錠前の先の自己保身②
ケルト橋は水路に架かっているわけではなく、高台にある広場へ向かうための、言うなれば階段に近い橋だ。
この時間は広場で遊んでいた子供たちが帰宅するからか、ケルト橋付近には十代くらいの子供たちがたむろしていた。
その中で文字通り頭一つ抜けているポロックを見つけ、テスラは彼の名前を呼びながら駆け寄る。
「テスラさん。お仕事お疲れさまです」
「あ、違くて……実は今日、仕事休んじゃって」
「え? どこか、具合でも悪いんですか?」
途端に心配そうな顔をするポロックに、今日の出来事をざっくりと説明する。
「だから、ごめんね。夕食はまた今度でもいいかな?」
「いえ、気にしないでください。テスラさんに何もなくてよかったです」
ポロックは柔らかく笑って、「寮まで送ります」とテスラが来た道を戻り出す。
ポロックの横に並んでしばらく歩くと、賑やかな飲み屋街に出た。
ネオンの電灯が灯り始め、あちらこちらから客呼びの声が聞こえてくる。
イルベールに越してきたばかりの頃は「イルミネーションみたい!」と興奮していたテスラだったが、その実情を知ってからはなんとなく避けていた場所だ。
日暮れ後の飲み屋街はお世辞にも治安が良いとは言えず、警官たちも常に目を光らせている。
やはり近道なんてせずに、迂回するべきだっただろうか。
そう後悔するや否や、横から伸びてきた腕がポロックの肩をぽんっと叩く。
「よっ! イケメン機械人形をつれたそこのお姉さん、これからうちで一杯どう?」
明るい髪色の男がテスラたちの前に回り、しぶしぶ足を止める。
「すみません。今日はちょっと……」
「え~少しくらいよくない? 安くしとくよ?」
テスラはやんわりと断ろうとするが、男は執拗に食い下がる。
……やっぱり、都会って怖い。
隣にいたポロックは、いつの間にかその大きな身体を縮こまらせてテスラの背中に隠れていた。
いや、女を盾にして隠れるってどうなの?
むっとして振り返ると、ポロックのやけに強張った、怯えるような顔が視界に映る。
ポロック……?
「すみません。急いでいるので失礼します」
ポロックの手を握り、足早に飲み屋街を通り過ぎる。
飲み屋街の喧騒や目がチカチカするような電灯が少なくなったところで、テスラはようやく足を止めた。
「急に走ってごめん。ああいう場所、苦手だった?」
「いえ、そういうわけではないんですけど……」
ポロックは言い淀み、そわそわと視線をさ迷わせる。
「実は僕、あの日から……所有者に捨てられたあのときから、人間への不信感が拭えないんです。また廃棄に出されてしまうんじゃないかって、そう思うと、怖くて……」
ポロックはテスラに掴まれていないほうの腕で、先程男に叩かれた肩をそっと撫でる。
どこか寂しげで痛ましい姿に、テスラは慌てて彼の腕を離す。
「っ、違います! テスラさんだけは大丈夫なんです! テスラさんは、他の人とは違うから……!」
離した腕をもう一度掴み直され、ぐっと顔を近づけられる。
彼の金髪が頬にかかりそうなほどの近距離で、間抜けな顔のテスラを反射する翡翠色の瞳を見上げる。
テスラさんは他の人とは違うから。
その言葉に、酷く安堵を覚えた。
「あの日僕を救ってくれたテスラさんなら、信じられる。でも、他の人たちが相手だと全然ダメなんです。だから新しい所有者を探すことも、人間社会で生活していくことも難しくて、今の仕事だって、いつクビにされてしまうか……」
ポロックの目尻がきらりと光る。
機械人形は涙を流さない。
そんなことはわかっていたが、彼の顔に手を伸ばさずにはいられなかった。
指先でそっと彼の目元を撫でる。
するとポロックは、覚悟を決めたような強い瞳をテスラに向ける。
「僕、テスラさんが所有者になってほしいです」
「え……」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
呆然とポロックの目を見つめ返していると、彼は口早に続ける。
「テスラさんなら、きっと僕を大切にしてくれる。簡単に廃棄したりしない。お願いです。テスラさんでなければ、僕は……!」
「ち、ちょっと待ってよ」
機械人形は好きだ。けれど、自分が機械人形を所有したいと思ったことはなかった。
テスラが求めているのは、そういう関係ではない。
彼らにとって、自分は「所有者」ではなく、もっと対等な——。
「お願いします。テスラさんしかいないんです。家事でも、巻き鍵作りの手伝いでも、なんでもします。テスラさんのためならどんなことだってやります。だから、僕の所有者になってください」
「ポ、ポロック、痛い……っ」
包帯が巻かれた右手に、ポロックの指がギリギリと食い込んでいく。
テスラの訴えは彼の耳に届いていない。もはや彼の瞳に、テスラは映っていなかった。
嫌な汗が流れる。傷みに悶え、叫び出しそうになったそのとき。
ふいに、誰かがポロックの腕を掴んだ。
その人物は並外れた握力でポロックの腕を凹ませると、テスラの肩を抱いて自分の元へと引き寄せる。
うっすらと張った涙の膜の奥で、ガーネットのような赤色が揺らぐ。
「ラルド……?」
テスラの真後ろに立ったラルドールは、険しい表情でポロックを睨む。
「お前、最後にメンテナンスを受けたのはいつだ?」
「えっと……二か月前、だったと思います」
正気を取り戻したのだろうか。
ポロックはぱちぱちと瞬きを繰り返した後、警官の制服を着込んだラルドールにたじろぎながら答える。
