ドットレンタ・バンガロール

@onewanwan

1/荒廃地

 きっと自分は狼だ。

 心は錆びつき、牙は鋭く、それでも赤い血を流す。

 歯車式の精神構造、相反する二つの価値基準。

 どっちつかずであいまいで、矛盾をはらんだ半端者。


 それでも羊でありたいと、そう思ってしまったのだから。

 責任だけは果たさねばならないだろう。




***



 頭上からの太陽が、僕を焼き殺しに来ていた。

 今日は本当に星の巡りが悪い。朝飯に食ったバナナと牛乳で腹を下しかけたし、同部隊の仲間とは喧嘩するし、マダムからは説教を喰らい、挙句に誰もやりたがらない仕事を押し付けられてしまった。

 いや、大体いつものことではあるのだが、極めつけは駆動車のエンジンがイカれたことにある。

 ここまでくると呪われてるんじゃないかと疑いたくなる。誰かがカンカン藁人形に釘を打ち付けてる気がする。だがしかし、呪われるような心当たりがない。純真無垢で清廉潔白な僕が恨まれるはずがなかった。

 つまり、運が悪いということなのだろう。

「やってらんないな……」

 そんな、どうでも良いことを考えながら。

 僕は荒れ果てた荒野を、汗水垂らしながら歩いていた。

 海岸線沿い。カラカラに乾いて割れた大地、倒壊した建物の残骸、ひしゃげたガードレール、風に乗る潮の香り。これがピクニックというのであれば少しは風情を感じることも出来なくもないロケーションだが、ここに殴れば人を殺せそうなほどの重量を持つザックと、ギンギンに照り付ける日射光というオプションがつく。オマケに生死が軽くかかっていた。あー、キレそう。なんだって僕はこんな目に。

 水を口に含みつつ、やりきれない気分で足を動かす。

 任務で駆動車を使っていたが、壊れた。支部との連絡手段は絶たれ、持ってきた食糧は少なく、徒歩で帰るには非現実的なほどの距離で立ち往生。これぞまさに見事なまでの陸遭難ってやつだった。はは、笑える。いや笑えんが。

「あぁ、星の巡りがわりぃ……」

 しばらく壊れた駆動車に乗って言い訳を考えていたが、うだうだ考えたところでどーにも良い未来が思い浮かばなかった僕は、どうせならお仕事ぐらいは終わらせようと思い目的地まで徒歩で歩くことに決めた。

 あそこまで行けば新しい移動手段を手に入れたり、本部と連絡を取ることも出来るかもしれない。何より一度入ってみたかったということもある。

 そうだ、そうしよう。これだけ不幸続きなんだから、それくらいの権利は貰っていいはずだ。

「……やっと、見えてきた」

 支部から駆動車で約五時間という、辺境の中の辺境地。

 海岸線沿いにあるその無人コロニーを、ようやく目前に捉える。

 半径一〇キロを一周くまなくバカ高いバリケードで囲んだ、巨大な都市。その聳え立つ合金製の外壁が僕をお出迎えする。全容はデカいがまぁ見えてから辿り着くまでが長いこと長いこと。砂上の楼閣かと何度疑いそうになったことか。

 僕はそのまま、コロニーの入口へと歩み寄っていき――――そこで、よろしくない結果を目にしてしまう。

「うえー……」

 ゲートが破られていた。

 門があったはずの空間にはポッカリとデカい穴が開いており、どこからどう見ても力ずくでブチ破られていた。

 おかしいな。ナウマンゾウがタックルしても壊れないって聞いてたんだが。

 目の錯覚かと視線をずらすと、外部からの侵入を拒むはずの扉は潰れたアルミ缶のようになって道脇に転がっている。おまけにイノシシの大群でも通ったのか、地面には踏み荒らされた足跡の数々。うーん、害獣入り込んでますよコレ。

 僕の任務は無人コロニーの定期観察。俗にいうところの偵察任務である。

 大陸に幾つか存在している無人コロニーは、定期的に異常がないかどうか人を寄越して安全確認を行っている。このレビアコロニーもその一つ。ゲートやバリケードに異常がないかどうかを確かめるという内容としては非常に簡単、故に人気のあるお仕事ではあるものの、このコロニーは支部からやたら離れているため誰もやりたがらない。そこで、悪さ続きの罰として僕にお鉢が回ってきたというわけだ。

 前回の定期観察はたしか二ヶ月前。

 つまりこの二ヶ月の間にバリケードが破られ、中に害獣が侵入したということが分かる。

「んー……」

 本来、この偵察任務にはここで終わりだ。

 バリケードが壊れてなければ異常ナシ。壊れていたら異常アリとして支部に連絡。すぐさま討伐隊が編成されて奪還作戦が始まる。

 ここで偵察役である僕が死ぬと支部への連絡が遅れて更に事態は悪化するため、余計なことはせず右向いて支部へと戻るのが正しい。

 しかし生憎と、僕は帰る足を失っている。駆動車がオシャカなのだった。

 予定が滅茶苦茶になっていた。往復十時間の苦行ドライブのはずが、車がぶっ壊れたせいで荒野に放り出され、挙句に問題現場に出くわしてしまう。至上稀に見るバッドイベントのオンパレードだ。

 どうしたもんか。

 取り合えず僕は、軍服のポケットから端末を取り出した。何はともあれ証拠写真を撮る必要があるだろう。そう思い、電源を入た瞬間。

 ピロン、と。

 端末が、通信を受け取ったことを伝えてきた。

「……」

 一瞬、思考が停止する。

 端末に備わっている通信機能は良くて五キロ圏内の電波しか送受信できない。なので五キロ圏内に誰かがいてこちらに通信を申し入れてきたのだろうが、しかしここはド辺境だ。僕以外の人間がいるはずがない。

