第4話 秋、そして……

 警察に連行され、取り調べの上、ミホは鑑別所に送られた。

「物語」に汚染された未成年者の状況を見極めるところで、程度が進んでいれば、家庭裁判所による決定を受け、より専門的な施設へ送致される。

 しかし、ミホの処遇はなかなか決まらなかった。

 彼女に面接と心理テストを行った法務技官はいった。

「あなたは重度の物語脳になってしまった。もはや、目に映るものなんでも、『物語』を見いだしてしまうだろう。たとえば、小川に水が流れる有様、風が樹々の葉末を揺らすところ。そして、夜空にてんでに散らばっている星々……」

 ミホと教官は机を挟んで差し向かいに座る。

 そして彼女はいった

「あなたの非行傾向は、相当に進行しているものだと判定せざるを得ない。社会復帰するには時間がかかるだろう……順番に、根気よく『物語』から脱洗脳する必要がありますね」

 ミホはいい返した。

「それはできない。『物語』はこの空に刻まれていることは変わらない

「そうかしら?」

 女性技官は不敵な笑みを見せた。

「夜空に輝く星は変わらない……いいえ、変わるのよ。

たとえば、ベテルギウス。あの星はいまや断末魔。明日にも超新星になって、いまよりもはるかに明るく輝く。そのあとは、肉眼では見えない中性子星だけが残る。

 オリオン座の一角は崩れ、星座はかたちを変えてしまう。

 もう、そうなっているかも知れないわね」

 ミホは問うた。

「それは「物語」ではないの? あなたは『物語』に触れて平気なのですか?」

「毒をもって毒を制す。『物語』から社会を守るためには『物語』の知識が必要なのよ」

 さりげなく答えるが、しかし、ミホは思った。

 ベテルギウスのような超巨星がその断末魔に起こす超新星爆発。それまで核融合で星の中に合成されている水素、ヘリウムより重い元素、たとえば炭素や窒素、酸素、鉄など。

 それらの元素はひとたびは宇宙空間に散らばるが、ふたたび集まって星になる。水素は核融合を起こして次世代の恒星が生まれる。

 重い元素は地球型の惑星となり、そしてわたしたちの身体を構成する物質となる。

 わたしたちもまた、星が生んだ子供。

「星座」だけではない。それもまた、星空が生む「物語」であると――。


 再教育を受けていた頃、同級生から手紙が来た。

 サヤカの行方は杳として知れないこと。そして、天文クラブの顧問になってくれた、あのマドカ先生が学校を辞めたことが書かれていた。

 今なら、わかる。

 マドカ先生はひそかに深く「物語」に冒されていた。それを懸命に隠しながら、あの仕事を続けていたに違いない。

 これ以上、教師の仕事を続けるわけには行かなかったのだ……。


 ミホは矯正施設で優等生になることを決意した。

 一日も早くここを出ることが、得策だと思ったのだ。

 規則を遵守して作業や勉強にも励み、その間ずっと星空を見上げることはなかった。

 その間にも、ミホの脳内に巣食った「物語」を解毒する試みは続けられていた。

 サイコロを振って、どの目が出るかを予想することもやらされた。

 何回か連続して同じ目が出ると、次も同じ目が出るように予想してしまう。あるいは、ここ数回出ていない目が次こそ出るのではないか、とも考える。

 そのような「物語」に汚染された予想ではなく、ランダムをランダムと認識すること。そして「大数の法則」を理解するなら、ギャンブルのような愚かな行為に熱中することはない。

 一週間ほど続けて、ミホは完全にランダムを理解するようになった。

 また、ある日は。

 コードがまるで針山のように大量に伸びているヘッドギアをかぶらされた。脳内の血流を測定するセンサーだ。脳が「物語」に反応すれば、それに応じた脳の部位の血流が活発になる。

