから。

 ところが、振り返らない。

 「エッグ」と声を掛けると、あいつはビクッとして飛び上がった。

 そんな反応、てんでエッグらしくないもんで、俺も驚いて飛び上がっちまったよ。

 心臓のドキドキを抑えてる間に、エッグは慌てて立ち上がり、急ぎ足でこっちにやって来た。その様子が、なんて言えばいいのかな。まるで、俺を近寄らせたくないみたいな感じだったんだ。

 そんな事、今までなかったのに。

「何してるんだ?どうした?」

 理由もない不安感に取りつかれ、俺は口早に問い質した。

 エッグの顔に、迷いの色がサッと走った。口を小さく開けて何かを言いかけ、また閉じる。目を逸らし、顔を僅かに背けて、じっと考え込み・・・。

「いや、何でもない」

 エッグは答えた。

 その時、俺は自分でも驚くほどの、胸の痛みを覚えたんだ。

 今まで一度も、ただの一度も、エッグは俺にこんな仕打ちをしたことがない。話すのを躊躇うなんて。目を逸らすなんて。

 胸がズキズキ痛んだ。訳もなく泣きたいのを、グッと我慢している時みたいな感じ。熱い固まりが喉に詰まって痛いみたいな、そんな感じ。

 エッグ・・・。一体、何なんだよ?何が起こった?どうして、そんなにも落ち着かない態度なんだ?悲しげな目をして。

 俺達は向き合ったまま、近寄れず、遠ざかる事もできず、押し黙って立っていた。まるで、磁石の両極が弾き合う様に、近寄れない。

 俺は、全身が不安に締め付けられていて、声も出せないでいた。どうしてこんな気持ちになるのか、それさえも、よくわからないままに。

 エッグはその時、十五歳。あと数週間で、島を出ていく事になっていた。だから、余計に苦しかったんだ。

 霧のベールに包まれ、時までも止まったような静けさの中。やがて、エッグの顔に、何とも説明のつかない謎の微笑が浮かんだ。

 そのまま、ゆっくりと歩き出し、俺の真横で立ち止まる。俺の肩とエッグの肩、触れ合いそうに近く、でも触れ合わなくて。

 エッグは静かに囁いた。

「マッシュ・・・。決して忘れないで。僕は、本当に君が好きなんだ。だから、僕を信じて」

 俺は、立ち尽くしたまま、茫然としていた。

 でも、すぐに、気持ちが晴れ晴れとしてきたんだ。ホープ島で霧が晴れ、澄んだ青空に風が吹いたら、きっとこんな気持ちになるんだろうな。突然、心が軽くなった。すっきりとしたんだ。

 エッグが何をしていたのか、何を考えているのか、全然わからない。それがどうした?

 俺は、エッグに向き直った。エッグもこちらを向き、今度は、まっすぐに俺の目を見つめてくれた。エッグはひたむきだった。俺がなんて言うのか待ってる。じっと真剣に待っている。

 だから、本気で答えた。

「思い通りにやれよ、エッグ。俺は、どんな時でも、お前の味方だ。どんな事があっても、お前を信じてる」

 エッグは、心からホッとした様に、暖かく笑った。一瞬、うんと小さい頃に戻ったように見えた。

 俺達は、肩を並べて歩いて行った。いつもの仕事を、今日も変わらずこなす為に。



 この数週間後、エッグは島を去って行った

 半年に一遍、ヘブン・スクエアに来る船をつかまえて、本土に渡ったんだ。

 一週間、船内の仕事を手伝う条件で、船賃はタダ。でも、向こうに着いてからは、無一文でゼロから始めなくちゃならない。知り合い一人すらいない場所で、たった一人で。自分の力だけでだ。

 俺は心配していない。エッグなら出来る。生き残れるさ。心からそう信じてる。

 俺達と、ヘルズ・スクエアには、エッグの秘密だけが残された。

 この秘密こそ、エッグが、いかにもエッグらしいやり方で俺達に渡した、最後のプレゼントだったんだ。



8・

 エッグがいなくなって数週間、俺は淋しくて淋しくて、ただもう淋しくて、気が変になりそうだった。

 そりゃ、わかってはいたさ。頭ではな。

 エッグは、島を出て行く必要があったんだ。あいつは、理由をうまく言えなかったけど、俺にはわかる。

 エッグには、この島は狭すぎたんだな。あいつは、もっとずっと広い世界にいるべきなんだ。だから、正しい決断をしたと思うし、まあ、大体、あいつはいつだって正しくて、間違いはおかさないからさ。

