巻き鍵屋テスラとゼンマイ仕掛けの特殊警察官
樹 ありす
巻き鍵屋 テスラ・ベネット
店内に漂うオイルと金属の香りが心地よい。
大通りの外れにひっそりと建っていた、小ぶりな工具店。
店のガタついた扉を潜った瞬間、テスラは「穴場を見つけた」と高揚する。
狭い店の中には、高さも幅もバラバラな品棚が乱雑に並んでいた。
「いらっしゃい」
カウンター奥で座っていた老人は、目尻にシワを寄せて大らかに微笑む。
店内に他の客はいないようだ。
人の良さそうな老人に会釈を返そうとしたとき。
カウンター上の網かごが目に留まり、テスラは弾かれるように駆け出した。
「これ、グランロッセの丸穴車ですよね⁉」
カウンターに飛びついて、かごの中に敷き詰められた歯車を指差す。
老人はテスラの勢いに慄きながらも頷き、感心した様子で口を開く。
「お嬢さん、よく気づいたね。何故わかったんだい?」
「二重ひし形のマークが見えたので、もしかしてと思って」
「マークが見えたって……」
老人は目をぱちくりとさせながら入り口の扉に視線を向け、再びテスラの顔を見つめる。
狭い店内とはいえ、扉からカウンターまでは十数メートルもの距離がある。加えて、かごの中の歯車に刻まれたマークは三センチにも満たない小さなものだ。
「仕事柄、目は良いほうなので。それよりもこれ! いい光沢してるなと思ったんですよ。質量もしっかりしてるし、さすがは選りすぐりの職人たちが集う工業都市・グランロッセで作られた丸穴車!」
テスラは宝石を扱うかのような手つきで歯車を手のひらに乗せ、様々な角度からうっとりと眺める。
頬を赤らめて歯車に熱い視線を送るその姿は、さながら恋する乙女のようだ。
「こりゃあたまげた。この辺りの職人たちは、部品の仕入れ先なんて気にも留めやしないのに。ブランドがついた部品の見分け方がわかる客なんて、何年ぶりだろう」
「わたしも最初は半信半疑でしたよ。グランロッセの丸穴車がこんな破格の値段で売っているなんて……!」
テスラが「さすがは国の首都・イルベールの工具店」と続けると、老人は肩を震わせて笑い出す。
「違うよ。他の店はちゃんと相場で売っているだろうさ」
「え?」
「うちの店、近々閉める予定なんだ。妻が亡くなってから、俺とあの子で店を切り盛りしていたんだけどね。先日遊びに来た孫が、あの子の〝鍵〟を失くしてしまったんだ」
老人はカウンター脇の椅子に座る少女を見据え、どこか寂しげに語る。
老人と同じエプロンをつけた少女の首筋には、彼女が機械人形であることを示す十桁のコード番号が刻まれている。栗色の前髪の奥で開かれたままになった翡翠色の瞳が、店内の照明を反射してキラキラと輝いていた。
「俺は年老いていく一方で、身体もどんどん悪くなる。あの子と二人での経営にも限界を感じていたんだ。だから、ちょうどいい機会だと思ってね」
「……店を畳んだ後、彼女はどうするんですか?」
「無論、廃棄する気は毛頭ないさ。鍵屋に頼んで、新しい鍵を作ってもらうつもりだ。この歳での一人暮らしは厳しいだろうし、何よりあの子は俺の家族同然だからね」
テスラは老人の穏やかな顔をカウンター越しに眺め、未だ微動だにしない機械人形に視線を送る。そして「よし」と気合を入れるように呟くと、大股で例の機械人形に近づいていった。
「ちょっと失礼しますよーっと」
そう声をかけるや否や、機械人形の少女が着ている白いワイシャツのボタンを躊躇なく外し始める。
老人が戸惑いの声を上げてテスラの横に寄ってくる頃には、機械人形の素肌は胸元まで露わにされていた。
テスラは指先で、機械人形の左胸に空いた一センチほどの穴に触れる。
「お嬢さん、一体何を……?」
