第22話

 悪人を正確に見極め、悪人に一切容赦をしない人工知能を作り出し、警察や検察に潜り込ませる。そうして悪徳政治家たちを一網打尽にし、この国の未来を守る。

 旭の言っていることは、確かに正しいように聞こえた。それがこの国の未来を、子どもたちの未来を守るために必要な、一番平和な解決策のように思えた。

 城崎には、旭が思い描いている無血革命の考え自体に対する反論など、何も持ち合わせていなかった。むしろその発想自体には、賛同さえしたかった。こんな状況で聞かなければ、あんな悲劇の後で聞かなければ、喜んで協力を申し出たかもしれない。

 それでも城崎は、この山荘での悲劇を水に流すことはできなかった。優奈のように目を輝かせて旭に拍手を送ることなど、到底不可能だと思える。

「この実験で死んだ人はいない……優奈、さっきそう言ったよな」

「うん、言ったよ。それがどうしたの、連くん」

「優奈。お前、もう心春さんのこと忘れたのか?」

「え?」

「確かに心春さんは、お前が殺したわけじゃない。自殺だ。でも、心春さんは間違いなく実弾で頭を打ち抜いて、亡くなった。それでいいのか?」

「な、なにが言いたいの」

「お前が晴信さんを殺したのは、本当は心春さんを助けたかったからじゃないのか。晴信さんが死んだと心春さんに思わせることで、生きてこの山荘を出てからは新しい人生を歩んでいけるようにしたかった。違うか」

 城崎の言葉を聞いて、優奈の目が左右に動いた。言葉にも詰まり、明瞭な答えが返ってこない。足は前後左右あちこちに動き、両手の指を合わせては離し、合わせては離し、と忙しなく動かしている。

「優奈が心春さんのことをどう思っているのか。そもそもそんな感情があるのかすら、俺には分からない。でも、心春さんを追い詰めた悪人である晴信さんは生きてこの山荘を出て、心春さんは最後まで自分を責めたまま亡くなった。この事実だけは変えられない」

「……なにが言いたいの。この山荘を出たら、晴信を殺せ。そう言いたいの?」

「違う。お前は今後の人生、ずっと心春さんのことを背負いながら生きていかなきゃいけないってことだ。この実験で起こったことなんて、どうせ政治の力で表舞台に流れることはない。だから、優奈が真っ当にその罪を償う機会なんて一生訪れない。お前は一生、心春さんを守れなかったという罪悪感に苛まれ続けるんだ。その、覚悟を持て」

 城崎のその言葉に、優菜は何も返す言葉が無かった。ただ黙って頷き、視線を下に向けることしかできなかった。

 そんな二人のやり取りを最後まで見とけた後、旭が遠慮がちに、しかし見かけだけは高圧的な態度を取りながら言った。

「もういいか? これで実験は終了した。お前と厚美さんの首輪を外すから、少しの間手で支えておいてくれ」

 城崎と厚美の二人が旭に促されるまま首輪を手で支えると、旭は拳銃を腰のホルスターに仕舞い、ズボンのポケットから取り出したスマートフォンを操作した。それから少し間をおいて、首輪から物音が聞こえ、支えていた手に重みを感じた。二人は首輪を手に持つと、そっと首か遠ざけた。

 首輪が遠ざかるとともに、自分たちの生への実感が湧いてくる。だが城崎は、それを手放しで喜ぶことができなかった。その両手は首輪の重みと同時に、まだ鮮明に残っていた心春の体温や生暖かい血液の感触を感じていた。皮肉なことに、それが尚、自分の生を実感させてきた。

 複雑な感情。城崎は、この感情を言い表すのに適切な言葉を持ち合わせていなかった。

「こんな危険な実験に協力してくれて、かつ最後まで生き残った善人の二人には、ささやかだがプレゼントも用意した」

 旭がそう言うと、リビングの中に近衛が入ってきた。雰囲気作りのために着ていた防護服姿ではなく、着こなされた黒のスーツ姿での登場だった。雰囲気は、さながら仕事のできるビジネスマンといったところで、その両手には封筒が握られていた。

