第7話 桔梗VSカミサマ


〈 拾参 〉


 二日後――。

 すべてが終わったあと士郎の姿は佐々良署管内にある県立病院の一室にあった。開け放たれた窓から吹くそよ風に生成り色のカーテンが揺れる。

 病室のベッドにはひとりの中年男性が身体をお越して座っていた。


「すまねえな、兵頭。全部任せちまって」


「なに言ってんすか。俺は柴山シバさんの後ろ追っかけてっただけで、なんもしてないすよ」


 照れ隠しに首回りを撫でる。

 親子ほど歳の離れた部下が可愛くて仕方がないのだろう、険しい表情をしているが柴山もまた士郎の言葉に嬉しさを隠せない。


「さあ。聞かせてもらおうじゃねえか。ことの顛末をよ」


「はい……まず酒井和夫ですが、児童への声掛け事案で何度か通報されてました。いずれも不起訴処分となっており大事には至っていません。しかしそのたびに住居を変えていて、現在は県内の別の管区に住んでます」


「その男の指紋が、例のアパートから出た遺留品ブツの指紋と一致したんだったな」


 柴山がデカの顔に戻った。

 病み上がりとは思えないほどの鋭い眼光を見せ、士郎も思わず背筋が伸びる。無言で大きく首肯をして「でも、それだけじゃないんです」と続けた。


「酒井の聴取の際、念のためにすべての遺留物の指紋採取をもう一度やり直したんです。そしたら『斧』からひとつだけ新たな指紋が見つかりました。それが……」


「酒井のものだったか」


「はい。今までたったひとつも見つからなかった犯人につながる証拠が、いきなり見つかったんです。十数年の時を超えて。これは何というか……」


「例の『神さま』ってヤツの仕業か」


 ヤニだらけの歯をむき出して柴山は笑う。

 つられて「ははは」と苦笑するが、それらを簡単に否定するには士郎はいろいろなものを見過ぎてしまった。意識不明だった柴山が突然、目覚めたのもしかりである。


「御木谷のオヤジんとこの嬢ちゃんにも世話になったらしいな。いい勉強になったろ?」


「いやもう勉強というか、なんというか……」


 井桁桔梗。

 現代の陰陽師を自称する彼女と共にしたあの日のことは生涯忘れないだろう。一日中、夢かうつつか判然としない体験をして、いくらか寿命もすり減らした気がする。

 とくにサンハイツ佐々良205号室での出来事は、数日経ってなお現実とは思えなかった――。




「――桔梗ちゃん?」


「居る。押し入れの天袋てんぶくろのところ」


 そう言われても士郎には視えるわけもないのだが。

 夕暮れ迫る街角。

 突如、弾けた蛍光灯に、その場にいた三人は固まった。いち早く動いたのはやはり井桁桔梗である。石像をくるんだ風呂敷包みを手に、ずかずかと205号室へと乗り込んでいった。

