錠前の先の自己保身③

 入り組んだ路地に響く二種類の足音。

 ラルドールはポロックに体当たりを食らわせて、地面に組み伏せる。

「離せ! 僕はまだ壊れていない! 狂暴化もしていないっ!」

「さっき思いっきし殴ろうとしてただろうが! 大人しくしてれば一瞬で終わる。暴れれば狙いが外れて、お前の苦しみが長引くだけだ」

 ラルドールはポロックを拘束する手首から火花を散らせて威嚇する。しかしそれを見たポロックは、ラルドールから逃れようとさらに激しくもがいた。

「お前、いい加減に……っ」

「ラルドっ! ポロックっ!」

 透き通った声が路地に反響し、二人は同時に動きを止めた。

 テスラは肩で息をしながら彼らの元に駆け寄る。

 そして膝をついて、今にも泣きそうなポロックの頬を両手で包み込んだ。右手のひらに星形の亀裂の感触が伝わる。

「ポロック、今からメンテナンスを受けに行こう。お金が足りないならわたしも出すから。ポロックはまだ狂暴化してない。大丈夫。まだ間に合うよ」

 ポロックは静かに目を見開いた。

 けれどポロックが口を開くよりも先に、彼の上でラルドールが大きなため息をつく。

「呆れた。この状況でもまだ自分が可愛いらしいな」

「そんなんじゃない」

 顔を上げてラルドールの言葉を遮る。

 テスラの強い気迫に押されたのか、ラルドールは閉口する。代わりにぐっと眉間にしわを寄せた。

「ラルドに言われたこと、よく考えてみたよ。確かにわたしは自分のことしか、自分の面目しか考えてなかった。だってわたしが機械人形を助けたいと思い始めた最初の理由は——ラルドの言う通り、

 店裏で膝を抱えたポロックに、失望の眼差しを向けられたとき。

 テスラが真っ先に感じたのは————ポロックに対する〝怒り〟だった。

 人間なんてみんな同じ。機械人形を支配する残酷な怪物。

 そんな偏見の眼差しが耐えられなかった。

 例え大多数の人間がそうでも、自分は違う。

 そう訴えたくて、証明したくて、テスラは「機械人形を助けたい」と思い始めたのだ。

「はっ、ようやくボロを出したか」

 ラルドールはニヒルな笑みを浮かべ、ポロックは感情が抜け落ちた顔で項垂れる。

 テスラは唇を噛んで言い淀んだ後、「でも」とこれまでよりも大きな声量で叫ぶ。

「周りと同類にされたくないっていう思いの、さらに奥。その根源にあるのは、わたしが心から機械人形を想う気持ちだよ。機械人形が大好きで、大切だから。だから酷い奴だって思われるのが嫌で、どうしたらそれを証明できるかって、自分のことしか頭になかった」

 ポロックは顔を上げてテスラの名前を呟く。

 彼の瞳には、先程まではなかった光が射していた。

「この本心は変わらない。だからわたしは廃棄するべき機械人形だなんて区別をつけたくない。わたしは機械人形のみんなを……ラルドを含めた、全ての機械人形を救いたい」

 テスラは矢継ぎ早に自分の思いを告げる。

 最後にラルドールの名前を出すと、彼はぴくりと眉を動かした。

「なんでそこに俺が出てくるんだよ」

「ラルドはさ、大勢の人間と機械人形を傷つけた過去が重荷なんでしょ。だから自傷行為で、わざと自分の寿命を速めるようなことをした」

 顔をしかめるラルドールから目を逸らさず、彼から言われた言葉を突き返す。

「でもそれって……それこそさ、だよね」

 意地の悪いことを言っている自覚はあった。

 ラルドールの息を呑む音が、やけにはっきりと聞こえる。

「自分を廃棄することが、自分が傷つけた人たちへのせめてもの償いになるって、本気で思ってる? だとしたら思い上がりも甚だしいよ。そんなの、自分の良いように自傷行為を正当化して逃げてるだけじゃない。ラルドに生きていてほしいって思ってる人たちの気持ちを蔑ろにしてさ」

 言ってやりたいことはまだまだあったが、今は一分一秒がポロックの運命を左右するときだ。

 一度深呼吸して、喉まで出かかった感情を抑え込む。

 そして、テスラは芯のある声で宣言する。

「『周りの人たちと同類に思われたくないから』だけじゃない。わたしは機械人形を大切に思うわたしの気持ちに従ってポロックを助けるよ。わたしの本心を、偽善なんかにしたくないから」

