巻き鍵屋 テスラ・ベネット③

 イルベールには富裕層が多く、彼らは高価な機械人形を購入することに躊躇がない。

 ラルドールはそんなイルベールの治安警察隊に所属し、主に機械人形絡みの事件を担当している。

 生身の人間が対応するには少々危険なそれらの事件は、機械人形の窃盗、不正改造、メンテナンスを怠り不具合が生じた機械人形の暴走や事故……例を挙げると切りがない。

 中でも最も多いのが、所有者の指示で犯行に及んだ機械人形の事件だった。

「前科のある機械人形は買い手がつかない。ならば一度廃棄して分解し、中の部品で新たな機械人形を作るほうが効率的だ」

 そんな商人たち中心の考えから、今日では人間に危害を加えた機械人形には強制処分が命じられていた。

 ラルドールの電撃は、高熱で機械人形内部の部品を歪めることができる。機械人形は内部の部品が一つでも変形すれば、途端に歯車が噛み合わなくなり、ゼンマイの残りの有無に関わらず活動を停止する。

 所有者の命令で臨戦態勢に入った機械人形の対応が可能で、且つ部品の損傷を最小限に留められる、軍事用機械人形の特殊警察官・ラルドール。

 そんな彼を傍で支える巻き鍵係の仕事は、彼の巻き鍵を作るだけに留まらない。

「や~っと書き終わったぁ……」

 治安警察隊が提供する女性寮の共有スペース。

 長時間椅子に座り続けていたテスラは、書き上げたばかりの書類を巻き込んで机に突っ伏した。

 事件に関する書類の作成は他の警官たちの仕事だ。けれどラルドールの巻き鍵に関する書類は、テスラ自身が作成し、上の御歴々に提出しなければならない。

 一般的な機械人形は三日ほどでゼンマイが切れる。それに比べて、ラルドールは一日にも満たない短時間でゼンマイが切れてしまう。

 一日で鍵芯部の劣化はどれくらい進むのか。その影響でラルドールの起動時間はどのように変化するか。依然として劣化した鍵芯部に合わせた巻き鍵を作ることは可能か。

 それらを事細かに記した書類を、毎日欠かさず提出しなければならないのだ。

 巻き鍵屋の専門用語が永遠と綴られている書類なんて、どうせ上もまともに目を通していないのに。明日の書類には、専門用語の合間に日頃の不満でも書きつけてやろうか。

「……にしても、おっかしいなぁ。また計算ミスかな」

 机に左頬をつけてぼやいていると、ふいに目と鼻の先に二つのマグカップが現れる。

「珈琲と煎茶、どっちがいい?」

 視線を上げると、そこには昼間とは違うラフなジャージ姿のトキが立っていた。

「ト、トキさん?」

 彼女から声をかけられたのは初めてだ。慌てて上半身を起こし、居住まいを正す。

「同い年でしょ。トキでいい。珈琲と煎茶、どっちがいい?」

「じゃあ、煎茶で……」

「珈琲は苦手?」

「カフェインが利き過ぎちゃう体質みたいで。この時間帯に飲むと、夜寝られなくなっちゃうから」

「そう」

 相も変わらず無表情のまま、トキは珈琲のマグカップを片手に向かいの席に腰を下ろす。

 こうして二人きりで顔を合わせる機会は一度もなかったので、話題に困ってしまう。

 気まずい沈黙の間を誤魔化すように、ちびちびと時間をかけて煎茶を飲んでいたとき。

「トキ、男になろうと思う」

 急にトキからそう切り出され、思わず煎茶を吹き出してしまう。

「げほっ、ごほっ……な、なんて?」

「男になろうと思う」

「……ごめん、ちょっと意味がわからない」

 目の前の美少女はいったい何を言っているのだろう。

 無表情での発言なので、冗談か否か判断しづらい。

 何も言えず固まるテスラに、トキは平坦な声で続ける。

「そうすれば、テスラもトキと気楽に話せるでしょ?」

「え?」

 突然自分の名前を出され、ぽかんと口が開く。

「トキが女だから、テスラはトキと話すときに緊張するんでしょ。なら、トキが男になれば万事解決」

 そこまで聞いて、ようやくトキの話が見えてきた。

 どうやら彼女は、テスラが自分の前でぎこちない態度を取るのは、女性に対して苦手意識を持っているからだと考えたらしい。

 テスラは慌てて両手を振り、それでも足りずに頭までぶんぶんと振った。

「ち、違う。違うよ! 女の人が苦手とかじゃなくて、その……」

 微塵も感情を見せないトキが苦手なのだ。

 そんなことを真っ向から告げられるはずもなく、「ともかく!」と声を張り上げる。

「トキさ……トキには女の子のまま、そのままのトキでいてほしいかな」

「わかった」

 本気で性別を変えるつもりだったのだろうか。

