帝都匿名譚.mp3

久納問/toi kuno

導入/コーヒースタンドにて。

 東京、という街には空がないという。なんて言葉を遺したのは高村光太郎だったか、妻の方だったか。

 確かにそうなのかもしれないと辺鄙な片田舎でぼんやりと暮らしていた頃は漠然とそんな印象を鵜呑みにしていたものだが、いざ東京という街へ降り立てば言うほど空は狭くもないもので、東京の空が再び広がったのか。あるいは僕の故郷も東京と大差ない都市になっていたのか。はたまた近代化にまつわる都市の再開発によるものなのか。案外そのすべてなのかもしれないと鞄を背負い直しながらなんとなしに思考を巡らせたりしていた。

 時間は朝の七時。名古屋から始発で乗った新幹線から下車し、これから仕事へ向かうのであろう大人の群れでごった返すホームを抜け、故郷でも馴染み深い緑色をしたチェーン店のコーヒースタンドへ向かう。

 

 俯きがちにスマホを眺める人々が並ぶ行列を経てドリップコーヒーを注文し、流されるように受け取り口へ向かう。朝からテンションの高い笑顔で品を差し出す店員からカップを受け取ると、構内を見下ろすカウンター席へ腰掛け辺りの様子を見渡す。

 ネットじゃ社畜川、なんて揶揄されているように朝も早い時間だというのに人々は早足でせかせかと通路を歩いて行く。早起きは三文の得とは言うが、果たしてここを歩く人の何割に時間外加算の給料が与えられているんだろうな、なんて考えながらコーヒーを口にする。変わらないクオリティの、故郷で飲んでいたそれと同じ味に僅かな安心感を覚えながら息を吐き、改めて通路へ視線を落とす。

 おとなしい髪色にビジネス然とした格好の老若男女は忙しなく通路を歩き、その脇には海外からの旅行客と思しき鮮やかな金の髪に大きなキャリーケースを引きずった男性や派手な色の衣服を身に纏った女性が地図らしき紙を広げている。

 出立前の名古屋駅でも見かけた新幹線が停まる駅ならではの光景、といったところだ。

 

 カップの中身を半分ほど空けたところで辺りを一瞥すると、スマートフォンを取り出しメールアプリのアイコンをタップし目的の画面を展開する。

 重要メールファイルの中に格納しておいたあメールを開くと、そこには渋谷のとある事務所へ行くよう指示が書かれている。それに付け加えるように、こちらの駅――品川駅に案内役を向かわせているからそいつと合流するように、とも。

「案内役、ねぇ」

 メールを読み返しながら独り言のように呟くと不意に着信が入る。カップを呷り軋む背凭れへ背を預けながら着信を取ると、軽やかに鳴らしたグラスのような声が耳元へ届いた。

「お疲れさま、繰原さん。今、どちらに?」

「……誰?」

 名乗りもせず居場所を尋ねる電話口の相手に若干の苛立ちを覚えるものの、それを飲み込むようにコーヒーを喉へ流し込む。

「あぁ、失礼したね。私は——」

 

   *

   

 背後に気配を感じ振り返ると、そこに立っていたのは学ランにマントを羽織った少年だった。

 柘榴石を思わせる紅い瞳に男女の区別が曖昧になりそうな声と端正な顔立ち。手には通話を繋いだままのスマートフォン。もう片方の手には彼の体格に丁度いいサイズの、彼の服装によく似合う古風な意匠のトランクを下げている。かろうじてこの子供を少年、と判断したのも服装によるところが大きいのだろう。もしこの子供がスカートを履いていれば、僕は容易くこの子供を少女だと判断していたに違いない。

「驚かせてしまって申し訳ない、早めに合流するよう社長から言われていてね。

 ……繰原経悟くん、だよね?遠路はるばる来てくれて感謝するよ」

 どう見ても十は離れているであろう少年はこちらへくん付けをしながらそう尋ねると通話を切り、芝居掛かった口調で隣のカウンター席へ腰掛ける。そのままスマートフォンでコーヒーショップのアプリを操作すると満足気に頷き、じ、とこちらを見つめる。