 俺は受け入れたし、応援もしてた。

 けど・・・心は別だろ。いくら理解してたからって、それで辛さが減るわけじゃないんだ。まるで、自分の半分をもぎ取られたような気分だった。

 去られて初めてってんじゃないけど、俺は本当にエッグが好きだったんだって、改めてわかった。

 一日中、俺は〈ロック〉に座り込んで、昼も夜も、泣いているかボケーッとしているか、もう全く、役立たずだ。

 エッグを追いかけていくわけにもいかないしな。あいつの為になんないだけじゃない。まだその時は、俺には俺のやるべき事が、ここに、ヘルズ・スクエアに残されている様な気がしたから。

 二週間ばかりかそれ以上、ただひたすら泣き暮らして、ようやく涙も涸れはて、もとの生活に戻ろうとしたら、以前の生活がメッチャクッチャになってやがった。

 まったく・・・。俺は、悲しむ事すら出来ないのかよ。

 悲しみ団地と暗やみ団地の子供達はみんな、仕事や勉強、毎日の決まりも、全てをほったらかして、好き放題に暴れ回っていやがったんだ。大混乱で、手が付けられない。

 サンダーキッドはオヤツの分配係を投げ出すし、クリスタルとワイルド・キャットは、洗濯をサボる。ブーブーとピーウィは破れた服もそのままに、裸に近い恰好で歩き回り、ワイルド・ビーは、裁縫が大好きなクセに繕ってもやってない。

 ドールとキューティは大ゲンカして絶交中だし、ピーチは憂鬱病になって、食欲不振でガリガリだ。

 サンシャインとアイドルワイルは、団地の掃除をグリーンタンとエンジェルに押し付けて知らん顔。グリーンタンとエンジェルは、腹いせにわざと部屋を汚してる。

 レインとスパンキーは、みんなが勉強も宿題もしないとカンカンで、先生役を辞めちまうし、チェリーとマネーマネーは・・・まあ、こんなグチを言い続けても仕方ないよな。とにかく、なっちゃいないわけ。生活、ぶっ壊れてやがる。

 大人達は大人達で、みーんな、何にもしやしない。説教一つなしで、子供達を放りっぱなしの野放し状態だ。

 自然に立ち直るのを待つ方がいいからって、どうもそれは、俺の事を言ってたらしい。

 ヘルズ・スクエアの大人達は、誰でも彼でも、口を出さなすぎなんだよ。

 まあ、それが一番よかったのかもな。ガキどもが荒れてた原因は、明らかなんだから。

 暗やみ団地を率いてたエッグはいなくなり、悲しみ団地をしきってた俺は抜け殻になり、他の子達は混乱して、怖がってたんだな。どうしていいかわかんなくなって、その気持ちを正直に表わしたってわけ。

 シャッキッとするなり・・・というより、シャキッとせざるを得なくなって、俺は直ちに手綱を締め直したよ。

 みんな、俺を見て安心したんだろうな。すぐ、元のいい子達に戻った。待ち望んでいたみたいに。

 マネーマネーに言わせれば、ダラダラとサボるのは、キビキビ働くより、ビシビシ勉強するのより、もっとずっと疲れるらしい。

 思わず笑っちまったけど、またあの子達が生き生きしだしたのは、嬉しかったな。

 でも、変な行動を取り続けるヤツが一人いた。サイクロンだ。以前より口数が少なくなり、考えこんでいる事が多くなり、俺に話しかけてもこなけりゃ、傍にも寄ってこない。かと言って、腹を立てている様子もない。

 そして、なぜか・・・夜中にそっと一人、団地を出ていく。みんなが寝静まるのを待って、こっそり毎日。



 しばらく様子を見ていたけど、やはり好奇心には勝てない。ある夜、俺はサイクロンの後をつけてみたんだ。

 弱々しく、滲んだ光を投げかける月光の下を、サイクロンはフラフラと歩いて行く。地理上の位置のせいか、ホープ島は夜も、真っ暗にはならないけど、それでも何度か見失いかけた。

サイクロンは、エッグにもらったボタン・ランプを大事に抱えて、ストランド・アレーから、北東にあるスワンプへ向かった。通いなれた調子で、迷う事もなく、まっすぐに進んでいく。