 つまり、軽いホラー。

 少し迷ったが受け取ったものは仕方ない。半分困惑、半分興味で、僕はその通信を許可する。

「もしもーし」

 お決まりの挨拶をしてみるも、帰ってくるのはザーという雑音ノイズだけ。何も聞こえない。んだこりゃ。端末までイカれたか。そう思って通信を切ろうとし、

『たすけて』

 そう言い残して、通信は向こう側からブツリと切れた。

「…………」

 逆探知を入れると、無人コロニー内部からの通信であることが分かった。

 届くはずのない通信。いるはずのない人の声。おまけに発信源は害獣の侵入した無人コロニー内。あーどうしよう。ワクワクが止まらん。

 色々気になることだらけだが、期待値が全てを上回っていた。まぁどうせ入るつもりだったし構わない。人助け大いに結構、大義名分としちゃ上等だ。

 そのままザックを降ろし、積んでいた武器を改める。テンションが上がってきた。

 星の巡りが悪いと言ったが、どうにも今日はラッキーデイ。このためにマイナス続きだったと考えると、神様も粋なはからいをしてくれたものだと感心する。

 武装ヨシ、体調ヨシ、気分ヨシ。

 ブーツのロックを締める。圧迫される足の感覚が、心の留め具も締めなおす。

 僕は瓦礫を跨いで、レビアコロニー内部へと足を踏み入れた。


 ***


 どうにも、この星は終わってしまったらしい。

 僕が生まれた時には既に手遅れだった。ご先祖様が完膚なきまでにやらかしてくれたみたいだ。

 進み過ぎた文明の利器による弊害、地球温暖化。

 増えすぎた人口問題を解決するための賢い選択、第四次世界大戦。

 どこかの誰かが放り投げた爆弾、未処理核による被爆。

 他にも色んな理由があるらしいが、この三つを大きな原因として世界は無茶苦茶になってしまった。

 昔あった建物や地形はボロボロになり、整っていたライフラインはそのほとんどが破損か風化した。海面は上昇し、陸地の三割以上が海へと沈んで物理的に住む場所が減った。異常気象に自然災害、生態系の乱れ、類を見ない病気の蔓延、秩序の崩壊。挙げればキリがないほどに地球の機能はぶっ壊れ、人類は大地の怒りを受けることになる。

 そんな中、人類にとって一番の問題だったのが生態系の乱れだ。

 ≪ブラーウイルス≫、通称≪進化因子≫なるものが第四次世界大戦後より確認され、それを取り込んだ動植物が世界各地で暴れだした。

 この因子を取り込んだ動植物は、変わり果てた環境を生き抜くために形を変え出した。熱さや寒さに強くなるための適地適応や食性の変化、この程度ならまだいい。海洋から陸へと侵略するために足を手に入れるもの。空を飛びはじめるもの。人間より大きなもの。獰猛化や凶暴化。新たな攻撃的器官の獲得。そんな生物が次々に現れ始め――――やがて人を食べ始める。

 奴らはタンパク質が豊富で、やたら数がいて、平和ボケした餌の存在に気付いたのだ。

 大自然の獣達はもはや二百年前の動植物図鑑などアテにならない変容を遂げ、そのほとんどが人類の敵となった。

 突如現れた敵性生命体。それらを僕たちは《アンブラー》――――Under the Black Matter《未元物質の支配下に置かれた者》と呼称し、以後、そんなバケモノ達との終わりなき苛烈な生存戦争を繰り広げる羽目になっている。

 どうしてこんなことになったのかは未だに頭のいいやつの議論の種だ。つまり未だに解明されていない。神様が人類にお怒りになったとする説が有力だが、真偽はそれこそ神のみぞ知るところである。

 兎にも角にも、人類は弱肉強食ヒエラルキーのトップから引きずり落された。

 有史突入以降初となる外敵の存在は、人類にとって大問題だった。なにしろずっとヒューマンが惑星の王様で、敵となり得るのは同じヒューマンだったのだ。人間以外が敵に回るなんて聞かされていない。

 そして何より、アンブラーは生物として強かった。発達した火器と統率された軍事力を持っていた人類ですら凌駕するほどの、攻撃性と物量。人類が生物の頂点に立った理由は「知能が高くものが使えるから」だと学んできたが、しかしそんなもの、より強い生物が大量に湧き出てきたら簡単にひっくり返ってしまう程度のものだったという話。

 何はともあれ、化物の奇襲と環境の崩壊。

 手酷いダブルパンチを喰らった人類は劣勢に立たされる。

 人類は残った陸地や海洋プラントに人類の拠点を設立。バリケードで周囲を囲み、化物共から身を守るための居住区を作りだす。軍隊によって統制されたそれらの拠点は支部と呼ばれ、人類唯一の安息の地として世界中に散らばることとなる。

 それから日進月歩の歩みによって、兵器開発からアンブラーの生態研究、現状を打破するためのあらゆる策が講じられ、今日に至るというわけだ。

 どれだけの人間が海に沈み、化け物共に食われ、食にあえいで死んでいったのかは分からない。もう人類は、どうしようもないところまで追いつめられているように感じる。世界人口はあっという間に激減し、今や十億を下回っているらしい。


 終焉は近いのかもしれない。

 それでも黙って死んでやるほど、僕たちはお行儀の良い生物ではない。

 行儀が悪いからこそ、こんなことになっているんだから。


 ***


 無人コロニーとは、棄てられた市街地のことを指す。

 人が減ったこの世界では、管理しきれずに放棄された土地が無数にある。しかしタダで棄てるにはあまりに惜しい。物資も資源も有限の世界において、みすみす発展した土地を捨てるのは勿体ない。そんなわけで、主要都市の幾つかは放棄する際にバリケードで覆われた。いつか再利用する日のために。

 なぜバリケードなんて大層なものを使うのかだが、何らかの保全策を取らなければ土地が荒廃するのだ。

 舗装された道路が陸地に張り巡らされ、土地は余すところなく誰かの所有物で、人の手の入らない未開の地なんてものはなかった旧世界とは事情が違う。使われない土地は廃れるのが早いし、何よりあらゆる建造物が自然災害とアンブラーによって簡単に荒廃するのだ。

 アンブラーは何でも食べる。

 もちろんアンブラーの種類によって食べるものは変わるのだが、基本雑食かつマジの悪食だ。コンクリートやプラスチックはおろか、ガラスや金属すら食べる個体がいる。人類が追い詰められているのは奴らの食性が原因とまで言われるくらい、なんでも食べてしまうのだ。

 僕がここに来るまでもそう。渇き、廃れ、荒れた大地が今や陸地の大部分。自然の恵みは人間様のものではなく、アンブラー共のためにあるのが現状というわけだ。そのため、彼らの侵入を防ぐべくバリケードなんてものでしこしこ護ってやっている。

