形なき鍵の行方②


 息をつく暇もなくハンクス機械人形研究所に舞い戻り、玄関、待合室を走り抜ける。

「ラルドっ‼」

 入院棟へ続く廊下の途中で、見覚えのある三人の姿を捉える。

 テスラはその内の一人——こちらに背中を向けて立ち尽くすラルドールの名前を叫んだ。

「お前……っ!」

「あらら。ベネットちゃんも来ちゃったの?」

 こちらを振り向いたラルドールは目を見開き、すぐに顔を険しくさせる。

 彼の奥に立っていたダムは眉間にしわを寄せ、その横で大柄な男が困ったように後頭部を掻いた。

「全く、トキちゃんもダメだねぇ。まかされた任務一つこなせないなんて……」

「そう思わないかい?」と、治安警察隊の制服を着た大柄な男が微笑む。

 それは幾度もテスラを励ましてくれた優しい笑みだったが、テスラはいつものように笑い返すことができなかった。

「それじゃあ、トキの所有者っていうのも……ポロックに偽造通知書を渡したのも、全部あなたの仕業なんですか? ジーンさん」

 激情が積もりに積もって、テスラの頭は逆に冴えていた。

 テスラが静かに尋ねると、ジーンは鷹揚に頷く。

「なんでこんなことを……っ」

「だってさぁ、楽に稼ぐ方法があるなら、誰だってそっちのほうに行きたくならない?」

 悪びれる様子は全くなかった。

 逆に「どうしてそう思わないのか」と心底不思議そうなジーンに、テスラは言い知れない嫌悪感を抱く。

「ベネットちゃんたちはさ、どうしてそんなに怒ってるの? 俺は何も、自分から偽造通知書を売りつけたわけじゃない。全部向こう側から買ったんだよ。これは貧困に苦しむ人や機械人形を助ける、立派な人助けだよ。俺は金を貰えてハッピー、向こうは通知書が安く手に入ってハッピー。まさにウィンウィンの関係さ」

「後から膨大な金額を強奪しておいて、なにがウィンウィンの関係ですか。貴方がしているのは立派な犯罪行為です。全然機械人形を助けてなんかいない!」

「生意気だね。ベネットちゃん」

 嘲た声とは裏腹に、ジーンの目は怖いくらいに据わっていた。

 テスラが思わず口を噤むと、ジーンはにこやかに笑う。

「でもいいんだよ。俺もベネットちゃんも人間だもんね。うるさい生意気な口を利いちゃうことだってあるさ。……俺が嫌いなのはねぇ、生意気で厚かましい機械人形なんだよ」

 ジーンはそう言うと、テスラの前に立つラルドールに視線を向ける。

「人間様に作られた機械人形。ならさ、その生涯をかけて人間様に奉仕するのは当然じゃない? それなのに人間様に偉そうな口を利いたり、人間様より高い地位についたりさぁ……本当、身の程をわきまえろって感じだよね」