 素直に頷いたトキの真意を読み取れずにいると、ふいに一つの仮説が頭に浮かぶ。

 ひょっとして、トキはテスラのことをずっと気にしてくれていたのだろうか。だとしたら申し訳ないことをした。

「その、ごめん。わたし、ずっと酷い態度取ってたよね。気を悪くさせてたなら……」

「別に。全く気にしていなかったから、平気」

 気にしてなかったんかい。

 トキの独特なペースに振り回され、テスラはなんとも言えない気持ちになる。

「テスラがラルドール警部の専属巻き鍵係になって、そろそろ二か月になるでしょ。これまで巻き鍵係になった人たちは、この辺りで辞めていったから。大半が警部の巻き鍵作りに根を上げるか、警部との相性が悪いとかで」

「もしかして、心配してくれたの?」

「いや全く」

「……そっか」

「トキが心配する必要がないくらい、ジーン先輩が心配してるから。今日のことも聞いた。警部に認めて貰えないのが辛いって」

 口が軽そうな人だとは思っていたが、まさかここまで話が筒抜けになっているとは思わなかった。

 今後はジーンとの付き合い方を改めるべきかなどと考えながら、テスラは笑って誤魔化す。

「あはは。ちょっとだけ、不安になっちゃって」

「巻き鍵係の依頼主は治安警察隊で、雇用主はあくまで当人である警部。でも、警部はそう簡単に自分から巻き鍵係を切らない。そこまで不安にならなくていいと思う」

 淡々と告げるトキの言葉からは、どこか温かみを感じられた。

 彼女の唇はこんなにも動くことができたのかと場違いなことを思いながら、テスラは彼女の言葉を一つ一つ受け止めていく。

「トキは二人の相性、そこまで絶望的ではないと思う。警部とテスラのいがみ合い、部隊ではもうすっかり恒例行事になってるし。今日はどっちが相手を打ち負かすかって、賭けてる人たちもいる」

「なにそれ初耳なんだけど」

 言われてみれば、ラルドールといがみ合っているときにこちらを横目にひそひそ話する警官が多かった気がする。

 そういえばあのときも……と際限なく思い返していると、トキは取りわけ平坦な声で言う。

「でもトキには、テスラの悩みはもう一つ別のものがあるように見える」

 テスラの心の内まで見据えるような冴えた瞳に、ドクンと心臓が高鳴った。

「警部に認められないとか、警部の巻き鍵を作り続けられるか不安だとか、そういうのじゃない。もっと別のことで、テスラは自分がこの仕事を続けられるか悩んでいる。違う?」

 やはり、治安警察隊の洞察力は伊達じゃない。

 もしかしたら直接指摘してこないだけで、ジーンも気がついていたのかもしれない。

 テスラは降伏の意を込めて息をついた。

「……正直に言うとわたし、好きじゃないんだ。今の治安警察隊……というより、機械人形に対する今の世間そのものが」

 机の下で、なんとはなしにキュロットパンツのポケットに手を添える。布越しに形見である懐中時計の重みをはっきりと感じた。

「それは、何故?」

「機械人形を軽んじているから」

 マグカップから立ち昇る湯気をぼんやりと眺めながら、テスラはなるべく明るい声で語る。

「わたし、両親が早くにいなくなっちゃって。おじいちゃんに引き取られたから、孤児にはならなかったんだけどね。でもそのときにはもうおじいちゃんは巻き鍵屋を開いていたし、小さい頃は危ないからって店に入れてもらえなくて、一人でいることが多かったんだ。そんなときわたしの遊び相手になってくれたのが、店に預けられた機械人形たちだったの」

 頭が固くて厳しい叔父だが、何か良いことをしたときはちゃんとテスラを褒めてくれた。そんな叔父の暖かい手が好き。それと同じくらい、体温のない無機質な機械人形の手も好きだった。

 相手がゼンマイ仕掛けの人形であろうと関係ない。彼らが傍に寄り添ってくれただけで、テスラの心は確かに救われたのだ。

 けれど彼らと過ごす幸せな時間は、いつも長くは続かなかった。

 彼らはみんないつの間にか店を去り、テスラの前からいなくなってしまう。

 巻き鍵が作り終わり、大切な所有者の元へ帰ったのだ。

 幼いテスラはそう考えていたが、大人になるにつれて、当時の自分の考えがどれほど甘く、夢見がちなものだったかを思い知らされた。

「おじいちゃんの店——『アーレイズ』は、巻き鍵を作ったり、修理屋との仲介人になって機械人形を預かったりするだけじゃなくて、も行っていたの。店の外にいて、わたしに優しくしてくれた機械人形たちはみんな、廃品回収の業者が来るのを待っていたんだ」