 ――――故に僕は、その光景に静かな感動を覚えていた。

「……」

 ビルの高層群、ガラス張りのショーウィンドウ、巨大なホロビジョンモニター。

 コンクリートの敷き詰められた道路に、あれは信号機だろうか。乗り捨てられた駆動車が道路脇には並んでおり、コケや植物が至る所に繁殖している。

 足を踏み入れたレビアコロニー内部は、たしかに旧時代の面影を残していた。今じゃ滅多に見られない光景だ。感動とか情動とかそういうもんには疎いはずの僕でも、この文明を感じさせる廃墟には幾らか見惚れてしまう。

 コロニーに人は住んでいない。そのため錆びや風化による経年劣化は進んでいたが、それでも充分綺麗だった。前に忍び込んだコロニーに比べりゃ雲泥の差である。どの支部からも遠い場所にあるため物資の運び出しなんかも進んでいないだろうし、アンブラーの生息圏からも離れているためえ数百年間ずっとこのままだったのだろう。

 だが、ソレも今日で終わりらしい。

「――――」

 ギチギチ。カリ、カリ。

 無人で静かなはずの市街地に、不快な音が響いている。ギチギチとした水音。カリカリと地を掻く摩擦音。バリケードの壊され方と市街地に続く足跡で予想はしていたが、何度聞いても精神を逆撫でする嫌な音だ。神様は設計士としての才能がない。

 それは巨大なカニだった。

 全長二メートルに迫る巨躯。やや赤が強い甲羅を持ち、右鋏は大きく左鋏は少し小さいそのカニは、元はアカギザミと呼ばれる食用のカニだった。

 そう言われると皿に盛られた料理を思い描くが、お世辞にもこいつが乗る皿なんてテレビ局の大パラボラぐらいだ。そもそも煮るための鍋なんてものが用意できない。第一食えない。アンブラーの肉は人体にとっての毒を持つ。

 その、アンブラーの中でもポピュラーな部類にあたるカニの化け物は、駆動車の一つにまたがり何かを食べていた。咀嚼音に水音が混ざり、ギチギチと甲殻類特有の嫌な音をたてている。近くにはもう一匹、同じカニ型アンブラーが徘徊している。どちらもこちらには気付いていない。

 先手必勝、やるしかない。

 僕は即座に背負っていたザックを下ろし、武器を取り出す。コロニーに入る前に点検は済ませてある。量産型アサルトライフルM30J9通称『アイザック』を構え、射撃。

 心の中で、お食事中失礼しますと一応挨拶をしておいた。これで奇襲を許してくれるだろう。

 直径十五mm、断頭三十五mmの重長の弾丸が食事中のカニの甲殻へと吸い込まれ、貫通する。

「ギギチギイイイイイッ!?!!!」

 撃たれてようやく気付いたらしい。

 汚い鳴き声と共に二匹のカニは即座に僕を認識し、行動を開始する。横歩きでガザガザと走るその姿はまるで肉食動物並の獰猛さだが間違っていない。彼らは雑食。特に肉は好物で、人間はご馳走である。彼らこそ現代の獣だ。

 物凄い勢いで迫ってくるバケモノを前に、僕は冷静に照準を調整していく。

 急所を狙え。確かカニ系統は口だったはず。

 トリガーを引くごとに反動が肩を強打するが気にしない。片手で半身になった口を撃ち抜くのは難易度が高いが、僕なら出来る。息を吐き、体の内を意識する。

 ――――冷たい血液を、れていく。

 血液が沸騰する感覚。意識が血管を駆け巡る錯覚。指先の末端、細胞の一つ一つにまで思考が巡り、僕の意志に従う。冷静に、正確に。弾丸一発の軌道すら把握できるほどの集中力を、血液の底から呼び起こし――――射撃トリガ射撃トリガ射撃トリガー

「ギィッ、ギッ、ギッ……」

 小さく醜い哭き声を挙げ、カニが停止する。

 顔に穴の空いた二匹のカニは、自重に従い地面へ倒れていった。ドズン。衝撃が地面を揺らす。合計五発はまぁ、上出来でしょう。

 アンブラーの生命力は高いが、カニ型アンブラーは大体この手法で死ぬ。それに、ほら。アンブラーの赤い血に混ざる緑の液体。これが死骸から流れ出したらもう安心。銃口を上げ、僕は視線を他所へと移した。

 これで終わりではない。

 ポピュラーな敵で良かったという楽観と、ポピュラー故に油断ならないという警戒。

 カニ型アンブラーの嫌なところは山ほどある。硬い、重い、やたら好戦的、食べられない。そして何より――――数が、多いのだ。とてつもなく。

 空になった弾倉を投げ捨て、次を装填する。耳が新たな挑戦者の存在を捉えていた。

 戦闘の音に釣られたのか、街の至る所からガザガザとアンブラーの蠢く音。ガザガザ、ガザガザ。あぁ嫌になる。カニ型アンブラーはいつもそうだ。一匹見たら十匹いると思え。十匹倒したら百匹湧くと思え。つまり無数。物量に任せた泥沼の戦いを強いてくるのが、このカニの最も嫌なところだ。

「ギチチチチ」

「いひひ」

 横合いの路地から早速一匹、新たなカニが姿を現した。

 あとどんだけいるんだろうなぁ、こいつら。あー嫌だ嫌だ。ホント嫌になる。いやマジマジ。

 ただ、今回の目的は二つ。足の確保と救助者の救援だ。どちらにせよ入口付近のカニは掃除しとくに限る。ある程度間引いとかないと、奥に入った時に逃げ道が潰されちまう。

 それにこちとら正規の軍人様だ。器物破損に不法侵入とカニどもを駆逐する理由は山ほどあった。おまけに武装もあらイッパイ。我が物顔で人様のコロニーに踏み入ったクズどもをハチの巣にする建前は充分過ぎる。

 なによりコロニーに侵入したカニ型アンブラー共を掃討したとなればきっと、マダムだって今までのお茶目な軍規違反もチャラにして、なんなら表彰してくれるかもしれない。はは、それは無理か。

 それに何より僕は嬉しい。

 アンブラー討伐任務に最近連れて行ってもらえない鬱憤が貯まっていた。

「おら、かかってこいよカニ畜生! 今日の晩飯はてめえらだ!」

 思いの丈を一人叫ぶと、呼応するかのようにカニが猛る。その半透明の眼球からは混じり気のない獣の殺意と敵意。背筋に一本の鉄骨を通すような、芯のある空気が周囲を満たす。

