第8話 天地の理をもって

〈 拾伍 〉


 スマホが鳴って一時退席した士郎が、柴山の病室へと戻ってくる。


柴山シバさん、酒井が自供しオチました」


 その一言を聞いた瞬間だった。


「そうかっ……そうか……」


 張り詰めていた気持ちが一気に開放されたかのように、ベテラン刑事・柴山の万感の思いがあふれ出した。一体どれだけ眠れぬ夜を過ごしただろう。もはや遺族の満足する解決など出来るはずもないとさえ考えていた。

 脱サラしてまでなった警察官。生涯現場のヒラ刑事にとって、何よりの報告だった。


 しかし士郎の胸中は複雑だった。そんな部下の表情を汲み取ったのか、目元を拭った柴山が一声掛ける。


「なんてツラしてやがる。俺に気ぃ使って、つまんねぇこと考えるな」


「でも……この事件の取り調べは柴山シバさんがやるべきじゃないすか。なのに名前も知らねえ本部の若いヤツに手柄取られて……」


「兵頭。それは違うな」


 尊敬する上司に手柄を取らせてやれなかったという自責の念から、落ち込んでいた士郎。その上司本人の厳しくも優しい声にようやく顔を上げた。


「いいか。この事件には何百人という警察官が捜査に関わっている。その誰かひとりが欠けても犯人検挙にはつながらなかった。茶坊主から始まった俺の特捜事件だが、最後に県警本部の若いのにホシ挙げてもらって誇らしく思ってるよ」


柴山シバさん……」


「ほれ。こんなオッサンの見舞いなんてしてねえで、さっさとご遺族に報告してこい。こいつばっかりは、ほかの誰にも任せられんねえ仕事だ!」


「はいっ!」


 勢いよく病室を飛び出した士郎。

 院内では走らないでと、まるでベタな学園ドラマのように看護師さんにたしなめられる。トボトボと足の運びを緩めたところで、聞きなれた声を耳にする。


「それでは班長、これで失礼いたします。お大事に」


 病室から出てきたのは、丸いレンズのサングラスをした黒髪ロングの女性だった。室内に一礼して廊下を歩きだした彼女と士郎の目が合った。


「あ――」


「あ、じゃないわよ。二日も連絡よこさないで」


「ケータイも持ってないヤツとどうやって連絡取れと?」


 ふたりはあの後、別々に警察の聴取を受けて現地解散となった。まさか自分たちの上司が同じ病院にいたとは思ってもみなかったので、サンハイツ佐々良の一件からじつに二日ぶりの再会である。文句は言いつつもお互いの表情は明るい。すでに『戦友』のような気安さがあった。


 士郎は院内にある憩いの広場へ彼女を誘い、冷えた缶コーヒーを差し入れる。日に日に暖かくなる春の終わり。火照った頬にピタッとつけると、ひんやり気持ちがいい。


「班長さんはどう?」


「おかげさまで昨日、ICUから一般病棟に移れたわ。全身にあったがん細胞が跡形あとかたもなく消えてしまったってお医者さまが」


「祟りで済ませていいものなのかね、それ……」


 医療のことは分からないが、それが常識外のことであることは理解できる。きっと担当医も目の前で起こった現象以上のことは説明できないのだろう。


「あのさ……あの時、ありがとうね」


「あの時? あの時って?」


「ほらぁ。わたしが窒息し掛けてる時に蛇を投げ飛ばして『桔梗ちゃん、今だぜ!』って」


 妙にしおらしい桔梗を気味悪がりながらも、士郎は頭にクエスチョンマークを浮かべていた。

 彼女が窒息し掛けている時と言えば、自分はちょうど屋根裏でホコリやネズミの糞と格闘していたのではなかったか。


 酒井を検挙するに当たって最終的な決定打となった『缶に入った小さな右腕』は、やはり三鷹一家の長女・絵里のものであるとDNA検査の結果で裏付けられた。


 その右腕入りの缶を持って屋根裏から降りてきた時に見た桔梗は、すでに鬼の形相で石像を組み伏せていたはずだ。

 だいたい自分には霊的な存在など一切視えないのに、どうやって『神さま』を投げ飛ばせというのだろう。


 身に覚えのない彼女からの感謝に対して怪訝な顔をしていると、桔梗は口を押さえて「やだ」と言った。


「あれ、お祖父さまだったんですか! 『桔梗ちゃん』って呼ぶからてっきりお孫さんのほうかとばかり――」


「えっ。祖父さん? 祖父さんが『神さま』ブン投げたの?」


「そうみたい。今、あなたの横でダブルピースしてる。『いえーい』だって」


「死んでも元気だな、うちの祖父さん」


 ひとしきり祖父ネタで笑った後、桔梗は『神さま』の顛末を話し始めた。

 もともとはこの辺り一帯の地霊であったこと。度重なる飢饉により、土地神として忽那山に祀られたこと。時代が移り変わり、人間が自分のことを忘れてしまったこと。そして久しぶりに誰かがやってきたと思ったら、右腕を切り落とされたこと――。


「許せなかったのね。溜まりに溜まった怨念が、その時、絵里ちゃんによこしまな気持ちを抱いていた酒井に憑りついたみたい。証拠の一切が出なかったのは犯行が神域で行われたから……もちろんこれは霊能者としてのわたしの意見。非科学的だというのは承知してる」


「……そうか。それがこの事件の真相か。しかし……ご遺族にはどう伝えたもんかな」


 うーむと腕組みをして悩む士郎に「無理して伝えなくてもいい」と言う。


「霊的なものにすがってしまいがちな状況にも負けず、ただ現実と向き合い続けたご遺族は素晴らしいと思う。その強い想いが、今回の事件解決に結びついた」


「でもそれじゃ桔梗ちゃん達の苦労は」


 桔梗はふるふると首を横に振る。

 その表情は春の日差しのように暖かく柔らかだった。


「わたし達の仕事は、目に見えない。それが本質なの。それでいいのよ」


「――じゃあさ」


「ん?」


「俺だけは覚えてるよ。この事件が解決したのは、井桁桔梗っていうすげえ陰陽師がいたからだってことをさ」


 ひとに祀られし神はひとによってまたひとに仇なす。

 一匹のくちなわも時を経れば、あやかしに変わる。ひとの心に棲む蛇も、ひとたび鎌首を持ち上げれば止まることを知らず。


 そんな時に彼らはやって来る。


 天地あめつちことわりをもって、魔を滅するもの。その名は陰陽師――。



(おしまい/ご愛読ありがとうございました)

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心霊捜査官・井桁桔梗 真野てん @heberex

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