3/Deeper Deeper
この世界の大地は、その九割以上が荒野だ。
世にはびこる様々なアンブラーのせいで地面がひっくり返され、樹木は食いつくされ、建物は粉砕された。残ったのは乾いた荒野のみ。栄養と水が不足しているので砂漠化も進行している。不毛の大地というやつだ。
そんな荒野を眺めながら、ふと振り返る。
巻き上げられた砂が後背へと伸びていき、勢いよく砂塵が舞い上がっていた。支部の姿はもうどこにもない。随分進んだようだ。駆動車の揺れを感じ、風の勢いを受けながら、僕は開いたハッチから行軍の様子を眺めていた。
今のところは目立った襲撃はない。この分なら昼前には着くだろう。
そう考えていると、車体がバウンド。ガタンと上下に揺れ、体が宙に浮く。
「っとっと……」
「ねえ、危ないわよ。到着前に落っこちても拾いにいってあげないんだからね」
「はいはい」
乗り出していた体を車内へと引っ込め、ハッチを締めた。ギャイッと金属の摩擦音が鳴り、外界と断絶される。
中には、僕を含めて六人のメンバーが座っていた。
四人は我らが一六部隊のエレノア、マキナ、ジュノーと僕。そして他二名は〇七部隊長のアイザックとその部下一名。運転席の二人まで含めれば八人だが、僕たちが乗るこの大型駆動車は運転席と後部座席が完全に隔たれているので関係ないものとする。
大型駆動車は普通の車と違い、座席が前を向く形ではなく向かい合わせ、つまり車体の左右に並行する形で備え付けられている。真ん中に自由なスペースが出来るため任務などでは重宝されるが、車のシートに寝転がるのが好きな僕としてはあんまり好ましいものではなかった。
そんな中、今しがた僕に注意してきたエレノアが、ため息をつきながら口を開く。
「勝手に外に出ないでよ。何かあったらどうすんの」
「気晴らしだよ。僕は繊細だから、リラックスしてないとストレスで死ぬんだ」
「嘘。適当言わないで」
「エレノアこそ、着く前からそんなに気張ってたら向こうでもたないぞ。緊張してるのか? 肩でも揉んでやろうか?」
「……あんたに揉まれたくないんですけど」
「じゃああたしが揉んだげるよー」
「ん……ありがと」
近くに座っていたマキナが立ち上がり、エレノアの席へと移動する。その様子を少し離れた位置にいたアイザックが笑いながら、部隊の長としての仕事をする。
「エレノア、肩の力抜いとけ。初の大型任務で勇んでくれるのは嬉しいが、レイジの言う通りだ。俺達に気なんて遣わず、楽にしてていいぞ」
「は……はいッ!」
「そうだぞ。僕を見習うといい」
「……うるさいわよ」
「バカ弟子、お前は気ィ抜きすぎだ」
「リラックスが上手いと褒めてください」
「相変わらず口が減らねえなぁ」
今何をしていようが、作戦が成功するかどうかには一切関係ない。現地に着いてすらいないのだ。なら楽にしとくのが一番。尚も難しい顔で宙を睨むエレノアを尻目に、僕は欠伸をした。
「寝てないのか?」
ジュノーが軽い調子で欠伸を見咎めてくる。
「そこの隊長に夜通し扱き使われたからね」
「人聞きの悪いこと言うな。そもそもそれが主目的みたいなもんだろうが」
僕を夜遅くまで拘束していた本人から、ごもっともな意見が飛んできた。
僕達は今、緊急任務の目的地であるレビアコロニーへと、大型駆動車を使って移動しているところだ。
この車両の他にも九台、人や物を乗せた同じ駆動車が支部からレビアコロニー目掛けて大陸横断中である。大所帯も大所帯、少なくとも僕はここまで大人数で一つの作戦にあたるのは初めての経験だ。
ではなんでそんな大きな作戦に、アカデミー上がりの一兵卒の集う僕達一六部隊が招集されたかと言えば、理由は二つ。
一つは人手不足。軍の部隊員はいつも人手が足りない。特に実働部隊の数の少なさは深刻である。アイザック隊長率いる〇七部隊は長期任務明けで丁度支部に残っていたが、一桁部隊はその全てが遠征やら長期任務やらですぐに動かすことが出来ない。よって人手が欲しければ、必然的に僕たちのような下の部隊を動かすしかない。
そしてもう一つは僕だ。
目的地がレビアコロニーである関係上、直近でそこを探索した僕は重要参考人、早い話が道案内として呼ばれていた。
なにせ一〇〇年単位で内部に人が入らなかった場所のため、土地勘を持つ者がいないどころか支部資料に地図すら存在しない未開の地。ナビゲーション役はぜひ欲しい。
そして僕は人よりも記憶力が圧倒的に優れている。これは自慢だが、一度見たものは全て思い出せる。そんな特徴を買われ、昨夜に任務参加を呼びかけられてから数時間かけて簡易的な地図データの作成という地獄の作業を課されていたというわけだ。
おかげで若干寝不足である。
まぁ何が生死を分けるか分からないのが任務というもの。その適材適所に異論はないが、睡眠時間が削られたのは事実。昨日昼まで寝てなかったら間違いなく今頃グースカしてただろう。
「言っとくが、俺はお前ら連れてくるのは反対したからな」
アイザック隊長は僕達を眺めながら、そうぼやく。
「地図だけじゃ分からないことも多いじゃないですか。戦闘になったら役に立ちますし、どう考えても連れてき得ですよ僕」
「大口叩くなよバカ弟子。お前らはアカデミー卒業してようやく一年のひよっ子だろうが。新米をこんな妙な任務に狩りだすべきじゃないんだ。もうちょっと経験を積んで、安全な任務で数回、様子を見てからしっかり育成していくべきで……」
「もしかして心配してくれてます? 師匠ってば口では厳しいくせに優しいんだから」
「かっけえ……俺が女ならそのギャップに惚れてたっす」
「生意気言ってんじゃねえぞガキ共」
「照れてる照れてる」
「ひゅーひゅー」
普段は聞けない師匠の甘いお言葉に、僕とジュノーは二人で囃し立てる。
師匠と一緒の任務はコレが初だ。
幼い頃から幾度となく話しているが、経験と実績の違うこの二部隊が実戦で一緒になったことは無い。まぁ、強いのは知っている。部隊構成員全てが僕達より格上の先輩だ。彼らの邪魔にならないように、それでもしっかり成果を上げたいところ。
いつもと違う、大役を任されてるという感覚。それに浮かれる気持ちがないかと言えば否定は出来ない。日常業務も偵察任務も誰かがやらないといけない大事な仕事だが、それでも、兵士となったからには兵士としての本分が果たしたいのだ。
ただ――――浮かれることはあっても、喜ぶことは出来ない。
今回は事情が事情である。たとえ冗談であっても、この大きな任務を両手をあげて喜ぶことは流石の僕でも出来なかった。
「言っておくが、お前らが楽しみにしてるアンブラーとの交戦は二の次だからな。〇六部隊員の救出が最優先だ」
「分かってますよ。ちゃんと現地では隊長命令に従いますって」
「あぁ、頼むぜ」
師匠は軽い調子で笑ったが、しかしその目にある焦りの色を、僕は感じ取っていた。
今回行方不明となった〇六部隊は、バーダックという男を隊長とする実働部隊の一つだ。一桁部隊なのでその強さは周知の事実なのだが、〇六は何よりその安定感で知られている。
過去一度も死傷者を出したことのないその部隊は十数年、隊員が一人も入れ替わっていない歴戦の猛者の集いだ。今回のような救出任務であればされる側ではなくする側。そんな部隊が唐突に連絡を絶った。異例尽くしと言っても過言ではない。
そして何より、バーダックと師匠は親しい。
つい最近も一緒に行動していたと聞いたばかりである。そんな人が生死不明とあれば気が気ではないだろう。本人も焦りを表に出さないよう努めているが、やはりいつものおどけた空気とは程遠い。
さて、どうしたもんかなーと思っていると、エレノアが隊長に話しかけた。
「えぇと……隊長、質問よろしいですか?」
「んな堅苦しくなくて大丈夫だぞ。何でも聞いてくれ」
「一六部隊が呼ばれたのは良いのですが、この人選は誰が?」
その質問は、僕もしたいと思っていた。
不測の事態だ。色々な状況が想定されるが、それだと足りない面子がいる気がしていた。僕も黙って師匠の返答を待つ。
「人選はマダムと俺で決めた。最初は全員連れて行くように言われたんだが、俺が減らした形だな。レイジは確定。ジュノーは俺がよく知ってるから採用、後は機動力の高いエレノアとマキナを選ばせてもらった」
「師匠、質問。カサンドラも連れてきて良かったんじゃないですか? 市街地戦想定ならあいつ、めっちゃ役に立ちますよ」
「支部の防衛部隊も残さないといけないだろ。それに、俺が把握できんのは四人が限度だ。多けりゃ良いってもんじゃないさ」
その言葉には、僕達への心配が混ざっていた。
彼の言う通り僕達は新入りだ。どうしたって経験不足は補えない。救出任務の最悪は、ミイラ取りがミイラになること。助けに行って更に行方不明者が増えたら元も子もない。
そう考えれば納得の人選ではあった。僕とジュノーは師匠の制御下におけるし、エレノアとマキナは単独での逃走手段を持つ。カサンドラの能力は役に立つが、しかし逃げるという意味においてはお荷物なのは確かである。
友人を助けに行くという観点で言うならば、もっと人手を欲しがってもおかしくないだろうに。それでも投入する人員を抑えたのは、友人としてではなく隊長としての判断なのだろう。
というわけで、我らが一六部隊はここにいる四人で全員だ。カサンドラはお留守番である。支部から出撃する際に色々と不満を言われたが、これも隊長の采配。仕方ない。
帰ったら武勇伝でも聞かせてやるか、などと考えていると、目の前に座るエレノアと目が合った。なぜかため息をつかれる。
「はぁ……憂鬱」
「人の顔見てソレは失礼すぎるだろ。才色兼備の僕でもへこむぞ」
「……誰のせいだと思ってんのよ」
「……誰のせいだ?」
オウム返しで聞いてみると、凄く嫌そうな顔をしてエレノアが口を曲げた。うーん、どうにも僕らしい。ひそひそと横でジュノーとマキナが小声で話し出す。
「またこの二人ケンカしてんの? 何があったん?」
「昨日、エレノアちゃんがお着換えしてるのをレイジくんが見ちゃったんだよねー」
「うおっ……そりゃ災難で」
「ケンカ別れしちゃったけど、任務だから参加しないわけにはいかなくてー。でもいざ顔を合わせたら当の本人はまったく気にしてないご様子! そんなこんなで、エレノアちゃんの乙女心は傷ついちゃってるのですー」
「涙ぐましいねぇ」
「そこ、うるさい」
不機嫌なエレノアを見ながら理解する。なるほどね。昨日の今日で顔合わせたから気まずいのか。ま、僕は謝ったしもう悪くない。機嫌が直るのを待つしかないな。
「それよりさー。前から思ってたけど、レイジくんもジュノーくんも失礼じゃない? ナンパするくせにうちの隊の女の子に当たりきつい気がするんだけど」
「ジュノーはともかく、僕は優しいぞ」
「レイジはともかく、俺は女性には分け隔てなく優しくしてるつもりなんだが」
「うっそー。だってあたし達、ジュノーくんにナンパされたことないよ?」
「するわけないだろ……」
「えー? なんでなんでー? 他の隊に迷惑かけるくらいならマキナ達で良くない? マキナ達も可愛いよ?」
「お前らが可愛いかどうかは関係ねえ。あと、迷惑ってのは訂正すべきだ。俺は女の子の笑顔のために生きている」
「結果として、マキナ達のとこに苦情が殺到してるのはー?」
「相手に迷惑だと思わせてしまっている俺の力量の問題なんだ。大丈夫、きっと皆もいつか分かる。今はお前らにも謂れのない俺の風評が届いているかもしれないが、それも俺が対処するよ。会って話せば分かってくれるはず」
「バカでしょコイツ」
「そもそも浮気されて激おこな元カノさん達に、マキナ達が会わせないようにしてあげてるのにねー……レイジくんもなんか言ってやってよ」
「本人の自由に任せようと思う」
「男子ってホント適当よね」
エレノアがぼそりと僕に抗議してくるが無視。僕が言ってなんとかなるほどジュノーは賢くない。バカなのがジュノーの良いところでもある。長所を伸ばす方向で育ててほしいものだ。
そうしていると、マキナがふと思いついたように謎かけを出してきた。
「二人共、付き合うべき女の子の特徴ってなんだか知ってる?」
