巻き鍵屋 テスラ・ベネット②

 大通りから外れて裏路地に入ると、途端に警官の姿が増え始めた。

 現地にいた警官に呼ばれ、ジーンとトキは彼らの元へ走っていく。

 立ち去り際、ジーンは自身の腕をトントンと叩いてテスラに目配せを送る。

 ややあってその意味に気づいたテスラは、急いでポシェットから治安警察隊の赤褐色の腕章を取り出した。

 正式な警官ではないテスラには、制服が支給されていない。

 故に、この腕章はテスラが治安警察隊の関係者であることを示す唯一の証だった。

 腕章をつけて、黄色いテープが張られた奥に入る。

 錆びたオイルタンクが並ぶ裏路地の中でも比較的に開けた場所で、探していた彼の姿を見つけた。

 灰色のロングコートの上に治安警察隊の腕章をつけたラルドールは、自身の立てた片膝に寄り掛からせるようにして赤髪の少女を抱いていた。彼は上質なロングコートが地面について汚れるのを気にも留めずに、微かに唇を動かす少女の顔を一心に見つめている。

 無造作に伸び切った銀髪から垣間見える、切れ長な深紅の瞳。陶器みたいな白い肌にスラリとした鼻筋、形のいい唇。あまりにも整い過ぎた彼の顔立ちも相まって、その光景はどこか神秘的に見える。

「……あぁ、わかった」

 ラルドールは少女の唇の動きに注目し、深く頷いた。

 心なしか少女の表情が和らぐ。彼女は穏やかな顔で、ゆっくりと目を閉じた。

 ラルドールは彼女の長い髪を払い、彼女の首筋に自分の手首を近づける。

 反射的に彼らから顔を背けた。

 直後、眩い閃光と同時に弾けるような音が裏路地に轟く。

 再び二人のほうに視線を戻すと、ラルドールは動かなくなった少女を抱いたまま、静かに唇を噛み締めていた。彼は駆け寄ってきた警官に少女を預け、立ち上がってコートを叩く。

 ふと、テスラとラルドールの視線が交差する。そこでようやくテスラを認識したらしい彼は、深いため息をついて一言。

「おせぇよ」

 先程の余韻が一気に吹き飛んだ。

 頬が引きつるのを感じながら、大股でラルドールに近づいていく。傍に寄ると遥かに目線の高い彼との身長差が際立つが、テスラは怯まずに出し得る限りの声量で叫ぶ。

「おせぇよ、……じゃないでしょうが! この自由人‼」

 視界の隅で、近くにいた警官の何人かが何事かとこちらを振り向いた。二人を捉えた彼らの顔には、呆れ交じりの笑みが広がっていく。

「やれやれ、また始まったか」

「警部相手にあんなに噛みつけるのなんて、あの子くらいだよ」

 ラルドールは両手で耳を塞ぎ、顔をしかめる。彼が口を開く間を与えず、テスラはまくし立てて言う。

「わたし、ちゃんと『待ってて』って言ったよね? オイルのにおいが嫌だっていうラルドのために譲歩して、店の前で待つように言っておいたよね? なんでじっとしていられないのかなぁ。毎度毎度振り回されるこっちの身にもなってよ!」