 沸き立つ血液、生の実感。

 久しぶりの戦闘に歓喜しながら、僕は引き金を引いた。


 ***


 ――――会敵から、一時間が経過した。

 壁に背を張りつけ、そのままずり落ちる。休憩だ。コロニー内の適当な建物の中で、僕は一息つく。

 さーすーがーにー疲れた。

 アドレナリンドバドバで戦うのも気持ちよくて好きなのだが、今回は長丁場である。アンブラーの体液でドロドロになった衣服を拭いつつ、ザックを広げ装備の点検に入る。

 アイザックはもう駄目だな。弾の尽きたアサルトライフルをポイ。四〇も積んできた弾倉は全て空だ。重かったザックもすっからかんである。銃器は好きなんだけど弾切れがあるのがなー。軽くて一生尽きない弾とか、誰か開発してほしいもんだ。

 残ってる武装は衝撃手榴弾が五つと、虎の子であるアガルタ式両断武装ブレードぐらいか。サバイバルナイフと拳銃が一挺あるが、対アンブラーには役立たず。あとは……三本のアンプルを軍服の内側から取り出し、確認。壊れてないな。ヨシヨシヨシ。

「はー……」

 僕はそのまま身を壁に預け、立ったまま食事をする。本日のメニューはクッソマズい固形栄養食。こんなことなら朝食もっと食っときゃ良かった。もそもそと口の乾くブロックをかみ砕く。願わくば、人生最後の食事がコレになりませんよーに。携帯していた水筒で飲み下し、手を合わせて短い食事を終わらせる。

 さて、現状をおさらいしよう。

 僕の最終目標は単純明快。救助者を助け、足を見つけて帰ること。ここに次善策としてカニ型アンブラーの掃討や、食糧の確保と支部への連絡手段の入手も入ってくる。

 が、連絡についてはもう諦めていた。無線通信機器が欲しいのだがこの広大なコロニーのどこにそんなものが転がっているのか僕には分からん。建物一つ一つに押し入って探していては連絡してる間に日が暮れる。夜はまずい。アンブラーが更に好戦的になる。

 そしてもう一つ、懸念事項がある。

 どうにも、カニ型アンブラーが変だ。

 僕はここに来るまでに一〇〇に近い数のカニを葬った。それ自体は別にいい。奴らが一〇〇匹いたって今更驚きやしない。だが、しかし僕は殺したアンブラー達に異常を感じていた。

 デカいのに弱いのだ。

 アンブラーはその年齢によって大きさが変わる。長く生きたアンブラーほど多くのものを食べそれだけデカくなるからだ。そして、デカいカニほど強い。長く生きるというのは強者の特権。弱肉強食のこの世において、デカい=強い=長生きという図式は多くの場合成立し、特にカニ型は成長限界になるまでブクブク肥え太ることで有名でもある。

 襲ってきたカニはどれも二メートルから四メートル強。これは平均値より少しデカい。にも関わらず、奴らの動きは単純が過ぎる。アンブラーに知性はないが野性はある。命の取り合いという土俵において、自然界で生きる生物は必ず何かしらの狡猾さを備えているはずなのに、蓋を開ければ体がデカいだけのでくのぼうばかりだった。

「まずいかも、な」

 そこから導き出される結論は単純明快。

 指揮官級コマンダーがいる。

 指揮官級コマンダーとはアンブラーの親玉的存在だ。カニ型アンブラーの指揮官級コマンダーは幾つか討伐事例があるため知っているが、とにかく硬くてデカくて強い。大きいものでは体長十メートルが確認されており、シンプルイズパワーの化身と言っていい。

 歴戦の猛者たる指揮官級コマンダーがいるなら筋は通る。僕が戦ったのは雑兵に過ぎず、指揮官級コマンダー率いる強靭なアンブラーの群れが別にいるのだろう。常に争いで勝ってしまえば部隊の下は働かずとも残飯にありつけるというわけだ。うーん羨ましい。こちとら一兵卒の僕ですら日夜任務に駆り出されるというのに。

「人類の労働環境、いつになったら良くなるんですかね」

 などと適当な文句を言っていても仕方ない。現実は現実だ。僕は冷静に、この先の選択をしなければならない。

 僕は指揮官級コマンダーに勝てない。

 たかがカニとはいえ、指揮官級コマンダーは支部総出で討伐隊を組んでようやく勝負になるのだ。そもそも個人の扱える兵装で指揮官級コマンダー討伐など犬でも失笑するレベルの絵空事である。僕の持つ手榴弾もブレードも、十メートル級の敵からすれば風船と爪楊枝でしかない。

 戦うのは好きだが、死ぬのは話が違う。

 それを踏まえて僕が取れる選択肢は二つ。

「一つ、帰宅」

 全部見なかったことにしておうちに帰る第一案。

 駆動車は乗り捨てることになるが、夜通し三日も走り続ければ支部近郊に辿り着くだろう。水はないしアンブラーも徘徊してる荒野を突っ切る形になる地獄の選択ではあるが仕方ない。指揮官級コマンダーに出会ったら最後、骨まで残らぬ骸になるのだから。

「二つ、続行」

 こちらは当初の予定通りである。

 指揮官級コマンダーがこのコロニーに住み着いている可能性は高い。が、出会わなければいいだけの話だ。さっきまではアサルトライフルをバカスカ撃っていたため敵が次から次へと寄ってきたものの、隠密行動に徹すれば不可能というわけでもない。こっそり隠れて探索し、足や食糧を見つけてさっさと退散。成功すれば色々解決するウルトラCである。

「……ま、答えは決まってるか」

 実のところ、救援信号を受け取った時点で僕に選択権はない。

 僕は兵士だ。助けてくれと言わて助けない兵士などクソの片隅にも置けないし、事実僕もそう思う。だから、ここで帰るなんて選択肢は存在していない。理不尽なようにも思えるが、それが僕の役割ということなのだろう。

 それに、僕にはそれなりに余裕がある。カニは面倒な難敵だがそこまで危険度が高いわけではない。大群が押し寄せてきたとしても、この遮蔽物の多い環境なら一人で充分対処可能だ。

 つまり続行である。

 まぁぶっちゃけ飲まず食わずで三日も歩き通す自信の方がない。僕は燃費が悪いのだ。帰り道で一度でもアンブラーに見つかったらおそらく餓死が確定する。その死に方はノーセンキュー。あまりにもダサすぎる。

