巻き鍵と偽善者の方程式②


 日当たりのよいテラス席で、ポロックは手当たり次第に買い集めた医薬品を袋に戻していく。

「ちょっと赤くなってただけなのに、大袈裟なんだから」

「大袈裟なんかじゃないですよ! テスラさんはもっと自分の腕を大事にしないと」

 テスラは白い包帯が巻かれた自分の右手に苦笑し、注文を取りに来た店員に一人分のランチを頼む。

「本当に大丈夫ですか?」「他に痛いところは?」「やっぱり医者に診てもらったほうが」と絶え間なく続いていたポロックの気遣いが落ち着いた後。テスラはポロックと、お互いの近状報告や思い出話に花を咲かせ始めた。

「でも驚きました。まさか、こんなところでテスラさんに会えるなんて」

「それはこっちの台詞だよ。あれっきり全然連絡もなかったから、心配してたんだよ」

「なかなかイルベールでの生活に慣れなくて……すみません」

 ポロックは巻き鍵屋を去った後、すぐにこのイルベールに越してきたのだという。

 今はここで配達の仕事をしているらしく、彼は仕事用であろう肩掛けの鞄を軽く持ち上げる。

 話に区切りがついたところで、ふいにポロックは表情を曇らせ、テスラの顔を上目遣いに窺う。

「それで……そろそろ聞いても大丈夫ですか? さっきの、テスラさんがあそこで泣いていた理由を。あっ、でも話したくないことであれば、無理には」

「ううん、平気。むしろ誰かに聞いてほしい気分だったから。……ちょっと、同僚と揉めちゃって」

「同僚さんというのは、さっきの話にも出ていた治警の?」

 ポロックはテスラのつけている腕章を見て微かに表情を強張らせる。

 テスラは彼から目を逸らして、これまでの経緯をぽつりぽつりと打ち明けた。

 最初は相づちを打っていたポロックだったが、次第に口数が減り、神妙な面持ちに変わっていく。

「やっぱりわたしは機械人形を助けたいし、〝修理するべき機械人形と廃棄するべき機械人形の区別〟なんてつけたくない。でもそれが自分のことしか考えていない偽善だって言われて……少し、わかんなくなっちゃって」

 テスラの話を聞き終えたポロックは、眩しそうに目を細めて下を向く。

「……僕はちょっと、その同僚さんの言い分もわかる気がします」

「えっ」

「もちろん、テスラさんを否定するわけじゃないですよ。……でも、ほら。僕って元々、廃棄されそうになってテスラさんの店に訪れたわけですし」

 彼にとって忘れたい過去であろう話を持ち出され、テスラはぐっと口を噤んだ。

 かつて所有者に誤って怪我を負わせてしまったポロックは、所有者に捨てられ、叔父の店で廃品回収されるのを待っていた。

 ——なんだか、虚しいです。僕は僕の最期でさえ、自分で決めることができないんですね。

 ポロックはテスラに暗い瞳を向けてそう言った。

 それを聞いてテスラは————。

 別段、機械人形には所有者がいなければならないという規則はない。

 明確な所有者がなく、組織に雇われているラルドールがいい例だ。

 世間からの風当たりは強いが、所有者のいない機械人形はこの世界にごまんと存在する。

 だからテスラは、叔父の目を盗んでポロックの巻き鍵を作り、彼を逃がしたのだ。

 ポロックだって、故意に所有者を傷つけたわけではない。

 たった一度の失敗で廃棄されるなんて、あんまりだと思ったから。

 その後もテスラは幼いながらに知恵を絞り、廃品回収されかけた機械人形を逃がし続けた。結果、テスラはポロックを含めて五機の機械人形を店から逃がした。

 今思えば、テスラの悪知恵はこの頃から芽生えていたのかもしれない。

「同僚さんは軍事用機械人形なんですよね。それはつまり、彼は戦場で人間も機械人形も例外なく大勢の人を攻撃したということ。その罪悪感が、彼を苦しめているのではないでしょうか。自分の意思に反して誰かを傷つけることほど、辛いことはありませんから」

 ラルドールに、過去の自分を重ねているのであろう。

 ポロックの声は、こちらが泣きたくなるほど悲しい声色をしていた。

「……テスラさんは、誰が同僚さんにそのような本心とは真逆の行動をさせているのか、わかりますか?」

「誰って……彼を雇っている、治安警察隊?」

 沈黙の肯定。

 ポロックはテーブルの木目ではなく、もっと奥のどこか遠くを見つめて続ける。

「巻き鍵がなければ、僕たち機械人形は無力です。そしてその巻き鍵を握っているのは所有者である人間や組織。……命を握られ、拒絶が許されない立場に立たされているといっても過言ではありません」