「んだそれ……なぞなぞか?」
「俺は笑顔が可愛い女の子だな」
ジュノーが女性のタイプを口にしたが、僕は嘘だと思った。コイツは生物学上女なら誰でも良いのだ。この前泣いてる女の子は可愛いって言ってたし。
と、心の中で突っ込みを入れていると、こちらに注目が向けられていた。どうやら僕の番らしい。良い機会なので、近くにいた人に話を放り投げることにする。
「師匠はどんな子がタイプなんですか?」
「うおっ……この流れで俺に振るの反則だろお前。んー……胸が大きいのは必須だな」
「ほうほう、隊長さんはお胸が欲しいのですかー」
「ないよりあった方が良いだろ、大は小を兼ねるって言うしな」
「物議を醸しそうな偏見やめてくださいよ。この車、どんだけ小が乗ってると思ってんですか」
「死ねバカレイジ」
「今一番敵を増やしたのはお前だからなバカ弟子。あとは……優しくて、気配りができて、料理ができる子が良いな」
「男の欲望テンコ盛りっすねー」
「夢はデカくねえとな」
そんなことを話していると、パコンと軽い音を立てて、隊長の頭が叩かれた。
「兄さんまで、下世話な会話に混ざらないでください」
「軽口推奨、軍の常識だぜ。これも部隊間の親睦を深めるためさ。ソラリも混ざれよ」
「私は瞑想で忙しいんです。時間の使い方は自由ですが、節度と威厳を保ってください。女の子もいるんですから」
そう言って混ざってきたのは〇七部隊副官、ソラリ=カズイクールだ。
言葉の通り、アイザックの妹である。兄と同じ紺色の髪を編み込んで纏めた髪型。くっきりとした目鼻立ちに、ややきつい印象を受ける大きな瞳。眉間に皴が寄ってることが多いが、ジュノーは美人さんだと評している。
彼女はアイザックの頭を叩いた端末を手に持ち腕を組みながら、女子組へと近寄っていく。
「ごめんね、うちってば男所帯だからデリカシーなくて。嫌だったら怒っていいのよ。隊長であれ先輩であれハラスメントには抗議すべきだわ」
「いえいえ、慣れてますよー」
「大丈夫です。うちの男がゲスなのは知ってますし」
ひでぇ言われようだ。女の敵であるジュノーはともかく、僕はまともなんだが。
まぁ何はともあれ、共通の敵を擁した女性達は和気藹々と雑談に興じ始めた。先ほどまでは張りつめていたエレノアも、いくらか和らいだ空気を見せている。
その様子を見ていると、ジュノーが女性陣を見ながら、俺に小声で話しかけてくる。
「なぁレイジ……この任務が終わったら俺、ソラリさんをデートに誘うんだ」
「お前が言うと全く雰囲気出ねえな」
「カッコいいとこ見せれば、少しは心を開いてくれるはずだ」
「なぁジュノー、知ってるか? 何回断られてもめげないって聞くとカッコいいが、断られても尚言い寄るのはゲス男ってのがこの世の真理だ。いい加減諦めろ」
僕とジュノーは師匠と親しい。
それはつまり、師匠の妹であるソラリさんとも面識があるということを意味する。
これまでに、ジュノーはソラリさんを何度かデートに誘ったことがあった。当たり前だ。ジュノーの守備範囲は広いが、中でもソラリさんは美人だ。女好きのコイツがアプローチしない理由がない。だが結果は惨敗である。当たり前だ。まともな感性をしていたらジュノーとは付き合わない。
それに相手が悪い。
僕達の会話を聞きつけて、師匠が傍によってくる。そして先ほどソラリがしていたように、端末でコツンとジュノーの頭を叩いた。
「聞こえてるぞバカ弟子二号。人の妹を狙うんじゃねえよ」
「俺にソラリさんをください、お兄さん」
「毛色の悪い呼び方をするな。妹に彼氏はまだ早い。ましてやお前なんぞじゃ釣り合わんわ」
うーんシスコン。だが、妹に悪い虫がつくのを防ごうとするのは一般的な感性ではあった。あーだこーだと食い下がるジュノーを師匠は煙たがり、僕はそこに茶々を入れる。駆動車の中にはしばらく、緩い空気が漂った。
――――そして、雑談が終わる。
やがて師匠がパンパンと手を叩き、注目を集めた。
「さて、任務だ。気ィ引き締めろ」
その言葉に、僕達は姿勢を正す。ようやくか。ジュノーも口を閉じて席へと戻り、女性達も居住まいを正した。空気が切り替わったのを見て、アイザックが続ける。
「先行部隊から報告があった。レビアコロニーに到着したらしいが、色々気になるもんを見つけたらしいんで停留。俺達が直に着いてから作戦を開始するとのことだ」
「何を見つけたんです?」
「それは着いてから伝える。もう五分もすれば到着する。各自、出立前に割り振った役割を再確認し、装備を点検しろ。質問があったら今のうちにしとけ」
言われ、僕達は準備に移る。
うん、大丈夫だ。体の調子は良い。気分も悪くない。少しだけ目を瞑り、色々と思考を巡らせる。
今回の作戦の目的は、救出作戦。
行方不明となった〇六部隊の隊員五名を探し、支部まで連れてくるのが第一目標といったところだろう。
しかし――――救出作戦はもう一つ、別の意味合いを持っている。
それは獣化した隊員の抹殺だ。
僕達継承者は皆、体内に時限爆弾を飼っている。進化因子。生物の戦闘力を大きく底上げするドーピングを施すことによって、人類はアンブラーと戦うための牙を手に入れた。
しかしその代償として、使えば使うほどに進化因子による浸食が進み、最悪の
〇六部隊員は全員が歴戦の猛者。つまり、まず間違いなく全員の浸度が高い。
勿論、作戦中に獣化されても困るため、
アイザック隊長は、その可能性を――――つまり『獣化した元〇六部隊員五名と戦闘しなければならない可能性』を、出撃前の
可能性は可能性に過ぎない。前の僕みたいに通信手段を失って立ち往生しているかもしれないし、アンブラーの群れに襲われて身動きが取れなくなってることだってある。それに
けれど、想定可能な様々な場合の中、それでも最悪の事態は決まっている。
獣化した隊員の後始末。元同僚を手に掛ける人殺しの任務。対アンブラー戦のエキスパートとも呼べる僕達にとって、これがその最も重く辛い任務になるかもしれない。隊長はそれを分かっていながら、この任務に臨んでいる。
だが、誰かがやらなければならない。
隣の誰かが獣化すれば、それを殺すのは僕達の役目だ。例え今の今まで一緒に背中を合わせた仲間であろうと、慈悲なく即座に命を絶つ。いや、そこに慈悲はあるのだろう。獣に堕ちてアンブラーの仲間入りをするなど、僕達は誰も望まないのだから。
それこそが隊員の――――
願うことなら、そうならないように。
最悪の場合でも、〇六部隊と関わりの低い僕達が処理できると良いと。
そう、僕は思った。
――――だが、結局。
現実は想像も想定も超えたものなのだと。
最悪なんてものは希望的な楽観視でしかないのだと。
事態はもうどうにもならないくらいに進んでいたのだということを。
僕はその日、知ることになる。
***
レビアコロニーへと到着した僕達は積み荷を降ろすと、役割に沿って隊列を組み、コロニー内部へと足を踏み入れた。
作戦部隊は僕達だけではない。一二七から一三五部隊を含め、総勢五十四名が参加している。
俗にいう《三桁部隊》は予備戦力だ。彼らも火器で武装はしているが、その役割の多くは戦地における支援である。移動・探索・支部との通信中継など、僕達のサポートが主目的。
大隊を二つに分け、片方はレビアコロニー外部での哨戒に、もう半分は僕達と一緒にコロニー内部へと移動を開始した。
「……綺麗ね」
「こんな時でもなきゃ観光したかったねー」
レビアコロニーの光景はやはり珍しいらしく、女子組二人のみならず部隊の多くが色めき立つ空気を見せる。だが、任務中だ。全員が周囲を警戒しながら進む。
少しして、違和感に気付く。
僕が数日前に殺したはずのカニの死体がどこにもない。
たしか道のど真ん中に転がしてあったはずだが。少し進んだ地点でも、やはり銃痕はあれど死体がない。新たにやってきたアンブラーに食われたのか、どうか。隊長に一応伝え、そのまま僕達は進む。
「そういやさ」
「んー?」
行軍中、暇を潰すために僕は小声で隣にいたマキナに話しかける。
「さっきの話なんだが、付き合うべき女の子の特徴ってなんだ?」
「あれれー? レイジくん、気になるのー?」
「うっとおしい反応するんじゃねえよ……なぞなぞか何かだろ? 答えがあるなら教えてくれ。気が散って作戦に集中できん」
「んー……ま、いっか。正解は胸が小さい女の子だよ!」
「は? 自己マーケティングか?」
「レイジくんは本当にデリカシーが足りてないよね。あとマキナは成長期だから」
想像以上に訳の分からない回答が返ってきて困惑。
どういう理屈かと考えていると、マキナが付け足した。
「胸が小さいと、どうなるー?」
「どうなるって……揉めないだろ」
「そ、答えは揉めない! だから仲良くお付き合いできるってわけ!」
「しょーもねー」
あまりのくだらなさだった。結構上手いこと言ってるのが余計に腹が立つ。まぁ雑談のオチとしちゃ十分だった。
やがてビル街の道のど真ん中に、駆動車が一つ乗り捨ててあるのを見つける。
コレが先行部隊の報告にあった気になるものとやらだろう。
「型番は?」
「〇六部隊のもので間違いありません。通信機器の最終操作は、一日前になっています」
アイザック隊長の命令に、確認を取った調査隊のメンバーが、言い淀みながら応える。
無理もない。だって駆動車は――――血まみれだ。運転席から中央にある通信機器までが特に酷く、夥しい量の乾いた血がこびりついており、ドアは引っぺがされている。ここで何かあったことは自明だった。
「……火器の安全装置は外せ。外の部隊にも連絡を」
銃器を携帯していた者達からガチャガチャと音がする。
血の痕は座席から地面へと線を伸ばしていた。何かが引き摺られた痕。それは道路に沿って真っすぐに、コロニーの奥へと続いている。隊長は部隊に二、三の指示を飛ばすと、その痕跡を追うことに決めた。
行軍は続く。
*
ところで、俺たちが持つ軍の軍用装置の一つに《
一般的にレーダーと言えば、電波を放射しその反射を捉えることでそこに物体があるかどうかを測るものだ。電波の種類によって反射する物体を選別することができ、金属探知や熱源探知など様々な用途に分けることができる。
そんな中、俺たちが一番よく使うのがアンブラー専門の《
これは『進化因子にのみ反応する電波』を放射する装置であり、獣共の待ち伏せや不意打ち、敵の規模を測るために非常に重宝する。だが便利な反面、大きな欠点が一つ。デカいのだ。現段階では小型化に成功していない。大体は駆動車に積み込まれる形で搭載され、移動時にアンブラーの比較的少ない区域を選んで戦闘を避けるという目的で使われる。
が、小型化ができないだけで、持ち運べなくはない。
現在、この部隊にはその装置が一つ存在した。陣形の中央後方、五人がかりでゴロゴロと転がすパラボラ付きの大きなコンテナがそれに当たる。持ち運びには適さないが、しかし今回のような状況において、こういった力業で携帯する手法を取ることがある。
そんな《
「二キロメートル先、
「……」
《
濃度七〇パーセントオーバーならアンブラー。三〇パーセントオーバーなら
つまり――――検査後、侵度が極端に上昇した
「……最悪の事態かもな」
「そうね」
今の観測官の発言の意味は、この場の誰もが理解している。空気が少し張り詰める。二キロメートル。気持ちの整理は短すぎる距離。各々が何かを考えながら、進み、ビルの横を、曲がって。
しかし、そこには予想していたものとはかけ離れた光景が待っていた。
「……あァ?」
怪訝さを隠そうともせず、隊長がソレを見て声を挙げる。
視界の先にはビル街の道路。今まで僕達が進んできたものと同じ、横幅の大きな車線がある。
だがしかし、そこに物凄い量のカニの残骸が積み上げられていた。
巨大な赤い甲羅だ。見覚えがある。僕が出会ったカニ型アンブラーの死体に違いない。そんなものが綺麗に積まれ、カニの上にカニを乗せたカニタワーとでも呼ぶべきオブジェになっている。