 やがて、目的地に着いたとみえて、サイクロンは立ち止まった。

 あの場所だ。エッグが奇妙な態度を見せた、あの場所。そこに、今はサイクロンがいて、エッグと同じように、泥の中に片ヒザをつき、何かを覗き込んでいる。

「何をしてるんだ?」

 声を掛けても、サイクロンは、エッグみたいに飛び上がらなかった。

 ゆっくりと振り向いて、にこっと笑い、

「やっと来たのかよ。ずっと待ってたんだぜ、マッシュ」

 静かにそう言った。

 俺は無言だった。目はサイクロンを見ていても、心は別の所にある。あの日のエッグの姿を見ている。ああ、エッグ。エッグ・・・お前、俺に何を伝えたいんだ? 

 サイクロンに腕を突かれて、俺はハッと我に返った。サイクロンは口の端を歪めて、

「エッグのこと、想ってたんだろ。教えてやるよ、マッシュ。エッグの秘密をな」

 そして話し始めた。ここからは、サイクロンに聞いた話だ。



 エッグが去っていく二日前の夜中。団地の戸口近くに体を丸めて、ぐっすり眠っていたサイクロンは、突然、誰かに襟首をひっ捕まれて、部屋から引きずり出された。

 叫んだり暴れたりなんか、全く出来ない。夢なのか現実なのかもさっぱりわからない。半眠り状態のサイクロンは、ひっくり返った虫みたいに、手足をバタバタさせるだけ。

 気が付けばもう団地の外で、ストランド・アレーのドロンコ道を、ズルズル引っ張られているところ。それも、ものスゴイ力、ものスゴイ勢いで。

 仰向けになって尻餅をついたまま、サイクロンは立ち上がることもできず、引きずる誰かの手を振り払うこともできない。というのも、まだこれが夢じゃないっていう確信が持てなかったからだ。サイクロンの頭に浮かんだイメージは、ライオンに倒され引きずられていくインパラの姿だった。

 どういう神経してんのか知らないが、サイクロンはこの時、また、眠り込んだそうだ。二度寝ってやつかな。ウトウトして、ライオンに食われる夢なんかをポワワンと見て、やがてハッと目を開けたら、スワンプのこの場所に転がってたらしい。

薄く水に覆われた泥土の上に、ぼんやりと横たわったままのサイクロンの目に、誰かの姿が映った。暗やみの中、ボタン・ランプが、小さな柔らかい光を投げかけている。そこに揺れる人影。手がランプを持ち上げると顔が見えた。エッグだ。

「話がある」

単刀直入に言われて、サイクロンは呆然とするばかり。それでも、なんとか起き上がって座り、耳をほじり、鼻をほじり、空咳をして、あちこちに詰まった泥を取り除くと、ようやっと目が覚めた。

「今じゃなきゃ、ダメなのかあ?」

 まあ、サイクロンじゃなくても、こう言うよな。でも、エッグは平然と続ける。


<エッグ>

 しっ、静かに。やたら叫ぶな。

 この子は日の光が苦手なんだ。


<サイクロン>

 この子って?


<エッグ>

 君のつま先からニ十センチほど先、そこの泥を、そっと取り除け。

 気をつけろ。ゆっくり丁寧にな。


<サイクロン>

 はあ?なんで、そんなこと・・・。


<エッグ>

 四の五の言わずに、さっさとやれ。


<サイクロン>

 わかった、わかったよ、うるせえなあ!今やるよ。掘ればいいんだろ、掘れば!

 ・・・。

 どわっ!なんだ、コレ。なんで、こんな所にこんなモノが?在りえねえだろ、信じられない。何がどうしたってんだ?

 でも・・・きれいだ、本当にきれいだな。

 こんなにきれいなモノ、今まで見たことない。

 コレ、何なんだ?


<エッグ>

 リザンデラ・ガルドゥネリの一種だ。地面の中で花を咲かせる、とても珍しい植物さ。滅多に発見されない、貴重な花だよ。

 でも、・・・今、君の目の前にある花はね、リザンデラ・ガルドゥネリそのものじゃない。

 僕の知ってる限りじゃ、あの花はクリーム色の地に赤紫色の模様がある。ブルーム・ブッシュという木の根の傍でしか、育たないんだ。

 これは違う。新種だよ。島には、独自の進化をとげた生物が多いものね。初めて発見された植物だと思う。


<サイクロン>

 リザンドラン・・・何だって?