 士郎は玄関口でただ恐怖におののいている管理人に「ここに居てください」とだけ言い残して彼女のあとに続いた。


 蛍光灯の割れた破片が散らばる和室の隣りに六畳の洋間がある。

 部屋を隔てているふすまはすでに開かれており、丸レンズのサングラスを外した桔梗は、鋭い視線でその部屋を射貫いていた。


「石像と逆で身体は蛇だけど首から上は人間――ていうか絵里ちゃんの顔してる」


「うぇ、気色悪っ、あ、絵里ちゃん、ゴメン」


「さっきの不動縛呪ふどうばくじゅで動きを封じてるけど、いつ動き出すか分かんない。急がないと」


 士郎は玄関先での彼女の行動を思い出す。

 いきなり大きな声で呪文を唱えだして面食らったが、そういう理由があったとは。


 桔梗は愛用のキャリーケースを開くと、紫色をした大きな敷物を取り出した。それを和室と洋間の境界に広げると、例の石像を風呂敷包みから解いて真ん中に置いた。

 さらに四方に線香を焚き、酒、塩、もち米を皿に盛って石像に供える。膝元には何枚かのお札が用意されていた。


「不動明王の羂索けんさくが解ける前に『神さま』を依り代に……石像にうつす」


「それってお祓いするってことか?」


「違う。人間に神は祓えない。祓っちゃダメなの。だから元居たところへお帰りいただく。時間は掛かるけどそれしか方法がない」


「具体的には?」


「説得する!」


 非行少年の補導かよ――とは一瞬思ったが、桔梗の真剣な眼差しを見てツッコむのはがんばって堪えた。


「こっちがいかに相手よりも格上の神さまと付き合いがあるのか匂わせて、事を構えるのは割に合わないと分からせるのよ」


「ヤンキーの喧嘩かよ。たち悪ぃな」


 さすがに二度目は我慢ができなかった。

 そうこうしているうちに桔梗の準備が整ったようだ。長い黒髪を後ろで一本に束ね、石像の前で静かに正座をした。


「行きます!」





〈 拾肆 〉


「かけまくもかしこきいざなぎのおほかみつくしのひむかのたちばなの――」


 さっそく士郎には理解不能な状態になってしまっている。桔梗は洋間に向かって手を合わせ、全身全霊を込めてまじないを唱えている。

 もしかしたら地鎮祭なんかで読まれている祝詞のりとなのではないかと気づいたのが、かなり最後のほうだった。

 それよりもなによりも「わたし吹っ飛ばされるかもしれないから、後ろに立ってて」と桔梗に言われたので正直、気が気ではない。

 いつなにが起きるか。その変化の一切が士郎には分からないのである。


「――はらへたまひきよめたまへとまをすことをきこしめせとかしこみかしこみまをす」


 パン、パンと。

 部屋中に響くように桔梗が柏手かしわでを打つ。するとそれに呼応するかのように玄関先でドアが突然締まり、壁や天井を「ダンダンダン」と叩く音がした。

 これが俗に言うポルターガイスト現象というヤツか――しかし頭で分かったところですぐには常識が追い付いて来ない。

 ドアの向こう側で管理人が騒いでいる。どうやら勝手に鍵が掛かったらしい。


 閉じ込められたっ――士郎は背筋に嫌な感触を味わう。


 部屋中を殴打する見えない快音は一向に収まる気配はない。ばかりかキッチンの戸棚やユニットバスの扉、トイレのドアなどが一斉に開いたり閉じたりを繰り返している。

 次第に窓はガタガタと震え始め、今にも割れてしまいそうな勢いだ。


 祝詞を唱え終えた桔梗は、洋間をキッと睨んだまま動かなくなった。

 両の拳をしっかりと膝に置き、正座を崩さず。

 正確な時間は分からないが、かれこれ七、八分はこうしている。次第に頬は紅潮し、額から珠のような汗が噴き出していた。


「桔梗ちゃんつぎは?」


「つぎなんてない。あとは我慢比べよ……どっちの根性が据わってるか、ただ睨み合う……」


「や、だからヤンキーの喧嘩かって」


 部屋に突入してからほぼ三十分ほどが経過した。

 石像を囲む四方の線香が燃え尽きようかという時だった、終焉はいきなり訪れる。


「ぐっ――」


「桔梗ちゃん!」


 桔梗の首筋にクッキリと『なにか』に締め上げられる跡がついた。さすがの彼女もそれを取り払おうと必死にもがいている。苦痛で顔が歪み、喉元を手で引っかいていた。


「おい! どうした! なにが起きてる!」


 呼吸を途絶え途絶えにさせながら、桔梗は洋間の押し入れを指差した。震えるその指先は、天井付近を示している。


「……て、天袋……う、うえ……」


「あぁ? 天袋? 天井か、そこになにかあんのか?」


 もだえ苦しむ桔梗は、士郎の言葉に必死にうなずいた。

 洋間へと躍り出た士郎。

 開け放った押し入れの中段板に足を掛け、天袋の中へとよじ登る。いたって何もない、普通の天袋である。サイズにして一畳あるかどうかだ。しかし桔梗が指差していたのはもっと上。つまり屋根裏だ。


 士郎は天袋の一番奥にある天井板をグッと持ち上げる。

 すると重しを乗せただけの薄いべニア板は簡単に浮いた。古い和室によくあるメンテナンスのための点検口である。


「ぶはっ」


 長い間ひとの手が入っていないのか、天井板を取り外した途端にほこりやネズミの糞が士郎にふり掛かる。だが今はそんなことを気に掛けている暇はない。

 士郎はオイルライターの火を点けると、屋根裏にひょっこりと顔を出して辺りを照らした。


 すると『それ』はあった。


 築三十年以上、下手をすれば即倒壊しかねないアパートの梁を、士郎は慎重に進んでゆく。地元の消防隊員との合同演習で培ったロープ渡過とかの技術がここで役に立った。こんな時だが、子供の頃に読んだ乱歩の屋根裏の散歩者を思い出す。

 とはいえ士郎ほどの身長があれば、身体をひと伸ばしして手を突っ張れば余裕で届く距離だ。かくして彼は、屋根裏に隠されていた異物を手にして洋間へと降りてきた。


「桔梗ちゃん、これか!」


 士郎は自分の手にしてものが、大きめのクッキーの缶だというのに気が付いた。

 いつからあそこにあったのだろうか、堆積したホコリが尋常ではない。新任とはいえ反復行動により染み付いた習性により、手袋はいつの間にかハメていた。

 ふたを開けると――。


「ぐ、こいつは……」


 手だった。小さな小さな手があった。

 すでにミイラ化して久しいと思われる人間の右腕が、大量のシリカゲルと一緒に空き缶の中へ閉じ込められていたのである。

 ふと桔梗に言われた「素人の真似事がたまたま上手くいく」という言葉を思い出す。

 それと同時に桔梗本人のことも思い出した。


「桔梗ちゃん!」


 士郎が振り向くとそこには、暴れる石像を抑え付けている鬼神のような桔梗がいた。

 後ろでまとめていた黒髪を振り乱し、衣服は大きく乱れている。

 髪の隙間からのぞく一重まぶたの片目が恐ろしく、どっちが悪霊か分からない。


「封! 急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう!」


 床に散らばっていたお札を一枚拾い上げ、バシっと石像に張り付ける。

 しばらく微震を続けていた『神さま』だったが、悪あがきもついに力尽きたのか動かなくなった。その瞬間、部屋を襲っていたあらゆるポルターガイスト現象が終息した。


 すでに陽が落ちて辺りはすっかり闇のとばりが降りている。

 月明りに照らされた桔梗は、和室に大の字になって倒れ込む。気力、体力ともに使い果たしたのだろう。そこからピクリとも動かなった。


「桔梗ちゃん……ご苦労さま……」


 小さな右手の入った缶を小脇に抱えた士郎は、一仕事終えた桔梗に寄り添う。

 薄目を開けた彼女は、うっすらと笑みを浮かべて小さく頷いた。もはや声も出ないらしい。


「な、なにがあったんですかっ」


 懐中電灯を手にしたアパートの管理人が慌てて部屋の中に入ってきたが、物件の惨状に声を失う。しかしそこはそれベテランである、数秒後にはこっぴどく怒られた。

 しばらくして救急車とパトカーのサイレンが街中に鳴り響く。

 205号室のドアが勝手に閉まった後、万一を考えて管理人が通報してくれていたらしい。


 こうして士郎と桔梗の長い一日は終わった――。




(つづく/次回エピローグ!)

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