タワーは道路の脇を挟むように設置され、沢山のタワーが乱立して奥へとカニの道を作り上げていた。真ん中だけが通路として開いている。そんなものが進行方向に鎮座しているのだ。訳の分からない建造物の登場に、僕達は皆頭に疑問符を浮かべた。
意図が一切分からない。
どうしたものかと困惑していると、タワーとタワーの隙間からゆらりと、人影が姿を現した。
「お気に召してもらえましたか?」
「…………誰だ」
緊張が奔る。当然だ。その人影は、伝えられていた〇六部隊の誰ともシルエットが合わない。
細い人間だった。身長は二メートルを軽く超え、やたらと細長い手足が目に付く。黒と緑を混ぜたような落ち着いた色合いの、見慣れない衣装を身に纏っていた。髪が長い。顔を覆うようにして伸びた前髪の奥には、薄っぺらな笑みを浮かべた口元が浮かんでいた。
不気味だ。
外見だけの話ではない。そもそもここは無人コロニーだ。支部外の地域で人類と出会うなんて事態はあり得ない。他支部の人員という可能性もあったが、隊長の反応を見るにそれもバツ。支部の管轄はそれぞれ決まっており、合同任務ならば事前に知らされているはずだから。
じゃあ、コイツは一体なんだ。
異様なカニタワーの出現から立て続けに、訳の分からないものが出てくる。
そんな僕達に向かって、その不気味な男は腰を折り、腕を下り、慇懃に礼をした。
「お初にお目にかかります。ワタクシ、あなた方との対話を希望しております」
「先にこっちの質問に答えろ。身元を明かせ」
「それも、お応えます。そしてあなた方のお仲間についても、お教えしましょう」
「――――」
「四人、選んでください。ワタクシは対話がしたいのです。言語によるコミュニケーションは人類の進歩の証。席について語らいましょう」
男は下げていた頭を上げ、にこりと笑った。
笑顔すら不気味な人間っているんだな。そう思うぐらいには気味の悪い、口の裂けた笑みだった。
「……ジャバルダン、レイジ、エレノア、来い。他の者は先へ進め。以降の指揮権はソラリに移譲する」
隊長は少しの逡巡の後、四人を選んだ。この男との対話に価値があると踏んだのだろう。
選ばれた人選と、そして耳につけてある小型無線機から飛ばされた指示。俺は隊長の思考に納得しながら、前に出る。
「武装は解除しなくていいな?」
「えぇ、えぇ。あなた方の不安は分かっているつもりです。こちらに敵対の意図はありませんが、警戒するのは当然の権利でございます」
男は言って、手を広げた。自分は武装していないというポーズ。
そのままそいつは踵を返すと、そのままカニの死体で作られた道の奥へと歩いていく。
着いて来いということだろう。アイザック隊長に続き、僕達三人は後を追う。
それ以外の部隊は心配そうにそれを見ていたが、やがて命令通りこの場を放置し、コロニー内部の探索へと別れていった。
*
カニの道はそう長くはなかった。
一匹ぐらい生きている個体が紛れているのではと警戒して見ていたが、どうにも全て死体らしい。目の水晶体は取り除かれ、肉の部分も残っていない伽藍洞。ただ甲羅とハサミと脚だけが綺麗に折りたたまれて積まれている。悪趣味なこと極まりないが、アートと呼べなくもない。昔見た映像作品で、コレに似たものを見たことがあるなと記憶を探る。
やがて道が終わると、そこにはテーブルがあった。
四方をカニの壁で囲まれているので分かり辛いが、地面の白いマークを見るにどこかの交差点らしい。そのど真ん中にデカい円卓が一つ置かれている。木製の肉厚なテーブルと、似た意匠の椅子。茶器や食器は用意されていないが、これから茶会を開くと言われてもおかしくはないほど雰囲気のある家具が置かれていた。
こんなものを用意したこの男は何者なのか。疑問というよりも怪訝が上回る。
男は一番奥の席へと向かい、僕達を促す。
「どうぞ。腰をかけてください」
「……ジャバルダン、エレノア。立っててくれ」
「おや。椅子に座られないので? お疲れでしょう?」
「臆病なもんでな。俺は座る。それでいいだろ」
「構いませんよ。対話の席についていただけるのなら、形などどうでもよいのです。理知的に論を交わすことがこの対話の目的。なればこそ、ワタクシの顔色を伺う必要はございませんとも」
用意されていた椅子は四つ。その内二つに隊長と僕が座り、背後にそれぞれ二人が付く。
男はそれを見て席へと腰を下ろし、その長い腕を組んだ。
「さて――――何から話しましょうか。話したいことは山ほどあるのですが、なにぶん、こういった席は初めての経験でして」
「まず最初に、答えてくれ。あんた誰だ。どこの支部の人間だ」
「あぁ……そうでした。自己紹介が対話の第一歩、ですよね。ワタクシまた間違えるところでした。失礼、失礼」
男の口調に、若干の違和感。
なんと形容すればいいのだろう。言葉遣いは丁寧で、姿勢も低く、物腰も柔和。なのに拭えない違和感がある。薄い膜が一枚張られたような、もどかしい感覚。目の前の男のその瞳に、マイナスの既視感。だが、それが何なのかを表現しきれない。
そんな僕の脳内を置いて、男は事も無げにこう言い放った。
「ワタクシの名前はレドラニスカ。あなた方がアンブラーと呼称する生命体の一人であり、新人類とも呼べる存在と自負しております」
――――一瞬、脳が思考を停止した。
目の前の人間は、今、自分ことをアンブラーだと――――獣であると、言い放ったのだ。
状況を上手く呑み込めない俺たちを更に置き去りにして、レドラニスカは言葉を紡ぐ。
「ワタクシの所属は帝国、とでも呼べばいいのですかね。この地へは我らが皇帝陛下の
「……ちょっと待て。理解が、追いついていない。あんたアンブラーだって? そこらに転がってるカニと同類だと?」
「はい、その通りでございます」
少し、相互認識を合わせましょうか、と。
とても楽しそうに、男は続けた。
「進化因子は知っておりますよね? 我らアンブラーがアンブラーたる由縁。元は地球上に棲む動植物の一種であったワタクシ達が、アンブラーと呼ばれる化外へと進化するに至った原因でございます」
「……そうだな」
「進化因子は非常に興味深い。足を持たぬ者に足を。翼を持たぬ者に翼を。力を持たぬ者に力を授ける素晴らしいものです。DNAに刻まれた種としての枠を壊し、生物のさらにその先を見せてくれる、まさに神の御業。尤も――――ヒトはコレを
少し残念そうに、レドラニスカはこちらに視線を合わせる。
その言葉に大きな間違いはない。どこぞの研究者も言っていた。進化因子は素晴らしいと。
人類の未来をドン底に突き落とした諸悪の根源ではあるが、しかし可能性の塊だ。これまでの化学、物理学、医学、生物学、それら全てを覆すかの如き超常。一一八あるとされた元素の全てから逸脱し、その分子式全てが未知の物質によって構成された理外の
実際、それはその通りなのだろう。
一種の魔法とも呼べるほどの現象を、進化因子は容易く実現する。
足を、翼を、力を。本来その種が持つはずのなかった武器を、進化因子は与える。
つまり―――――。
「もうお分かりかと思いますが、ワタクシは、進化因子によって知性を得たアンブラーです」
「バカな。アンブラーに知性はない」
「そうですね。大多数の我らが同胞は、知性を持ち得ません。そんなものより分かりやすい武器を欲しますから。けれど我らは違います。知性こそが最大の武器であると。そう認識し、そう進化した。故に、我らは今こうやってあなた方との対話の席に着くことが出来ています」
「……」
にわかには信じがたい話だ。
だが、レドラニスカの話を否定する根拠はない。コイツは口を開き、言葉を発し、僕達とコミュニケーションをとるに至っている。進化因子の荒唐無稽さも含めれば、むしろ彼の話は正しいとすら思えてくる。
「じゃあお前も、元は動物だってのか?」
「はい。私の元種は地球上にいる何の変哲もない生命体でしたよ。今はこんな姿をしていますがね……あぁ、これも面白い話です。知性を得た我々は、ヒトと同じく二足歩行する生命体となった。類人猿種の遺伝子など持っていないというのに、ね。羨望が現れたのか、はたまたコレが進化の終着点なのか……なんにせよ、興味は尽きません」
「随分と、進化因子に詳しいんだな。それに言葉も上手だ」
「えぇ、えぇ! お褒めに預かり光栄でございます。ヒトの書物は沢山拝見させていただきましたから。ワタクシ、実を言いますとヒトのファンなのですよ。今は悲しくも相対する関係にありますが、きっと良き関係になれると思っております」
男はまた裂けたような笑みを浮かべ、興奮を乗せて言葉を紡ぐ。
「ヒトは言わば我らの先人です。あらゆる種の頂点に立ち、独自の文化と文明を築き上げ、よりよい暮らしのために発展していく……万物の
言葉を区切り、
「実に、羨ましい」
男は挑戦的な瞳で、僕達を見た。
そしてまたニコリと口を歪め、謝罪をする。
「……失礼。先ほども言った通り、こういった席は初めてで、つい興奮してしまいました。ワタクシばかりが喋ってしまっては、気分を害されてしまいます、よね?」
「いや、いいさ。俺達にとっちゃ眉唾もんの話ばかりだったからな」
「お役に立てたなら何よりです。して、ワタクシがアンブラーであるということは、信じていただけますでしょうか?」
「信じる他ないだろ。あんたみたいに目立つ風貌の奴は極東支部全体を見回しても記憶にないし、自分がアンブラーと宣う気狂いなんぞ人類にはいやしないからな」
「それはそれは」
「で、だ――――聞きたいことは山ほどあるが、まず一つ。御使いって言ったよな。つまり、あんたには上が……いや、違うな。もっといるのか? あんたみたいな、喋るアンブラーってやつが」
「――――ご理解が早い」
そう。こいつの口ぶりは明らかに、その存在を匂わせるものだった。言葉の中にあった皇帝陛下という単語。国家という枠組みが壊れて久しいこの時代に、君主制の人間組織など存在しない。
果たして、師匠の疑問に男は首肯にて答えた。
「えぇ、他にもおりますよ。ヒトに比べれば些末なものですが、ワタクシ達は独自の社会を形成しております。ワタクシのように知性を獲得するに至った個体は《
「……なるほどね。で? あんたら、何が目的なんだ」
隊長は顎をしゃくって、その問いを投げかける。
そう、全てはそこに帰結する。長々と語り、来歴を明かし対話を望み、その果てにこの知的生命体は一体何をしたいのか。
つまり、僕達人類の敵なのかどうか。
不気味な男は笑いながら、応える。
「ワタクシ達は、あなた方人類と共存したい。その話をするためにコンタクトが取りたかったのですよ。見たところあなたはそれなりにお偉い立場のご様子。これは使者同士による会談のようなものだと捉えて頂きたいのです」
共存。
その言葉を聞いて、背後のエレノアが緊張を解く気配。無理もない。ここまでずっと、得体の知れない目の前の男を警戒し続けていたのだ。男の口から直接友好的な発言が飛び出したのだから、安心するのも当然と言える。
隊長も若干警戒の糸を緩める。嘘が混ざっている可能性もあるが、今のところレドラニスカは徹底して紳士的な態度を取り続けている。敵対の意志がないなら、悪いことではない。
「つまりなんだ? 俺にこの話を持ち帰れってことか?」
「はい。あなたの一存で決められる話ではないでしょうし、詳しい内容を詰める必要もありますからね。お願いできますでしょうか?」
「そいつはもう一つの話を聞かせてもらってからだな。数日前、このコロニーに向ったはずの部隊の一つから連絡が途絶えた。俺達は彼らを探している」
「あぁ、それもお答えすると言っておりましたね。少し待っていただけますか? 今連れてきますので」
「連れてくる?」
「はい。実はあなた方より前に、同じ格好をした者とワタクシ、出会っておりまして。仲間に連れてこさせますので、五分ほどお待ちを」
言って、男は背もたれに身を預け、目を閉じた。
何らかの交信技術でも使っているのだろうか。レドラニスカはそのままピタリと動くのを止め、眠っているような体勢で固まる。
小声で背後のエレノアが話しかけてくる。
「……良い人、っぽいわね」
「訳分らん奴の言葉を信用すんなよ。自称アンブラーの不審者だぞ」