「社長から聞いてはいたけど、見事な赤錆色だねぇ……いやはや、ここまで派手に呪われて未だに生きてるだなんて。賞賛に値するよ」

「……あんた、誰」

「あぁ、失礼。すっかり名乗るのを失念していたよ。……改めて、私はこういう者だ」

 そう言いながら名刺を差し出してくる。そこには、これまた古風な意匠と共に『リザリクチューンレコード 御舟つるぎ』と刻印されている。印刷技術には疎いが、確か活版印刷……というやつだった気がする。

「御舟……さん?」

「くん、で構わないよ。私にとって美少年である、ということは何よりの勲章だからね」

 どこか違和感を感じるその言葉に質問を重ねようとしたところで彼のスマホが軽やかな音で通知を鳴らす。

「おっと、ちょうど注文の品が出来たようだ。いただいてくるからちょっと待っててくれよ」

 彼が座るには些か高さがある椅子から飛び降り、そのままマントをはためかせカウンターへ向かって行く。その背を見送ると、再び名刺へと視線を落とす。

 リザリクチューンレコード、というのがこれから僕が世話になるレコード会社だ。


 蘇我崎。名前だけならきっと誰でも聞いたことがあるだろう。少なくとも、この駅を歩いている人間ならその名前の前に「あの」という連体詞はマストで付きかねないし、なんならその人間の半分くらいは大なり小なり蘇我崎の傘下の企業に所属していると言っても過言ではない。

 糸巻きからロケットまで、この世に存在するもので扱っていないものはない世界的財閥の名だ。リザリクチューンレコードはそんなモンスターのような規模の財閥を親会社に持つ直系の子会社であるが、所属するアーティストは両手の指で足りるほどしかいない。しかし、その全てのアーティストが世界的に活躍しているという少数精鋭思想を極限まで突き詰めたようなレーベルだ。

 だが、そんな企業であるにも関わらず、エンタメ市場に於いて圧倒的な力を持っているにも関わらず、その力を振るうことは滅多にしていない。さながら能ある鷹が狩りすらしないかのように。

 曰く、社長の方針が所属するアーティストの育成に重点を置いているからという噂もあれば、蘇我崎の本家がエンタメに力を入れていないためにそのあおりを受け干されているという噂もある。しかしその全てに根拠などなく、あくまで音楽に触れる人々が口にする噂でしかない。

 そんな超弩級戦艦のような力を持ったレーベルに、僕は所属することとなったのだ。


「お待たせ、繰原くん」

 そうしてしばらく名刺を眺めていると、山のような生クリームの乗った抹茶のフローズンドリンクを手に御舟が戻ってくる。テーブルにドリンクを置いて椅子へ腰掛け直すと、懐から手帳を取り出しぱらぱらとページを捲り目を通していく。

「ええと……うんうん、来歴は概ね聞いているよ。主に『オネット』名義で活動中、趣味で始めた弾き語りがバズって今じゃ投稿する楽曲が全てストリーミングで千万単位の再生数、デジタルEPもチャート一位……しかし顔出しでの配信は一切せず男性であること以外の素性も全て非公開。インターネットを主戦場にするアーティストとしては願ってもない逸材だ。是非ともうちの戦力として迎え入れたい、って社長の意見もよくわかるよ」

 ストローを咥えフローズンドリンクを飲みながら感嘆するように息を吐くつるぎの仕草に、なんとも言えない居心地の悪さを感じる。

 確かに彼の言葉は全て正しい。しかし、あの蘇我崎という組織が自分のような『どこにでもいる音楽人』をそう簡単に懐へと招き入れるとは到底思えないのだ。

「ははっ、そう難しい顔をするものじゃあないよ。大丈夫、君をうちに迎えようというのだって、君が思うような安易な理由じゃあないからね。本当の理由は……まぁ、言わずとも分かるだろう? 少なくとも、私は君が聡い人物だと信じているからね」

 僕の心の内を見透かすような軽快な笑い声と共に手を振り否定する。その言葉に否定も肯定も出来ないまま気まずげにコーヒーを啜りながら御舟の方へちら、と視線を投げるとばっちりと目が合う。おまけにウインクまでしてくる。……こういう自分への自信に満ちあふれた人間っていうのは、どうにも苦手かもしれない。

 コーヒーカップが空になるのと同時に丁度フローズンを飲み切った様子の御舟が再び椅子から降り、こちらへ手を伸ばす。

「じゃあ行こうか、詳しいところはうちの事務所で話そうじゃあないか」

 柘榴石の瞳を輝かせながら少年はそう告げた。

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