 なんで、そんな花の事、知ってんだ?どこで聞いた話だよ?


<エッグ>

 わからない。なんとなく、頭に入ってたんだ。


<サイクロン>

 なんとなくかよ・・・。



 サイクロンとエッグは、黙ってじっと花に見とれた。確かに不思議な植物だ。地面の奥深くで花を咲かせるなんて。

 普通は、虫を引き寄せたり、花粉を飛ばす為に花は咲く。地上でなきゃ、花を開く意味が無い。それなのに、地下で、誰も見てない場所で、こんなにも美しい花を咲かせるなんて。なんだか現実の生き物とは思えない。



<サイクロン>

 なんで俺に教えるんだ?よりによってさ、どうして俺なんだよ?


<エッグ>

 君は僕を嫌ってるよね、サイクロン。

 ずっとわかっていたよ。その理由もね。


<サイクロン>

 質問に答えろ。

 なんで、この花の事、俺に教えるんだ?


<エッグ>

 そりゃ、君が僕と渡り合える男がどうか、知りたいからさ。

 何とかしてみせろよ。



<サイクロン>

 何とかって・・・。


<エッグ>

 君は正しかったんだよ、サイクロン。

 ずっとずっと、正しかった。

 ヘル・マーケットの仕事、正確に言えばゴミ拾いだけじゃ、やっていけなくなる時が来るんだ。すぐそこに迫ってる。

 ヘブン・スクエアに住む連中は、わずか七家族。それもジリ貧になりつつあるんだ。ある人から情報をもらってね。

 ヘブン・スクエアからでるゴミ。そんなのに頼ってちゃいけない。

 ヘルズ・スクエアだけで、やっていけるシステムが必要なんだ。この花はキーになるかも。

 でも・・・僕はもうすぐこの島を出て、いなくなる。だから君に託すんだ、サイクロン。

君ならできる。


<サイクロン>

 マッシュと二人でなら・・・。


<エッグ>

 誰だって、一人じゃできないさ。

 でも、忘れるな。

 何があっても、マッシュの親友は僕一人だ。


<サイクロン>

 わかってるよ。

 だから、お前、嫌いなんだ。


<エッグ>

 知ってる。それでいいのさ。

 


そして、エッグは去って行った・・・。



 長い話を終えると、サイクロンは、その花を俺に見せてくれた。

 泥の下、けっこう深い所、だいたい二十センチくらいか。サイクロンが、手で慎重に泥土をどけていくと、小さな花が五株、姿を現した。

 信じてくれるかな、あの美しさ。

 花のまわりの泥土には隙間があって、花はまるで、土で出来たカプセルに一つ一つが包まれているみたいだった。

 形は、水仙に似てると思う。さもなきゃ、ミニサイズのユリか。

 ちいさく細い根から、すらりとした茎がまっすぐに伸びているけど、葉はない。太陽の光を吸収する必要がないんだから、当然だ。

 茎の先に、そのまま花がついている。

 輝いていた。夜、ボタン・ランプの光しかないのに、花がくっきりと見えるんだから。それ自体が、白熱のきらめきを放っている。

まるで、夜光虫や発光するイカ、ホタルのように、花そのものが、眩しい光を出しているんだ。覗き込む俺やサイクロンの顔まで照らし出すほど、強い輝きだった。

 真珠貝そっくりの、艶々した白い花びら。みる角度を変えると、所々に虹色が混じる。そこに、本でしか見たことのない、雪の結晶みたいな模様がちりばめられている。それは、キラキラひかるラメのような、コバルト・ブルーだった。