 気がつけば、テスラの手のひらには爪が食い込んでいた。

 何故そんなにも、人間と機械人形に優劣をつけたがるのか。

 機械人形は金儲けのための道具でしかないのか。

 ジーンが繰り広げる身勝手な理屈に我慢できず、反感をそのまま声に出そうとしたとき。

「おい」

 ラルドールはジーンを見据えたまま後ろに下がり、テスラに囁く。

「本部でもどこでもいい。今すぐここから離れろ。俺たちじゃ、あいつには敵わない」

「えっ」

 ラルドールらしからぬ弱気な言葉に耳を疑う。

 けれど彼の横顔はいつになく真剣で、どことなく焦っているようにも見えた。

「さすがは警部。この状況がよくわかってるみたいだね」

「兄さん。急がないと、僕が担当する巡視時間が終わってしまうよ」

「はいはい。それじゃあ、ポロック……って言ったっけ? あの機械人形、ちゃっちゃと片づけちゃおうか」

 ダムはチラチラと腕時計を確認してジーンを急かす。

 するとジーンは、テスラに哀れみの籠った目線を投げかけた。

「残念だよ。俺、ベネットちゃんのことは結構気に入ってたんだけどなぁ。……警部、後はまかせたよ。

 芝居じみた、ねっとりとした口調。

 ジーンは薄ら笑みを浮かべて、ダムと共に廊下の奥へ進んでいく。

 恐らく、その先にポロックの部屋があるのだろう。

「待って!」

 二人を追おうとするテスラの前に、踵を返したラルドールが立ち塞がる。

「ラルド、早くしないとポロックが……っ!」

「無駄だよ。警部は治安警察隊の命令には逆らえない。ベネットちゃんは、正式な治安警察隊じゃないもの」

 癪に障る笑い声が廊下に反響する。

 ラルドールは歯を食いしばり、唸るような声を絞り出す。

「お前のせいだからな」

「ラルド?」

「俺は元々、自分の命なんてどうでもよかったんだ。だからあいつがどんな脅しをかけようと、俺は命令に逆らうことができた。……それをお前が、俺の偽善だとかほざくから」

 バチバチッと、視界に眩しいフラッシュが焚かれる。

 ラルドールが握り締めた拳。その手首からは、激しい火花が散らされていた。

「生きていてもクソみたいな命令に従うだけで、死ぬことも許されねぇ……なら、俺はどうしたらいいんだよっ‼」

 ラルドールの昂りに合わせて轟音が響き、目の前が白く点滅する。

 その瞬間。

 記憶の奥底で消えかかっていたテスラの〝答え〟が蘇る。

『僕は、どうしたらいいんですか?』

 テスラがポロックの巻き鍵を作ると提案したとき。

 ポロックもまた、ラルドールと全く同じ質問をしてきた。

 そしてあのときも、テスラはこう答えたのだ。

「……それを決めるのは、わたしじゃなくてラルドでしょ」

「は……っ?」

 機械人形にとって、巻き鍵屋は何なのか。

 巻き鍵は機械人形を縛る楔。

 ——ならば、その楔を解くのも巻き鍵だ。

「巻き鍵屋は、機械人形に時間を与える、生きる選択肢をあげる仕事。だからその与えられた時間をどう使おうが、最終的に決めるのは機械人形自身だよ」

 所有者の命令は絶対で、必ず従わなければならない。

 機械人形はそう思考回路を組まれているわけではないのだ。

 結局のところ、機械人形は巻き鍵を逆手に取られた恐怖支配に怯えているだけで、絶対に人間に逆らえないわけではない。

「……こんなときでも、お得意の綺麗事かよ」

 ラルド―ルは歯を食いしばり、くしゃりと顔を歪める。

 機械人形は絶対に人間に逆らえないわけではない。

 しかし、自分の命を投げ出して命令に逆らうには、相当な勇気がいる。

 だから多くの機械人形は、所有者の命令に従うしかないのだ。

 テスラは必死に頭を働かせ、この状況の打開策を考える。

 きっと、何か手はあるはずだ。考えろ。

 もしテスラがジーンの立場だったら。

 ラルド―ルの所有者で、彼を使役する立場に立っていたら——。

「……ん?」

「生きる選択肢っつったって、その選択肢が最悪しかないんだろ。楽観的なんだよ、お前はいつも——」

「ちょっと待って、タイム。一旦静かにして」

「はぁ?」

 そうだ。

 機械人形は、巻き鍵を握られているから所有者に逆らえない。

 それは組織に所有されている機械人形も同じだ。

 でも、ラルドールは?

「……形式上では、ラルドールは治安警察隊の機械人形ってことになってるんだよね」

「さっきから何言ってんだ。そんなこと、今更言うまでもないだろ」

「でも、実際にラルドールの巻き鍵を握っているのは、治安警察隊じゃないよね……?」

 ラルドールは訝しげにテスラを睨んでいたが、ふいにその険しい表情が緩んだ。

 彼の気が抜けたせいか、次第に手首の火花も収まっていく。

 ラルドールは鳩が豆鉄砲を食ったように、ただただ目を瞬かせる。

 鍵芯部の劣化が激しいラルドールは、その都度必要な巻き鍵が変わる。

 彼は他の機械人形と違って、のだ。

 故に治安警察隊も常にラルドールの巻き鍵を握り、絶対的な支配下に置いているわけではない。

 ならば、彼の命を握っているのは誰か。

 その立場に最も近い人間を挙げるとすれば、それは————。

「ふ……はははっ!」

 ラルドールは腹を抱えて、吹き出すように笑い始める。

 こんな笑い方をする彼を見るのは初めてで、テスラは唖然としてしまう。

 そんなテスラに、ラルドールは笑い交じりに尋ねる。

「なぁ、所有者様よぉ。あの愚劣な野郎共、捕まえてもいいか?」

「ラルドの所有者になるのは、例え泣いて頼まれたってお断りだけど……いいよ。それで軍事用機械人形を起動させる特権を取り下げるような治安警察隊なら、いっそ潰れちゃえばいい」

「はっ、言質は取ったからな」

 テスラが深く頷くと、ラルドールの唇がニヤリと吊り上がる。

 彼はテスラの脇に移動して屈むと、ひょいっとテスラを俵抱きにした。

「ちょっ⁉」

「舌噛んでもしらねぇぞ……っと!」

「待ってラルド、お腹! お腹に入ってるって!」

 ラルドールはそのまま研究所の長い廊下を走り出す。

 鉄製の肩が腹部に食い込み、テスラはじたばたと暴れる。しかし、彼の足が止まることはなかった。

 しばらくしてラルドールは左折し、どこかの部屋に入る。

「うわっ、……痛ぁ⁉」

 ぐるんと世界がひっくり返った。

 何か堅い物の上に落とされ、テスラは呻き声を漏らしながら身体を起こす。

「って、ポロック?」

「な、なんでここに……っ!」

 どうやらテスラは、ベッドに横になったポロックの上に落とされたらしい。

 声がしたほうを振り向くと、ポロックを壊すためであろう工具を手にしたジーンが立ち尽くしていた。

 直後、ジーンの背後がバチバチと点滅する。

「ははっ、すげぇ。こんなに躊躇なく電撃を使うのは久しぶりだ」

 床に倒れたダムを見下ろし、ポロックは無邪気に笑う。

「お前、なんで……俺に歯向って、どうなるかわかってんだろうな! 命令を無視した挙げ句、人間に危害を加えて、無事でいられると思うなよ!」

「見事な三下の戯言だな。わかってねぇのはお前だろ」

 ラルドールはそう毒づき、ジーンに近づいていく。

 途端にジーンは小鹿のように震え出し、短い悲鳴を漏らした。

「これでお前は晴れて刑務所行きだ。よかったな。これでもう警部とか巡査長とか、俺と比較して劣等感を抱くこともなくなるだろ。……だが、それだけじゃ俺の気が済まねぇんだよ」

 ジーンは叫び声を上げ、工具を片手にラルドールへ突進していく。

 ラルド―ルはその一撃を首だけを動かす最小限の動作で交わし、ジーンの溝内に拳を叩き込んだ。

「退職、おめでとさん」

 皮肉がたっぷりと込められた祝言を最後に、ジーンは意識を手放した。

 静寂が立ち込めた病室で、ラルドールは憑き物が取れたような顔で微笑する。

 ふいに彼の目線がこちらに向けられ、テスラも彼に笑い返した。

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