「うるせぇな。俺に合わせて動くのがお前の仕事だろうが」

「残念でしたぁー、今日は非番だからラルドがわたしに合わせるべきなんですぅ」

 テスラが語尾を伸ばして言うと、ラルドールは「子供かよ」と呟く。

「じゃあなんだ? 目の前で起きたひったくりを知らん顔して、お前が店から出てくるのを忠犬みたいに待っていればよかったのか?」

 ラルドールはわざとらしく首を傾げた。彼が顎を向けた先には警官に運ばれていく赤髪の少女の姿があり、テスラは言葉を詰まらせる。

「そういう意味じゃないけど……」

 声に勢いを失くすテスラを見下ろし、ラルドールは勝ち誇ったように鼻で笑う。

 けれどテスラは、もう目覚めることのない赤髪の少女から目を離せなかった。

「あの子も、廃棄されちゃうんだね」

 テスラが呟くと、先程まで勝気に鼻で笑っていたラルドールの顔色が変わる。彼は荒々しく頭をかくと、鋭い目つきでテスラを睨んだ。

「何度も言ってんだろ。〝修理するべき機械人形と廃棄するべき機械人形の区別〟をしろって。だからお前はいつまで経っても半人前なんだよ」

「……わたしも言ったよね。次にそれを言ったら許さないって」

 冷ややかな声で言い、テスラもラルドールを睨み返す。

 一触即発。張り詰めた空気が二人の間を流れる。少し離れたところで警官たちがひそひそと囁き合う声が、やけにはっきりと聞こえた。

 どちらも譲る気はない。目を逸らした方が負け。

 そんな雰囲気が漂う中で、先に顏を逸らしたのはテスラだった。

 このままでは埒が明かない。——なので、別の方法で目の前の彼を黙らせることにする。

 テスラはキュロットパンツのポケットから懐中時計を取り出す。テスラの二十歳の誕生日に叔父から渡されたものだ。

 時計の蓋を開けて秒針に注目し、「十五、十四、十三……」とカウントダウンを始める。

「あ?」

 ラルドールは怪訝な表情を浮かべるが、すぐに顔色を変えて「待て、おい」とテスラの肩を揺さぶる。

「ふざけんなっ、なに呑気に数えてんだよ! 早く鍵を——」

「三、二、一……」

「ゼロ」と同時に、ラルドールはビクンと体を痙攣させた。

 ガーネットのような目を見開いたまま、その場で硬直する。

 瞬きさえも忘れて虚空の一点を見つめ続ける彼は、テスラが彼の正面から隣へ移動しても、決して視線を動かそうとしない。

「……やっぱり、ゼンマイの切れる時間が日に日に短くなってる」

「あらら。まーた切れちゃったの?」

 振り返ると、一通りやることは終わらせたのかジーンが手を振っていた。

 テスラは「お疲れさまです」と返して、工具ケースを取り出す。

「そうなんですよ。だから非番の日も傍にいるようにしてるのに、いつも勝手にどこか行っちゃうから、ゼンマイの切れる時間に間に合わないんです」

「というわりに、今のはわざと鍵を渡してあげなかったように見えたけど?」

「さぁ? ジーンさんの気のせいじゃないですか?」

「……ベネットちゃんって、結構ずるいとこあるよね」

 ジーンの手を借りて、ゼンマイが切れたラルドールを仰向けに寝かせる。手際よく彼のネクタイを解き、どこかのブランドものであろうシャツの、無駄に多いボタンを外していく。

 慣れた手つきで鍵穴にピックを差し込むと、それを通じて鍵芯部の劣化具合が伝わり、テスラは顔を険しくさせる。

「また劣化が激しくなってる」

 巻き鍵屋として磨き続けた腕を頼りに、欠けた劣化部分を補い、鍵芯部にぴったりとはまる巻き鍵の型を想像する。

 共通のロゴマークが彫られた手持ちの巻き鍵の中から「これだ」というものを探していると、テスラの手元を覗き込んでいたジーンが口を開く。

「確かベネットちゃんは、叔父さんと二人で巻き鍵屋を営んでいたんだよね。『アーレイズ』って言ったっけ。それがお店のロゴマーク?」

「はい。おじいちゃんったらデザインセンスが皆無で、このロゴマークはわたしが九つのときにデザインしたものなんです」

 いくつかの歯車が噛み合ってできたハート型のロゴマーク。

 機械人形の心臓である巻き鍵を表現したものだ。ラルドールからは「ハートとか安直な上に子供っぽすぎる」と茶化されたが、テスラにとっては一際思い入れのある、誇らしいロゴマークだ。

 少しの間感慨に浸った後、テスラは脳内で想像した型と同じになるように、電動彫刻ペンで巻き鍵を削り始める。

 ラルドールは二百年前の技術革命後に作られた「新型機械人形」とは異なり、職人が独自で作った型の鍵芯部と巻き鍵で起動する「旧型機械人形」だ。

 ある程度型が絞られている新型機械人形と比べて、旧型機械人形の巻き鍵を作るには高い技術と多くの手間がかかる。加えてラルドールの鍵芯部は劣化が激しく、その都度必要な巻き鍵の型が変わってくる。

 つまるところ、ゼンマイが切れる度に新しく巻き鍵を作り直さなければならないのだ。

「うへぇ、毎回こんな感じで手作りしてるの? ラルドール警部の巻き鍵係が次々辞めていく理由がわかった気がするよ……」

 ジーンはまるで自分が巻き鍵作りに苦戦しているかのように苦い顔をする。

「ベネットちゃんは今のところ大丈夫? この仕事、辛くない?」

「全然へっちゃらですよ! 鍵芯部の劣化具合がわたしの手に負えるあいだは、この仕事を辞めるつもりはありません。……ラルドに見限られない限りは」

 旧型機械人形の中には、技術革命前の国家同士の戦争が盛んだった頃に作られた〝戦闘に長けた機能を持つ機械人形〟が存在する。

 それらは「軍事用機械人形」と呼ばれ、ラルドールもそのうちの一機だ。彼には手首の部分から〝電撃〟を放つ機能が備わっている。

 終戦後まもなく軍事用機械人形は世間から問題視され、製造が打ち切りとなった。そうして現代の機械人形には相手に危害を与え得る機能の搭載が全面的に禁じられている。

 戦時中に作られたものは余すことなく廃棄され、今では遠い過去の遺物とされている軍事用機械人形。しかしラルドールは治安警察隊の持つ特別な権限の元で、今もなお起動している。