 所有者から捨てられ、ただただ自分たちの廃棄を待ち続ける。

 そんな絶望の中、彼らはテスラに寄り添い、励まし、笑わせてくれたのだ。

 悲しみや恐怖などの素振りを一切見せずに。

 あまり詳しく覚えてはいないが、彼らの思考や身体の動きにこれといった問題は見受けられなかった。

 それがいったい何を意味するのか。

 大人になって多くのものを知り、現実を正しく理解できるようになった今のテスラにはわかる。

 ——

 それから叔父から巻き鍵作りの技術を学び、店を訪れた顧客や近所に住む人たちから「天才」と称されるようになったある日のこと。

 店裏で蹲っていた金髪の青年を模した機械人形の、空虚な眼差しを見て思った。

 今度は自分の番。自分が機械人形たちに手を差し伸べる番だと。

「だからわたしは、できる限り多くの機械人形を救いたい。ラルドは『修理するべき機械人形と廃棄するべき機械人形を区別しろ』って言うけど、わたしはそんな区別なんかつけたくない。考えただけで反吐が出る。……だけど今の治安警察隊は、犯罪に加担した機械人形を問答無用で廃棄するでしょ?」

 機械人形が自らの考えで動き、事件を引き起こしたのであれば、テスラも機械人形の肩を持とうとは思わない。

 けれど今日の機械人形に関する事件は全て、所有者が無理矢理機械人形を犯罪に引きずり込んだものばかりだ。

 それなのに、何故所有者のほうが収監という軽い罪で終わるのだろう。何故機械人形は廃棄までされなければならないのか。

「機械人形は被害者だよ。なのに、どうして世間は何も言わないの? 治安警察隊は機械人形の廃棄を黙って受け入れてるの? 人間と機械人形、両者の命に優劣なんてあっていいはずがないのに——」

 そこでようやく、自分が一方的に熱弁していることに気がつく。

 トキは相槌一つ打つこともなく、静かにテスラを見つめていた。

 羞恥心と「やってしまった」という後悔が同時に襲いかかり、テスラは青くなって項垂れる。

「ご、ごめん。えっと、つまりわたしが言いたいのは……」

 機械人形を廃棄処分する世間への不満。それは、罪を犯した機械人形の廃棄処分を実行する治安警察隊を否定することに繋がってしまう。

 別にトキやラルドールたちの仕事ぶりにケチをつけたいわけではないのだ。治安警察隊がなくてはならないものだということも十二分に理解している。

 どうやって弁解しようかと、必死に頭を絞っていたとき。

「テスラは、優しいんだね」

 下を向いたまま、目線だけをトキのほうに向ける。

 トキの表情はぴくりとも動いていなかったが、心なしか彼女の声は穏やかな気がした。

「いいんじゃないの?」

「え……」

「テスラがどんな考えを持っても、それを咎める権利は誰にもない。おかしいならおかしいって、自分の思ったことをはっきり言ってみたら? それでもダメなら、周りの批判なんて無視して行動すればいい。だって、」

 ——テスラは縛られた人形じゃないでしょう?

 トキの凛とした言葉は、テスラの胸にじんわりと浸透していった。

 拍子抜けするような、ほっとするような返答に、テスラはただ目を瞬かせる。

「初めてだ。そんなこと言ってくれる人……おじいちゃんにでさえ『あまり馬鹿な真似はするなよ』って言われたのに」

「トキも初めて聞いた。こんなに機械人形の立場に寄り添った人の演説」

 トキの口角が微かに上がる。

 口元以外は依然として固まっていたが、彼女の微笑は絵になるほどに美しかった。

「えっと、ありがとうね。聞いてくれて。なんかすっきりした」

「ジーン先輩にテスラの面倒をみるように言われただけ」

「じゃあ明日、ジーンさんにもお礼を言わないとね」

「そうしてあげて。あの人、きっと喜ぶから」

 トキは再び唇を真一文字に戻すと、一度も口をつけていないマグカップを持って立ち上がる。

 もしかしたら、テスラに煎茶を譲ってくれたのも彼女の優しさだったのかもしれない。

「あ、それともう一つ」

 食堂に向かおうとしていたトキが振り返り、彼女の長い黒髪がふわりと回転する。

「トキ、テスラと結婚できるかも」

「はい?」

 テスラは唖然としながら、先程自分に微笑んでくれた彼女を凝視する。

「今の今までテスラと普通に話せた。ということはトキ、最初から男だったのかもしれない」

 こんなにも天然で言葉が足りない人は初めてだ。

 地元の古宿の女将だって、もう少ししっかりしていたのに。

「男性寮への転寮届、出さないと」

「待って待って待って」

 テスラは慌てて立ち上がり、スタスタと歩いていくトキを追いかけた。

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