錠前の先の自己保身

「水かけてあげようか?」

 気がつくと会議室での朝礼が終わっていて、テスラはそのときに配られたのであろう書類を手にしていた。

 普段通りの制服を着こなしたトキは、硬直したままのテスラの顔を覗き込む。

「え……」

「キノコ栽培できそうだったから」

「ベネットちゃん、朝からぼーっとしてるけど大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」

 トキの横に並んだジーンは、テスラの額にそっと手を当てる。

「朝からじゃない。昨日の夜からずっと変」

「熱はないみたいだけど……念のため、今日は休んでおいたほうがいいんじゃない?」

 ジーンはテスラの返事を待たずに、先程から資料棚に寄り掛かっていた、テスラが今最も関わりたくない人物に声をかける。

「ラルドール警部もそれでいいですよね? ベネットちゃんに万一の事があったら、警部も困るでしょう?」

 ラルドールは書類に向けていた目をすっと上げて、発言したジーンではなくテスラのほうを見やる。

「……今日の巻き鍵はどうすんだよ」

「そこはほら。ゼンマイが切れる前に、警部が直々にベネットちゃんの部屋まで行って——」

「俺に女性寮へ入れってか?」

「昼間はみんな外に出ていますし、誰も気づきませんよ」

 ラルドールはジーンとトキを順に睨む。そして最後にもう一度テスラへ視線を向けると、資料棚から背中を起こした。

「好きにしろ」

 そう吐き捨て、ラルドールは会議室から出て行く。

 彼の素っ気ない態度にズキンと胸が痛む。同時にどうしようもない歯痒さを感じ、自然と顔が下がったとき。

 強い力で襟首を引かれ、軽く首が締まりかける。

「うぐっ」

「部屋まで送る」

「ト、トキ? 平気だよ。熱もないし、一人で戻れるよ」

「送る」

「それじゃあトキちゃん、よろしくね~」

 ひらひらと手を振るジーンに見送られ、容赦ない力で女性寮まで引きずられる。

 部屋につくと問答無用で部屋着に着替えさせられ、ベッドに放り込まれた。

「寒くない?」

「う、うん。大丈夫。ありがとう」

「そう。帰ってきたら、また来るから」

 トキはぽんぽんと布団を叩いて、部屋から出て行った。

 彼女の足音が聞こえなくなってから、テスラはゆっくりと体を起こす。

「……初めてサボっちゃった」

 罪悪感に襲われるが、密かに安堵している自分がいることも否めない。

 とはいえ、私情で仕事を放り出してしまったのは事実だ。

 せめて朝礼の書類には目を通しておこうと、ベッド脇のサイドテーブルに手を伸ばす。

「機械人形のメンテナンスを利用した悪徳商法……?」

 機械人形は、半年に一度の頻度で必ずメンテナンスを受けなければならない。

 そのメンテナンスで特に問題が見つからなかった機械人形には〝定期メンテナンス通過通知書〟が発行される。

 近頃都市内では、本来かかるメンテナンス費用の半額を支払えば、メンテナンスをすることなく通過通知書を発行するという悪徳商法が多発しているという。後日、偽造通知書を受け取った機械人形の元に治安警察隊を装った詐欺組織の一味が訪れ、高額な罰金を請求するらしい。

 酷い事件だ。

 通知書を誤魔化そうとする側にも問題があるが、機械人形をただの金儲けの道具としてしか見ていない。

 けれどそれは、巻き鍵作りで生計を立てているテスラも同じなのかもしれない。

「……少し眠ろう」

 ごろんとベッドに伏せて、目を閉じる。

 夢を見るまでの間。いろいろなことを考えてしまうこの時間こそが、正直に言って一番の難関だ。

 ラルドールからの非難の言葉に覆われる中、それらとは違った懐かしい声が聞こえてくる。


『機械人形を助けたいだけなら、巻き鍵屋にこだわらなくてもいいんじゃないか?』


 あの声は、おじいちゃんだ。

 あれは確か、テスラが巻き鍵作りをおじいちゃんに教わるようになってまもなくのこと。

 テスラだって、最初から「天才」と呼ばれるほどの技量を持っていたわけではない。

 初めの頃は何度も失敗したし、挫けそうにもなった。

 そんなときに、おじいちゃんから言われた台詞だ。


『修理屋や販売店員……機械人形と関わる仕事なら、他にもごまんとある』

『やだ! 巻き鍵屋がいい。わたしは絶対に、おじいちゃんみたいな巻き鍵屋になるの!』

『まったく、誰に似てこんな頑固に育ったのやら……』

『おじいちゃんに似たんですぅ~』

『いいかテスラ。お前はまだ、目の前にある小さな世界しか見えていない。お前の世界はいろんな知識を蓄えていくことで、無限に広がっていくんだ。だから、こんなところで自分の将来を決める必要なんてないんだぞ?』

『いいの! だって、巻き鍵屋ってすごいんだよ。巻き鍵はね————』


 そうだ。

 巻き鍵屋とは何なのか。

 その答えを、あの頃のテスラは確かに持っていた。

 あのとき、なんて答えたんだっけ……。



 目が覚めると、部屋はすっかり茜色に染まっていた。

 窓越しに夕焼け空を見上げて、テスラはゆっくりと自分の額に手をやる。

「……冷たい」

 布団に包まっていた身体は熱いくらいなのに、何故だか額だけが異様に冷えていた。

 身体を起こして辺りを見回してみるが、氷嚢や濡れタオルなど、額の冷えの原因となり得るものは見当たらない。

 首を傾げていると、ふと机の前にあった椅子がベッド脇に移動していることに気がつく。

 まるで、ついさっきまで誰かがそこに座って、テスラを看病していたかのように。

 ちらりと壁掛け時計を見てみる。

 この時間なら、トキはまだ寮に帰ってきていないだろう。

 消去法でとある人物の可能性に行きつく。

「まぁ、そんなわけないか」

 テスラはすぐに首を振って、その予想を打ち消した。

 彼がテスラの看病なんてするはずがない。それにもし彼が来たのなら、テスラを無理矢理にでも起こして替えの巻き鍵を作らせるはずだ。

「……そういえば、ポロックとの約束」

 今日はポロックと夕食の約束をしていた。

 お互い仕事終わりに会う予定だったので、そろそろポロックは約束の場所に向かっている頃かもしれない。

「行かなきゃ」

 もちろん、仕事を休んでおきながら外食するような図々しさは持ち合わせていない。

 しかし直接会うほかに、ポロックとの連絡手段がないのだ。

 テスラを気遣ってくれたポロックに、何時間も待たせて無言で約束を放り出すわけにもいかない。

 夕食を断るにしろ、まずは彼の元へ会いに行かなくては。

 テスラはベッドから降りて身支度を整える。

 ラルドールの巻き鍵のことが頭を過ぎるが、すぐに寮に戻ってくれば問題ないだろう。

 最後に鏡を見て寝癖を直し、約束のケルト橋へと向かった。

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