支配者の歯車は噛み合わない


「おい、今日も届いてるぞ。お前宛ての手紙」

「また? もう……おじいちゃんも心配性なんだから」

 テスラはポロックから手紙を受け取り、肩を竦める。

 ジーンたちの逮捕が報道されてから、毎日のように叔父から手紙が届くようになった。

 便箋が入った封筒は日に日に厚みを増していき、正直なところ、今では読むのも、返事を書くのも億劫になりつつある。

 目の下にうっすらと隈が浮かぶテスラを見て、ポロックは呆れたようにため息をつく。

「そんな寝不足になるくらいなら、『もう送ってこないでくれ』って書けばいいだろ」

「うーん。でもおじいちゃんも悪気があってやってるわけじゃないし……」

「当機、テスラになれる」

 突然予想外の方向から声をかけられ、朝の眠気が吹き飛ぶ。

 振り返ると、テスラの真後ろにはトキが立っていた。

 一本に結った黒髪をベージュのスーツに流したトキは、思い出したように「おはようテスラ」と挨拶する。

「びっくりした……おはよう」

「当機が代わりに返事を書く。そうすれば、テスラもちゃんと寝られるでしょ?」

「いや、無理だろ」

 ジーンに即座に否定され、トキは微かに頬を膨らませる。

「できる」

「無理だ。今までずっと言われるがままだった奴にできるわけないだろ」

 二週間前。偽造通知書の悪徳商法が明るみになり、ジーンたち兄弟が逮捕された。

 治安警察隊の巡査長が主犯となった事件は世間を騒がせ、事件関係のことが書かれた新聞は依然として発行され続けている。

 中でも治安警察隊内で問題となったのは、ジーンに所有されていたトキの処遇についてだ。

 本来ならば、犯罪に加担した機械人形は強制処分される。

 しかし治安警察隊上部の御歴々は、トキが事件に関与した実態を全て隠蔽した。

 治安警察隊の機械人形が問題視されれば、必然的にその非難は軍事用機械人形のラルドールにまで向けられることになる。

 ラルドールを手放したくない御歴々は、危険の芽は一本も残さずに摘み取りたかったのだろう。

 そのためには機械人形の廃棄数を無駄に増やすわけにはいかない。

 結果、トキの所有権は治安警察隊に移転され、彼女は今では本部のお茶くみをしている。

 非常にもやもやとする結末だ。

 けれど、トキが処分されるよりかは余程いい処遇だと言える。

 そういう意味では、御歴々の隠蔽に感謝していた。

 当然ジーンたちに危害を加えたラルドールにも処罰はなく、事件は丸く収まりつつある。

「ったく、お前と話してると埒が明かないな……おい、そろそろ行くぞ。半休取ったからって気を抜くなよ」

「半休?」

 トキは首を傾げ、頭に疑問符を浮かべる。

 彼女の態度や表情は全て、「機械人形は機械人形らしく」というジーンの指示によるものだったらしい。

 ジーンから解き放たれても、長らく染みついた習慣はなかなか変えられない。

 けれどほんの少しずつ、トキの表情は豊かになってきている気がした。

「うん。午後はポロックのところに行こうと思って」

「ポロック? あぁ、例の慈善活動の団体に保護された……」

 今回の事件に関連し、とある報道陣が載せた《所有者を持たず貧困に苦しむ機械人形》についての記事。

 それは僅かながらに人々の心を動かし、世間を揺るがせた。

 廃棄処分される手筈だったポロックを擁護する声が殺到し、ポロックは今回の事件をきっかけに設立した慈善団体に保護されることになった。

 そして今では、ポロックはその団体に支えられながら生活している。

「支援金とかでカウンセリングを受け始めたらしいんだけど、やっぱり急に人間に囲まれた生活をするようになって、落ち着かないみたいで……だから、少しでも傍にいてあげたいんだ」

「そのまま彼の所有者になってあげればいいのに」

 テスラがトキの呟きに返答しようすると、突然ラルドールに頭をはたかれる。

 そこまで力は込められていなかったが、鉄製の拳が降ってくるのは普通に痛い。

「痛っ! ちょっと、なにするの!」

「いつまでもだらだら喋ってんじゃねぇよ。行くぞ」

 ラルドールはコートを翻して玄関に向かう。

 ラルド―ルにはたかれた箇所を擦りながら、テスラは彼の背中を追いかける。

「いってらっしゃい」

 手を振るトキに見送られ、快晴の空の下に出る。

 いつも通りの経路で街を巡回し、人で賑わう大通りが近づいてきた頃。

「あいつの所有者になるのかよ」

 前を歩くラルドールがぼそりと呟いた。

 テスラが「え?」と首を傾げると、彼はそっぽを向きながら苛立った様子で言う。

「だから、あの保護された機械人形の。俺のときは泣いて頼まれても嫌だって悪態ついてたくせに」

「ポロックの? ……わたしは、ポロックの所有者にもなるつもりはないよ」

 テスラは視線を下ろし、素直な気持ちを述べる。

 テスラが求めているのは、「所有者」という立場ではない。

 そんな上下関係ではなく、機械人形とは家族や友人のような、対等な関係でいたいのだ。

「ポロックの対人恐怖症が落ち着いてきたら、団体の人たちと一緒にポロックのこれからについて話し合うつもり。それに、わたしが所有者になるのは、きっとポロックのためにならないと思うから」