「分かってるわよ。でも、〇六部隊を保護をしてくれてるなら良いじゃない。私達の当初の目的なんだし」
その通りだ。
あまりに奇怪な存在故に見過ごすことが出来なかったが、僕達の目的は救出任務でだ。こんな形で話が進むとは思っていなかったが、しかし連れてきてもらえるのであれば万歳ではある。
しかし、喋る人型アンブラーか。
僕はレドラニスカを注視した。どこからどう見ても人間にしか見えない。バケモノらしき外見上の特徴はそこになく、無理やり挙げるならば異様に長い手足が人間離れしてるぐらいだ。明らかに骨格からしてヒトである。
まぁ、動物学上の定義なんてもうあまり参考にならない世界だが、それでも。
言われた通りにしばらく待つと、やがてボコボコと音を立て、コンクリートの地面が隆起する。「安心してください。危害を加える意図はありませんよ」目を開いたレドラニスカが、警戒していた俺たちに告げる。じっと見守る中、地面からムカデのような姿をした昆虫型アンブラーが顔を出し、地上へと這い出てきた。
「チチチチチ」
「お疲れ様です。戻って大丈夫ですよ」
男が牙をかき鳴らすバケモノにそう伝えると、ムカデは口から何かを吐きだし、すぐに元の穴へと戻っていった。
「……アンブラーを率いてるって、本当なんだな」
「えぇ。ある程度の個体であれば、簡単な会話は成立します。彼らも本当は争いなんて望んでいないのですよ。ワタクシが襲うなと命令すれば、ちゃんと聞き分けてくれるのですから」
いつの間にか、男は腕に四つの黒いトランクを持っていた。右に二つ、左に二つ。そこそこの幅と大きさを持つ、金属製の大きな箱だ。
彼はそれを丁重に静かにテーブルの上に置き、こちらへとスライドさせた。
「はい、どうぞ」
「んだこれ?」
「お会い、したかったんですよね?」
「――――あ?」
嫌な、予感がした。
違和感。僕達は、致命的な何かを掛け違えているのではないか。
態度の変わらない男の顔。どこまでも丁寧な態度と口調。それらに抱いていた好印象が、見方を変える。
僕達は、馬鹿じゃない。そのトランク――――そう、例えば人一人程度なら収まりそうなほどの大きさのトランクと、男の言葉から、嫌な想像をするくらいには、脳は働く。
隊長はそれでも、手を伸ばした。
パチン。金具を外す音。
躊躇いを振り払って、彼はトランクを開き。
「ひっ……」
「―――――」
絶句した。
背後から息を呑む声。いや、もしかしたら僕の喉も委縮していたのかも、しれない。
中には人体が入っていた。縦に半分に輪切りされた頭部。脳髄の奥。白い神経。赤と黒の肉の塊。半開きになった口には舌がついていて、眼球はどこか遠くを見つめている。腕。胴。首。足。
――――コレは、棺桶だ。
〇六部隊隊長バーダック=ドルタの死体が、トランクには詰まっていた。
ばらばらに切断され、分解され、押し込まれた姿こそ、彼の人生の終着点。
そしてその死体が詰められたトランクを寄越した外道は、変わらぬ口調で、謝罪をした。
とても的外れな謝罪を。
「申し訳ありません。元は五人いたのですが、一人は残すことの出来ない状態でして。ワタクシの不手際でございます」
「…………」
「代わりにはなりませんが、残った四名には精一杯の処置をさせていただきました。綺麗でしょう? プラスティネーションという、ヒトの技術です。自己流故、至らぬ点もあるかと思いますが、出来栄えには過去最上の自負を持っております」
プラスティネーション。
それは医療技術の一つとされている。死体から水分と脂肪分を取り除き、樹脂に置き換えることで、細胞の腐敗進行を止める死体保全法。尤も医療用と呼ぶにはあまりに用途が乏しく、展示芸術手法の一つとして昔流行った時期がある程度らしい、が。
たしかにトランクの中の死体は剥き出しの肉ではなく、半透明な膜に覆われていた。崩れたり、血が流れたりすることもない。断面からその内臓物を魅せるだけのモノと成り果てている。きっと腐臭もしないだろう。瑞々しく新鮮な肉のままに、けれど濃密な死によって、彼の死体は彩られていた。
しばらくそれを見ていた隊長が、トランクを閉じ、静かに質問した。
「なぜ、死んでいる?」
「それが、ワタクシの食事中に唐突に襲われまして。こちらとしても対話を試みたのですが、問答無用で火器による攻撃を受けたため、身を守らせていただきました」
「なぜ、これを俺達に?」
「お会い、したかったのですよね? ヒトは死者を弔う慣習を持つと聞き及んでおります。故に出来る限り綺麗な状態で保存し、送り届けて差し上げたかった。浅学なワタクシにはその感情は理解しきれないのですが、互いの文化や価値観の尊重は、コミュニケーションにおいて大切ですからね」
そう、男は事も無げに言い放った。
その言葉には、あるべきはずのものが――――謝意、罪悪感、悔恨、悲哀、そんな感情は一ミリも含まれていなかった。あれほど平身低頭な態度を続けていた男は、この場において申し訳ないとすら口にしない。仕方なかったという口上も、正当防衛だという言い訳もなく、ただ彼は事実を口にした。
下を向いたまま、隊長は呟く。
「……一つ、聞くべきことがあった」
「はい、なんでしょう」
「さっき、あんたはヒトとアンブラーの共存が目的と言ったな。それは間違いだ。共存は手段に過ぎない。あんたら結局のところ、俺達と手をとって何がしたいんだ?」
「自明でしょう? 繁栄ですよ。我々は共に進化因子によって選ばれた次世代の生物です。同じ資格を有する者同士が手を組んで、種の繁栄のために協力する。よりよき暮らしを。よりよい生を。輝かしき未来を追い求めるために、我らは闘争ではなく友好の関係を築くべきです」
「……質問を代えよう。進化因子に適応してない人間も、この世界にはいる。あんたらの共存に、彼らは入っているのか?」
「何を言っているのです?」
レドラニスカは疑問符を浮かべながら、顔色を変えずに、続ける。
「入るわけがないでしょう。ワタクシはあなた方と――――進化因子に適合した
「――――」
「あぁ、もしかして、元が同種だから憐憫しておられるので? そのような小さな価値観は良くありませんよ。進化因子によって我々は次のステージに進んだのです! この地球という惑星において、一つの時代が終わりを迎えた! ヒトは過去! ワタクシ達こそが未来! 新たな歴史の一ページを紡ぐ時が来た! そうでしょう!?」
ここで僕は、ようやく理解する。
違和感だ。この男にずっと感じていた形容のし難い違和感。これはアレだ。人を選ぶ者特有の、上から見下ろす睥睨の眼差し。濃すぎる選民思想、偏った主義主張。自分達が全て正しくて、自分達が中心で、それ以外は路傍の石ころとすら認識しない、絶対強者の独断論理展開。
僕はコレを知っている。なのに中々出てこなかったのは、この男の態度があまりにも経験と違ったからだ。こんなにも低い姿勢で散々喋っておきながら、まさかこんなに捻じ曲がった性根をしてるだなんて思うわけないだろう。
つまりコイツは、
他にも沢山いる人類のことなんて一切考えていない。いや、それどころか目の前にいる僕達すら個人として認識しているか怪しい。
何が共存だ。耳障りの良い言葉を並べて、結局何一つこちらの事情を鑑みない。酷い思い違いだ。元を正せばこいつらは
――――だが一方で、コレが人類の岐路を左右しかねない会話なのも事実。
一兵士に過ぎない僕の一存で、背後にどれだけのものを率いているのか分からないこの男をどう扱うべきなのか、判断することはできない。
その権限を持つのは、この場にただ一人しかいない。
「……バーダックは、良い奴だった」
そして彼は、告げる。
「酒癖は悪いし、いびきはうるさかった。声はでけえし、つばは飛ばす。でも、凄く良い人だった。仲間のことを第一に考えていて、いつだって一番危ない役目を買って出る。自分の部隊や、他の隊員のことも、アイツは愛してた。家族だっていた。綺麗な奥さんと娘さんがいるんだ。最近、娘に彼氏が出来たことを憂いて、喜んでたよ。そんな普通の男で、尊敬すべき隊長で、友人で――――父親みたいな人だった」
「それはそれは。お悔やみ申し上げます」
「いらねえよ。お前は悔やまなくていい」
――――バチバチィッと。
その体表から、紫電が舞う。
能力の発動。
細い雷の線が幾重にも大気へと放出され、空気中の塵を燃やし火花を散らす。怒りを体現するかのような外観のままに、彼は口元の小型マイクへと決定的な命令を出した。
「発射」
「――――?」
直後、空より五〇〇を超える金属槍の群れが、レドラニスカへと降り注いだ。
僕達隊員は、全員が小型のインカムを用いて意思の疎通をとっている。
アイザック隊長はレドラニスカとの対話の際、後方部隊へと一つの指示を出していた。即ち、敵対した場合を想定しての長距離援護射撃の準備だ。これまでの会話は、後方部隊が僕達の位置情報を元にコロニー外より標準を合わるまでの時間稼ぎを兼ねていた。
放たれたのは対地遠隔掃射型兵器『パイルジャベリン』。金属を棒状に加工し先端を尖らせ、速度と貫通力に特化させた対群武装だ。端的に言えば、無数の鋭い槍を空から降らせる兵器である。音速に近い速度で大量に、原型すら残らないほど徹底的に。
本来はアンブラーの群れへと打ち込み一掃する用途に使われるソレは、音速を僅かに超える速度で対象区域を瞬時に串刺しにする。轟音と砂塵を拭き荒らし、カニ共の壁を抉りながら飛来する槍の群れ。レドラニスカは何が起こったかすら理解せぬまま、その身に絶死の攻撃を喰らったことだろう。
「大丈夫か?」
「はい、おかげさまで」
もちろん、そんな広域兵器を射出してしまっては至近距離にいた俺たちが無事で済むわけがない。
パイルジャベリンは対単体兵器ではないため、精度面はお粗末だ。けれどそれは対処してある。僕とエレノアはジャバルダンという男性の巨躯の下で、降り注ぐ槍の群れから身を隠していた。
彼もまた
その能力は肉体の硬質化。一時的にだが、ジャバルダンの体は圧倒的な耐久力を有することが出来る。パイルジャベリンは恐るべき貫通力を有する兵器だが、それでも彼の体の方が幾らか上回る。
降り注ぐ槍を背で受け終わると、彼は僕達を解放した。
「む……やっぱり痛いな。何度やっても背中がチクチクする」
そう零すジャバルダンに、呆れたようにアイザックが声をかける。
「チクチクで済むのはお前ぐらいだぜ、ジャバルダン」
「しかし、良かったのか? 殺してしまって」
「上に指示を仰ぐまでもねえよ。アレは邪悪だ。話し合う価値すらない。生け捕りにしたかったってんなら同意するがな」
「ふむ……まぁ、俺も気に喰わなかった。特にお前が間違ってるとは思わんよ」
身に降りかかった砂を払いながら立つと、隊長が冷めた目で槍の降り注いだ地点を見ていた。
さっきまであったテーブルも椅子も、跡形もなく消えていた。トランクは師匠が四つ全て回収したらしい。悍ましい形で加工されてしまったが、それでも〇六部隊の遺体だ。持ち帰るべきだろう。
「とにかく、コイツの死体を回収したらすぐコロニーの外に出るぞ。エレノア、頼む」
アイザック隊長は撤収の判断を下す。救出任務は不完全で終わり、人型アンブラーなんてものまで現れだした。さっきムカデみたいなアンブラーを呼んでいたことから、コロニー近辺にお仲間がいる可能性もある。すぐにでも離れたいのは当然だ。
さっさと退散すべく隊長はエレノアに能力使用の指示を出し、彼女はそれに答えようとした。
「はい、分かりまし―――――レイジ、危ないっ!」
「あ?」
名を呼ばれ、僕はエレノアの視線を追う。
――――パイルジャベリンの着弾によって、砂塵が舞っている。視界は悪い。だが僕の背後。高い身長を持った黒い人影が砂のカーテンの向こうで体を捻る。
振りぶって放たれる一撃。あまりにも長い腕。長い髪。裂けたような笑み。ギラリと発光する瞳。まずい。僕はその不意打ちをよけきることが出来ず――――辛うじて受けの姿勢を取れたのみだった。
直後、体が下から打ち上げられる。
「が――――ハッ――――」
コイツ、なんで生きてる!?