 宝石みたいだ。生きている植物とは思えない、神秘的で圧倒的な美しさ。

 俺は、花の前に跪いた。ガックリと力が抜けて、立っていられなくなったんだ。

 涙が落ちる。次々と。止められない。

 花の為じゃない。そりゃ、素晴らしい花さ。でも、俺は花の為には泣かない。

 ああ、エッグ。俺のエッグ。

 その、とんでもなく複雑な頭脳で、お前、いったい何を考えていたんだ?いつになったら、俺はお前が理解できるんだろう。

 でも。そんなエッグだから、そんなエッグだからこそ、俺は愛してたんだ。かけがえの無い親友。

 大丈夫だ、エッグ。バトンは、確かに受け取った。焼けるように熱い胸の奥で、俺はなんどもそう繰り返した。



9・

サイクロンは、もう壮大な計画を立てていた。スワンプの泥土の下に、広々とした花畑を作ることだ。

「たった五本の花じゃ、評判にならないんだよ、マッシュ。ホープ島を有名にする為には、つまり、ヘルズ・スクエアを売り込む為には、絶景を作らなきゃ。パッと目には暗い沼地。でも、その下にはビックリ、目に見えない華麗なる花畑。こいつは最高じゃないかよ。これでいくしかないだろ」

 さすが、エッグが見込んだだけのことはあるぜ。本人達は、きっと懸命に否定するだろうけど、エッグとサイクロンはどこか似てるんだろう。

 ただ、夢を実行に移す方法となると、正直に言って、俺達には何もわからない。

 花ってさあ、どうやったら増えんの?

 サイクロンは俺の耳に口を寄せて、そっと囁いた。



<サイクロン>

 飛べないハエ。


<俺>

へ?


<サイクロン>

 もちろん、憶えてるよなあ、お前。あんなに丁寧に説明してやったんだから。この島には、飛ばずに走るハエが多いって。


<オレ>

 ああ、あれか。それが、どうしたんだ?


<サイクロン>

 飛べないハエと地下の花。こいつらはセットなんだよ、マッシュ。

 お前がエッグを想って泣き暮らしてた時、俺はただサボってたとでも?

 そんなワケ、ないだろ。

 この花をじっくり観察してたんだ。

 エッグが、最初にこの花を見せた時は、七本あったんだ。そのうち二本は、先に花が終わって、そのまましぼんだ。

 その後が驚きさ。枯れた花は地上に移動していく。


<俺>

 どうやって動くんだ?


<サイクロン>

 知るか。

 茎が伸びるワケじゃない。背の高さは変わらないんだ。根も数センチしか無いし。これも変化は見せない。ミミズみたいにモゾモゾ、ちょっぴりずつ動くんじゃねえの?

 とにかく、ジリジリ上に昇って、地表に張り付くみたいに、少しだけ顔を覗かせる。すると、待ってましたとばかり、飛べないハエ達が集まってくるんだ。

 枯れた花の奥に潜ってさ。よくは見えないんだけど、多分、蜜でも食ってんだろ。そいで・・・這い出してきたハエは、足に黄色い粉をつけてる。


<俺>

 花粉か。

 そのハエ達、受粉を手伝ってたんだな。


<サイクロン>

 花粉をつけたハエの後を、何度も尾行したんだけどさ。特に何もしなかったな。

 他の場所には、この花は無いんだろ。受粉させる相手が、あまりいないんじゃないかな。

 そこからが問題なんだ。どうしていいのか、わからなくなっちまって・・・。俺、やっぱりダメだな。


<俺>

 無茶なこと言うなよ。新種なんだろ?わからなくて当然だ。


<サイクロン>

 でも、花畑が作りたいんだ!


<俺>

 わかった、わかった、わかってるよ。

 そう・・・打つ手は二つだな、多分。

 1、少し離れた場所に、咲き終わってしぼんだ花を埋めてみる。その中に種が出来てるかもしれないからさ。あんまり可能性は無いと思うけど、まあ一応。

 方法その2。今ある五株の内、二、三株を増やしてよそに植え替える。広大な花畑を作りたいなら、一か所に固めちゃダメだろ。アチコチに植えなきゃな。


<サイクロン>

 お前、バカかよ?増やして植え替えるって簡単に言ってくれるけどさ。その増やし方がわかんないから、悩んでるんだろうが?一つの株を二つ、三つと増やせる方法を聞いてんだよ!


<俺>

 自分じゃ気が付いてないんだろうけど、お前さ、なかなかいいこと言ってんじゃねえかなあ。それだよ、きっとそれだ。

一つの株を、根っこから半分にちょん切る。そしたら一つの株が二つの株になるわけだろ。それを、少し離れた場所に植え替えれば、そのまま増えていくんじゃないかな。


<サイクロン>

 おい、マッシュ・・・。お前、今なんて言いいやがった?俺の聞き間違いだよな?そうだよな?

