第0話 出会い(後編)
「どーん!」
部屋に入るや否や、ベッドにダイブする葉那。
黒を基調とした装いが、白いシーツによく映える。
「靴くらい脱ぎなさい?」
「真奈さんに脱がせて欲しいな〜。」
「もう。仕方ないわね。」
ほんと、甘えんぼ。
こんなにクールな格好して、流石にギャップ萌えがすぎると思うのよ。落差で風邪ひいちゃう。まぁ、そこが可愛いんだけど。
「はい。じゃあ足を持ち上げて〜?」
「はーい。」
ほんとに綺麗な脚…。
ブーツを引き抜くと、黒のソックスに包まれた可愛らしい足が現れる。
「次は反対ね。」
「うん!」
同じようにブーツを脱がすと、葉那は軽くなった足をパタパタと嬉しそうに揺らした。
「ほら、ジャケットも脱がないと。皺になるわよ?」
「分かった!」
元気な返事ね〜。でもそうやって両手を広げるってことは、自分でやるつもりは無いって事よね?
「仕方ないわね…。」
もう孫娘に接するおじいちゃんくらいの気持ち。なんでもやってあげたくなっちゃう。
「じゃあ、ここに掛けとくからね?」
「うん!ありがと!大好き!」
「…っ。」
危ない危ない。「私も!」って食い気味に言っちゃうところだった。
「…そういうのじゃないわよね。」
「んー?何か言った?」
「ううん。何も。」
いつだって、心の奥底を見せるのは少し怖い。
それに、こんなのは普通じゃない。
自分の本音を覆い隠すようにクローゼットを閉めようとした、ちょうどその時。
「すごい!これバスローブってやつだよね!」
靴下のままの葉那が私の傍まで来ていた。
見てみると、確かに白いローブが2組用意されている。
「着替える?」
「…うーん。」
何かを考えるように首を傾げた後で、葉那は私の手を取った。
「一緒にお風呂入ろ!」
「…は?」
お風呂ってお風呂よね?裸の付き合いよね?
私、耐えられないかも…。
「あれ、そういうのダメだった?」
「いや、そんなことは無いんだけど…。」
「じゃあ、私とはイヤ?」
「ううん。むしろ良すぎるというかなんというか…。」
(私にとって都合が)良いというか、イヤ(らしい目で見てしまいかねない)というか…。
「じゃあ、ほら!行こ!」
葉那は煮え切らない態度の私の手を引いて、バスルームへと向かった。
「おっふろ、おっふろ〜。」
あの、葉那さん…。そんなにスルスル服を脱がないでもらって良いですか?まだ心の準備が…。
そもそもね、貴女の体えっちすぎ!スラっとしてて、おっぱい大きくて、肌白くて…。
あぁ…。そんなこと言ってるうちにもう下着だけに…。下着も可愛いし…。私、今日どんなの付けてたっけ…?
「あれ?真奈さんどうしたの?」
「あっ、いや…。」
頭ぐっちゃぐちゃでフリーズしてただけなの。ついでに、この子の体を見た後に脱げないというか、脱ぎたくないというか…。
「あっ。もしかしてそういうこと?」
葉那は納得したように声を上げたあと、少し意地の悪い笑みを浮かべながらこちらへにじり寄ってきた。
「もー。しょうがないなぁ。今度は私が脱ぎ脱ぎさせてあげるね?」
えっ?葉那が、私の服をってこと?
いや、むりむりむりむり。恥ずかしいし、申し訳ないし、恥ずかしいし、後ろめたいし…。
…でも、ちょっとだけ嬉しいかも。
「いや!そうじゃないから!大丈夫だから!」
いや、流石にそれはまずいんじゃない?
嬉しいとかそういう問題ではない気がするんですけど?
