形なき鍵の行方

 研究所を後にし、夜風が寒々と吹きつける路地を駆け抜ける。

 本当は、テスラもポロックの傍についていてあげたかった。

 けれどテスラには、有事の際にポロックを守ってあげられるだけの力がない。

 適材適所。研究所のほうはラルドールにまかせて、自分は今できることをしよう。

 テスラはそう意気込み、地面を強く蹴った。

 偽造通知書を所持した機械人形——ポロックは、当然詐欺組織との接触があったはずだ。そこから探っていけば、詐欺組織の全体像を突き止めることができるかもしれない。

 しかし、肝心のポロックはまだ目を覚ましていない。

 もし、ポロックが治安警察隊に連行されたことが詐欺組織の耳に入ったら。おそらく連中はポロックの口封じにやってくるはずだ。

 仮にテスラが機械人形をなんとも思っていない連中の立場だったら、容赦なくポロックを手にかけるだろう。

 だからラルドールには研究所に残ってもらい、ポロックの護衛を頼んでいる。

 治安警察隊の応援を呼び、ポロックが目覚めるまで何もなければそれでもいい。

 どちらにせよ、これは詐欺組織逮捕に繋がる絶好のチャンスだ。

「急がなきゃ」

 治安警察隊の本部まで行けば、夜勤の警官たちが待機しているはずだ。

 彼らに訳を話して、すぐにハンクス機械人形研究所へ人を回してもらおう。

 昼間とは打って変わって閑散とした大通りを全速力で走る。

 やがて本部に隣接した治安警察隊の寮が見えてきて、テスラは寮周りの塀を迂回して本部を目指す。

「うわっ⁉」

 寮への入り口に差しかかったところで、突然塀の影へ引きずり込まれた。

 何か冷たいものに二の腕を掴まれている。

 反射的に振り返ると、そこには警官服のトキが立っていた。

「トキ……!」

「どこに行ってたの?」

 トキに問いかけられ、テスラは彼女が仕事終わりに部屋へ来ると言っていたことを思い出す。

 テスラを心配して、こんなに手が冷たくなるまで外で待っていてくれたのだろうか。

 昼食の約束を無下にしてしまったこともあり、申し訳なさで胸がいっぱいになる。

 しかし、今はここで立ち話している暇はない。

「ちょっといろいろあって……ごめん、とにかく今は本部に行かないと。また後でっ」

 テスラはトキの腕を振りほどこうとするが、トキはがっしりとテスラの腕を掴んで離さない。

 彼女の規格外の握力に、一瞬狂暴化したときのポロックのことが頭に過ぎる。

「どうして? どうして本部に向かうの?」

 寮の入り口の外灯に照らされ、暗がりにぼんやりと浮かぶトキの顔。

 お面のように微動だにしない無表情からは、全くといっていいほど生気を感じられない。

 そのとき。ふと、テスラは二つの違和感に気がつく。

 一つは、彼女の手が冷たいだけでなく、異様にのだ。汗でテスラの感覚が鈍っているせいかと思ったが、夜風で徐々に汗が引いていった今でも、トキの手の感触が変わることはない。