 ポロックはそこで息をつくと、胸ポケットからある物を取り出した。

 重たい音を立ててテーブルに置かれたのは、かつてテスラが作ったポロックの巻き鍵だ。年季が入った巻き鍵の持ち手部分には、ハート型のロゴマークが彫られている。

「所有者がおらず、巻き鍵を自分で所持している機械人形にも、自由はありません。メンテナンス等にかかる費用は全て自分で稼がなければなりませんし、そうなれば当然生活も苦しいものになります。……だから、僕たちを縛りながら僕たちを憐れむ人間を〝偽善〟だという同僚さんの気持ちも、わからなくはないんです。僕だってテスラさん以外の人間に同じようなことを言われたら、その人間を恨めしく思ってしまうでしょうし……」

 機械人形のメンテナンス費用は、機械人形本体の価格よりは安いが、決しておいそれと出せる金額ではない。

 何年も前から修理されずに残され続けている頬の亀裂が、ポロックの厳しい生活を物語っていた。彼の亀裂を眺めていると、次第に大きな不安に駆られてくる。

 ——巻き鍵は機械人形の命。

 それは機械人形たち本人の手ではなく、所有者や組織の手に渡る。

 だから機械人形は人間の命令に逆らえない。

 それじゃあ、巻き鍵屋の仕事は、テスラがこれまでしてきたことは————。

 指先が冷たくなり、水中に沈んだときのように周囲の音が籠って聞こえる。

 ——……お前は本当に、自分のことしか考えてないんだな。そういうのをなんていうか知ってるか?

 ラルドールの言葉が蘇り、テスラは身を固くする。

 ——偽善だよ、偽善。お前は自分の面目のために機械人形を憐れんでる偽善者だ。

「違う」と、今では否定できる自信がなかった。

 なぜなら目の前にいるポロックを助けたあのときも、

 自分のことしか考えていない。偽善。

 それらの言葉がどろどろとした存在感を放ち、テスラの心を蝕んでいく。

 テスラが纏う雰囲気の変化を感じ取ったのか、ポロックはあたふたと口早に言う。

「すみません。そんな顔をさせたかったわけじゃないんです。テスラさんは本心から機械人形を助けようとしてくれて、実際に僕を助けてくれた。僕に、生きる選択肢を与えてくれた。テスラさんだけは他の人間とは違う。そう言いたかったんです。僕はテスラさんに感謝していて、今の暮らしも大変ですが、あのまま廃棄されていたよりはよっぽどいいと思っていますし……」

「……大丈夫。ポロックに悪気があったわけじゃないって、ちゃんとわかってるよ」

 テスラがぎこちなく笑うと、ポロックは悲しそうに眉を下げて口を結ぶ。

 彼が再び何かを言おうと口を開いたとき。

「あのポンコツ野郎、どこほっつき歩いてんだ! 正午の配達はまだ山ほど残ってるってのに」

 テラスに隣接した十字路のほうから、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。

 ポロックはびくりと肩を跳ね上げ、声が聞こえたほうを振り向く。

「いけない、早く戻らないと……」

 彼はそう呟いて立ち上がりかけるが、躊躇うようにテスラを見やる。

「わたしは大丈夫。配達、頑張って」

 テスラはそう言って手を振るも、ポロックの表情は晴れないままだった。

「テスラさん。その、明日、またこの時間に会えますか?」

「えっ……明日のお昼は、先約があって」

「なら夕方にでも。夕食をご馳走させてください」

「ご馳走って、ポロックは食べられないでしょ」

「平気です。テスラさんが食事するところを見ているだけで、僕も満腹を感じることができますから」

 無茶苦茶だ。満腹を感じる機械人形なんて、聞いたことがない。

 けれど今はそんなポロックに救われ、テスラはくすりと自然な笑みを溢した。

「わかった。じゃあまた明日」

「はい。明日、仕事終わりにケルト橋で会いましょう」

 ポロックはほっとした様子で十字路へと駆けていく。

 彼の背中が見えなくなると、まるで見計らったかのように先程の憂鬱が舞い戻ってきた。

 その後運ばれてきたサンドウィッチの味も、合流したラルドールとどのような経路で街を巡回したのかも、よく覚えてはいない。

 テスラの脳はずっと、たった一つの疑問によって支配されていた。

 ——機械人形にとって、巻き鍵屋とはなんなのだろう。

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