僕の背後から姿を現したのはレドラニスカだ。だがおかしい。間違いなく槍は当たっていた。奴の体にその先端が食い込む瞬間を見たのに、なぜ生きてる!? なぜ無傷なんだ!?
脳を疑問が次々に巡るが、どうすることも出来ない。これは一瞬の邂逅に過ぎない。やがて僕の脚は地面から離れ、肺から空気が吐き出され、体は浮遊感に包まれ――――文字通り、体ごと殴り飛ばされる。
空を吹っ飛ばされながら、僕はイヤホン越しの声を聞く。
『交渉決裂ということで、よろしい、ですよね?』
『――――こちらアルファ隊! 東西よりアンブラーの群れの接近を確認! 水棲型です!』
『こちらベータ隊! 同じく北西より昆虫型アンブラーの群れ! 対空武装を回してください!』
『ゼータ隊、コロニー外部で地中からの攻撃を受けている! 指示を!』
堰を切ったような報告の嵐。
その最後に、焦りを滲ませながらリーダーが叫んだ。
『各員通達――――交戦開始! 死ぬんじゃねえぞ!』
*
僕の身長は百八五センチメートル、体重は一一〇キログラムを超える。
コレを伝えると太っていると言われたりするが、むしろ体格としては瘦せ型に入る。重量の大部分は進化因子によるものだ。進化因子によって変性の進んだ部位は密度がバグる。
つまり、そんな「見かけの二倍程度には重い」僕の体を宙に浮かし、軽く五〇メートルほど吹っ飛ばしたレドラニスカの膂力は、更にバグってる。
不意打ちとはいえ人をピンポン玉みたいに跳ね飛ばせるパワーは驚異的の一言に尽きる。槍の雨に打たれてもピンピンしてる耐久力と、一発でノックアウトされかねない攻撃力。アンブラーを率いるリーダーに相応しいバケモノ度合いだ。
そう思考を巡らせながら、僕は瓦礫の山に埋もれた体をよじっていた。
コロニー内のどこぞのビルに殴り飛ばされたらしい。殴打と着地の衝撃自体は持ち前の耐久力と軍服のおかげで軽減できているが、砲弾並の勢いで突っ込んだためビル側が倒壊した。現在、瓦礫に生き埋め状態である。身動きが取れない。
非常にまずい。腕も足も延ばしきれないため自力の脱出が不可能。そして地中を移動するムカデのアンブラーが向こうの陣営にいるのは分かってる。襲われたら一貫の終わりだ。僕は周囲に耳を澄ませながら、救援が早く来ることを切に願っていた。
しかし時間切れらしい。
やがて生き埋めのこちらへと地中を掘り進んでくる、ブルトーザーみたいな激しい掘削音が聞こえてくる。死ぬ、コレは死ぬ! こんなつまらん死に方だけは嫌だ! マジで早く来てくれ!
「――――おーい、レイジー。聞こえるかー?」
「ジュノー! さっさと斬ってくれ!」
「お、そこか。頭下げてろよ」
直後、音もなく頭上の重量が掻き消える。
そのまま僕は体を伸ばし、瓦礫の山からすぐさま這い出る。それと同時に地中の音も間近に迫った。瓦礫を弾き飛ばしながら、一匹の大ムカデが姿を現す。「ジチチチチッ!!!」そいつはこちら目掛けて牙を剥き、突進してきて――――そのまま背後へと衝突していった。
狙いを誤ったのではない。大ムカデは突進の最中に絶命したのだ。
真っ二つに別たれた胴体が僕の眼前で血をまき散らし、勢いそのままにどこかで吹き飛んでいく。ビチャと青緑の体液が地を汚し、僕の隊服にも飛び散る。
「ふーっ、危ねえ危ねえ。大丈夫か?」
「マジで助かった。もうちょい綺麗に斬ってくれてたら百点だったよ」
「文句言うなよ。お前が通信でギャースカ叫んでたから飛んできてやったんだぜ」
僕を助けてくれたジュノーは、笑いながら右腕を下ろした。その腕はいつものプロテクターに覆われておらず、剥き出しの状態――――肘から先が闇より黒い漆黒へと変色を遂げた、彼にとってのありのままの姿で外気に晒されていた。
この右腕が、ジュノーの《特化機構》だ。
有するは絶対切断能力。彼の右腕は触れた対象を、その一切の性質を無視して切断する。鉄も岩も合金も、豆腐も野菜も肉も、アンブラーも人間も、彼の前では同じただのモノに過ぎない。ある程度の制約はあるが、連続した同一物体ならば問答無用で両断することが可能という馬鹿げた破壊能力を誇り、触れれば大体の敵は即死というのが彼の継承者としての最たる性能である。
だが、一応欠点もある。
能力の
つまり能力が暴発すると、握手した人間は腕を輪切りにされる。意図しておらずとも自身の体ですら綺麗に二分する危険性を持つ。生きているだけで触れるもの全てを傷つける、字面はカッコいいが不便なことこの上ないリスクを彼は常に負っている。
そのためジュノーは常にプロテクターで右腕を覆うことを義務付けられており、肉体接触のある活動に参加することができない。
利点に比べて欠点が小さいと俺は思っているのだが、当の本人はそれなりに不満なようだ。主に女性に
だが戦場に於いて、これほど頼りになる味方はいないだろう。
僕は周囲を警戒しながら、ジュノーへと尋ねる。
「戦況は?」
「各地で接敵してる。隊長が発射の合図を出したあたりで《探知機》にワラワラ湧いてきて、コロニーの外からも大群が押し寄せてきた。多分、合計で一〇〇〇に近い」
「多すぎんだろ……」
「悲報はまだあるぜ。奴ら、種類が入り乱れてる。俺が見た感じだとムカデ、クラゲ、コオロギ、カニ、あとはハチか? 五種は最低でもいる」
「……」
アンブラーは、アンブラー同士で争う性質を持つ。
奴らは別種のアンブラーとは互いに食い合う対立関係にあり、縄張りや食糧を巡って勝手に同士討ちをしてくれる。複数種のアンブラーと交戦になったら押し付けて逃げるのが常識になっているまである。
そんなアンブラーが、どうも喧嘩することなく打倒人間で意思統一されているらしい。当然だがアンブラーによって効きやすい兵装、効きにくい兵装があるため、こちらからすれば面倒なことこの上ない。
これもあのレドラニスカのせいだろう。奴はアンブラーを率いていると言っていた。つまりある種の
「後方部隊にはエレノアが向かった。〇七部隊の人達は各地で湧きだしたアンブラーを処理してる。師匠、ジャバルダンさん、マキナの三人はあの人型アンブラーと交戦中だ。俺は単独で遊撃役。取り合えずカニ型アンブラーの頭数を減らしにいくつもりだ」
「お前いつもハブられてんな」
「能力の性質上仕方ねえよ。俺だってソラリさんと一緒に戦いたいさ。ぼっちは辛い」
「ま、硬い敵にお前の相性が良いのもその通りだ。それで良いと思うぜ」
「で、だ。レイジはどうする? 隊長のところ戻るか?」
「…………」
「戦況はどこも悪いが、多分後方部隊が一番まずい。奇襲を喰らって足並みが乱れてる」
思考、する。
事前に行われた作戦会議で、僕はアイザック隊長の指揮下に置かれていた。特に変更は受けていないためそれは今も同じだ。だが乱戦になった現状、単独での戦闘能力を有する僕が定点に留まる価値は薄いと見える。
天秤をはかる。
どの戦場が一番まずい。どの戦場が一番近い。
イヤホンの周波数を切り替え、各地の戦闘での報告を聞く。アイザック隊長率いる三人で、あのレドラニスカというバケモノを御せるか? そもそもあいつが
――――僕は瞬時に、判断する。
「後方部隊に向かう。道中援護を頼む」
「あいよ」
ジュノーが歯を見せて笑う。あぁ、頼れる仲間だ。
僕の言葉の全てを信じ、従ってくれる、素晴らしい相棒。
「さぁ、行くぞ」
そして、戦闘が始まる。
さっきからずっと聞こえていた掘削音。壁をブチ破り、新たに三匹の大ムカデが飛び出してくる。赤褐色の表皮に、無数の牙を持つ口。長いヒゲを揺らしながら、その目は黄色に輝いていた。
進化因子は活性すると発光する性質を持つ。目が光るのはその証。どうやら敵は最初からトップギアらしい。体をくねらせながら、大ムカデは僕達へと襲い掛かる。
――――血液が加速する。
脳から臓へ。臓から四肢へ。意識が細部に宿る錯覚。全てを支配しきる感覚。
眼前へと迫る大きな牙を避けながら、僕は腰へと手を伸ばす。そこにあるのはアガルタ
斬る。
「ヂ……」
ムカデの体液が弧を描き、胴が遅れてズレ落ちる。
惚れ惚れするほどの切れ味だ。これこそ科学技術の結晶。ブレードは大ムカデの硬い頭部を容易く切り裂き、一刀の下に両断した。素材に微細な振動を続ける希少合金を大量に使い、反り返らせた流線形のフォルムはまさに造形美の極致。もしも武器が意志を持つならば、僕はコイツに愛の告白をしても良いと思う。
などと見ほれるのもまた数舜。袈裟切りにした刃を調整し、上へと振って戻す。バスッと心地の良い切れ味を感じながら、一匹目の体に隠れるようにして襲い掛かってきた二匹目の大ムカデを両断する。背後から地響き。見ればジュノーも一匹迎撃に成功したようだ。
ジュノーは軍服についた汚れを拭いながら、苦笑いした。
「お前、マジで長物持つと嬉しそうな顔するよな。怖いぞ」
「男の子の夢だからな。にしても念願のアガルタ式だぜ。今の断面見たか? マジで切れ味最高だぞこれ。隊長、何かの間違いで僕に譲ってくれないかな……」
「武器キチもそこまでいくと犯罪犯しそうでこええよ」
「お前の右腕も切れ味凄いよな。いつかコイツと
「アホ言え。それより、俺の右側に絶対立つなよ。仲間殺すのマジで勘弁だからな」
「分かってるさ」
言葉を交わしながら、僕達は駆ける。大ムカデの襲撃は尚も続く。地面と壁。そこらの瓦礫の山から次々に長細い体躯を躍らせ、地を這い、あらゆる角度でこちらを殺しにかかってくる。
ムカデ型アンブラーは硬い外皮と、細長い体格を活かした機敏な三次元的な動き、そして地面を進むという厄介な特性を持つ。もちろん例に漏れず巨大化済。《特化機構》は牙の場合が多い。
一度噛みつかれると死ぬまで離れないしつこさと、群れで活動するため必然的に対多の戦闘となり、牙に神経毒を持つ個体が多いため一撃喰らうと二撃目が必中となり生きたまま丸齧りされる。また、頭部を破壊すれば殺せるが、昆虫型アンブラーは絶命してもしばらく動き続ける。神経系が独立してるのだ。つまり面倒くさい。尤も、面倒でないアンブラーなどいないが。
だが、僕達の敵ではない。
「フッ!」
短く息を吐き、構える。
四方から襲い来るムカデの攻撃を、体を捻って躱す。耳元で鳴る風切り音。チリと脳髄が焼き付く錯覚に震えながら、弧を描くようにブレードを振るう。三体撃墜。真っ二つになった下半身がのたうちながら反射で動くが無視、どうせ放っとけば死ぬ。ブーツでムカデの死体を蹴飛ばしつつ、先へ進む。最高効率で。
――――二桁以上の部隊構成員は、その全員が進化因子に適応した
僕の能力は純粋な身体技能向上。『限界行使』と呼ばれている。
人の体機能には、
例えば活動限界。エネルギーをどれだけ摂取しようと、人は必ず睡眠を必要とする。例えば筋力限界。肉体を守るために、脳は体が出せる力をセーブする。記憶限界。エネルギー消費量を抑えるために、脳は要らない記憶を消していく。
こういった「カタログスペック上ではもっと数値を出せるはずだが、何らかの要因で上限が下げられている機能」のことを『心脳限界』と呼び、その多くは脳によって制限されていると推測されている。
僕にはその
僕の《特化機構》は脳だ。大脳皮質、神経回路、シナプスニューロンその他全てが変質を遂げており、材質からして未知の物体と置き換わっている。
人の脳はブラックボックスだ。機能の何割かは未使用でだとか、使われていない部位があるだとかと言われており、未だに解明されていない部分が多々ある。だが、モニタリング実験にて僕の脳の異常性は証明されていた。エネルギー消費量が常人の三倍以上。脳が酸素と栄養を過剰に喰らい、常に発熱しながら動き、稼働率がケタ外れに高い。その結果として、僕は人体機能の最大値を自分の意志で引き出すことが可能としている。
つまり僕は、睡眠時間を自分である程度コントロールし、鍛冶場の馬鹿力を常に使うことが可能であり、記憶力がとんでもなく優れている超人というわけだ。
人体カタログスペック最大値。それが青桐レイジの
欠点は四つ。
一つ。この能力に
二つ。燃費がゲロ悪い。カロリー消費量が常人の三倍近いのだ。
三つ。僕は『身体機能の上限マックスを引き出せる』のだが、それは人間の限界でしかない。確かに他人より力持ちだし、戦闘においては強化された神経系によって機敏に立ち回れるものの、訓練すれば誰でも近い動きは出来る。また、ジュノーの右腕のような圧倒的な戦闘力を持たない関係で火力は武器に便りきりであり、素手で硬い敵と対面すると逃げるしかなくなる。
そして一番大事なのが四つ目。結局、操縦桿は僕が握っているということだ。脳みそが特別性だからと言って、別に全知全能というわけでも天才ってわけでもない。広い視野も優れた身体機能も、記憶力も空間把握力も身体掌握能力も、使いこなせなければ意味がない。スーパーコンピューターを学者以外に持たせたところで宝の持ち腐れなのは当たり前。
以上四点が、僕という人間の欠点である。
まぁそれでも、文句はない。
この力はとても便利だ。単体の戦闘能力ならば明らかに突出しているし、一人でもチームでも常に最高のパフォーマンスを叩き出せる。僕は僕を、結構気に入っている。
――――そう、さながら機械のように。
次から次へと襲い来る大ムカデを処理していく。相手の攻撃は最小限の動きで避け、こちらの攻撃は最大効果を生む。これも僕の能力の恩恵に他ならない。身体完全把握。指先から皮膚から髪の毛一本一本に至るまで、僕は自分の全肉体を認知下に置いている。それ即ち、紙一重での回避を成功させ続け、会心の一撃を繰り出し続けるということに他ならず、そこにまぐれや運は存在しない。
常に僕は、最高の僕であり続けられる――――!