「これをご覧なさい」

 そして法務教官は一枚の板を差し出した。それは黒い地に「星空」と同じ配置に白い点を打たれたものだった。

 ミホがまだ「物語」に冒されているなら、彼女はそれを「星」だと認識して、無意識的に視線は「星座」のかたちを追ってしまうはず。

 視線の動きは逐一測定器具でチェックされた。

「……合格です」

 夏空、冬空、天の北極、南極。ミホはそのことごとくをパスした。

「汚染はかなり軽減されているようですね。この調子なら退院も近いと思います」

「ありがとうございます」

 しかし、ミホは知っていた。

「星座」を見いださなくても、夜空は、宇宙は「物語」に満ちていることを。

 宇宙はどうして始まったかを思えば、わかる。

「真空」に生じたごくわずかな揺らぎがトンネル効果で莫大なエネルギーを解放し、インフレーションを起こす。

 ビッグバンで生まれた元素は、恒星を作り、惑星を産み、生物を産み、そしてわたしたちの肉体を構成した。

 それはニュートン力学や相対性理論と全く矛盾しない。「理論」に基づいて解釈する脳と、「物語」を司る脳。


 ミホは表向き「転向」した態度を貫き通し、脳波の検査を受け、問題ないと判定された。

 そして、保護観察つきだが、施設を出ることが出来た。

 しかし、故郷は彼女を受け入れることはなかった。

「物語」に淫していた過去のある自分は、もはやそれまでの暮らしは営めないだろう。陰に陽に「過去」がついて回るはずだ。

 ミホは監視の目を振り切り、名前を捨て、生まれ育った土地を捨てた。

 いつしか、都会の歓楽街で笑いを売るようになった。

「物語」を嗜癖するものたちが集うところだ。「恋愛」というギャンブルに興じ、お金を使い果たしていく。

 安酒場が建ち並ぶ裏通りに、派手な出で立ちをして毎晩立ち、通りすがる男たちに色目を使う。

 彼女と一夜を共にするもの――男も女も、それ以外もいた――へ、「物語」を語って聞かせた。

 星空には「神話」が描かれていること。お互い無関係な、はるか遠くの星々をつなげて「物語」を紡いでいったこと。

 彼女から「物語」を聞かされたものは、夜空を見上げるようになるだろう。

 この街は夜でも明るすぎて、星はまばらにしか見えない。

 それでも、あの星々――オリオン座は、はっきりと見える。

 彼女に「物語」を植え付けられたものは、夜空に輝く星を見るたび「星座」を、「物語」を想起し、そして脳内で「物語」を紡がずにはいられなくなる。そうして生み出された「物語」は、ひとびとのあいだに広まっていく。

 それはささやかな、しかし確実なテロルだ。

 間違いなく世界は崩れていく。

 砂浜に打ち寄せる波が、すこしずつ砂を沖に運び、浜を削っていくように――。

 

 ミホが生み出した「物語」は彼女自身を蝕むのと同時に、着実に社会を浸食していったようだ。

 一滴一滴の雨だれはいくつか集まって流れになり、それらが流れ下るうちにあちらこちらから合流し、ついには大きな濁流となって平地になだれ込み、洪水を起こすだろう。


 社会は、すこしずつほころび始めた。

「物語」が着実に社会を浸食し、「物語」に嗜癖して日々を過ごすひとびとは、どんどん増えていった。

 いくら取締りをしても追いつかない。そのうち、ある程度の「物語」は解禁すべきでは、という意見も広まってきた。「物語」をすべて非合法にすると、制御が出来なくなり、より強烈な「物語」のゲートウェイにもなりかねない。そうなる前に制御すべきだ、と。

 政治、経済、社会の取り決め、あらゆることが「物語」で決まってしまうようになった。

「物語」は彼女を蝕み、そして社会も蝕んでいった。

 不穏なニュースが口伝えに知られるようになった。

 地下で「物語」を流通させていた秘密結社が公然と活動を開始した。やがて政治に関与するようになり、この国の行き先をあらぬ方向に向けていったのだ。


 次の春のある日。

 テロ事件が発生したと報じられた。

 首都の空港で銃を乱射し、逃げ惑うひとびとに爆発物を投げつけた。

バタバタと倒れ、フロアにはおびただしい血が流れた。

 警官隊に追い詰められ、自爆して果てたが、その実行犯は、あの下級生三人だったのだ。

 彼女たちはこう言い残していた。

「冬の夜空に輝く、あの三つ星。わたしたちは、その三つ星になろう。冬の夜空を見るたび、いつでもわたしたちは輝いている」

 「物語」を抑圧する社会に対する数々の不満が、爆発したのだ。そのニュースは「物語」になって、ひとびとのあいだを伝わるだろう。

 あの忌まわしい歴史は繰り返されるのだろうか。

(まさか、サヤカ――)