 わたしは、ラルドとは違う。

 そう証明するようにラルドールの身体をそっと押すと、彼の身体は簡単にポロックの上から退いた。テスラはポロックに肩を貸して、歩き出す。

 自分のことしか考えていない偽善。

 幾分か前の自分と同じ悩みを抱えるラルドールに、テスラから伝えられるのは一言だけだ。

「わたしの作った巻き鍵を無駄にしないで」

 ラルドールとすれ違う間際に耳元で囁く。

 視界の隅で、ぐっと唇を噛む彼の横顔が見えた。


 機械人形は睡眠や食事を必要とせず、ゼンマイが切れるまでは起動し続ける。

 しかしラルドールとの攻防による損傷が激しかったのか、ポロックは緊張の糸が切れたかのように気を失ってしまった。

 意識のない機械人形を運ぶのは非常に困難で、テスラ一人ではとてもではないがポロックの重量を支えきれない。

 足元がふらつき、テスラ諸共倒れそうになったとき。

「貸せ」

 テスラの後をつけてきたのだろう。

 後ろから現れたラルドールは、ポロックを軽々と担ぎ上げた。

「なんで……」

 テスラは呆然と呟く。

 それが聞こえていないのか、わざと聞こえないふりをしているのかはわからない。

 けれど先行く彼の背中を見ても、以前のような「ついて行きたくない」という思いは湧かなかった。

 機械人形を専門とする研究所は、見た目だけで言えば人間の病院とほとんど変わらない。

 都市内で最も大掛かりな設備を持つハンクス機械人形学研究所に駆け込むと、ポロックはすぐに手動式ベッドに寝かせられ、奥の部屋へと運ばれていった。

 やはり長年機械人形を研究している研究医たちは、ただの外傷とメンテナンス不足による損傷を見分けられるのだろう。

「どうしてこんなにもなるまで放置していたんだ。あと少し遅かったら、取り返しのつかないことになっていたんだぞ!」

 研究医はポロックの姿を見るなり、そう激怒した。同時に、未だ完全な狂暴化状態には至っていないポロックの精神力に強く感心もしていた。

 テスラとラルドールは待合室へと案内される。

 受付時間の終了直前に駆け込んだせいか、待合室にはテスラたち以外に人の姿はなかった。

 タイミングを見計らったようにゼンマイが切れたラルドールの巻き鍵を作り終え、テスラはソファに座ってようやく一息をつく。

「ベネットちゃんだね?」

 ふいに名前を呼ばれ、受付奥の廊下のほうを見る。

 そこにはひょろりとした体躯の銀縁メガネをかけた男性が立っていた。

「どうして、わたしの名前……」

「兄さんからよく話を聞いていてね。ジーン巡査長って言えばわかるかな?」

「ジーンさんの弟さん?」

 そういえば、彼に弟がいるという話は何度か耳にしていた。

 ジーンの体つきがいいからか、一目見ただけでは兄弟とは思えない。けれどよく見ると、顔の所々にジーンの面影がある気がした。

「僕はダム。兄弟共々、仲良くしてくれると嬉しいな」

 人当たりのいい爽やかな笑顔を見せた後、ジーンはクリップボードを手にして仕事の顔つきになる。

「早速で悪いんだけど、さっき運ばれた機械人形の彼……ポロックくんについての話をしようか」

 テスラは姿勢を正し、神妙な顔で頷く。

 ポロックのメンテナンスの費用は、テスラとポロックの持ち合わせでギリギリ支払える額だった。

「念のため、ポロックくんは一晩こちらで預からせてもらうね。心配しなくても大丈夫。明日からしばらく通院すれば、後遺症を残さずに完治させられると思うから」

 ダムからそう説明を受けるが、テスラは素直に頷けなかった。

 メンテナンス費用だけで、テスラの財布は非常に軽くなっている。それは恐らくポロックも同じで、入院や通院のためのお金なんて、とてもではないが用意できない。

 冷や汗をかきながら、必死に打開策を練っていたとき。

 ソファで横になっていたラルドールが、むくりと体を起こした。

「全額先払いでも構わないな?」

 テスラが口を挟む隙もなく、あっという間にポロックの通院費の話がまとまった。

 ダムが領収書などの書類を取りに行き、待合室にはテスラとラルドールが残される。

