それは善意と共に②

 「適当にかけてくれ。コーヒーでいいか?」

祥貴が部屋に入り、所在なく立ち尽くしていると奥からそう声が聞こえた。声の主は綿奈部綱吉。祥貴の目的の人物だった。祥貴は部屋を見渡す。乱雑に物が積まれ、近頃は珍しい紙の資料が積まれた部屋は埃っぽく、鉄の匂いと煙草の匂いが充満しておりいくらかの不快感を催す。しかし、今回世話になるのはこちらの方なので文句を言うわけにはいかない。祥貴にはそれくらいの分別があった。

「ああ、ありがたく頂くとしよう」

そう答えながら手近なところにあったソファに近づく。あまり手入れはされていないようでやはりこちらも埃っぽい。祥貴は綱吉がこちらを見ていないことを確認し、持っていたセカンドバックからハンカチを取り出した。それを使いソファの埃を払い浅く腰掛けた。

(聞いていたよりひどいようだ。早く用事を済ませて帰りたいな)

ふぅ、と軽く息を吐き天井を見上げた。荒れた部屋の中でもこの男の輝きは陰ることもなく、むしろ一層際立つようだった。綱吉が見ていたら嫌味の一つでも飛ばしていただろうが綱吉はまだキッチンの中だった。しばらくするとコーヒーの良い香りが漂ってくる。鼻腔をくすぐる華やかな香りに祥貴の不快感も少しではあるが薄らいだ。

「この香りはグアテマラかな?」

祥貴は見えない綱吉に問いかける。

「相変わらず犬みたいに利くな。半分正解だよ」

ぶっきらぼうな答えが帰ってくると共に声の主が姿を現した。作業着兼私服であるツナギを腰巻きにしており、上半身はインナーのTシャツ一枚だった。Tシャツから覗く腕周りは筋肉の筋が浮かび、男性らしい逞しさを感じさせた。普段は重く伸ばされた前髪を掻き上げ後ろで結えている。切れ長で鋭い目元は知覚眼鏡でいくらか和らいでおり、トレードマークとなっている左耳のピアスも外されていた。どうやら今日はオフであったらしい。綱吉は祥貴の前に簡素な金属製のマグカップを置いた。黒く透明な液体が湯気あげ花のような香りが祥貴鼻腔を満たした。そして、綱吉はテーブルを挟んだ向かいのソファにどかりと腰をかけた。

「まあ、大したもんでもないが、飲めよ」

「ああ、ありがたく頂こう」

そう言って祥貴はカップに口をつけた。

「これは…美味しいコーヒーだ。オリジナルブレンドかい?」

祥貴は素直な感想を口にした。苦味の中に深いコクを感じるコーヒーであり、目の覚めるような美味しさだった。昨夜まで警察署内にある決して美味しいとは言えないインスタントコーヒーを飲んでいたからか、より有り難みを感じる祥貴であった。

「ユートピアのブレンドを真似しようと思ったんだけどな。どうにもあの味にはならなかった。その偶然の産物だよ」

綱吉は気怠そうに答えながらテーブルの上にあった箱からタバコを取り出し、古めかしいオイルライターで火をつけた。辺りにタバコの匂いが漂い出す。ガサツで荒っぽい振る舞いをする男が、コーヒーのブレンドを行う繊細な感覚をもつ不思議なバランスを持つ男だなと言うのが祥貴がもつ綱吉の印象だった。自分にはない魅力を持つ男だと思っているが、本人はそうは思っていないらしい。何度かそれを伝えたことがあるが、『お前が言うと嫌味にしか聞こえん』と苦言を呈されたことがある。祥貴としては本気でそう思っているのだが。

「ところで、依頼っていうのは何だ?」

「ああ、そうだ。これを直して欲しくてね」

そう言って祥貴は懐から筒状のケースと布製のポーチを取り出し、綱吉の目の前に置いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

煙管の飴が降るようだ @Nadd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