第8話

 世界のねじまき時計は鼓動を止めて。

 施錠されたその扉はもはや人類の手で開けることは叶わない。


 空は雲と砂で覆われていて。

 人々は乾く世界の中で空の向こうへの帰還を夢見ている。

「青空を取り戻す」と人々は大地の上で叫んでいる。


 けれども——。


「その青空はあなたのいうように、きっと誰のものでもないのだわ」


 シュレーニは動くことをやめてしまった時計の前に立ち、ララバイにそう告げました。


「シュレーニ、けれども」

「翼がなくても、あなたは十分に美しい。だから今度は、わたしが行くわ。あなたにこそ、その青い空を見せてあげたいもの」


 シュレーニがあの歌を口ずさみ、そっとねじまき時計に触れると。どうしたことでしょう、時計の止まっていた部品たちが一斉に解き放たれたように動き出しました。

 泉の水を汲み上げて、青く輝き出したその時計の巨大な盤面が動き出します。空に刺さったままの塔は少しばかり揺れ始めているようでした。


「シュレーニ、きみは」

「ヒトが犯した罪ならば、ヒトが取り戻しにいかなくちゃ。そこにきっと、あんな恐ろしい手段なんて必要ないのよ」


 その隣には、どこから飛んできたのか茄子が誇らしげに佇んでいます。


「ヒトデナシがこう言うのなら。ぼくがついていくよ、ヒトデナシは世界よりもきっと、ララバイ、きみを救いたいのさ」


 巨大なねじまき時計のカラクリの中から現れた小さな懐中時計。ぐるぐると針の回転するそれを手に取って、シュレーニは歩き出しました。

 頑丈な鎖を何重にも巻きつけた、強固な扉は。少しばかりの光を放ってその鎖をはらはらと削ぎ落としてしまったのです。




 空への帰還を祈る歌。

 それは遠い昔にララバイが生まれ落ちた、向こう側の世界の言葉で謳われていたものでした。


「シュレーニ。きみが……あのときの。白いライラックの種だったのだね」


 シュレーニの去った後、ララバイはひとり残された塔の中でそう呟きます。

 その背には大空を羽ばたく翼はもうありません。ですが——。


「ヒトは結局、希望を自分たちだけのものにしようとして。また失ってしまうんだね」


 泉の水は、ねじまき時計に汲み上げられてその流れを変えてしまいました。

 塔の下へと流れ落ちる水源はどうなるのでしょうか。


 立ち上がったララバイの脚には、もう古ぼけた鎖はついていません。


「わたしも……元いた世界に戻っても、許されるのだろうか」


 扉の向こうからは、数百年ぶりに聴こえる鳥の囀りが、まるでララバイの帰還を待っているように響いてくるのでした——。








※北欧やヨーロッパ地方に残る、「白いライラックを持ち帰った者には不幸が訪れる」の伝承を元にしております。("シュレーニ"は北欧の言葉でライラックの意)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ララバイの飛んだ青い空 すきま讚魚 @Schwalbe343

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る