老人の問いかけには答えず、テスラは革製のポシェットから筒状に巻かれた工具ケースを取り出して床に広げる。
ケースの中には『巻き鍵屋の七つ道具』とも呼ばれる、テスラが長年愛用している自慢の工具たちが収納されていた。
金属特有の光を放つ彼らは、今か今かと自分たちの出番を待っている。
テスラはペンライトを咥え、ステンレスの細長い細工棒——ピックを両手に一本ずつ握る。そして鍵穴を照らしながら、慎重にピックを穴の奥へと差し込んだ。
鍵穴の中央には
テスラは両手に伝わる感触を頼りに、鍵芯部の型を予測する。
「……β型。穴の深さは五センチ半ってところかな」
二百年前の技術革命後に作られた機械人形は『新型機械人形』と呼ばれ、それらは統一してα型、β型、γ型、いずれかの巻き鍵で起動する仕組みとなっている。
型を確認して鍵穴の深さを測り、必要な巻き鍵を用意し、依頼人に提供する。
それが巻き鍵屋の基本的な仕事の流れだ。
巻き鍵屋として長く働く者でも、機械人形を分解することなく鍵芯部と穴の深さを見抜くことは至難の業とされている。
しかしテスラは、そんな神技を一分にも満たない僅かな時間でこなしてみせた。
テスラは機械人形の少女から離れ、手際よく工具を片付ける。そして工具ケースと入れ替えにポシェットから注文票を取り出し、目の前の機械人形に必要な巻き鍵について記載していく。
「生憎、今は手持ちがなくて……イルベールから路面電車で半日ほどかかるド田舎の巻き鍵屋ですが、店主の腕が確かなことは保証します。郵送での注文も可能で、わたしからの紹介だと言えばお値段も少しまけてくれると思うので、どうぞ御贔屓に!」
半ば押しつけるようにして注文書を握らせると、老人はテスラと注文票を交互に見つめる。
「きみはいったい……」
そこで初めて、老人に自分の名前を告げていなかったことに気がつく。
機械人形とは、所有者にとって尊く大切な存在であるべきだと思っている。
彼らの命となる巻き鍵に関わる以上、巻き鍵屋が所有者に名を名乗るのは当然の義務であり、礼儀だ。
赤茶色のキュロットパンツを手で軽くはたき、顔にかかっていたサイドの髪を耳にかけ直す。そして接客をする際の愛想の良い笑みを浮かべ、溌溂とした声で告げる。
「巻き鍵屋『アーレイズ』のテスラ・ベネットです!」
テスラが深く頭を下げると、老人は「巻き鍵屋って、君が?」としどろもどろに尋ねてくる。
「はい」
「でも君、まだ十四、五の子供じゃ……」
「失礼な! これでももう二十歳でお酒だって飲めるんだから!」
アーレイズの新たな顧客獲得のチャンス。あわよくば、グランロッセの丸穴車をさらに安く売って貰えないだろうか……などの打算ありきで浮かべていた営業スマイルは、一瞬にして崩れ去ってしまった。
テスラがフンと顔をそらすと、老人はさして悪びれた様子もなく軽い謝罪を述べる。
「おっと、こりゃあすまないね。ずいぶん可愛らしい顔をしているものだから、つい」
「そんなこと言ってご機嫌を取ろうとしても無駄ですよーだ」
「そう言うわりには、すごく嬉しそうな顔をしてるけど」
テスラがはっとして緩み切った頬を両手で挟むと、老人は目を細めて笑い出した。
「田舎の巻き鍵屋と言っていたね。最近こっちに越してきたのかい? ここら辺で新しく店を構えるとか?」
「そうだったらよかったんですけど……イルベールに来たのは出店するためではなくて、どちらかといえば転職? 派遣みたいなもので……」
テスラは老人への返答に迷いながら、入り口近くの窓に視線を向ける。
その瞬間、さあぁっと血の気が引いた。
しかし身体はすぐさま熱を取り戻し、テスラはわなわなと震えながら拳を握り締める。