 三人掛けのソファの両端に座る二人。一人分の空席の距離が、やけに遠く感じた。

「……いつから起きてたの?」

「ついさっき。お前があの研究医と通院費の話を始めたところから」

「なんで、ラルドはポロックを助けるのに反対なんじゃないの?」

「後遺症も残さずに完治できるんだろ。だったらもう反対する理由がない」

 ラルドは背もたれに寄り掛かると、包帯が巻かれたテスラの右腕を横目で見る。

「その腕で、俺の巻き鍵を作ったのか?」

「それがわたしの仕事だから」

 テスラはきっぱりと答えた。ラルドールは目を細めて顔を背ける。

 ラルド―ルの赤い瞳は、行く当てがない迷子のように不安げに揺れていた。

 彼は今、自身の鍵芯部と同じくらい脆い足場に立っている。

 そんな不安定な彼を放っておくことなどできず、テスラは無意識に問いかけていた。

「ラルドは治安警察隊の仕事、好き?」

「は……? 前にも言っただろ。俺は治安警察隊の元でなけりゃあ生きられない」

「そうじゃなくて。純粋に好きか嫌いかだったら、どっち?」

「……同じ機械人形を廃棄する仕事を、好きになれるわけがねぇ」

 当然の答えだ。

 テスラは自分の右手を見下ろし、覚悟を決める。

「でも、ラルドがそうしなかったら、もっと大勢の人が傷ついていた」

 これまでの主張を覆しかねない、テスラにとっては非常に勇気がいる言葉だった。

 けれど実際、ラルドールが助けてくれなければ、テスラは二度と巻き鍵を作れない腕になっていた。ポロックだって、人間に危害を加えた機械人形として有無を言わさず廃棄されていただろう。

〝傷つけない〟だけが、機械人形の救済になるとは限らない。

「ラルドは大勢を傷つけた。でも、それと同じくらい大勢を救ってきた。……それだけじゃ、ダメかな。その人たちからの感謝は、ラルドが生きようと思う理由にはなれない?」

 ラルドールははっと目を見開き、テスラを凝視する。

 その瞳はもう、危うげに揺れてはいなかった。

「伝えそびれてたから、今言わせてもらうね」

 ラルドールのほうに膝を向け、頬を緩める。

 こんな穏やかな気持ちでラルドールと目を合わせるのは、初めてかもしれない。

「あのとき、わたしを助けてくれてありがとう。ラルドを止めてくれてありがとう」

「お前は……」

「またせたね。はいこれ」

 ラルドールは何かを言いかけるが、ダムが戻ってきたことで口を閉ざしてしまった。

 続きが気になったが、ダムがぱんと両手を叩いたことで意識がそちらに向けられる。

「二人とも疲れてるだろう。今日はもう帰ったほうがいい。治安警察隊はいざというときにすぐに動けるよう、体調管理はしっかりしておかないとね」

 ぐさぐさと胸に突き刺さる言葉だった。

「外まで見送るよ」と促され、ラルドールはゆっくりと腰を上げる。

 けれどテスラはそんなラルドールの腕を引いて、再びソファに座らせた。

「急になんだよ」

「ラルドはここに残って」

「はぁ?」

 ソファに腰掛けたまま、ラルドールは訝しげな声を上げた。

 困った顔で「えっと……」と溢すダムに会釈し、テスラはラルドールに告げる。

「事件はまだ終わってない」

「終わってないって、あいつは完治できるんじゃ——」

 ラルドールは途中で口を噤み、目を見開く。そんな彼にテスラは徐に頷いた。

「……今夜はここであいつを見張れ。そういうことか?」

「うん。わたしは一度本部に戻って応援を要請してくる」

 戸惑うダムをそっちのけにした、二人にしか通じない端的な会話。

 ラルドールはしばらく逡巡する素振りを見せた後、真っ直ぐにテスラを見据えて尋ねる。

「根拠はなんだ」

 叔父の忠告を思い出し、テスラは答えに窮する。

 けれど、ラルドールなら。何度もぶつかり合い、お互いに弱みを見せ合った今のラルドールなら、信頼できる。

 テスラは短く息を吐いて、自分なりの根拠を突きつける。


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