巻き鍵と偽善者の方程式
今朝起きた爆発事件は、思っていたよりも早くに収拾がついた。
爆発した現場は、テスラが以前から怪しんでいた市街地の隅にある倉庫だ。
二本の線路に挟まれたその場所は物音を相殺するのに適していて、工業地帯なため滅多に関係者以外の人間が立ち寄ることもない。
案の定、その倉庫は闇市の連中のたまり場となっていて、機械人形の不正改造が行われていたのだ。
テスラが疑った場所で実際に悪行が企てられていたことは、今回が初めてではない。
犯罪心理、とでも言うのだろうか。
テスラは悪事を働く人の思考を予測できるのだ。
『もし自分が後ろめたい行為をする立場に立っていた場合、自分だったらどう動くか』
持ち前の悪知恵が共鳴を起こすのか、テスラがそのように仮定したものがそのままそっくり現実になっていたことは、一度や二度ではない。
テスラが抱く世間への不満と同様に、叔父はその特技のせいでテスラが周囲から奇異の目で見られるのを危惧したのだろう。
「あまり厄介事に首を突っ込むな」と釘を刺されて以来、テスラはこの密かな特技を公にしてはいない。
けれど、予想通りと言うべきか。こうして自分の仮定が現実になるのを直接目にするのは、あまりいい気分はしない。
「いつまでしけた面してんだよ。まーた人酔いか? 田舎者はこれだから……」
「違うよ。さっきの事件……機械人形の右腕しか見つからなかったって」
不正改造された機械人形が爆発を起こし、結果連中の倉庫をまるごと吹き飛ばした今回の事件。
幸い近隣の工場や人に被害はなく、倉庫の火も素早く鎮火され、連中は有無を言わせずに逮捕された。
自業自得。
一機の
「不正改造の機械人形はどうせ廃棄されるんだ。それが少し早まっただけだろ」
ロングコートの下に警官の制服を着込んだラルドールはそう吐き捨てると、住宅街の奥に聳え立つ時計塔を見上げる。
正午の鐘が鳴るには、まだ少し早い時間だ。
「昼食休憩。今から取るかいつも通りの時間に取るか、どうする?」
「どっちでもいい」
「はっ、ボッチ飯は楽でいいよな。相手と休憩合わせる必要がなくて」
「うるさいな。明日はトキと食べる約束してるもん。それに……たぶん、今日は食欲湧かない気がする」
現場から離れたところで発見された、焼け焦げた右腕。その断面は内部の部品がむき出しになっていて、開かれたまま停止した手のひらはまるで何かに救いを求めているかのようだった。
嫌に鮮明な光景が、頭にこびりついて離れない。
ラルドールの後をとぼとぼとついて歩くと、ふと彼は肩越しに振り向いた。
「なら、少し付き合え」
「え?」
「今度の相手は厄介そうだし、どうせお前も暇してんだろ」
そう言ってラルドールは路地を曲がり、住宅街のほうへ歩き出す。
「今度って何? どこに行く気? ちょっと、ねぇ!」
いくら声を投げかけても、ラルドールは返答は愚か、足を止める気配さえもない。
「あぁもう!」
まだ休憩に入らないなら、このまま彼を放っておくわけにもいかない。
ラルドールの後ろ姿が見えなくなる前に、テスラは駆け足で彼の後を追いかけた。
「ここって、この前の……」
黙々と歩いていたラルドールは、先日ひったくりの犯行に及んだ赤髪の機械人形——イレイナの家の前で足を止めた。
事件後に提出された書類によると、イレイナは母親が一人息子に買い与えた機械人形だったらしい。その息子があの事件の主犯だ。
ラルドールが玄関のベルを鳴らすと、しばらくして扉が開き、母親らしき女性が顔を覗かせた。
女性の頬は痩せこけ、目の下には酷い隈ができている。彼女が纏う服はラルドールが好んでいるブランド品だったが、憔悴しきった彼女と高価な服はまるで釣り合っていなかった。
「なんの用でしょうか」
そのか細い声からは、彼女の疲労がひしひしと感じられた。
「何度も悪いな。俺は治安警察隊の……って、もう自己紹介はいらないか」
「息子のことは全てお話ししました。わたしが知っていることは、もう何も……」
「いや、今日は事情聴取じゃない。俺の完全な私用だ」
「私用?」
ずっと足元を見ていた女性の視線が上がる。
ラルドールはロングコートの内ポケットから手のひらサイズの麻袋を取り出すと、それを女性に手渡す。
「これは……?」
「〝部品だけの姿になっても家に帰りたい〟。イレイナの最後の言葉だ」
裏路地で事切れたイレイナの最期が脳裏に過ぎり、ぞわりと肌が粟立つ。
同時に、テスラはラルドールがここへ来た理由を悟る。
女性は麻袋を開いて中の部品を見るなり、その場で泣き崩れた。
小さな部品を大切そうに胸に抱く彼女の泣き声には、次第にイレイナの名前が交ざっていく。
イレイナは、家族から——少なくとも母親からは、我が子のように愛されていたに違いない。
テスラが女性の澄んだ涙に涙腺を刺激されていると、ふいに横から肩を小突かれる。
「なんでお前まで泣きそうになってんだよ」
「だって……」
「ぶっさいくな顔。ったく、なんのためにお前を連れてきたと思ってんだよ。早くなんとかしろ」
「えっ」
乱暴に突き飛ばされ、テスラは倒れそうになりながら女性の元へ近づく。
女性はテスラに気づいていないようで、依然として咽び泣いている。
……なんとかしろって、彼女を? 泣き止ませろってこと?