 今のポロックがテスラに向けているものは、「敬慕」というよりも「依存」に近い。

 この状況でテスラが所有者になれば、ポロックと他の人間とを繋ぐ縁は簡単に引き千切れてしまうだろう。

 ラルドールは横目でテスラを見ると、ゆるりと口端を上げる。

「まぁ、そうなるとは思ってたけどな。……お前が所有者になったら、アイツも色々と苦労するだろうし?」

「一言余計なんだけど」

「奇天烈なお前に振り回されたら、あいつの対人恐怖もさらに悪化しちまうかもな」

「それ、人のこと言えないから。わたしよりラルドのほうがよっぽど奇天烈で人のこと振り回してばっかだから!」

 テスラが睨みを聞かせると、ラルドールはケラケラと笑う。

 あの事件の後から、ラルドールはよく笑うようになった。

 長い間彼の心を蝕んでいたものが取り除かれたのか、あれ以来鍵芯部の劣化も落ち着いてきている。

 ラルドールはひとしきり笑った後、ふいに真面目な表情になった。

「……あの夜。俺と対峙したとき、なんで逃げなかった?」

 急に話が飛んで、テスラは一度頭を整理するのに時間を要する。

 恐らくラルドールが言っているのは、研究所の廊下で彼が「テスラを黙らせろ」と命令されたときのことだろう。

「だって、ラルドにそんな度胸なかったでしょ」

「馬鹿にしてんのか?」

 あっけらかんと答えると、ドスのきいた声で唸られた。

 テスラはひらひらと手を振って補足する。

「違うって。もう誰も傷つけたくないって、それこそ自分を傷つけるほど思い悩んでいたラルドールが、むやみやたらに攻撃してくるはずがない。そう信じてたんだよ」

 今度は、ラルドールのほうが気の抜けた顔をする番だった。

「……やっぱお前、支配者に向いてるよ」

 ラルドールはコートのポケットに両手を入れ、見定めるようにテスラの顔を見つめる。

「無害な面で警戒されることなく相手の懐に入り込んで、そいつが最も欲しがる〝飴〟を与える。お前はどうすればそいつが自分に懐くかを熟知してるんだ。その上で、いつ自分が命令を下してもいいように着々と下準備を進めてる。……まぁ、本人はこれっぽっちも自覚してねぇみたいだけどな」

 そう言ってラルドールは短く息をついた。

 彼の言葉はどう受け取っても今のテスラを否定する類いのもので、テスラはむっと顔をしかめる。

「だから! 何度も言うけど、わたしは所有者にも支配者にもなるつもりはないから! 機械人形とは対等な関係を築いて、純粋に彼らの手助けをしてあげたい。それが今のわたし、巻き鍵屋のテスラ・ベネットなの」

 自分の胸に手を当て、きっぱりと言い放つ。

 ラルドールは一瞬拍子抜けした顔をして、「……あぁ、そうだったな」と穏やかな声で呟いた。

 今日も変わらず、大通りには大勢の人間と機械人形が往来している。

 首の数字さえ除けば、機械人形の容姿は人間とほとんど変わらない。

 しかし残念なことに、両者の間には目に見えない境界線がくっきりと引かれている。

 長い間テスラの悩みの種になっていた、残酷な境界線。

 けれどその線は少しずつ、ほんの少しずつ、薄くなってきているような気がする。

「ラルドはさ、治安警察隊の仕事、好き?」

 あの日の質問をもう一度ラルドールにぶつける。

 ラルドールはテスラを一瞥すると、目を閉じて頬を緩めた。

「まぁ、前よりは悪くない」

 あの事件で、機械人形に対する境遇が変わった。

 前例ができたことで、ラルドールも「もしかしたら」という希望が持てるようになったのかもしれない。

 今はまだ、ごく少数の機械人形しか救われていない。

 けれどもしかしたら、これから世間は少しずついい方向に傾いていくのかもしれない。

 それこそ、テスラが望んだようなすべての機械人形を救える日も、遠い夢物語ではないのかもしれない。

 テスラとラルドールの胸に空いていた空虚な穴。

 その鍵穴に「希望」という名の巻き鍵が突き刺さり、鍵芯部とぴったり噛み合ったような、確かな手ごたえを感じる。

 ふいにラルドールの足が止まった。

 テスラがきょとんとラルドールの顔を見上げると、彼はぶっきらぼうに告げる。

「お前、いつまで俺の後ろを歩いてるつもりだよ。いちいち振り向くの面倒くせぇんだけど」

 テスラは暫し瞬きを繰り返し、言葉の意図をようやく理解する。

 無意識に口角が上がり、テスラはラルドールの隣に走り寄った。

 燦々と照りつける陽射しが、並んで歩く二人の影法師を煉瓦敷きの歩道に浮かび上がらせる。

 それは、二人がやっと対等な関係になれたことを示していた。


<完>

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巻き鍵屋テスラとゼンマイ仕掛けの特殊警察官 樹 ありす @Sirius0407

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