 そしてもう一つは、照明の反射加減がおかしい。

 白く照らされたトキの頬は、奇妙なてかりを帯びているのだ。

 例えるなら、そう。テスラが持っている工具の金属光沢のような——。

「どうして本部に向かうの?」

 トキは寸分違わない問いかけを繰り返す。

「トキには言えないこと?」

「研究所に応援を……今朝の書類にあった、詐欺組織を捕まえられるかもしれなくて」

 無意識に声が強張り、テスラは上目遣いでトキの顔を窺う。

 だからだろうか。

 眉一つ動かない表情の中で唯一、彼女の目の色が変わったのが、はっきりとわかった。

「なら尚更、行かせられない」

 乱暴に腕を引かれたかと思えば、背中に鈍い痛みが走った。

 テスラを塀に押しつけた反動で、トキの長い黒髪が靡く。一瞬だけ見えた彼女の首筋には、十桁の数字が刻まれていた。

「な、なんでっ」

「巻き鍵係を辞めたくはないでしょう?」

 そう言って、トキはテスラの目を覗き込む。

 照明を背にしたトキの顔には黒い影が掛かっている。その中でも一際暗い色をした双眼が近づき、テスラは息を呑んだ。

「テスラを排除しろ。現段階では、〝当機とうき〟はまだそこまでの命令を受けていない。だから、大人しくしてほしい」

「命令って、誰から……」

「わからない?」

 熱くもないのに、嫌な汗が噴き出て止まらない。

 同時に、頭に浮かぶのは様々な可能性。そのどれもが、目の前の同僚から逃げろと警鐘を鳴らしていた。

「ヒント、いる?」

「……いらない」

 何故、テスラを本部に行かせたがらないのか。

 彼女は誰の命令で動いているのか。

 複数の疑問を客観視してみれば、答えは一目瞭然だ。

 トキは、今回の——詐欺組織の関係者だ。

 何処から情報が漏れたのかはわからないが、トキはテスラが応援を呼びに行ったことを耳にし、こうして足止めに来たのだろう。

 唇を噛んで、トキを下から睨みつける。

「無駄だよ。例えわたしが応援を呼べなくても、研究所にはラルドがいる。軍事用機械人形の彼に敵う相手なんていない」

「そう思う?」

 トキの表情も声も、微塵も動揺した様子はなかった。

 彼女はテスラに焦点を合わせたまま、こてんと首を傾げる。

「軍事用機械人形は強い。でも結局、当機も警部も所有者の命令に逆らえないのは同じ。寧ろ所有者が複数なぶん、警部のほうが分が悪い」

 どくんと、自分の心音が次第に大きくなっていく。

 現状、彼を所有しているのは特定の人物ではなく組織——治安警察隊だ。

 トキの言い方では、まるで警官の中に詐欺組織の関係者がいるようではないか。

 ……ラルドールが危ない。

 気がつけばテスラは、トキに掴まれていないほうの腕をポシェットに忍ばせていた。

 指先が工具ケースに触れたところで、トキの視線がテスラの腕へと向けられる。

 彼女が動くよりも早く、テスラは咄嗟に掴んだものを引き抜いてトキのほうへ向けた。

 運がいいのか悪いのか。

 テスラが握っていたのは、手持ちの工具で最も殺傷能力が高いであろう電動彫刻ペンだった。

 しかしトキは相も変わらず真顔のまま、テスラを試すように言う。

「機械人形を区別することなく救いたいんじゃなかったの?」

「退いて」

「所有者の命令に背くわけにはいかない」

 トキに課せられた命令とやらは、恐らく「テスラを本部へ向かわせない」類いのものだろう。

 テスラが暴れたり、抵抗したりしなければ、トキもテスラに危害を加えることはない。事実、彼女自身もそう言っていた。

 けれど——このまま大人しくラルドールたちを見捨てることなんてできない。

〝傷つけない〟だけが、機械人形の救済になるとは限らない。

 テスラは手のひらで素早く電動彫刻ペンを回転させ、逆手に握る。

 そしてそれを、トキの左胸目掛けて振りかぶった。

「っ⁉」

 テスラが本当に攻撃をしかけるとは思わなかったのだろう。

 トキは身構え、一瞬だけテスラを拘束する手が緩む。

 テスラは彼女の左胸を突く寸前で電動彫刻ペンを止め、トキの手から腕を滑り抜く。

 そしてそのままトキの脇をすり抜け、寮前の路地へ飛び出した。

「うまくいった……っ!」

 機械人形にとって巻き鍵は心臓に等しい。それを差し込む鍵芯部もまた然りだ。

 誰だって急に自分の心臓を狙われたら怯む。その心理は、人間と同じように思考回路を持つ機械人形だって同じだ。

 トキの拘束から逃れたテスラは、本部に背を向け、急いで来た道を逆走する。

 普通に考えれば、本部に行って応援を呼ぶ判断のほうが正しい。

 けれどそのときのテスラは、ラルドールとポロックの身を案じることで頭がいっぱいになっていた。

 二人とも、どうか無事でいて————!

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