しかしラルドールはそれを「嘘だろ」と一蹴した。
「俺が止めなけりゃ、コイツの腕はへし折れてた。正常な機械人形にそんなことはできない。思考回路に不具合がある証拠だ。ざっと二、三年近くメンテナンスを受けてないだろ」
「そんなことは……っ! ここに通過通知書だってあります!」
ポロックは肩掛けの鞄から手帳サイズの通知書を取り出す。
メンテナンスを行った日付や研究所の名前、割印が押されたその通知書は、一見した限りでは本物に見える。
けれど、ラルドールは疑いの眼差しを緩めない。
「最近、ここらで偽造通知書が出回ってるって話だ。さっきのを見た後じゃ、信用ならねぇな」
「そんな……」
「それにお前、さっきから動きが硬ぇんだよ」
力なく項垂れるポロックに、ラルドールは突きつけるように言った。
「そんなことありません!」
ポロックが自分の胸に手を当てた瞬間。
彼の腕から、金属同士が擦れる耳障りな音が響いた。
昨日ポロックに抱きしめられたときにも聞いたあの音だ。二度も同じ音を聞いたとなれば、もう気のせいだとは片づけられない。
上から「決まりだな」と呟く声がした。
ラルドールはテスラの肩から手を離して、ポロックに近づいていく。
「お前も機械人形なら当然知ってるはずだ。メンテナンスを怠った機械人形は、身体の動きがおかしくなるだけじゃない。思考回路に異常が出れば、狂暴化して周りに危害を加える恐れもある。年単位でメンテナンスを受けてないとなれば、即刻廃棄が妥当だ」
「廃棄って……僕は、僕はまだ正常ですよ! なのに、廃棄だなんて……っ」
ポロックはぎこちなく身体を揺らし、髪を搔きむしる。
ラルドールはテスラの肩から手を離すと、そんなポロックに近づいていく。
「ま、待ってラルド!」
ラルドールがやろうとしていることを悟り、テスラは彼の前に立ちはだかる。
「ちょっと待ってよ! ポロックの言う通り、ポロックはまだ狂暴化してない。今からメンテナンスに行けば間に合うかも……っ」
「何言ってんだ。お前が一番知ってんだろ。そいつはもう来るとこまで来ちまってる。手遅れだ」
「そんなことない! ポロックは『廃棄』って聞いて混乱しているだけ。まだ大丈夫だから!」
自分でも無理な言い分だと思う。けれど、今回ばかりは譲るわけにいかない。
テスラを見下ろすラルドールと睨み合っていると、突然彼の目が大きく見開かれた。
「危ねぇ!」
「うぁ、わああああぁぁっ!」
ラルドールはテスラを横に突き飛ばすと、正面から殴りかかってきたポロックを鮮やかに背負い投げる。
勢いよく地面に叩きつけられ、ポロックは低い呻き声を漏らす。今の衝撃で間接部位が異常をきたしたのか、上手く立ち上がれずに悶えている。
「相変わらず自分の面目しか頭にないとか、まさに機械人形の上に立つ支配者の玉にぴったりじゃねぇか。……こいつが廃棄されるのは、お前のせいでもあるってのに」
「え……っ」
テスラはポロックからラルドールに視線を移す。
ラルドールはテスラを見ていなかった。彼は足元に転がった巻き鍵を爪先で小突く。
ハート型のロゴマークが刻まれたそれは紛れもなく、ポロックの巻き鍵だった。
「これ、お前が作った巻き鍵だろ。こいつは『機械人形は誰彼構わず助けなきゃ』っていうお前の偽善に付き合わされて、こんな無駄な苦痛を味わう羽目になったんだよ」
ドクンと、心臓が大きな音を立てた。
——あのときポロックを助けたのは、本当に正しかったのか。
薄々と感じ始めていた迷いや後悔。その傷跡に、ラルドールは容赦なくとどめを刺した。
鮮血の代わりに溢れ出た黒い靄がテスラを包み込み、自責の渦へと閉じ込める。
ポロックが今こうなっているのは自分のせい。……違う。
機械人形を助けたいと思うのも全て自分のため。……そんなはずはない。
——本当に?
自己防衛の声は徐々に小さくなり、自信が根こそぎ剥がされていく。
「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だぁっ!」
いつの間にかポロックは立ち上がっていた。
彼はよろつきながらも、必死な形相で住宅街へと駆け出していく。
「あいつ、まだ動けんのかよ……っ」
ラルドールは舌打ちを溢し、ポロックを追いかけて走り出す。
やめて。捕まえないで。ポロックは廃棄するべき機械人形なんかじゃない。
様々な感情が入り混じり、咄嗟にラルドールの名前を叫ぶ。
すると彼は一度だけ足を止め、険しい目つきで振り返った。
「いい加減にしろよっ‼」
ラルドールの怒号にビクリと肩が震えた。
頭が真っ白になり、脳内を覆い尽くしていた闇が一瞬だけ晴れる。
ラルドールの背中は日が沈み切った路地へ消え、見えなくなった。
テスラは固く目を瞑り、再び自分を取り囲もうとする黒い靄と向き合う。
修理するべき機械人形と廃棄するべき機械人形の区別。
それができなかったのは、テスラが自分の面目しか考えていなかったから。
これはもう、否定の仕様がない真実だ。
テスラは自分のために機械人形を助けてきた。
偽善。ならば、「機械人形を助けたい」というテスラの信念も全て偽物なのか。
「……違う。偽物なんかじゃない」
どんな動機でさえ「機械人形を助けたい」のは本当であり、テスラの本心だ。
——偽物なんかに、してたまるか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます