雨ごんごん

野栗

雨ごんごん

 なあ、そろそろ白い飯のお握り食うてみたいなあ。

 きゅっと塩の利いたやつがええなあ。


 うちんくの農場で水田らしいもん言うたら、校長室前に並んどるバケツ栽培の稲だけやんか。それもそうや。大阪の千早赤阪みたいな立派な棚田、ヤマにこっしゃえるだけで何百年かかるで?

 うちら農業科は、年がら年中よれよれの作業服着て、コクゾウムシ(虫はうちらの大好物やけんこれはOK)と雑穀交じりの赤いメシ食うてタバコのヤニにまみれとるのがお似合いなんかのう。阿波藍と阿波葉刻みタバコのおかげで、昔の徳島はえらい富裕県やったらしいけど、今はもう、息も絶え絶えの阿波葉栽培技術の伝承をうちら狸の高校――徳島県立太刀野山たちのやま農林高校が一手に担わされとるのが実情じゃ。


 夏場はどの運動部も、他の学校からタチノーさんはタバコの臭いがかなんけんなぁ言われて練習試合嫌がられるやん。板東農高の畜産科が前に、わいらお互い農業高校やんか、ほな言うても牛豚の糞臭いんよりマシやろ? 言うてたけど、ほんなん五十歩百歩やん。野球部なんか、ついこないだその板東農高に練習試合申し込んでやんわりお断りされとったでよ。何が農業高校同士、や! 何が糞の臭いよりマシやろ? や! これだけはホンマ、人に化けても何しても誤魔化しきれん。辛いところじゃ。


 ほなけんど日本全国広しゆうても、夏休みのない学校って他にあるで?

 タチノーで一番忙しいんは七月八月のタバコ収穫期じゃ。他校の連中がサマーバカンスとやらを満喫しよる間、うちらくそ暑い中、虻に刺されまくりながら日がな一日学校の農場で、狸の顔よりおっきいタバコの葉、一枚一枚手摘みで収穫せんならん。

 ほんでその葉っぱを段々畑のてっぺんから背負子で担ぎ下ろすやん。一足歩くたびに、タバコ葉からたらたらたらたら流れ出すヤニが首筋から肩口へ胸元へ容赦なくひっついてくるんじょ。

 作業服はべたべたになるし、夏毛は尻尾までぐちゃぐちゃの臭い臭い毛玉になるし、ほんま部活の筋トレやシャトルランの方がなんぼ楽か。

 先生は一枚でも葉っぱ傷めたら専売公社にものっそ怒られるけん、葉っぱの傷みの多い生徒には単位やらん言うてるし、ホンマかなんなー。


 あー、白いお握り食いたい。もちもちの甘いういろうも食いたい。



 ――そや、いっぺん里へ行ってみんで? 例の方法で、新嫁はんからお握り頂きに行かんで?


 そやそや、行こ!


 ほなけんど、肝心の新嫁はんやおったで?


 新嫁はんちゃうけど、大阪の嫁はんの妹ゆう人が昨日からおいでとる。夏休み使うて卒論やら何やらの準備する言うて、しばらくこっちにおるみたいでよ。


 うわー、都会の大学生かー、憧れるなあ。


    🐾 🐾 🐾


 ――ラグビー部のミーティングは毎度毎度、こんな調子じゃ。雌狸の部員たちなど、大阪の嫁はんの妹の話で一気に変なスイッチが入ってもうたみたいじゃ。そうそう、狸は雌の方が少しばかり体格がええけん、スクラム組むのはだいたい雌なんじょ。


 聞いたで? 大阪の大学やて!