 なら、足を探すついでに人を助けるのが一挙両得ってものでしょう。行動理由としちゃ充分だ。ぺしゃんこになったザックを背負いなおす。

 帰ったら風呂に入りたいと思った。顔や服にこびりついたアンブラーの体液で鼻がひん曲がりそう。あと飯が食いたい。コロニーに美味い缶詰が残っていればいいが、百年近く放置された都市でそんな期待は出来なかった。

 まぁ、やりたいことがいっぱいあるのは良いことだ。

「んじゃ、行きますか」


 ***


「ギチチチチ……」

 眼下を歩くカニを尻目に、僕は建物の屋上から屋上へと飛び移る。

 カニ型アンブラーの視界は狭く、鼻は利かない。代わりに奴らは振動を察知する能力に長け、意思疎通も振動で行える。同一平面上だとだいたい八〇〇メートルぐらいとその探知範囲はかなり広い。一匹に見つかると芋づる式にやってくるため、出来る限り音を立てないことが対策の一つとなる。

 今やってるみたいに、高い建物に上ってしまうとかだ。

 高所から見て分かることは、この都市は幾つかのエリアに分かれているということだ。

 高層ビルの立ち並ぶビル街に、アーチ状のアーケードのある商店街と、その近隣に倉庫街がある。もっと奥にはまた毛色の違う建物があるが、乗り物に乗って帰ることを考えると僕の行動範囲はこのくらいのエリアが限度だろう。

 探しているのはバイクか車。乗り物としてはヘリが最高だが、そんな高級品が整備済みで転がっているとも思えないので却下。バイクも規格の大きいものじゃないとダメだ。時速七〇キロが出せないとアンブラーに追いつかれる。ここのカニですら五〇は出してくる。

「んー」

 路中にある乗り物を見つけては下に降り、動かないかどうか試みる。

 放棄する際に自動車は乗り捨てが義務付けられていたため、大体はカギがついていた。確かそのまま回せば動くはずだが、スカばかり。転がってるのはどれも雨風に晒され続けた年代物で、当たりが中々引けない。

 やっぱバイクだな。デカくてごついバイクを見つけたらそいつを直す方向でいこうと決める。バッテリーはほぼ間違いなくイカれてるが、バイクなら無理やり動かせなくもない。しかしどういう訳か、肝心かなめのバイクが見つからない。

 仕方がないのでビル街を出て、商店街まで足を延ばす。錆の目立つ看板がデカデカと掲げられた、さびれた区画だ。こちらはやたらと損傷が目立つ。降ろしてあるシャッターが軒並みバチボコに殴られていた。カニ共の仕業だろう。よほど美味しいものが中にあったのか、見るも無残な有様である。狭い道に無理やり体をねじ込んだのか建物の縁もえぐれている。ブルトーザーでも通ったんじゃないかって壊れ方してる。

 建物の背丈が低くなったため、やや慎重に行動する。

 路地が多くて非常に困る。狭い道からこんにちはとかシャレになんねえぞ。

 幸い、カニは図体がデカいので狭い場所には入ってこれないだろうが、逆に言えばこういう場所は幼体アンブラーが群れている可能性が高い。カニ型アンブラーの幼体は八〇センチぐらいだ。どこにいてもおかしくなかった。

「…………」

 しかし、妙だ。

 どうにもカニ共に、僕を探している気配がない。カニ型アンブラーは獰猛であり、危害を加えられると仲間を呼んで外敵が死ぬまで追いかける習性を持つ。僕はカニ殺しとして指名手配されていて然るべしなのだが――――今まで見かけたカニは皆、コロニー入口とは反対方向へと歩みを進めている。

 僕が休憩した時もそうだった。襲ってくるカニの波が弱まったのを感じたので身を隠して休むことに決めたが、アレもおかしい。もう少ししつこく追ってくるのが筋じゃないか?

 今まで会ったカニ型アンブラーとはどうにも差異が多すぎて、僕は首を傾げる。これが指揮官級コマンダーに率いられているアンブラーの習性なのだろうか。

 現に今、目の前をカニが一匹通過していく。脇目もふらずに一直線に、カリカリ地面を歩いている。

 ――――何か目的があるんじゃないか?

 アンブラーに知性はない。

 それは最初期に幾人もの学者が証明した、もはや僕達の間でお決まりとなっている定説だ。奴らは野性・・に従う獣である。種に備わった本能によってのみ行動する彼らは基本的にオツムが足りない。罠や毒を学習するぐらいの知能はあるが、戦術や作戦といったものを持ち得ない。

 人類がこの二〇〇年間絶滅を免れているのは、奴らがバカだからであるというのは結構マジな話。なにせアンブラーの総数は、圧倒的に人類の総人口を凌駕しているのだから。

 だが僕は今、このカニ共が何やら一つの意志の元に動いている気がしてならなかった。

 端的に言えば嫌な予感だ。

 負の想像が膨らんでいく。

 例えば――――そう、指揮官級コマンダーがいるとして。

 なぜコロニーを破って中に侵入した? 頑丈なバリケードを破ってでも食べたいものがあったのか? アンブラーは雑食だ。何でも食う。しかしカニ型アンブラーが食べるのは動植物であって、コンクリートや貴金属、プラスチック樹脂を食べるとは聞いたことがない。じゃあなんで無人のコロニーに入ってきてる? 一番考えやすいのは巣作りだろう。ここは海に近いし、周囲を壁に囲まれている。穴場といっても差支えがない。だが陸で活動できるとはいえ、奴らは海中で巣をつくることで有名だ。なんでわざわざ陸に上がった?