 ミホは確信した。この事件には、サヤカが関わっていることに。


「物語」がこの社会に再び解き放たれてから、治安はものすごい勢いで悪化した。「物語」を禁じる政府が瓦解したのち、おのおの違った「物語」に依拠する小集団があちこちに現れ、互いに抗争をはじめた。そこに外国が介入し、乱戦の様相を呈した。

 それまであんなに安定していた社会は、見る影もなく崩壊していった。

 その有様は、施設で反「物語」教育の一環として教えられたエピソードを思い出させた。

 かつて平和に暮らしていた種族が互いに矛盾する「物語」を植え付けられ、分断された。煽動されたことによって憎しみあい、殺し合いに至った。

「物語」に冒されれれば、人間は白を黒と思い込むことも、身近なひとびとがお互いを不倶戴天の敵と認識することも可能だ。

 ひとびとは互いに「親切」にすることをやめ、排他的な「愛」――「物語」によって束ねられることになる。

 そして、「愛」の対象外とみなしたひとびと、「物語」からはみ出したひとびとを、排斥と殺戮の対象にするのだ。


 都会はいよいよ危険になった。侵略してきた外国の勢力に頻繁に攻撃され、地下壕に籠もって暮らし、食べ物も入手しづらくなった。

 ミホは生まれ育った町に帰ることにした。

 サヤカと出会った町だ。

 荷物をまとめて、「護身用」として入手した拳銃を、ポケットに潜めた。

 かろうじて運行していた長距離バスに飛び乗った。荒れ果てたでこぼこ道を迂回して進み、街外れのバス停に止まった。

 中心部にいたる道にはバリケードが築かれていた。警備の兵士はいった。

「ここから先は危険なので、入らないでください」

 手前で右に曲がると、声を掛けられた。

「そっちはだいじょうぶだ。軍隊が引き上げていったばかりだ」

 街中に入って、愕然とした。

 住宅街は、あらかた破壊されていた。

 撃破され、焼け焦げた軍用車両が、そのまま放置されている。道路のそこかしこには、おびただしい数の遺体が転がっている。兵士のものだけではない。ここに住んでいた住民たちの遺体も、だ。

 今、この町に充ちていたのは――

 爆発音、銃火器の発射音、軍用車両の履帯が地面を蹂躙する音。飛翔物が空気を切り裂く音。建物が崩壊する音。負傷者のうめき声、子供の泣き声、大人たちの嘆き叫ぶ声。

――「物語」の音だ。

 漂うのは、煙のにおい、硝煙や有毒ガスのにおい、軍用車両が吐き出す排気ガスのにおい。肉が焼けるにおい、あたりに散らばる血や臓物のにおい。転がる死体から漂ってくる腐ったにおい、うち捨てられたひとびとの身体にこびりついた糞尿や垢のにおい。

――「物語」の臭いだ。

「戦争」は大きなものから小さなものまで無数の「物語」を作り出す。それに嗜癖したひとびとは新たな「物語」――戦争を求める。抵抗の神話、武勲の伝説。被害の記憶、それらは永遠に人間の心に巣食う病巣となり、代を継いで感染を続けるのだ。

 戦争を止めるのにも「物語」が動員される。かくて世界は「物語」で充満する。

 穴だらけになって打ち捨てられた戦闘車両の影には、服をすべて剥ぎ取られた女性の遺体が捨てておかれていた。全身に傷を負い、その足のあいだからはおびただしい血が流れている。

 その顔には見覚えがあった。

(まさか……)