 ふ・・・二つにちょん切るだって!この貴重な、宝物みたいな花を・・・ちょん切る?ちょん切る!ちょん切る!ちょ・・・。


<俺>

 待ってくれ、待ってくれ。落ち着けよ、頼むからさ。


<サイクロン>

 ムチャクチャじゃねえか!ダメだ、ダメだ、ダメだよ、ダメだ。ヘタに動かすだけでも危険なのに、二つにちょん切るなんて、お前、気でも狂ったのかよ?枯れちまったら、どうするんだ?頭がどうかしちまったとしか、思えねえよ!


<俺>

 お前に言われちゃ、お終いだよな。

 でもさ、どうせいつかは枯れるんだろ。なら、一か八かやってみたっていいじゃないか。ダメで元々ってことで。


<サイクロン>

 もういい!もういいよ、放っとこう!

 俺達、何もしない方がいい。この花もそっとしとくべきなんだ、きっと。

 手を出して、失敗したら取り返しつかねえ。

 何もしなけりゃいいんだ。そうさ、俺はもう嫌だ!


<俺>

 お前、何をそんなに取り乱してるんだ?


<サイクロン>

 イモ畑みたいに失敗するからだよ!

 芽も出ない。種イモ植えてもすぐ腐るし、腐らなきゃ虫にやられる。たまに葉が伸びれば、こんどは病気。

 うまくいくわけないんだ!大失敗するさ!


<俺>

 イモ畑のこと、今、思い出さなくてもいいだろう。俺は、まだ諦めちゃいないぜ。


<サイクロン>

 嫌だ!嫌だ!もう、何もかも嫌だ!

 怖いよ、マッシュ。とっても怖い。ものすごく怖いんだよ。


<俺>

 怖い?何が?


<サイクロン>

 ・・・。


<俺>

 サイクロン、俺を見ろ。

 どういう事だ?何を言ってるんだ?お前、何をそんなに怖がってるんだよ?


<サイクロン>

 ホープ島の、ヘルズ・スクエアの運命がかかってるんだ。

 失敗できないのに、失敗するに決まってる。

 俺には無理だよ・・・俺なんてダメだ。

 でも、そしたらエッグはどう思うだろう。バカにするかな・・・怒るかも。俺に期待してさ、任せてくれたのに、台無しにしちまったら。エッグは悲しむよな、傷つくかもしれない。

 それが怖いんだよ、怖い・・・。


<俺>

 そうか・・・そうだったのか。

 ごめんな、サイクロン。

 お前、そんなにも本気で・・・辛かったな。

 大丈夫だよ、俺がついてる。


<サイクロン>

 マッシュ・・・ああ、マッシュ・・・。


 

サイクロンは、ワッと激しく泣き出した。震えて、滝の様な涙を流して。ああ、こいつ、本当に真剣で、本当に悩んで、だから、本当に怖かったんだな。

 俺は、しっかりサイクロンを抱き締めた。涙が止まるまでじっと待った。

 サイクロンは鼻をすすりながら長いこと泣き続けて、その間中、ヤツの大事な大事な、ものすごーく貴重な花の一つを、知らずにモロ踏みつけてた。

 でも、俺は注意しなかったよ。

 だって、花は花さ。どれだけ価値があるものでも、俺にはサイクロンの方が大事だ。

 サイクロンンの涙がようやく止まった時、俺はあいつの両肩をしっかり掴んで、真剣に言い聞かせた。



<俺>

 いいか、よく聞くんだ。

 エッグはもういない。

 この花について、エッグはもう何もできない。だから、俺達に託したんだ。

 その結果が、どんなものでも大丈夫。エッグは受け入れてくれる。俺にはわかる。

 だから、怖がるな。


<サイクロン>

 失敗したら、どうなる?