「ははッ!」
大ムカデの返り血は出来る限り避けているが、それでも避けきれないものは出てくる。赤と緑の入り混じった液体。白く濁った長い
弱者を踏み躙る快感。圧倒的な結果を生み出す優越感。
頭が熱を持っている。高揚が脳を犯す。
衝動を抑えることなく、目の前の殺戮動物共へと叩き付けていく。
そこにあるのは一方的な虐殺だ。
ムカデ共は確かに脅威だが、僕達との相性は悪い。奴らの奇襲性能は耳と感覚の鋭い僕の前には無意味だし、ブレードがあるから硬い外皮はスパスパ切られる。
ジュノーも回避に専念しさえすれば、一瞬触れただけでなます切りだ。
ご愁傷様。来世はもっと強いものに生まれるよう願っといてくれ。
そのまま、大ムカデをなぎ倒しつつビル街を走り抜ける。各地で煙が上がっていた。近場に加勢してもいいが、さっきから唯一無線が途絶えている後方部隊がやはり気になる。
「っと……そろそろだ。そこの道を右折すればコロニー出口で、直進すればカニと交戦してるガンマ隊がいる。そこの指揮系統は〇七のジヴリーズさんだから、無線は三番使え」
「了解、そこでお別れだな」
そして僕達は交差点を曲がろうとし――――。
「あら? 息のイイのがまだいたの」
新たな存在と、出会う。
女隊員が、空中で串刺しとなり絶命していた。心臓を一突きだ。長く細い甲殻質な腕は背まで貫通し、流して間もないであろう滑らかな血を滴らせていた。
「ソラリさん――――ッ!」
隣のジュノーが悲鳴を上げる。綺麗な紺色の長髪。白い肌の映える美貌。間違いない。胸を貫かれ死んでいる死体は、つい数十分前に別れた〇七部隊副官ソラリ=カズイクールその人に他ならない。
それを嘆く暇はない。
肉の詰まった袋を投げ捨てるようにして、そいつは腕を振るった。ソラリさんの死体はそばにあった瓦礫の山へと打ち付けられ、ガラガラと音を立てて崩れていく。
敵は嗜虐的な笑みを浮かべながら、標的を定めた瞳がこちらを向く。
「さっきからヤケに皆うるさいと思ったら、お前たちね。散々殺してくれちゃって」
そう声を発するのは、身長百六〇に満たないほどの小柄な女だった。いや、女と言っていいのかどうか。なにしろそいつの両腕は異形だ。二の腕の部分から先に、甲殻質の指が五本ついていた。わさわさと
それこそが彼女にとっての腕であり、手であり、指なのだろう。
顔や体格はヒトだが、致命的なまでに
明らかにコイツはアンブラーだ。
レドラニスカに続く、第二の人型アンブラーとの邂逅に戦慄が奔る。あんなのがもう一体。いや、この分だと十匹単位で生息してる可能性まである。いよいよもって洒落にならない。
「……これが人型アンブラーか。マジで人間なんだな」
右腕を構えながら、初の遭遇となるジュノーが額に汗を滲ませる。
その言葉に眉をひそめ、心外そうに女は吐き捨てた。
「お前たち猿と一緒にしないでくれる? 私達には
どうにも、コイツはレドラニスカに比べ随分と性格のきつい個体らしい。
感情や個体差があるところも人そっくりだ。そんなところ、似なくたっていいのに。
「敵で、良いんだよな?」
「お前バカなの? さっき捨てた女も聞いてきたけど、ヒトってヌルすぎでしょ……ったく、レドが小細工なんかするから勘違いしちゃってるじゃん! 敵よ敵! 私達が! お前らが散々殺しまくってきたアンブラーのリーダーだっての!」
ジュノーの問いかけに、女が癇癪気味に腕を振るった。ガザガザと音を立てて指が地面に掠り、抉れ、コンクリート片が飛んでいく。おいおい、地面撫でただけで抉るって、どういう理屈だよそれ。
僕は優先順位を変更する。〇七部隊の副官一人を屠っている以上、明らかに危険度が高い。ブレードを構え、相対しようとしたところ――――ジュノーが手で僕を制した。
「お前は先に行け。ここは俺がやる」
「……」
「やってみたかったわけじゃねえし、自殺する気もねえよ。不安そうな顔すんなって。こんなのが他にもいるなら後方部隊はもっとやべえ。お前は先に行くべきだ」
「……分かった」
確かにその提案は妥当だった。僕はそのままジュノーを置いていくことに決め、地を蹴る。
不安要素は二点。一つ、敵の戦力が未知数ということ。そして二つ、相手が人間の女に似た外見をしていること。
だが僕はジュノーを信頼しているし、実際勝算は高い。
瓦礫の山をチラリと見て、そのままコロニーの入口へと急いだ。
***
「止めないんだな」
一人残された少年は、友の背から視線を切ってそう問いかける。
足止めが必要かと思っていたが、敵はレイジを素通りさせた。こちらとしては構わないが意外でもある。
対して、女はつまらなそうな顔で応えた。
「お前達は全員、今日、ここで死ぬの。早いか遅いかの違いでしかないわよ」
「物騒なお姉さんだ。もっとハッピーに生きない?」
「チッ――――」
舌打ちをし、そのまま腕が振るわれる。受けるかどうかを一瞬考え、回避。足元のコンクリートの床が抉り取られ、数本の裂傷が奔る。
そのあまりの威力に舌を巻く。一度触れたらアウトだろう。服の上からでも抉られそうだ。
ジュノーは「相手が少し悪いな」と奥歯を噛んだ。
彼の右腕は必殺の一撃と呼んで差支えない性能を有するが、しかし対象に触れる必要がある。敵が腕を振り回してるところに無防備に手を差し出しても効果を発揮できないどころか、むしろこちらの腕がオシャカにされてしまうだろう。
つまりはリーチの差。
こちらの武器が活かしきれないマッチアップであることを彼は悟る。
そんな彼を差し置いて、女は眉間にしわを寄せながら質問をしてきた。
「ねぇ、あんたらってなんでそんなヌルいの?」
「ん?」
「さっきの女もそう。私を見るなり仲間を逃がして、ひたすら話を振って時間稼ぎしてお前もよ。仲間殺した相手を前に、武器も取り出さず喋りかけるって。どいつもこいつも状況理解してんの?」
ギリリと。
奥歯を噛む音が、ここまで聞こえる。苛立ち。怒り。憤慨。心底憎らしいと言わんばかりに歪められた表情は明らかな敵意に満ちており、鋭い眼光で射貫いてくる。
「敵よ。こっちは殺しに来てんの。無抵抗で殺されるのが好みなの?」
「……」
女の言葉に、ジュノーはある意味では納得してしまった。
先へ行った友の顔を思い出す。柄にもなく俺を心配してた。可笑しな話だ。付き合いは長く、それなりに危ない任務だって何度も一緒にこなしてきた間柄なのに、俺を心配? 確かに非常事態で、敵は未知数ではあるが、アイツは俺の右腕を知っている。負ける心配などするはずがない。
だから、青桐レイジがジュノー=ジャルディーノを慮る理由は、ソレなのだ。
そんなことに、敵から言われるまで気付かなかった己を恥じる。あぁ全く、恥ずかしいことこの上ない。自分の甘さに嫌気がさす。
――――だからこそ。
さっきのように口をついた軽い言葉ではなく、きちんと自分の決めた言葉を、彼は使う。
「随分とトゲトゲしてるんだな。レドラニスカってやつはもうちょい友好的だった気がするんだが。アレが言うには、俺もあんたも一緒の『選ばれし者』なんだろ?」
「だから一緒にするなって言ってるでしょ。レドは変わり者よ。あのふざけた提案が総意だと思わないで。お前達のような下等生物と共存なんて、私は死んでもお断り」
「……一枚岩じゃなく、過激派もいる、と」
「敵の心配してる場合? 安心していいわよ。交渉が決裂してくれたから、こっちは猿狩りで意志統一出来てるわ。本当、人間ってバカね。黙って頷いとけば命だけは助けてあげたのに」
お喋りは終わりらしい。赤褐色の瞳は好戦的に輝いて、獲物を狙う目つきをしていた。こちらも左腕を右腕にかざす。汗が頬を伝う。あぁ、こんなに暑いのに、背筋が凍りそうだ。
――――来るッ!