 おかしなところに他にも気付く。思えば入口がやけに綺麗だった。あそこから入ったならアンブラーが通るだけでもっと滅茶苦茶になっているべきだろう。実際、この商店街は酷いもんだ。なのに入口であるビル街があれだけ綺麗なことに納得がいかない。

 相手はアンブラーだ。

 人様とは思考回路が違うだろう。

 推測に意味はないのかもしれない。しかしあまりに不可解な点が多すぎる。マニュアルに書いてないことだらけのこの状況に、僕はようやく悪寒を感じ始めてきた。

「……つーか、救助者いるのか? こんなカニだらけのコロニーに」

 何よりコレが一番の疑問だ。

 先ほどから何度かこちらから空信号を近域に送信しているがヒットしない。繋がったのは最初の一回だけだった。

 このご時世、支部居住区以外に人が住める場所なんてない。あったら教えてほしい。それくらいには、世界の縮図はアンブラーによって塗り替えられてしまっている。また、支部居住区から一般人が外に出ることも無い。ましてやこんなド辺境まで散歩できる人間などいやしない。

 だが通信が入ってる以上、誰かがいる。それは変わらぬ事実。ここは百年以上前に放棄された無人コロニーであるため、通信機器の誤作動だとか救援信号を発信し続ける機械だとかはあり得ない。電気系統は一〇〇年もあれば絶対にオシャカである。また、僕は幽霊の存在を信じない。それと同時に、先ほどの助けての声も幻聴ではない。

 つまり誰かいるのだ。絶対に。

 最初は他支部での行方不明者かと思った。僕のような軍人が任務中にはぐれ、この無人コロニーに辿り着き、サバイバルをしていたという可能性が濃厚だった。

 だが大量のカニがいるこの街の、一体どこでサバイバルをするというのだ。僕達軍人は基本的に燃費が悪い。カニと戦闘していたなら絶対に数日で飢えて死ぬ。もう色々とおかしなことだらけである。


 一体このコロニーで何が起こってる。


 僕は商店街の上を移動しながら、カニの動向に目を向ける。

 先ほどから数匹のカニを見ているが、奴らは全員、入口とは真逆の方向を目指していた。あっちには確か、倉庫街があったはず。バカデカい物流倉庫や港湾倉庫が立ち並ぶ開けた土地。けれど高所から見た感じ、カニが沢山いる気配はなかった。どこかの倉庫内で何かしてるのか? デカい倉庫とはいえ、十メートル級の指揮官級コマンダーが拠点にするには手狭な気もするが。

「……行くしかないよな」

 視界に入ったカニの背後から、その後ろを追いかける形で僕は移動する。

 やがてそいつは商店街を抜け、ひらけた大通りへと出た。見れば四方から同じカニ型アンブラーがまばらに倉庫街へと集まっているのが見て取れる。集会でも開いてんのか。僕は見つからないよう、急いで大通りを渡る。

 カニの足はまだ止まらない。奴らは示し合わせたかのように、一つの施設へと流れ込んでいく。


『圏域外郭放水施設』


 デカデカとそう書いてあるその建物はボロボロだった。外壁が削られ、門は破られ、明らかにカニが通った痕がある。入口は壊れて押し広げられ、内部も夥しいほどのカニの足跡で汚されていた。

 僕は割れた窓から施設に侵入し、施設の中を歩いていく。

 歩きながら窓より隣の建物を見るが、この施設だけ明らかに損傷具合が違う。

 大きめの通路は全てカニによって踏み荒らされており、そこらの小部屋は全て物色された形跡がある。海水と体液の入り混じった水痕もそこかしこに残っている。全体的にばっちい。今日見た中では一番の汚れ具合だ。

 ここが養豚場だとか保存の利く食糧貯場施設とかなら分かるが、放水施設ときた。食い物なんて一つもないはずなのに、どうしてここまで興味を示す。

 そして、ゴール地点を発見する。

 そこは広い空間だった。三階分の高さをぶち抜いて作られた広大なホール。そして部屋の真ん中には、一つぽっかりとあいた巨大な穴があった。

 底の見えない空洞が地底へと垂直に伸びており、到着したカニたちは次々にその暗闇の中へと身投げしていく。

「……地下貯水槽か」

 穴の周りにある重機や施設名から、僕はカニたちの目的地を推測する。

 たしか旧時代には、都市の洪水防止を目的とした巨大な地下貯水槽があると聞いたことがある。放水目的の流水路が川や海に繋がっていてもおかしくないから、カニがそっち経由で入り込んでいる可能性は高い。カニ達が巣を作る場所としては適当だろうし、入口のバリケードが主要道でないという裏付けにもなるだろう。

 だとしても、何のために?

 それに、救助者はどこだ?

 信号を送ってきたのはこのあたりに間違いない。だが人なんて一人もいないし、建物の内部も粗方見回ったがアンブラーに荒らされ放題で、とてもじゃないが避難場所としては不適当だ。

「……もしかして、下で戦ってるのか?」

 考え辛いが、しかしその可能性はあった。

 それに何より、興味がある。

 このカニ共は一体地下で何をしているのか。恐らくいるであろう指揮官級が何を企んでいるのか。好奇心がどうしたって抑えられない。

 僕はそのまま、地下貯水槽へと降りる人間用の通路を探す。ほどなくして螺旋階段を発見。コケ蒸した手すりを掴みながら、真っ暗闇の中、下へと伸びる足場をくだっていく。

 ――――音が、凄い。

 下に進むにつれ振動が強くなる。僕がカツンと鉄の螺旋階段を踏む音など些末に思えるほどの、荒れ狂う暴力の音。螺旋階段がビリリと震え、空間全体が今にも壊れるのではないかと錯覚するほどに揺れている。

 モノを壁へと叩き付ける衝撃と、咆哮と狂笑の合唱が聞こえてくる。戦っているのだ。誰と誰がリングについているのかは分からない。けれどおそらく、死闘に近い生存競争がこの先で行われている。

「ッ――――」

 自然、腰に差してある鞘へと手が伸びる。

 ――――大丈夫。足が竦むなんてことはない。

 命を賭ける覚悟なんていつだって出来ている。こういう仕事なのだ。僕が立ち止まる理由なんてものは一つもない。心拍確認、七十ジャスト。こんな時でも僕の体は平静だ。つまり、大丈夫ということに他ならない。

 ズズン……と一際大きな衝撃が螺旋階段を揺らした。

 フラついた姿勢を正し、暗闇を降りていく。

 最下層が目前へと迫り、夜目に慣れだした僕の瞳に光が入ってくる。淡くて弱い光。どうにも出口から漏れているらしい。電源が生きているのだろうか。また増えた疑問を抱きながら、最後の段へと辿り着く。