戸惑い気味に振り返ると、ラルドールは泣き続ける女性を顎で指す。
テスラはとりあえず自分の目元を拭い、女性と目を合わせるようにしゃがみ込んだ。
突然初対面の相手を泣き止ませろと言われても、どんな言葉をかければ良いのかわからない。
テスラは迷った末に、今自分が一番感じている感謝の思いを伝える。
「あの、わたしが言うのは違うって、わかってはいるんですけど……イレイナを家族の一員にしてくれて、イレイナの家族でいてくれて、ありがとうございます」
「貴方は……」
女性は顔を上げ、涙で潤んだ瞳にテスラを映す。
優しい人だ。イレイナもきっと、この人の元で過ごせて幸せだっただろう。
「仕事柄、機械人形と接する機会が多くて……誰にも愛されず、たった一人で最期を迎える機械人形を大勢見てきました。機械人形は人間のために。でも、彼らのそんな思いのほとんどが一方通行で終わってしまう。だから、貴方にこんなにも想ってもらえて、イレイナは少しでも救われたんじゃないかなって……そう思います」
救われた。
その言葉にはっとして、テスラは後ろを振り返る。
イレイナは救われた。なら、イレイナを救ってあげたのは誰?
目の前にいる母親の女性……でも彼女の想いだけでは、イレイナの最後の願いは叶えられなかった。
じゃあ、イレイナの最後の願いを叶えたのは? こうしてイレイナを家まで送り届けたのは——。
「なんだよ」
突然振り向いたテスラに、ラルドールは訝しげな視線を送る。
〝修理するべき機械人形と廃棄するべき機械人形の区別〟
イレイナに直接手を下したのはラルドールだ。
つまり彼は、イレイナは〝廃棄するべき機械人形〟と判断した。
だけど——イレイナの思いを汲み、彼女を救ってあげたのも、ラルドールだ。
イレイナの家があった一等地の住宅街を後にし、石畳の細道を通って大通りを目指す最中。
テスラの頭の中は、目の前を歩くラルドールのことで埋め尽くされていた。
彼は彼なりにイレイナを処分した罪悪感を抱え、心を痛めている。
いや、恐らくイレイナだけではない。ラルドールはイレイナの家に向かう前、「今度の相手は厄介そう」だと言っていた。
彼はこれまでにも、廃棄された機械人形を悼み、このようなことをし続けていたのではないか。
「ねぇ、ラルドはどうしてこの仕事を続けてるの?」
気がつけば、テスラは彼の後ろ姿に問いかけていた。
「はぁ? 急になんだよ」
「いいから」
「……警官って職に就いていなけりゃ、俺は今頃この世にいねぇ」
ラルドールは前を向いたまま端的に答えた。
——軍事用機械人形である彼が今もこうして起動できているのは、治安警察隊の持つ特別な権限の元にいるから。
わかりきっていた答えだが、少しだけ胸が痛くなる。
「ラルドはさ、イレイナみたいな機械人形の被害者を……助けてあげたいとは思わないの?」
もしかしたらラルドールは、〝自分と同じ側〟なのかもしれない。
テスラと同じように、本当は〝機械人形を単なる道具として扱う今の世間に納得できない側〟なのではないか。
同類を見つけた。そんな淡い期待を込めて問うが、彼の反応はテスラの予想とは大きく外れていた。
「……は?」
ふいに、巨大鯨のような飛行船が上空を横断する。
それは住宅街に大きな影を落とし、テスラとラルドールの周囲も薄闇に包まれた。
振り返ったラルドールは、何か妙なものを前にしているような目でテスラを見やる。
「お前、何言ってんだ?」
「何って……だって、おかしくない? イレイナの事件も今日の事件も、悪いのは機械人形じゃない。それなのに、なんで機械人形が廃棄されないといけないの?」
「人間に危害を加えた時点で、機械人形は被害者じゃない。犯罪に加担した立派な加害者だ。そいつらになにもお咎めがないほうがどうかしてる」