ずざざざザッ。指同士がこすれ合いながら殺到する。見た目からある程度推測していたが、この甲殻質な指は伸縮するらしい。伸びた
「へぇ! やるじゃない!」
さっきまでのつまらないものを見るような顔が一転、女は目を輝かせて破顔した。
闘争の愉悦。白い歯を見せながら、続く攻撃へと身を躍らせる。
「これはどう!?」
女の指の一本が瓦礫を掴み上げ、こちらへと投擲を行う。嫌なワンアクション。左手でそれを払いのけるが、勿論こんなもの囮に過ぎない。間を待たずにまた腕の一撃が迫り、同じく地面を転がることで回避する。
「そらそらそらそらァッ!」
「うお――――」
異形の両腕が唸りを上げる。複数の指による中距離攻撃の連続。掠るとコンクリートですら抉り取り、直撃すれば人体に穴が開くときた。ひたすら回避に専念するしかなく、無様に地面を転がり、跳び退いて、機を伺う。「逃げるだけ? この腰抜け!」腕を振り回しながら飛びかかってくる相手より、ひたすら距離を取る。
両腕の大振りによる単調な攻撃。
そう思っていたジュノーは、認識が間違っていることをすぐ理解する。時たま
あれほどの破壊力を持つ腕を持っているのにこの抜け目のなさ。
賢い。少なくとも、そこらのアンブラーとの戦闘よりもよっぽどやり辛い。
――――だが、勝機はある。
つまり、そう――――相手は自分と距離を詰めなければならない。
女は慢心している。当然だ。止まることのない攻めの一手。完全に構図は狩る側と狩られる側で、無様に地を転がる獲物を追い詰める気分に酔うのは当たり前。やがて狩人は、攻撃を当てるための工夫を凝らす。兎の余裕を潰すために、距離を詰める。
―――あと一歩分、こっちへ来い。
ジュノーは今、武装を持たない。どこぞで救援を求めた友のために出来る限り身軽な状態で駆けだしたため、銃器は愚かナイフすらも置いてきていた。あるのは右腕一本だけ。故に、中距離からの連続的な暴力の嵐に対して、射程の不利の一切を覆せない劣勢にある。
だが、距離をあちらから縮めてくれるなら話は別だ。
――――入った。
一歩で迫れる距離へと、敵が体を動かした。
敵が近付いたことにより、見てから躱す
右耳を鞭のようにしなる指の群れが掠る。脅威へと突撃していく足にストップをかける本能。無視しろ。ここで決める。
腕を振り下ろした体勢。生まれる数舜の隙。
この機を逃さず、ジュノーは敵に向かって右腕を伸ばし、
「ッ!?」
脳の絶叫。先ほどまでとは比にならない悪寒が身を犯す。腕を思考ではなく反射で引き戻す。
直後、ドズッと。
鋭い杭の指が一本、眼前の地面を食い破って現れた。まるで未来の心臓の位置を貫くように。
――――あのまま敵の体に触れていたら、間違いなく貫かれて死んでいた。
何かが少しズレていれば、今の俺は生きていない。その事実が喉を鳴らす。
「勘が良いのね」
手元に戻した指を舐めながら、女は至極愉しそうに言った。
上手くいったと。そんな、会心のイタズラが成功したかのような嘲笑だ。
「……知ってたのか」
「当然。お前達がここに来るまでにどれだけ同胞を殺したと思ってるの? その腕、随分と綺麗にモノを切れるのね」
やっぱり知られていたのだ。でなければ道理が合わない。こちらに分からないように距離を詰め、こちらに分からないように隙を見せ、一度も見せたことのない地面からの奇襲で待つなど、この右腕の性能やそれを中心とした戦法を知らなければするはずがないのだから。
――――こいつはマズい。
初めての経験だ。なにせアンブラーはこちらの右手など警戒しない。奴らも丸っきりバカではないので「あいつに近付くとすぐ仲間が死ぬな」ぐらいには学習し警戒されたりもするが、所詮その程度。一撃必殺の切断能力だとは夢にも思わないだろう。事実、ジュノーは対単体戦闘において苦労をしたことがない。戦場においては神の如き力だった。
つまりそれを理解し、逆手に取ってくるほどに、目の前の敵は狡猾。
アンブラーとは一線を画す強敵。認識の間違いを即座に正すが、しかし結果は既に出た後だ。
今ので一撃、貰ってしまっていた。
「っ――――」
「痛いでしょう? ねぇ、耳から溶かされるってどんな気分?」
敵の攻撃に掠った右耳が千切れ、断面は今も悲鳴をあげていた。傷口が、熱い。
首筋を血が流れていく。じゅうじゅうという音を聞きながら、奥歯を噛む。あの両腕から伸びる指こそが敵の《特化機構》で、能力は毒……いや、溶解液ってところか。肉が焼かれる激痛。地面がやけに綺麗に抉れると思っていたが、直前に溶かしていたのだろう。コンクリートもタンパク質も溶かすことから強酸、もしくは二種以上の溶解液を使い分けられると予想。息切れやガス欠の様子も、ない。
あぁ、最悪だ。ドジった。
「……あんた、強いな」
「何? 命乞い? おだてたって聞いてあげないわよ」
「いや、素直に感心した。賢いし、俺よりよっぽど場慣れしてる。認めるよ。確かにナメてた」
「遺言は終わり? じゃ、さっきの女みたいに串刺しで殺してアゲル」
ソラリさんと一緒か。それは良いかもな。この敵だって女の子みたいだし、意外と悪くない死に方なんじゃねえか。殺されるなら断然女の子だろうし。でも、一点だけ間違ってる。
ソラリさんはまだ死んでいない。
と言うより、死なない。
「――――え?」
そんな間抜けな声を挙げて、圧倒的に優勢だったはずの彼女は膝から崩れ落ちた。
痛い痛い痛いイタイ、イタイーーーー! 心臓の位置。自分の胸元から伸びる銀鋼の刃を見て、彼女は驚愕する。背後、から、刺された? 奇襲? おかしい。この区域は仲間が包囲していて、誰か来たなら絶対私が分かるはず。
……じゃあ一体、誰に?
「よく、も、容赦なく、ぶっ、っっ刺してくれたな!」
背後からは、ありとあらゆる怨嗟を込めた復讐者の声。
聞き覚えがある。だって、さっき殺した。私が殺した。胸を一刺しにして、心臓が止まったのを確認して、それで投げ捨てたのに、
「おま、え……なんで生きてる……!」
「第一声はッ、ごめんなさいだろうがッ!!!!!」
「あ、ぐッゥ……」
ぎゃりと刺さったまま回される凶器。臓器が血を吹き零す。嘘、嘘だ。必死に力を振り絞って動こうとするが、体が動かない。口の中が熱い。気泡を含んだ血液が溢れかえってきて、思わず嘔吐する。私が、こんな、こんなところで。
「あ」
見れば、そこには右腕を構える下等生物の姿。
その右手を彼女は知っている。原理も理屈も理解していないが、もたらされる現象は報告されていた。切断。大ムカデのアンブラー、その硬い表皮と分厚い胴ですら一瞬で両断する訳の分からない代物。
「――――うそ」
「……」
両断。
女性の人型アンブラーは、脳から股まで一直線に裂かれる。
ジュノーの右腕が誇る絶対切断能力。それは一瞬にして目の前の敵を絶命へと導いた。死体がふらりと揺れ、ばくりと割れて地面へと落ちる。
――――背後からソラリが釘付けにし、ジュノーが切断する。
その囮役とトドメ役とを同時にこなした彼は、順当に戦闘に勝利した。
「ご、ふ……助かったぞ、ジュノー」
「……こっちの台詞ですよソラリさん。それより、大丈夫ですか?」
「ん? あぁ……お前が見るのは初めてか。みっともないところを見られたな。大丈夫だよ」
ジュノーの視線の先には、完全に生命活動の全てが停止していたはずのソラリの姿があった。軍服の胸のあたりには今も穴が空いているが、しかし傷は塞がっている。彼女は口の中にたまっていた血を吐き出すと、体の調子を確かめるように首をゴキリと鳴らした。
《特化機構》は心臓、能力は『完全治癒』。それがソラリの持つ
だが、流石に死んで生き返る芸当は彼女にしかできない。
ソラリは死なない。
厳密に言えば、傷の治りや細胞分裂の速度が恐ろしく速いため、殺すには並々ならぬ労力を必要とする。心臓への外傷はもちろん、出血死はしないし四肢を失っても生えてくる。ビックリ人間ショーがあるとするならば、種も仕掛けもなしにギロチンマジックを行えるのが彼女の特技だ。
ただ、本人はこの能力をあまり好きではない。
死ぬとそれこそ死ぬほど痛いのもあるが、何より死んだ時の顔を見られるのが嫌いなのだった。
「ん……む、お前耳を怪我したのか。頭部付近の出血はまずいぞ」
「っとと……多分、酸か何かだと思うんすけど、触って大丈夫っすかね?」
「浸食性のものじゃないから、溶解は
身を以ってその攻撃を受けたであろうソラリからそう言われ、ジュノーは何とも言えない表情になった。そのまま止血をしつつ、地面へと腰を下ろす。みっともない。女の子の前で良いとこ見せようとしてこれだ。まぁ、予定通り時間稼ぎは出来たので及第点としよう。
ソラリの能力をジュノーは勿論知っていた。
彼が最初、ソラリの死体を見て声を挙げたのは単純な心配に過ぎない。レイジもそれに気付いたからジュノー一人に任せたのだ。この戦場は最初から二対一であり、ジュノーの右腕を当てる隙を、やがて起き上がってくるであろうソラリが生み出すだけだった。結果として、右耳が持っていかれてしまう結果になったが。
……それにしても、血を失いすぎたようだ。
ふらつく自分を置いて、ソラリは早速次の戦場へと駆けて行った。
彼女は部隊の副官だ。この場が落ち着いた以上、やるべきことは山ほどある。俺も早く起き上がって働かなきゃな。そう思いながら、彼は血が止まり皮膚が再生するのを待つ。
――――隣には、今しがた倒した自分が殺した敵の死体があって。
「……嫌な気分だ」
彼女を殺す時、ジュノーの心には些かの躊躇いもなかった。
ソラリさんが生んでくれた大事な隙だったし、自分も傷ついて余裕がなかった。それに、殺すべきだった。ここで殺さなきゃ誰かが死ぬ。そのぐらいには危険な生物であると、そう兵士の心が判断を下したのだから、右腕を使うことに一瞬も迷いはしなかった。
……けれど、ジュノー=ジャルディーノという少年の心は。
彼女の死体。女性らしい丸みを帯びた体つきと、幼さの残る顔立ち。元が動物だからだろうか。甲殻質な鱗のようなものが体表を覆っているが、故に衣服は着ておらず、肌面積は広くて全裸に近い格好だ。それなりに立派な胸もある。どこからどう見ても少女だった。
青桐レイジの心配は、コレだったのだろう。
ジュノーが女に甘いから手を抜くとか、手加減するだとか。そんな心配ではない。いくら自分が女好きだからと言って流石にソレは見境がなさすぎる。
彼が心配したのは根本的なところ。即ち、『人間に似た見た目の敵を殺せるのか』。
結果として、ジュノーは殺せた。だが終わってみれば気持ちが悪い。自分という存在に濁った何かが混ざったような、そんな感覚がする。少なくとも良い気分とは言えなかった。
「……やってらんねえな」
ジュノーはどこかやりきれない気持ちを抱えながら、静かに再起を待つ。
***
エレノア=パンクリットは、最善を尽くした。
少なくとも、彼女を責める者は一人もいないだろう。
レドラニスカが青桐レイジを殴り飛ばした時、彼女には二つの選択肢があった。即ち、自身の能力を使って彼を助けに行くか、その場にいたアイザック隊長の命令を待つか。
正しいのは後者。だが、しかし。嫌な予感。再燃するトラウマ。視野が狭まる感覚。彼女は衝動に駆られ、たった一人を助けるためだけに能力を開放しそうになる。
迷いは一瞬。
しかしその瞬間、イヤホンを通して各地の戦況が更新される。
あまりにも多すぎる情報量にパンクした彼女は、解放しかけた能力に待ったをかけ、結果として踏みとどまった。個人的にはとても、とても助けに行きたかったが、なんとか堪えた。
「エレノア、お前は後方部隊へ向かえ! ここは俺とジャバルダンとで対応する!』
レドラニスカを前にして、アイザックはそうエレノアへと告げた。その通りだ。現状の配置で一番手薄であり、かつ戦略上最も大切と思われる場所。そこに最速で向かえるのは彼女以外にいない。即座に命令に従い、エレノアは移動を開始する。
コロニー外で待機している後方部隊の元まで、およそ十キロ。
その道のりを、彼女は数分足らずで移動した。ある程度のタイムラグこそあったものの、各地で戦闘が始まってから五分近くで彼女は要地へと到着したのだ。
それでも、遅かった。
「――――ッ」
彼女が来た時にはもう、後方部隊は壊滅していた。
アリが、いた。昆虫型アンブラーだ。生理的嫌悪を煽る昆虫特有の顔を持ち、鈍色に光る丸みを帯びた体、そこから伸びる触覚と長い脚は規則正しく不気味に動く。人の二倍ほどの大きさのそれが、軽く見積もって五〇匹以上。後方部隊の隊員達が乗っていたであろう大型駆動車にたかっていた。
車両は何匹ものアリによって強引にひっくり返され、武装が積んであったであろうコンテナは蓋が壊され中が散らかっている。まるで幼児の遊び場のように滅茶苦茶にされていた。