 すごいなー、頭ええんやろなー、ちょっとだけでええけん、見たいなー。


 服なんかめっちゃおしゃれなんやろな。


 この子らいうたら、こないだは梨窪なしくぼの民宿の庭からスイカを拝借する相談しよったし(これ、あっさり犬に見つかってしもて、キャプテンが、同じイヌ科のよしみでここは穏便に……言うた途端に、牙いう牙剥き出して吠えまくられ、全員尻に帆かけて逃げてきよったわ)、今日は今日で、ヤマから芝生しぼうに降りて新嫁はんから白いメシのお握り巻き上げる作戦会議や。

 今日も日中いっぱいタバコ葉担ぎで膝がガクガク笑うとるのに、イタズラに使う体力は別腹なんやろな。またどうせろくなことにならんのに性懲りもなく、ラグビー部のアホンダラ、どんだけタチノー狸の評判落としたら気がすむんじゃ。


 何匹かの部員が雀に化けて、芝生まで偵察に。婦人会の集まりが次の日曜にあることを嗅ぎ付けてきよった。

 畑やって練習までして、どこにそないな体力が残っとるんやろか。イタズラと白いメシにかけるラグビー部の情熱は他の追随を許さん、いうより皆が呆れ果てとるだけやな。

 そうは言うても県大会は毎年そこそこの成績やし、何なんやあいつら。


 婦人会には、大阪の嫁はんの妹も顔を出した。里のおんなたちは、ようおいでなして、と下にもおかぬもてなしぶりじゃ。会がお開きになると、大阪の嫁はんは片付けがあるさかい、あんた先に戻り、と妹を送り出した。


 妹は、セミロングのストレートヘアにパステルカラーのふわりとしたスカート、足は上品なヒールのサンダル。手には近在のおなご衆から頂いた握り飯におかずの手土産と、これから何が起きるかよーく知っている嫁はんたちから渡されたコウモリ傘。

 ここに来た以上、一ぺんは通らんならん道じゃきに、と、おんなたちは何も言わずに彼女を送り出した。


 道を歩き出すと、しぽしぽ雨が降ってきよった。コウモリ傘を差してふと前の方を見ると、かいらしい傘差した高校生ぐらいの女の子が、お下げを揺らしながら歩いとるでないで。あら可愛らしい子やな、と妹はその後を追いかけていく。


 女の子についていなか道をしばらく歩くと、ふいに妹の目の前にだだっ広いグラウンドがあらわれ、その後ろで三階建のコンクリの校舎が雨にけぶっている。

 グラウンドでは人に化けて待ち構えていたラグビー部が、雨の中気合い十分にランパスの練習に励んでいる。


 ――来よった!


 大阪から来た娘に、昼間の段々畑で身体中に染みたタバコのヤニの臭いを気づかれたら嫌や! 狸どもはグラウンドを走りながら、なけなしの神通力を振り絞った。


 雨ごんごん! 雨ごんごん!


 雨は車軸を流したようなザアザア降りに。ラグビー部は今度は雌狸を先頭にスクラムを組み、押し合いながら足で楕円球をかき出しはじめた。

 どしゃ降りの雨の中、互いに揉み合っていれば、なんとかヤニの臭いを誤魔化せるのでは? という狸の皮算用だ。いやはや、イタズラはしたし、都会の娘さんとはお近づきになりたし。よう言わんわ。


 田んぼの方からは、バケツにカエルやイモリやトカゲで一杯にした三匹の部員たち。ご丁寧に女子選手の姿に化けている。濡れた髪の毛が頬っぺたにべったり貼り付いて、ちょっとしたホラーだ。一人は首に青大将を巻き付けて、くつくつ含み笑いしよる。


 スクラムを解いて、バケツを囲むように車座になる。いつしか雨は止んで、月明かりが辺りを照らし出す。


 さあていただきます! とバケツの中に手を突っ込みカエルをつかみ出し口にくわえると、どれどれ? と娘のいる方向に目を向けた。


 ……おらん!

 どこ行ったんや!

 白い握り飯はどこや!


 娘は姉の家を出しなに、雨が本降りになってきたらすぐに戻りや、山から流れてくる川の水かさが増えて、潜水橋が渡れんようなったらいかんきに、と義兄に言われたことを思い出し、白い握り飯の入った荷物を持ってさっさと引き上げてしもうたのじゃ。

 狸どもがスクラム組んで押し合いへし合いしよる間に!


 腹減り損のずぶ濡れもうけで半ベソ顔の部員たち、そのままカエルイモリトカゲをやけ食いして、持ち帰った青大将は次の日に焚き火で焼いて雑穀飯のおかずにしたとさ。ご苦労さんなこって。

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雨ごんごん 野栗 @yysh8226

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