 数多くの制約にがんじがらめにされてはいるが、治安警察隊としてはラルドールの戦闘力を手放したくなかったのだろう。

 やがてラルドールの鍵芯部の劣化に気がついた治安警察隊は、すぐさま機械人形専門の修理屋を探した。が、なにぶん古い旧型機械人形のため、ラルドールを修理できる修理屋は見つからなかった。

 治安警察隊は苦渋の思いで、次に巻き鍵屋を血眼になって探し回った。

 田舎の村で叔父と巻き鍵屋を営んでいたテスラは運よくそのお眼鏡に適ったというわけだ。

 テスラは先月の頭からイルベールに移住し、ラルドール専属の巻き鍵係として働き始め、今に至る。

 しかし、ラルドールは未だにテスラを自分の巻き鍵係として認めてはいない。

「これでもわたし、地元では巻き鍵作りの天才って呼ばれてたんですよ。自分で言うのもあれですが、巻き鍵作りの技術と知識はそこらの巻き鍵屋よりも群を抜いていると思います」

「おっ、言うねぇ~」

「でも……だからこそ、ラルドに認めて貰えないのが悔しいんです。このまま尻尾を巻いて村に帰るなんて嫌だし、必死に努力はしているんですが、なかなか成果が出なくて」

 そんな話をしているうちに巻き鍵を削り終え、巻き鍵の先端をラルドールの左胸に差し込む。

 穴底までしっかりと入った手ごたえ。巻き鍵を回すと、ゼンマイが巻き直される小気味よい音が響いた。

 普段は何度も巻き鍵を鍵穴に差して、型の形状を確認して削り、また鍵穴に差してを地道に繰り返して巻き鍵を作っていくのだが、今回は一発で必要な巻き鍵を作ることができた。

 喜ぶべき進歩だ。けれど巻き鍵屋としての顔を潰されている現状を思い出していたテスラは素直に喜べなかった。

 よほど浮かない顔をしていたのだろう。

 テスラの頭に、そっと大きな手が乗せられる。

「大丈夫。ベネットちゃんなら、きっと上手くやっていけるさ」

 包容力と安心感を兼ね持つ手でわしゃわしゃと髪を撫でられる。

 村に残してきた叔父のことを思い出し、自然と頬が緩んでいくのがわかった。

「もう、子供扱いはやめてくださいよ」

「ごめんごめん。なんかベネットちゃんのこと、放っておけないんだよね。庇護欲が掻き立てられる……みたいな」

 そういえば、村でも似たようなことを言われた気がする。

 テスラの住んでいた村は若者よりも老人の割合が多い。中でも叔父と関わりがある機械人形絡みの職に就く人のほとんどは高齢の男性だ。

 テスラは彼らから、実の孫のように可愛がられてきた。若者が少ないから必然的にテスラが幼く見えるのだと思っていたが、どうやらそういうわけでもないらしい。

 工具店の店主もそうだが、何故かテスラは高齢の男性からの受けがいいのだ。

「心配してくれたんですよね。ありがとうございます」

 ボブヘアーの髪を手櫛で整えながらお礼を言う。

 するとジーンは、ふっくらとした頬を持ち上げて笑った。

「おいジジコン。いつまでソイツに尻尾振ってるつもりだ」

 いつのまにかラルドールは再起動して意識を取り戻していた。

 上半身を起こして首や肩を回す彼に向けて、工具ケースを投げつけてやりたくなる。けれど、大事な仕事道具を粗末に扱うわけにはいかない。

「お前なぁ……ガキじゃないんだから、仕事に私情を持ち込むなよ」

「なんのこと?」

「とぼけんな。さっき巻き鍵を渡さなかったのは、俺への当てつけのつもりか?」

「とーぜん」

「堂々と胸張ってんじゃねぇぞコラ」

「でも、ちゃんと仕事としての意味合いもあるよ。ゼンマイが切れるまでの時間を正確に計りたかったし」

「……あー、そうかよ」

 ラルドールは立ち上がって自分の左胸に刺さる巻き鍵を引き抜き、それをしげしげと眺める。

「どれくらいかかった?」

「鍵芯部の確認を含めて、五分ちょっと」

「はっ、まだまだだな。時間計測の件があったにせよ、できる巻き鍵係なら俺が動けなくなる前に必要な巻き鍵を用意しておくのが最低条件だろ」

 誰のせいでそれができなかったと思ってるんだ。

「っておい、コート汚れてんじゃねぇか! いくらしたと思ってんだよ!」

 ラルドールはぶつぶつと裏路地に寝転がらされたことへの文句を垂れ始める。

 無意識に振りかぶっていた右腕は、横で苦笑していたジーンによってやんわりと抑えられた。

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