 そして、見た。

「んだ……これ………………」


 そこには、絶景が広がっていた。


 金色の獣と、赤黒い大蟹。二匹のバケモノが宙を舞う。

 体格から戦闘のスケールまで、何もかもがデカい。両者共に想像の倍ほどの巨躯。大蟹の方が獣より一回りだけ大きい。

 駆動車ほどの大きさの鋏が、豪と唸りを上げて襲い掛かる。しかし相手には届かない。獣はソレを軽快な動きで躱し、大蟹の関節へと喰らいつく。組みつかれた大蟹はそれを振り払うと、再度同じ攻防が繰り広げられる。「ギヂヂヂヂッヂヂ……」苛立たしげに大蟹が鳴く。当たらない。機敏な獣と鈍重な大蟹は、態勢を入れ替えて踊り続ける。「イィン」と獣が鳴いた。それはノロマな相手を嘲るような余裕を感じる声。釣られ、大蟹の動作が早くなる。また戦闘の位階が一段上がる。

 時折、瞬くようにして爆発が起こる。見れば獣の体毛から淡い光の粒が湧きだしていた。それらは中空で舞いながらチカチカと点灯を繰り返し――――爆発。熱量と衝撃が頬を撫で、僕はそこでようやく自我を取り戻す。

 広大な地下貯水槽だった。

 のっぺりとしたコンクリートに囲まれた広大な空間。家の横幅と大差ない太さの支柱が何本も、空間の果てまでずらっと並んでおり、遠近感がバグりそうになる。

 タラップから一歩進んだ先は闇が広がっていて、一番下がどこにあるのか認識できない。僕は今いる地点が、この空間全体の上層あたりなのだと理解する。

 視線が、眼前で繰り広げられる攻防へと戻る。

 理解を拒みそうになる脳と、見惚れてしまいそうになる目に、仕事をさせる。

 大蟹は、カニ型アンブラーのリーダーだろう。予想していた通りの指揮官級コマンダー。僕など足元にも及ばないほどに巨大化したカニが、一動作ごとに空間を揺らしている。知識にあるものよりも確実に大きい個体だ。まず間違いなく僕の人生において、これほどの化け物に出会ったのは初めて。

 しかし、僕の驚きはもう片方へと持っていかれていた。

 獣のアンブラーだ。

 金色の獣。俊敏で視認し辛いが、尾の形状と見た目からおそらく元は狐。流線形の肢体に鋭い目と牙、そして何より七つに増殖した尾。支柱を足場に重力を無視したような動きで跳び回るその大狐に、全ての関心が吸い込まれていく。

 獣のアンブラーは、珍しい。

 この世界は陸に比べ海の比率が圧倒的に多く、陸生動物より海生生物の方が圧倒的に多いからだ。そして力関係もそれに準じている。住処の狭さに加え、海生生物が陸へと上がりだした現在において、陸生動物は人類よりも先にその数を減らしていった。しかし、それは同時に一つの厳然たる事実を意味している。

 現存する獣型アンブラーは、その全てが強い。

 淘汰されゆく中で今日まで生き残り続けたということは、ただそれだけで強者の証となる。元々持っていた攻撃器官と野性の両方を、進化因子によって極め切った化け物。減少する個体数に反比例するかのような個の強さ。

 故に、僕達は幼い頃よりずっと聞かされる。「獣型アンブラーを確認したら逃げろ」。

 一個体だけで支部が総出で対処する必要のある危険物。それほどまでに生き物として強靭な存在。だがしかし、目撃例は非常に少なくここ数十年で一度も確認がされていない。勿論僕も見るのが初めてで、

 ……いや、そんなことどうだっていい。

 御託ばっかり並べてしまったが、つまるところ――――僕の心はただ一つの感想を口に出す。

 美しい。

 見た目への賞賛ではない。

 僕はその強さに心奪われた。

 大狐の尾から舞う鱗粉が光源となり、地下貯水槽を仄かに照らす。天井を照らし、中空を照らし、やがて中層下層と見える部分は広がって――――やがてそれは、赤いカニ型アンブラー達の姿を闇に浮かび上がらせた。

「ギヂ」「ギヂヂヂ」「ギヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂヂ」

 下層には、目を疑いそうになる情景が広がっていた。

 この地下貯水槽の下部は、夥しいほどのカニによって埋め尽くされいる。その数は一〇や一〇〇、否、二〇〇でも全然足りない。形容しきれないほどの大きさを持つこの空間の、下層半分以上を埋め尽くす赤い甲羅。ここに一体どれほどの数のカニがいるのかなど、想像するだけで寒気がしてくる。

 てらてらと塗れた甲羅が光を反射する。彼らは仲間の体を足場にすることで、壁から支柱まで我先にと這い上がってくる。目標は明確だ。ここにいるカニの群れは全て、金色の大狐へと狙いを定めていた。

 大蟹率いる無数のカニの群れと、大狐一匹。

 それがこの地下貯水槽で行われている戦闘の構図だった。

 ……素直に考えればバカバカしい話だ。

 数が違いすぎる。なにより大きさが違う。狐は確かにアンブラーの平均値からは大きいものの、カニは更にデカい。雑兵カニですら大狐と同じスケールのものがチラホラ見てとれ、大蟹に至っては優に二倍以上の体格差がある。大きさは力だ。これで戦闘が成り立つわけがないだろう。

 ――――けれど、圧倒しているのは大狐だった。

 この狭い空間で、孤立無援の状態で、それでも彼の体に追い付ける者はいない。大蟹の繰り出す一撃も、四方八方からとびかかる雑兵ガニも、その全てを狐は避ける。大蟹達が遅いのではない。そして、

 戦闘技能が神がかっているのだ。

 大狐の動きは機敏だ。しかしそれは目でギリギリ追えるぐらいの速度でしかない。着地や停空の隙はどうしたって生まれるため、この狭い空間で全ての攻撃を避けることなど物理的に不可能。

 しかし、尾から舞う淡い光の粒子がそれを補っていた。散布、点滅、後、爆発。七つの尾から定期的に生み出されるその光はしばらくすると爆発を生み、その全てが大狐にとって利する形で作用する。

 襲い来る大蟹の動きが衝撃で鈍り、追い縋るカニの群れを爆発で散らし。大狐はそうやって物量差を覆している。そして僕の見てとれる限り、自身はその爆発における一切の悪影響を被っていない。