「それでも廃棄処分はやりすぎだよ! 機械人形の命をなんだと思ってるの?」
本当は、ラルドールもそう思っているのではないか。
〝修理するべき機械人形と廃棄するべき機械人形の区別〟
そんなもの、彼自身もしたくないに決まっている。そうでなければ、わざわざイレイナの遺言を叶えてあげるはずがない。
テスラは息を巻いて訴えるが、ラルドールが同調する様子は微塵もない。
「機械人形の命だ?」
彼の口から、重たいため息が一つ落とされる。
「……お前は本当に、自分のことしか考えてないんだな。そういうのをなんていうか知ってるか?」
酷く冷静な、それでいて周囲の温度を下げてしまうほどに凍てついた目がテスラに向けられる。
「偽善だよ、偽善。お前は自分の面目のために機械人形を憐れんでる偽善者だ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
唖然とするテスラに、ラルドールは感情も温度も感じられない声で続ける。
「お前は機械人形に情けをかけてやる優しい自分が恋しいんだろ? 自分は心の清い人間だって、周りにそうアピールしたいだけ。〝修理するべき機械人形と廃棄するべき機械人形の区別〟ができないのもそれが理由だ。そんな区別をつけたら、お前の言うような『機械人形の命をなんとも思っていない連中』の仲間入りになるからな」
黒く粘っこい声が、じわじわと耳を犯していく。
全身を駆け巡る不快感に、テスラはたまらず声を荒げる。
「違うよ! そんなこと思ってない!」
「何も違わないだろ。機械人形を使役する人間たちの中で一人だけ善人面してるのは、さぞかし気分が良かったよなぁ? ……あぁそういえば、そもそも巻き鍵屋ってやつはそういう偽善者の集まりだったな。機械人形を労わるフリして、仕事って立派な名目で、機械人形を使役する術を人間に戻すための——」
かっと頭に血が昇る。
気がつけばテスラはラルドールに詰め寄っており、靡く銀髪が彼の横顔を隠していた。
右手のひらが鈍く痛む。硬質な機械人形の表面を殴ったからだ。じんじんとした痛みは骨を伝って、手首、腕、そして胸の奥へと行き渡る。
「巻き鍵屋を馬鹿にしないで。それ以上言ったら、許さないから」
その声は、自分でも驚くほどに低く、険しかった。
「は……っ、てめぇ——」
もしラルドールが人間だったら、テスラを睨む目は赤く血走っていたに違いない。
ラルドールはテスラの胸倉を掴み、もう片方の腕を振りかぶる。
対してテスラは身構えも、避けようともしなかった。その時間すら惜しむようにラルドールを正面から睨み続ける。
「……くそっ」
ラルドールの拳は振りかぶった状態で硬直していた。
彼は犬歯を噛み砕きそうなほど強く歯を食いしばり、荒々しくテスラの襟元から手を離す。
静寂とした細道に舌打ちの音はよく響いた。
ラルドールはコートを翻して歩き出す。けれど、テスラはその場から動けなかった。
足が動かない。仕事や義務感などのしがらみを全て断ち切って、心が、全身が、ラルドールを追いかけることを拒んでいる。こんなことは初めてだった。
「……ラルドの言ってる意味がわからない。機械人形を助けたいと思うのは偽善? 目の前で傷ついてる機械人形を助けたいと思うのは、そんなにもいけないことなの?」
「その機械人形がお前に助けを求めているかどうかなんてわからないだろ。お前がやってるのは、ようやく人間から解放された機械人形をまた人間の支配下に戻す行為だ。機械人形にとってこれ以上ない残酷な仕打ち。それを棚に上げて『機械人形を助けたい』とか、偽善以外の何物でもないだろ」
それを聞いて、テスラは無意識に乾いた笑いを零した。