「良いから良いから。ほら!」
あぁ。私のシャツのボタンが外れていく…。
私、4つ下の女の子に服脱がされてる…。
多分顔真っ赤。熱くなってきてるの分かるもん。
「うわぁ…。真奈さん、肌きれーい。」
やめて?そんなお世辞。
葉那の方が一億万倍綺麗だから。
…お世辞って分かっててもニヤケちゃうから。
「いや、でも、今日の下着とか、多分あんまり可愛くないの付けてるし…。」
「えー?可愛いよ?それより多分って何?」
「いや、覚えてないし…。」
「今見たらいいじゃん。手で隠してたら真奈さんの可愛いお顔が見えないよ?」
「今、絶対見せれない顔してるもん…。」
「下着姿見せてるのに?」
「それは…そうだけど。」
「じゃあ、ほら。手、どけて?」
私の手首に葉那の指が掛かる。
少しずつ視界が明るくなっていく。
ふと横目に鏡を見ると、予想の通りに耳まで真っ赤になった私が写っていた。
「久しぶり!」
子供に目線を合わせるように屈んだ葉那が、俯いた私と視線を交える。
「ほら、お風呂入ろ?」
「…うん。」
なんならもう涙目。自己嫌悪と恥ずかしさでもう訳分かんなくなっちゃってる。
「下着も脱がせてあげよっか?」
「それは自分で出来る。大丈夫。」
「…ふーん。」
どこか不満げに見えるのは、期待しすぎてるからよね?
普通に友達になれたら、それだけで幸せ。
うん。そうよ。間違いない。
「ほら、冷えるから早く入りましょ。」
「うん!」
平静を取り戻し、いつもの口調に取り繕う。
彼女の肢体を目に入れないよう、「危ないから」なんて言い訳をしながら足元を見つめた。
抑えられない心臓の高鳴りだけは悟られないよう、そんなことを無責任に祈った。
「ねーねー。洗いっこしよ?」
「いいわよ?」
その程度は想定済みよ。抜かりなくボディタオルを持ち込ませていただきました。
素手で触れる訳にはいかないのよ。
「じゃあ、私が先に洗ってあげる。」
決意が固まってるうちにやってしまいましょ。
背中側からなら、まだ私の理性も耐えてくれそうだし。
「うん。おねがーい。」
視界いっぱいに広がる真っ白な背中、そしてうなじ。
首から肩、そして胸、腰、お尻とあまりにも美しい輪郭は「芸術的」なんて表現しか思い浮かばないほどに美しい。
「目、閉じててね?」
「はーい!」
シャンプーを手に馴染ませ、ゆっくりと髪に指を通していく。
「真奈さんは、頭から洗う派?」
「あ、うん。汚れは上から落ちていくからって…。」
「えっ、確かに!真奈さん頭いい!」
「考えたのは私じゃないけどね…。」
人の体洗うのってすごい気を使うわね。
いちいちシャワーの温度確認したり、肌が傷つかないようにしっかり泡立てたり、普段なら絶対やらないのに。
「よし。じゃあ次は…」
シャワーで泡を綺麗に流し切り、背面は終了。
となると、次にやることは一つで…。
「こっち!」
元気よくこちらを振り向いた葉那。
「ちょっ、葉那!?」
「あっ、ごめーん。水飛んだ?」
飛びそうなのは私の理性の方…。
いや、そんなこと言ってる場合じゃないわね!大事なのは気合いよ!