 それはまるで、未来が見えているかのごとき流麗さで。

 息を呑むのを忘れるほどに、僕は大狐の動きに見入ってしまう。

 ――――光の粒は、おそらく大狐の≪特化機構≫だろう。

 特化機構、それは動物とアンブラーとを分ける明確な差異。より攻撃的に、好戦的に、自然界で勝ち残るために進化したアンブラーの特殊な能力や身体部位のことを指す。

 カニ共であればあの肥大化と高質化を遂げたハサミの部位がそれにあたる。種類によってその性質は変わり、体液に毒を持つものや鱗を飛ばすアンブラーもいるほど。それほどまでに種を超越した変化を引き起こすから、ブラーウイルスは進化因子と揶揄されている。

 おそらくこの狐の場合は、体毛が変化している。可燃性の物質を内包しているのか、温度の操作を可能としているのかは分からない。ただ一つ分かるのは、彼の獣が爆発という攻撃手段を得たバケモノであるということだった。

 爆発を封じる手立てはあるのだろうか。湿度の高いこの空間ですらところかまわず爆発しているあたり、水の影響は小さいと見える。酸素は消費するだろうからそっちで攻めるのも手かもしれない。あぁ、でも――――無理だ。この巨体。この動き。特化機構への対策以前に、生物としての純然たる地力に問題がある。

 ――――この男では、この大狐の足元にも及ばない。

 その事実を淡々と見つめながら、それでも僕は戦闘の教本のごとき美しい舞いを、観察し、


 ――――どれほどの時間が経っただろう。


 やがて終わりが訪れる。

「オォーーーーーーーン」

 大狐が高くいなないて、勝鬨を挙げる。

 ついに倒れた大蟹の骸を踏みつけて、その獣は天を仰ぐ。

 雑兵のカニはまだまだ生き残っていたが、ギシャギシャギシャと甲羅を擦る音を鳴らすばかりだ。あれほど神風特攻のように襲い掛かっていたはずが、今や一匹も攻勢に出ようとしていない。指揮官級コマンダーが死んだアンブラーの群れは統率が乱れる。リーダーを失った彼らにはもう、勝てない戦に身を賭す理由がない。

 大狐はその様子を傍観しながら、身を屈めた。バキバキと大蟹の足を容易くへし折り、ひょいと投げて口で飲み込む。弱肉強食かくあれり。無数のカニの死体の上で、彼は平然と大蟹の体を貪り始める。

 地下貯水槽には逃げるカニの蠢く音と、大狐の咀嚼音だけが反響していた。

 ここにきて、僕は思い出したかのように息を呑む。

 止まっていた時間が進みだす。忘れていた呼吸を再開し、酸素を肺へと送り込んだ。そう、これは現実だ。モニター越しに映像を見ていたわけじゃない。現在進行形で、僕の危険は続いている。

 逃げないと。

 取り合えず物陰に身を隠し、こっそりと大狐の動向を確認しようとして、

『なんだ、仕掛けてこないのか』

 唐突に話しかけられた。

 見れば眼前には大狐の顔。いつの間に移動したのか、僕の隣で食事をしながら座り込んでいた。

「――――っ」

 即座に僕は抜剣する。

 ゼロ距離だ。一瞬にして沸き立つ血液が手足へ流れ込み、迎撃へと動かす。腰に差していたブレードが抜き放たれる。狙いは首。何千と鍛錬されたその一動作はよどみなく行われ、絶命の剣閃へと繋がる――――はずだった。

 しかしそれより速く、動きの起こりを潰される。

 添えられた大狐の腕によって、抜き放とうとした刀剣が抑え込まれていた。脳が一瞬停止する。避けられたなら分かる。受けられるのも、百歩譲って理解しよう。だが動きの起こりを止めるのはおかしい。速いとかいう次元を通り越してる。

 生物としての格が違う。

 分かり切っていた事実が、現実として降りかかっていた。

『そう言えば、人語を介する個体とはまだ出会ったことがなかったな。失敬』

「……」

 大狐は咥えていた大蟹の脚を虚空へと放り投げると、まるで世間話かのように語り掛けてきた。

 ……そもそも喋るアンブラーなど、聞いたこともない。

 偏に指揮官級コマンダーと言ってもアンブラーにはあらゆる種が存在するため、その生態はそれこそ指揮官級コマンダーの数だけある。だが目の前の大狐は明らかなイレギュラーだ。同じ指揮官級コマンダーの大蟹をあそこまで圧倒し、挙句人との意思疎通が可能ときた。これは明らかに僕の常識とかけ離れている。

 そして何より、その声。

 間違いなく、記憶の中にある救助者の声と同じ声音。

 いるはずのない生存者。なのに聞こえた助けてという声。訳の分からないカニの動向。ここにきて、あらゆる符号が合致していく。

 カニ共はこの大狐と争っていたから、僕にかまっていられなかった。

 そして最初に助けてといった声は、コイツの罠。

 このコロニーはこの大狐にとっての狩場であり。カニも僕も、コイツの餌でしかないのだ。まんまと嵌められた。チョウチンアンコウが光で獲物をおびき寄せるように、人語を介するこの敵は、僕を助けての声で釣ったのだ。

 結論は出た。しかし僕にはどうすることも出来ない。頭だけが回転をするが、武器を抜き放てない以上、打開の策は皆無に等しい。どうする、どうする――――!

 大狐は金瞳を細めながら、くつくつと嗤う。

『くふ……そう怯えた目で見るな。取って食うつもりなら最初からそうしておる。あまり美味そうに振舞われると、つい爪が出そうになろうて』

「お前……一体何なんだ」

『妾は妾よ。お主ら人は、まとめてアンブラーと呼んでおるみたいじゃがの』

「僕も食うのか。そこのカニ共みたいに」

『ふむ――――。仕方ない』

「…………?」

 大狐の言葉に、違和感。

 言語は合っているはずなのに、会話が噛み合わない気持ち悪さを感じる。

 久しく感じたことのない、けれど確かに記憶にある嫌な感覚。言いようのない気味の悪さに、しかし僕はどうすることも出来ない。剣を抑え込まれているからか、異質な存在に気圧されているのか。まるで蛇に睨まれた蛙のごとく体が硬直していた。

 何かしなければいけないはずなのに、金縛りにあったかのように体が動かない。

 大狐から顔を逸らせない。

 そいつは僕の顔を覗き込み、顔を近づけてくる。巨大な瞳が僕を捉えて離さない。飲み込まれそうなほどの深淵。金と黒が入り混じった星空のような色が、眼前へと迫って、きて――――。

『人の子よ。妾の瞳を見よ――――』

 僕は最期に、その言葉を聞いた。

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