「なにそれ。……じゃあ、つまりこういうこと? 自分で自分を傷つけているラルドの巻き鍵を作る、今のわたしの仕事そのものが偽善だって言いたいの?」
提示報告の書類に記載せず、誰にも口外せずにいた、ラルドールの秘密。
彼の核心に触れる問題だと思い、本当は彼に巻き鍵係として認められた後に聞こうと思っていたことだ。
しかしそれは意外なほど呆気なく口から漏れ、鋭利な一矢となってラルドールの背中を貫いた。
ラルドールが足を止めて反応を示したのが引き金となり、テスラの口は勢いづく。
「気づかれないとでも思った? どれだけわたしを、巻き鍵屋を馬鹿にしたら気が済むの。ゼンマイが切れる時間が異常に速いのも、自分でそういう細工を施したから。そうでしょ?」
よく注意して見なければ気がつかない些細な跡。
けれどテスラは、彼の鍵芯部を初めて覗いた日からそれに気づいていた。
彼の鍵芯部は経年劣化した箇所に交ざり、明らかに人工的につけられた傷跡がある。
「ラルドに自傷行為をするよう指示した人が治安警察隊にいるのかも。そう疑ったこともあったよ。でも、違うよね。だってもしそうなら、治安警察隊がラルドのためにあれだけ血眼になって巻き鍵屋を探す必要がない。田舎村の巻き鍵屋をこのイルベールまで引っ張り出してくるなんて無駄手間、かけるはずがないもの」
自傷行為。
鍵芯部の劣化を補った巻き鍵を作るテスラとは真逆の行動だ。
それが意味するのは、ラルドールは巻き鍵を得てゼンマイが巻き直されること——自分が再起動するのを拒んでいるということ。
テスラは唇を強く噛み締め、歪んだ顔を隠すように項垂れる。
「ふざけないで……いい加減にしてよっ。散々人のこと振り回して、バカにして……」
巻き鍵係として認めないだけではなく、巻き鍵屋のテスラそのものを否定するのか。
ラルドールは首だけを回してテスラを一瞥し、小さく口を開く。けれどすぐに閉口して、彼はそのまま大通りに出る。
細道と大通りはちょうど飛行船の陰と陽の境界になっていて、逆光でラルドールの顔が見えなくなる。
「昼食休憩。一時間後、大通りの停留所前」
黒く染まった彼は淡々と告げ、大通りの雑踏に消えていく。
その姿が見えなくなると、テスラは両手で顔を覆いしゃがみ込んだ。
「ふ……ううっ……!」
悔しい。悲しい。とめどなく沸き上がる感情が、頬を濡らしていく。
「あ、あの……大丈夫、ですか?」
しゃくりをあげてうずくまっていると、上方から戸惑い交じりの声が降りかかった。
気がつくと、テスラの前には古ぼけた黒いブーツが揃えられていた。その足を伝って視線を上げると、男性のぎこちない笑顔があった。
ブロンドの髪が揺れ、その隙間から左頬にある星形の亀裂が覗く。
見覚えのある印象的な亀裂にテスラは目を見開いた。同時に、男性の顔にも驚愕の色が広がっていく。
「テ、テスラさん⁉ どうしてここに……というか、なんで泣いて……っ」
「ポロック……?」
懐かしい響きの名前を口ずさむ。
ポロックはあわあわと両手をさ迷わせ、恐る恐るといった様子でテスラを抱きしめた。
ガチャリと無機質な音が耳元で響き、服越しに人間よりも硬い肌が頬に当たる。
「と、とりあえず泣き止んでください! 大丈夫です。大丈夫……」
根拠もなく繰り返される「大丈夫」。
それは、テスラが幼い頃によく使っていた魔法の呪文だ。
あのときもそうだった。
店裏で膝を抱えていたポロックの隣に座り、彼の手をそっと握ったときも、この呪文を唱えていた。
ポロックもテスラと同じように、昔のことを思い出していたのだろうか。
「……あのときと、逆ですね」
はにかむポロックの腕の中で、テスラは「だね」と返す。
いつの間にか、涙はもう止まっていた。
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