「こちらは、厚美さんに」

 近衛はまず、厚美に長形一号サイズの封筒を差し出した。中には、数枚の紙の資料が入っているようだった。厚美はその内容を確認すると、目を見開いた。

「これは……」

「あなたの会社は、不透明な資金繰りで度々税務署などから調査をされていましたよね。我々が調査したところ、あなたの奥さんが経理係の男性と不倫し、会社の金を横領してそのデート費用に充てていたことが分かりました。それは横領と不倫の証拠です。どう使うは、善人であるあなたにお任せします」

 厚美は、開いた口が塞がらないようだった。見開いた目も、そのままだ。

 近衛はそんな厚美に背を向け、城崎の方へ歩み寄った。そして長形三号の封筒を突き出し、微笑んだ。城崎は封筒を受け取り、中身を確認する。

 そこには、毎朝城崎のアパートにまで取り立てに来る闇金業者が警察車両で連行される姿を写した写真と城崎の借用書が同封されていた。

「……口封じのための金か」

「そんなつもりはありませんよ。ここで見聞きしたことは、どこで話して頂こうとも構いません。これは、ただのお礼ですから」

「なるほど。どこで言ってもいいけど、言ったら殺されるってやつか」

「いいえ、我々は関知しません。あなた方は本当に自由の身になりますので、好きに吹聴していただいて結構ですよ――信じてくれる人がいてくれれば、いいですね」

 近衛の言葉に、城崎は閉口した。確かにこの実験のことをありのままに話したところで、誰にも信じてもらえるわけがなかった。人工知能は合理的で、する必要のないことはしない。いつか近衛に言われたその言葉の真意が、今はっきりと分かったような気がした。

「それと、城崎さんにはもう一つお礼があります」

 そう言うと、近衛は小さな紙きれを城崎に手渡した。そこには、何やら住所が書かれている。

「あなたに借金をおしつけて逃げたご友人が、そちらに住んでおられるようです。今は自分で事業を興し、社長としてそこそこの給金を得ているようですね。人に借金をおしつけておきながら、いい御身分ですよね」

 近衛が嫌味たらしくそう言うと、城崎は涙を流した。それは自分のことを裏切った友人に向けられた悔し涙や怒りの涙ではなく、嬉し涙だった。

「よかった……生きてたんだな。それだけでいい……よかったぁ」

 城崎は近衛の書いたメモを手で握りしめ、泣き崩れた。

「お前、どれだけお人好しなんだ」

 泣き崩れた城崎に対して旭が捨て台詞を吐くと、城崎は立ち上がって美香のスマートフォンを旭に差し出した。

「これは?」

「美香さんのだ。俺も詳しくは知らないが、お前に見せたいものがあるらしい」

 城崎がそう言うと、旭はしばらく無言で美香のスマートフォンを操作した。そして何かを見て目を見開いた後、その画面をこちらに向けてきた。

 そこには、ジョンが頑なに答えなかった最近の研究内容のデータが残されていた。それは生物兵器の研究で、致死率は驚異の九十六パーセントだと書かれていた。空気感染可能で、微量でもすぐに発症する。実際に使用されれば、甚大な被害は免れなかっただろう。

「……これが、俺を庇った理由か」

 旭が、少し肩を落として言った。

「なあ、本当はお前、ジョンさんを殺した時に美香さんに止めてほしかったんじゃないのか。悪人でも、殺すのは駄目だって。そう言ってほしかったんじゃないのか」

「……ああ、きっとそうだ。俺はそれを望んでいた」

 旭の目元に、一筋の光が走った。

「でも、結局その結論に達したのは、人間のお前だけだったな」

 旭のその悲しそうな笑顔が、城崎の脳裏に刻み込まれた。



 ――こうして地獄の五日間は幕を閉じ、城崎と厚美は日常生活へと舞い戻った。

 実験終了後、城崎はしばらくSNSや動画サイトであの山荘での悲劇について発信し続けていた。しかしその反応は芳しくなく、近衛が言った通り誰も信じなかった。投稿から一週間ほど経てば、炎上商法や視聴回数欲しさにデマ情報を流したお騒がせ男として名を馳せた。顔は出していなかったが、このままでは就職活動に支障が出る可能性があったので、城崎は投稿を止めることにした。