 腐敗をはじめた遺体の肌は黒ずみ、虫がたかっているが、間違いない。その遺体は、あのマドカ先生だった。

 あたりは薄暗くなりつつある。夕空には「一番星」――第二惑星が明るく輝いている。


 誰もいない商店街を歩いて行くと、ひとりの人影が立ちつくしている。

「ミホ。帰ってきたのね」

「……あなたは」

 サヤカだった。

「これが、あなたの望んだ世界なの?」

「それはどうかしら」

「あなたは、はじめから『物語』に関係していたの? わたしを引き込もうとしていたの?」

「……正直に話すわ」

 そしてサヤカは語り始めた。

「わたしの親は作家だった。『物語』を作ることが仕事だった。それが許されなくなっても、地下に潜って『物語』を描き続けていた。そしてわたしは子供の頃から、ひそかに『物語』を聞かされて育ったのよ。

 あのノートは両親が摘発される前、密かにわたしに託したものだった。この地上からあらゆる『物語』が消えても、星空を見上げればそこに『物語』は記されている。ほかのひとにそれを伝えれば、『物語』はこの地上から消えることはない」

 サヤカはさらに続ける。

「人間の脳は外部の情報を処理して『理解』できるかたちに落とし込むときに『物語』を生成せざるを得ない。それは、どれだけ防ごうとしても防ぎきれない。いったんトリガーを引けば、『物語』は脳の中で生成されて、止まらなくなる……たとえば、夜空の星を見たりして、ね」

 そのときふと、気がついたことを、ミホは口にしていた。

「この町に軍隊を手引きしたのは、あなたなの?」

「……そうよ」

「どうして……」

「かれらは『物語』を信じているひとびとだ。信じないこの町のひとびとより、よほどまし。わたしたちは『物語』を復活させ、ありとあらゆる方法を使って『物語』を敵視するひとびとを殲滅しようとした。もう二度と、かつてのような社会を復活させないように……」

 ミホはぎゅっと拳を握った。

「あなたなら、分かってくれるはず。あなたは『物語』を信じないひとびとに、酷い目に遭わされたのでしょう。いっしょに星空を見上げていた、あなたなら……」

「いいえ」

 ミホはサヤカの眼をまっすぐ見据えて、いった。

「分かったのよ……『物語』は人間を破滅に導くものである、と。かつて『物語』を排斥したことは正しかった。

 人間のつくりだしたものでありながらそのコントロールを離れ、規制が必要だと考えられるようになったものはいくつもある。核エネルギー、バイオテクノロジー、人工知能、そして……『物語』もそこに入った。人間のコミュニケーション技術が発達しすぎたため、弊害がその益を上回ったのよ。

 人間がほんとうに制御しなくてはいけなかったのは科学技術ではない。『物語』だ。その正しい使い方を分からないまま、ひとは肥大化した『物語』と戯れるようになった。結果が、この有様」

 そして、ポケットから拳銃を取り出す。

「ミホ、あなたも、わかってくれなかったの?」

「いえ、分かった。だからサヤカ、あなたを……」

 銃声がとどろいた。

 ほほえみを浮かべたサヤカの胸が、赤く染まった。

「……!」

「……さよなら」

 ミホに寄りかかってくずおれた。足下に血だまりが出来、サヤカの身体から力が抜けていった。


 サヤカの亡骸を地面に横たえ、ミホは思う。

 第三惑星の上にしか住めないわたしたちは「物語」に操られて産まれ、生き、そして死んでいく。

 それでも「星の世界」はしずかだろう。

 三つの星は、今日も寒空に輝くだろう。

 この宇宙は物理学と数学が支配する「物語」から自由な世界だ。

 それなのに、夜空にまで「物語」を見てしまうわたしたちは、なんと業が深いんだろう。

 この卑しい地上で、血と泥と「物語」にまみれて生きるしかないのか……。

(まだここにも、ひとつある。「物語」を紡ぎ出してしまう脳が……それを、処分する)

 ミホは、拳銃をこめかみに向けて、夜空を見上げる。

 星は、このときも夜空に輝いていた。

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Starry Sky foxhanger @foxhanger

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