第九話
マスクヴァ 街はずれの高台
街のはずれにある高台の上で、クリスパーは膝を抱えて座っていた。
周囲は草花が生い茂り、足元に咲く花の上にはひらひらと蝶が舞い降りる。時刻は午後7時。9月の夜はすでに暗くなり、少し肌寒い風がクリスパーを撫でる。寒さから逃げるように、クリスパーは腕で作った輪の中に顔を埋めた。
高台の上から見たマスクヴァの景色は、とても綺麗なものだった。
大小不均等に作られた建物の窓からは光が零れ、街灯が放つぼんやりとした灯りの下を人々が行き来している。商店街では鋭い光が煌々と輝き、食事や買い物をする人々や商売人の熱気が立ち籠っている。
クリスパーはそんな風景を眺めながら、今日の出来事を思い出していた。
大丈夫。何一つ問題ない。
夜景を見ながら、クリスパーは下唇を噛んで頷いた。
「戦闘面に関して、問題はない。あるとすれば、私の心くらいだ」
その小さな呟きは、簡単に夜風に連れ去られてしまう。まるで、クリスパーの気持ちそのものがなかったことにされてしまうかのように。
クリスパーは大きくため息を吐くと、その場から立ち上がった。そして夜の街並みの背を向けると、クリスパーの瞳にある人物が映った。
「なんだ、ここにいたのか」
そこにいたのはハムレットだった。
クリスパーが何も返答しないでいると、ハムレットは安堵したようにほっと息を吐いた。
「テレサがな、心配してたんだよ。クリスパーが何処かに行っちゃったってな」
鼻の下を擦りながら微笑み、ハムレットは言う。
「それで、私を捜していたってこと?」
「捜していたっていうか、まあ、そうだな。一応隊長だから、隊員がいなくなるのは心配だろ」
ハムレットは照れたように頭を掻いた。
「わざわざ心配してくれてありがとう。ハムレット」
ハムレットは視線を下に逸らし、嬉しそうに微笑んだ。
「ここ、いい所だよな」
一度言葉を区切り、ハムレットは続ける。
「俺もさ、よくここに来るんだ。悩んだ時とか、ひとりになりたい時とかな」
「そうなんだ」
クリスパーは振り返り、再度夜の街並みに目を向けた。先ほど全く変わらない景色のはずなのに、何処となく美しい光景に思えた。
「クリスパーは、どうして機械兵に?」
夜景に目を向けて表情を変えぬまま、クリスパーは答える。
「私は、別になりたくてなったわけじゃない。ただ、そうするしかなかっただけ」
「そっか」呟くようにハムレットは言う。
「ハムレットは、どうして機械兵になったの?」
クリスパーが聞き返すと、ハムレットの横顔は寂し気な表情に変わった。
「俺も、クリスパーと同じだよ。なりたくてなったわけじゃない。けど、助けてもらった命だから、今度は誰かの為に使おうと思ってる」
「そっか」今度はクリスパーが呟くように言う。
機械兵になる他なかったふたり。その視線の先で見ている景色は、まるで異なったものだった。
「ああ、もう遅くなってきてるし、一緒に戻るか?」
「いや、いい。まだ少し、ここに居る」
クリスパーは首を横に振る。
「わかった。じゃあ、気を付けて戻ってくるんだぞ」
軽く手を振り、ハムレットは遊歩道に消えていった。
それからしばらく、クリスパーはその場に佇んでいた。歯を食いしばり、唇を強く結びながら。
世界の終わりと機械兵 tuzikawa kei @shimura429
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