<俺>

 首を切られたりはしねえよ。地球がブッ壊れる事もないさ。

 失敗したら、しただ。

 また何か、俺達に出来る事を、見つけていけばいい。


<サイクロン>

 俺は・・・俺はエッグとは違う。何だって、うまく出来ない。ダメなヤツなんだ。


<俺>

 そんなことはない。お前は素晴らしいヤツだよ。

 エッグとタイプは違うけど、人はみんな違うんだから当然だろう。

 完璧な人間なんて、俺は求めない。

 俺は、お前の全部が好きだ。それで、いいじゃないか。


<サイクロン>

 俺も。俺もお前が大好きだよ、マッシュ。


<俺>

 なら、メソメソするな。やってみよう。怖がらずに。



 イモ畑の悲惨な前例にも関わらず、俺達の試みは成功した。

 驚いたよ。全滅するかもって思ってたからな。ただ、俺は気にしなかっただけで。

 二つに根分けした花を広範囲に植え替えし、種っぽいかな、と思ったモノを泥の中に埋め込んで・・・たったそれだけで「エッグの花」は、待ってましたとばかりに、あっちこっちで増えまくり、咲きまくった。

 地面の下で、誰にも見えないけど、美しい花畑はスワンプ中に広がっていった。その間、一年もなかったな。

 もちろん、俺達の栽培法が素晴らしかったからじゃない。それは確かだ。

「エッグの花」は、見かけこそ繊細可憐、いかにも弱々しく見えるけど、中身は生命力に満ち溢れた、超強い品種だったんだろうよ。俺達と一緒さ。ようは、生き残るタチなんだ。

 それと、運が良かった。それだけのこと。



10・

 これが、ヘルズ・スクエア再生の物語だ。ホープ島は、一大観光地となった・・・ワケないだろ。世の中、そんな風には、いかないもんなんだな。

 空港が出来て飛行機がブンブン飛び回り、船も走り回り、でかいリゾートホテルやレストラン、土産物屋、高層マンションにビルやらタワーがバカスカ建って・・・みたいな?

そんな風にはならなかった。

 それで良かったんだと思う。俺の故郷がそんな有様になったら、なんか落ち着かない。

 今の所「エッグの花」は、植物マニアや研究者の間で有名になり、人気が出てるだけだ。

まだ、あんまり知られてないからな。

 俺達のした宣伝ときたら、こっそり本土行きの船に乗り込み、手製のビラを街で撒いただけだ。資金がゼロなんだから、それくらいしか出来なかった。話が広まっただけでも驚きだよ。

 そうそう、その後の調査で、ヘルズ・スクエアには、飛べないハエとか走る蝶だとか、ヘンテコリンな進化を遂げた昆虫が、なんと52種類もいたことも判明した。

 こちらは、そんなに一般ウケしなかったけどな。学者や記者なんかには注目されてるらしくて、よく調査や取材が入るようになった。

 俺、ある科学雑誌の記者さんと仲良くなったよ。彼が言うには、木の無い島に暮らす虫は、飛ぶと海にフッ飛ばされちまうもんで、羽が退化することがよくあるらしい。

 面白いよなあ。俺が知らないことがいっぱいあるんだ。

 ああいう仕事って、なんかいいよな。大人になったら、記者を目指してみようかと思う。

 ヘルズ・スクエアの花畑を見に訪れる観光客は、みんないい人達だ。静かで上品でさ。

 「エッグの花」や妙な昆虫の写真を取り、惜しみない称賛の言葉を投げかけ、ガイドを務める子供達に気前のいいチップを渡し・・・募金箱にお金を落してくれる。かなりの額だよ、ものすごく助かる。

 スワンプのアチコチに、金属製の小さな箱が、いくつも設置されてるんだ。サイクロンと俺が作った。

「この島固有の自然を守る為、寄付をお願いします」

と書いた紙が貼ってある。ウソだけど。

 俺達は花にお金は使わない。虫どもにもだ。

 もっと大事なものに使う。エッグが愛した、大切なあの子達に。ヘルズ・スクエアの子供達に。服や食べ物、薬や本なんかを、本土から買ってあげられるのが、本当に嬉しいんだ。

 時々、なんで「エッグの花」なんて名前にしたのかって聞かれる。俺達はニコニコするだけで答えない。

 ペラペラ話すことなんか出来ないよ。あまりにも大事な思いが込められているから。

俺のエッグ。かけがえの無い友エッグのことは、いつまでも心の中に、大事にしまっておきたい。



こうして俺は、自分の為すべき事を為し、島を出た。卒業、そして自立だ。

後に残していく子達のことは、全然、心配しなかった。あの子達はみんな、自分自身の力で幸せな人生を歩んでいける。俺やエッグのように。きっと出来る。

心から、そう信じてるんだ。


         

                            パートⅢに続く


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ヘルズ・スクエアの子供たち・パートⅡ・マッシュ編 ふれあいママ @Fureaimamamasami

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