「あいつ、また勝手に……っ! すみません。ちょっと急用ができたので、これで失礼します。あ、グランロッセの丸穴車は取り置きしておいてください!」
「え? 別に構わないけど、急にどうした——」
首を傾げる老人にそうまくし立て、テスラは急いで店を飛び出した。
国の首都であり、常に最先端の機械技術を取り入れ続けている都市・イルベール。
テスラの地元とは比べ物にならないほど栄えたこの都市は人口も多く、人間と同じ数、あるいはそれ以上の機械人形が存在していた。
休日であることもあってか、鋼色、褐色で統一された煉瓦敷きの大通りは多くの人と機械人形で溢れかえっている。
「やっぱりいない。もう、店の前で待っているようあれほど言っておいたのに!」
テスラは地団駄を踏み、いなくなった彼を探して近辺を歩き回る。
大通り中央の張り巡らされた線路を走っていく路面電車、わらわらと不規則に動く人波。
その喧騒の中に少し包まれただけで軽く酔ってしまい、テスラは口元を押さえる。
「首都って怖い、地元ののどかさが懐かしい……」
そうぼやいていると、ふいに紺色の制服を着た警官が反対側の歩道を歩いていくのが目に入った。
むかむかとした気持ち悪さを堪え、テスラは年頃の娘らしからぬ動きやすさを重視した服装と小柄な身体を生かして、人々の間をすり抜けていく。
電車が過ぎるのを待ってから線路を横切り、見覚えのある後ろ姿の警官たちに声をかける。
「すみません!」
「はい? って、なんだ。ベネットちゃんじゃない。凄い顔色してるけど、大丈夫?」
恰幅のよい男の警官——ジーンは片手を上げる。彼の隣にいたロングヘアーの女警官——トキは「どうも」と頭を下げた。
「問題ないです。それよりもあの、ラルドを見かけませんでしたか?」
ジーンはイルベールの治安警察隊に就いて今年で十二年になる、ベテラン巡査長だ。
テスラよりも長い間ラルドールを見てきた彼は、テスラが言わんとすることを早々に察したらしい。
ジーンは素早く周囲に目を走らせると、テスラに顔を寄せて声を落とす。
「ついさっき、この通りでひったくりがあってね。そこの裏路地で実行犯の機械人形と、その所有者の身柄を確保したって無線が入ったんだ。警部もそこにいるんじゃない?」
「ひったくり?」
「そうそう。今から裏路地に向かうところ。本当、勘弁してほしいよ。今日は弟の誕生日だから、久々に実家に顔出そうと思ってたのに」
テスラはぐっと眉根を寄せる。
機械人形が実行犯の事件が起きたとなれば、十中八九彼はそこにいるだろう。
ここ一か月の間彼と行動を共にしてきた経験からそう悟る。
「わたしも一緒に行っていいですか?」
「でもベネットちゃん、今日は非番じゃなかった?」
「ラルドを放っておくわけにはいきませんから。一発殴ってやらないと気が済まないし」
「最近の子は逞しいねぇ。もし俺が勝手にいなくなったら、トキちゃんも俺のこと殴る?」
「いいえ。全速力で追いかけます。トキ、足には自信があるので」
トキは真顔でジーンを見つめ返す。
彼女はジーンの後輩で、聞くところによるとテスラと同い年だという。艶のある黒髪にグラマラスな体つきをしていて、部隊の中では密かに彼女に好意を抱いている者も多い。
けれどその誰もが、彼女の表情筋が動いたところを見たことがない。
「そこがいい」「クールビューティーだ」と囃し立てる物好きもいる。
しかしテスラは、機械人形よりも人間味のない無表情の彼女が少し苦手だった。
「あっはっは、最近の子は本当に逞しいねぇ。……ちょっと怖いくらい」
テスラが反応に困っていると、ジーンは顎髭を擦りながら乾いた笑いを漏らした。
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