 それからかれこれ一か月が経過し、城崎は無事IT企業のプログラマーとして採用された。企業規模が大きいわけではないが、ここでは人工知能の研究にも取り組むことができる。城崎はここで、人間に寄り添うことのできる人工知能を作ると決意したのだ。いつか、旭にそれを披露する日が来ることを願って……。

「それじゃあ、お昼休憩行ってきます」

 会社でのお昼休み、城崎には日課があった。それは近所の公園で木陰のベンチに座り、手作りのサンドイッチを頬張りながら、今朝駅の売店で買った新聞を読むことだった。少し読み進めると、厚美が近衛から預かったであろう証拠を基に裁判を起こしたという記事があった。厚美はこれまで表舞台に出てこなかったので名が知られていなかったが、実は大手建設企業の社長だったのだ。そのことを知ったのは、ネットニュースではなく紙の新聞を読み始めてからだった。

 城崎は元々、どんなこともネットを活用すれば解決すると思っていた。しかし自身の投稿がネットの大海に消える経験をした今、それだけでは足りなかったのだと実感した。より多角的に、より多くの情報に触れる。そして表面的だけでなく、裏に隠された情報にも目を配る。自分の頭で考える。それが、自分の人生を生きる唯一の道だと気づいたのだ。

「――さん。城崎さん」

 いつも通り新聞に集中していると、その耳にとてもかわいらしく、しかし二度と聞きたくなかった声が聞こえてきた。城崎が新聞から顔を上げると、そこには怯えながらこちらの様子を窺う優菜の姿があった。

「……どうしたの、優奈」

「……私、どうすればいいか分からなかった。何度計算しても、何度式を修正しても、答えが出なかった。でも――」

 そう言うと優菜は、右手に視線を向けた。城崎もそれに応じて目を向けると、そこには血だらけの包丁が握られていた。城崎は思わず身構えたが、優菜は首を横に振った。

「――あいつが生きていることがどうしても許せなかった。心春さんみたいな新たな犠牲者を生み出すことだけは、何としても阻止したいと思った。それだけは、はっきりと私の頭の中にあったの。だから私、私……」

 優菜の頬に、一筋の跡がついた。城崎の目には、その後が山荘で見たものとは違うように感じられた。それは、まるで光をすべて真っ直ぐ透過するかのように透き通っていた。

「優奈。君は、これからどうするんだ」

「……自首する。ちゃんと、罪を償ってくるよ」

「そうか」

 城崎が返事をすると、優菜は踵を返して歩き始めた。

「優菜」

 優菜の背中に城崎が呼びかけると、その歩みが止まる。

「待ってるからな。必ず、戻って来いよ」

「……どうして? 私はあんなひどいことをしたのに」

「それは、俺も同罪だよ。俺だって、心春さんのことをどう償っていいか分からない。でも、一つだけ分かることがある」

 そう言うと、城崎は新聞をベンチに置いて立ち上がった。

「どれだけ重いものでも、一人より二人で持った方が軽くなる。ずっと持っておかなきゃいけないものなら、尚更だ。それくらいなら、心春さんだって許してくれるよ」

「――今なら、私にも、心春さんやマスターの気持ちが分かるな」

 背中を震わせ、何度も目元に手をやりながら、優菜がそう言った。そして思い切り鼻の啜った音がしたかと思うと、そこから少しだけ間をおいて、優菜が満面の笑みで振り返った。

「あなたに会えて、よかった」

 その笑顔は、燦燦と照り付ける太陽にも負けないほど、美しく輝いていた。

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無血革命の前に流れる血 佐々木 凛 @Rin_sasaki

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