「ううん。大丈夫。」
「じゃあ、ゴシゴシ行っちゃって!」
「おうよ!」
口調だけは立派ね…。
そんな自嘲だけが私を咎める。自制以外の方法では歯止めが効かない。
欲張りな理想と現実的な不安とが競り合っても、葉那自身が私を先へ先へと誘っている。
体を覆う泡が増える度に、葉那に詳しくなっていく。
移り変わる息遣い、盛れ出した声。全てのリアクションが、本来知りえない彼女の全てを暴いていく。
その度に少し嬉しくなって、その度に少しずつ苦しくなる。
やがて彼女は真っ白に染まり、その素肌はほとんど見えなくなった。
私はそんな葉那の体から、目を背けざるを得なかった。
「じゃあ、次は私が洗ってあげるね!」
元気な彼女の笑顔に、胸が締め付けられる。
「うん。ありがとう。」
平静を装うのに必死で、簡単な返事も素っ気なくなってしまう。
それからのことはあまり覚えていない。
でもきっと、私は凄く嫌な女だったと思う。
痛々しい沈黙が部屋を満たす。
私が悪いのに、私だけのせいなのに、私は唇を噛み締めるばかりで何も言えないでいた。
「…真奈さん、私、なにかしちゃった?」
そんな静寂に、葉那の泣きそうな声が響く。
彼女は不安に瞳を潤ませながら、心の底から申し訳なさそうに、震える声を絞り出していた。
「私、昔から出しゃばりすぎだって、そんなに仲良くもないのにって、言われてるのに、ごめんなさい…。」
「違うの。葉那。ほんとに違うのよ。」
「でも、突然一緒に泊まろうとか、お風呂入ろうとか、図々しいし…。」
「ほんとに違うの。私のせいなの。貴女は悪くないの。」
「じゃあ、さっきまでみたいに笑ってよ。私は嫌なこと、何もないのに。」
「ダメなの。葉那。ごめんね。貴女に甘えすぎちゃう。」
「うるさい!」
立ち上がった葉那の頬から、涙が落ちる。
滴った雫はシーツを濡らし、そこに黒いシミを作る。
「私がとか、貴女が、とか、そんなことどうでもいいの!こんな風にバイバイしたくない!一緒にいてよ!一緒に寝て、目を覚ましたら真奈さんがいて、買い物とかして、それで…。」
「うるさいのは葉那でしょ!私は貴女と友達になりたい訳じゃないの!そんなの私に言わないでよ!」
「じゃあなんで一緒に来たの!私が話しかけても無視したら良かったじゃん!」
「葉那が可愛すぎるのが悪いんでしょ!友達なんて嫌なの!私だけの葉那じゃないと嫌!」
あぁ…もう止まらなくなってる。
身勝手な理論で葉那を責めて、何も悪くない葉那を泣かせて、こんなに可愛い葉那を、こんなに好きな葉那を…。
「大体ね、無防備すぎるのよ!あんなの他の人にやって欲しくない。でも友達みんなにそうなんでしょ?私もそれと同じ…。」
「本気?」
私の言葉は遮られた。
今までとは違う、冷たい声だった。
「それ、本気で言ってる?」
顔を寄せ、私の目を覗き込みながら、葉那がもう一度言った。
瞬間、顎に彼女の指が添えられた。
「…っ!!」
葉那の顔が迫り、反射的に目を閉じたと同時。唇に柔らかな物が触れた。
頬にかかった指が下唇をずらし、ぬるりとした感触が口に伝わってくる。
自分の物よりも冷たい唾液が口の中で混ざり、舌先が歯茎をなぞっていく。
「っん〜〜〜!!!」
視界が真っ白になり、体から力が抜けていく。
「あっ、わっ。」
葉那が体を支えてくれたんだろう。
慌てたような声と共に体に回された手がゆっくりと私をベッドに横たわらせた。
「…ごめん。やりすぎた。」
「…っ、ううん。私っ、ごめっ、ん。」
嗚咽で謝罪が喉を通らない。
涙が今になって堰を切ったように溢れ出てきた。
「葉那っ、ごめっ、ごめんね?私っ、ほんとっ…。」
「謝るんじゃなくて、笑って欲しいな。」
「っ、それは、ちょっと、ごめっ。今、むりっ。」
「うん。ゆっくりでいいよ。」
滲んだ視界に、葉那だけが映る。
真っ赤な目で私を見つめる彼女は、とても優しい笑顔だった。
「ごめんっ。ごめっ、ごめんねっ。はなっ、ごめんっ。」
「大丈夫。大好きだよ。」
「っうん。私もっ。大好き。葉那。」
年甲斐もなく大泣する私を葉那は抱き締めてくれていた。
その日は、葉那の胸で眠って、
「おはよ。真奈さん。」
「うん。おはよう。葉那。」
目を覚ました時も葉那が一緒だった。
「…んっ。」
おはようのキスをして、
「涼風葉那さん。私と恋人になってくれますか?」
「はい。喜んで。」
私たちは特別になった。
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