そして奴らは、箱の中にいる人間を、踊り食いしていた。
アリ共は口から、かつて人の肉体であったものをボロボロと零しながら、光を飲み込む黒い複眼で何かを見つめていた。無表情で。無感情に。ただ、そうするのが当然といった顔つきで、動物性タンパク質を咀嚼する。
――――あぁ、もう誰の悲鳴も聞こえない。
たった五分。この五分で一体、どれだけの人間が、生きたまま、喰われたと。
「ジュース……スープ……どれがいいか……」
そんな中、人の声が聞こえ、彼女は視線を巡らせる。もしかしたらまだ生きてる人がいると。そんな期待を込めて。
だが、目線の先にいたのはヒトではなかった。
巨人だ。身長五メートルを超える巨漢。浅白い毛髪と瞳の色を持つ、野蛮人のような風体の大男だった。剥き出しになった肉体は全身が岩のようにゴツゴツとしており、肥大化した筋肉は荒々しく、暴力的な視覚圧を見る者に与える。
その岩男はベリベリと。まるで包装紙を剥がすかのような気軽さでコンテナの装甲を剥がした。
そして中に入っていた武装を地面にぶちまけると、空いていた片方の腕を持ち上げ、何かをコンテナの空き箱へと代わりに入れ始めた。アレは何だ。目を凝らす。黒と肌色の入り混じった、ナニカだ。赤色も混ざっている。指からはみ出ているのは、人形の腕の、ようなもの、で。
「――――――――」
やめて、と。誰かが言った気がした。
岩男は手に握っていた何かを入れ終わると、両手でコンテナを持ち上げ、上下に振る。
ミックス、ミックス。シャカシャカシャカシャカ。時折どろりと何かが漏れるが気にしない。物凄い勢いで力任せに、岩男はその作業に従事する。箱の中身をぐちゃぐちゃにするために。やがて男は満足がいったのか動きを止め、コンテナを高く持ち上げ。
あーんと。口を大きく開く。
コンテナからエキタイが流れる。どろりとしたソレは重力に従って流れ出し、数秒足らずで岩男の口の中へと納まった。どこかパキ、ペキという音を立てつつ男は咀嚼し、一言。
「むう……イマイチだな……」
――――頭が、沸騰した。
そうだ。いかにアンブラーから奇襲を受けたからといって、後方部隊はやわじゃない。彼らも軍人。武具の扱いには長けているし、重火器もここにはある。戦闘にはなるのだ。それに、大型駆動車の装甲は厚い。アリはアンブラーとしては小型に分類されており、それが幾ら集まったところであの装甲板を貫けるはずがない。
つまりアンブラーの中に一匹。否、一人、いたのだ。
アリ共では壊せないはずの装甲を、容易くひん剥いてしまえるバケモノが。
――――あぁ、お前か。私の仲間をこんなにしてくれたのは。
おそらく後方部隊は、巨大アリの襲撃に対応しようとした。けれどあのデカブツのせいで、抵抗できなかったのだ。逃げるにしても足を潰され、身を守れるはずの
彼らがどんな気持ちで最期を迎えたのか。
少女は一瞬だけ、目を瞑って死者を思い――――そして、決意に満ちた目を見開いた。
「お前は私が殺す――――!」
空を切り裂く一筋の漆黒。
ソラリ=パンクリットはその
脚に沿って取り付けていた武装を開放。ジャキジャキと音を立て、折りたたまれていた装填棒が本来の形を取る。テニスラケットのような見た目のソレは簡易爆撃武装『ザケット』と呼ばれている。小型の焼夷弾を棒へと装填し、何かにぶつけることによって炸裂させる片手用兵装。全五発。その一発が並のアンブラーなら爆発四散するほどの火力を持つ殺傷兵器を手に持って、彼女は空を飛翔する。
衝撃、爆音。
「ぐァ!?」
高速で空を駆けながら、彼女は岩男の巨躯へと装填棒を叩き付ける。岩男は突然の攻撃に驚き手を振り回すが、何もいない。何も見えない。ただ攻撃されているのだという事実にしか気づけないまま、五発の焼夷弾その全てを生身の体で受け。
ズズン、と。大きな音を立て、巨体は地へと崩れ落ちる。
「――――あ、なるほどなァ」
地面に倒れ伏した岩男は、仰向けになった視界にようやく、攻撃手の姿を確認する。
そこにいたのは、空を翔ぶ一羽の黒鳥だった。
天高く舞い上がる漆黒の翼。日の光を受け艶やかに輝く、上下二対の羽。
生物学上、翼手類と分類されるものだけが持つことを許される空の権利を、エレノア=パンクリットは我が物顔で行使する。その背には自由を象徴する大きな黒翼。それこそが彼女の《特化機構》。『不侵飛翔』と呼ばれるに至る、人類唯一の飛行能力が彼女の真価。
「ようやくアタリだァアアアアアアアアア!!!」
岩男は歓喜に打ち震え、頭上の少女へと武器を振るった。地面に落ちていた彼の武器。それは刃渡り二メートルを超す長大な包丁だ。刃先はボロボロで、手入れもされていないのか赤茶けた汚れにまみれている。とてもじゃないが切断用とは言い難い。だが巨人が巨大な長物を振り回せば、それは小人にとって十分な脅威となる。
「――――」
けれど、彼女には届かない。
岩男の視界にいたはずの黒鳥はいつの間にか姿を消していた。包丁を空振り、岩男は視線を移し――――爆音。「グゥ、オッ!!!!」攻撃された左脇腹。すぐさま彼は、包丁を振り直し――――爆音。「ッッッ!!!!」今度は右側頭部で、熱と破片の嵐が炸裂する。
なるほど……なるほどなるほど!
「ふ、ふはははははァアッ!!!!
岩男は衝撃に揺らぎながら、大気を揺るがすほどの大声で哄笑をあげた。
これが笑わずにいられるか!
動体視力には中々の自信がある我が、動きを捉えることすら出来ない速さ! 体が強者を認識する! 喉が渇き、涎が溢れてくる!
「アタリだ! 大アタリだ! 凡百のハズレばかりで飽いていた我に、神が賜した幸運!
「いいえ、ハズレよ。あんたはここで死ぬの」
「やってみろ! 小さき者よォォオオオオ!」
再び、包丁が振るわれ、少女が飛翔を開始する。
単純な構図。巨人が武器を振り回し、黒鳥はそれを躱して攻撃する。力と速度。彼らは自身の得意とする戦術に特化している。ただ純粋に、己の性能を以って目の前の敵を打倒しにかかる。
故に、勝敗を分けるのは思考の差に他ならない。
――――エレノアの翼には、制限がある。
彼女の能力は翼による空中飛行。最大で亜音速での飛翔を可能とする彼女の能力に、厳密には制限などない。未元物質によって構成された翼はどのような速度の飛行にも耐える耐久性を持つ。燃費もかなり良いため、ガス欠の心配も薄い。
だが、体が速度に耐えられない。超人に近い
戦闘使用ともなれば連続飛行は持って二分。それが彼女の翼の誓約だった。
そしてもう一つ。彼女は個人での突出した攻撃能力を持たない。
速度を活かしたパンチやキックは使えない。理由は同上、高速で物体が衝突すればどちらも破壊されるのがこの世の
焼夷弾による攻撃が、まるで効いていない。
岩男の表皮には掠り傷しかついていない。頭部や首筋といった効果の見込める部位へも何度か炸裂させているものの、目立った負傷なし。眼球や喉にぶち込むことも考えたが、一度でも捉えられると死ぬ公算が高い。口元には容易に近付けない。
幸いにも、こちらが武器に困ることはなかった。地面には奴らがコンテナから放り出してくれたあらゆる武器が転がっている。アリ共の包囲網を潜り抜けながら、エレノアは効果のある武装を探していく。
そしてこれらのエレノアの事情を、この岩男は理解していた。
「一度に連続で飛べる時間は数分、休憩に二十秒、といったところか?」
「――――」
「翼は飛ぶための道具、攻撃は武器便り。己、本体の腕っぷしは強くないな? 先ほどからちょこまかと動いておるのは、我の肉体に通用する獲物を探してるのか? ふはッ! いいぞ! 工夫し、努力し、精進しろ! それが我の糧となる! 己との闘争を超えた後、我はまた一段と優れた戦士になれる!」
「チッ……」
ガタイが良いだけの脳筋かと思えば、頭が回る。尤も、それを口に出し自分を誇示するあたりただ馬鹿なのかもしれないが、うっとおしいことに変わりない。
二度目の小休止。彼女は高度を維持しつつ、体を休ませながら、眼下の巨人を視界に収める。
「美しい羽だ! 人の戦士よ、名を何という!?」
「クソッたれに教えるものなんて一つもないわ」
「むぅ、興の乗らぬ鳥だ! せっかくの戦士の邂逅!
「随分と余裕なのね。そんなにお喋りが好き?」
「あぁそうとも! この身を満たす高揚! 生死を賭ける緊張! 互いの一挙一動で未来が変わる! 成長の実感だ! 戦場のあまねく全ては我が人生の糧となる! なればこそ! 自身がこれから討ち果たす敵が、何を考え何を思いどう戦っているのか、知りたいと思うのは武人として当然ではないか!?」
「戦いが楽しいのね、お前」
「あァ愉しいとも! お前もそうではないのか!? 人の戦士よ!」
その言葉は、エレノアの理解の外にある。
戦いを楽しいだなんて思ったことなど、一度もない。ずっと嫌いだ。彼女は目の前の岩男に、自身の部隊にいるバカの姿を重ねる。アイツもそうだ。戦闘バカという生き物はどんな所にもいるらしい。私にはきっと、一生かかっても理解できないのだろう。
故に彼女は、会話を拒んだ。
「バカは死んで治しなさい、クソ野郎」
「さぁ魅せてくれ! お前という存在の全力を!」
言って、岩男は近場にあった大型駆動車の一つに手を延ばし、投げた。
やっぱりそうくるか。モノを投げるという原初の遠距離攻撃は、しかし想定内だ。エレノアは再度息を吸い込み、回避行動に移る。
岩男の動きは、鈍重に見えてとても速い。遠くから見ればスローだがそれは
――――だからこそ、彼女は唇を噛む。
この場には、彼らが支部から持ってきていた武装のほぼ全てが揃っている。選り取り見取りと言って良い。ここにとある隊員がいたら狂喜で踊り狂っているほどの品揃えだ。確かに大男を打倒するための武器は存在する。
しかし、武器とは状況を選ぶものである。
特に高速で飛行することを余儀なくされている今のエレノアにとって、現状取れる選択肢はそう多くない。
まず、ミサイルポッドや機関銃の類が候補から外れる。発射装置は全てひっくり返されており、そもそも一人で整備し標準を定めて撃つ時間が作れない。また、小火器や毒物もアウト。火力が低くては傷をつけられず、毒は既に何種類か試しているが図体がデカいため致死量に届いていない。刃物全般も不可。飛んだまま切りかかると刃か腕の方が折れるし、そもそもエレノアは剣士ではない。硬物を刃物で切るのは技術を必要とする行為である。
――――マテリアルライフルか、コイルガンによる狙撃しかない。
火力の高い大口径の銃器かつ、敵の手の届かない射程からの攻撃であり、彼女にも扱える武装。それらの条件を満たすのは狙撃しかない。銃身三メートルを超す大型の作戦兵器が、確か備品にあったはず。
彼女は砂にまみれたそれらを探しだし、ほどなくして発見に至る。
「ふはッ!」
そうしてエレノアが各地を翔び回っている最中、岩男は捉えきれない敵に対し、心の中で喝采の拍手を送っていた。
エレノアの高速機動は、三つの結果を生んでいた。
まず岩男との戦闘。効果は薄いものの、一番効果的とされる焼夷弾による爆撃は継続している。二つ、アリの掃討。岩男の耐久力を察するや否や、彼女はこちらを主軸に移していた。大量にいたはずのアリは気付けば数を大幅に減らしている。そして三つ。先ほどから武装の種類が切り替わってきた。未だに効果はないものの、どうにもここには人間の武具が多いらしい。やがて我の喉に届き得る獲物を持ち出される可能性は大いにある。
――――あぁ、なんと!
「大アタリだァ! 我が糧として相応しいぞ、人の戦士よ!」
アンブラーの中でも一段抜けた巨躯と、元の種族が持っていた特性による頑強極まりない肉体。
それらを総動員してもしても全く戦闘にならず、始終翻弄され続け、気付けばジリジリと戦況が傾いている。
大男はその事実を悔やむのではなく悦んだ。姿の見えない敵に向け、彼は宣誓する。
「凡百のハズレ肉ではない! お前は我の料理の腕を振るうに値する、極上の戦士だ! あぁ、ようやっと美味い飯にありつける!」
「――――なんですって」
岩男のその呟きに、三度目となる邂逅が果たされる。
三度目の小休止。エレノアは体が限界を訴えるのを感じ取り、高度を取って停空に入る。
「ようやく出てきたな。奇怪な長物をぶら下げおって、それが我を殺し得る兵器か?」
「それより答えて。お前、人を食うのね?」
エレノアは口を開く。本来ならば話したくもないが、度重なる飛翔で彼女も消耗が激しい。時間を稼げるのであれば稼ぎたい。
そして何より、問いたださねばならぬ発言を、コイツはしていた。
岩男は会話が成立するのが嬉しいのか、口を大きく開いて答える。
「当たり前だろう。我らはアンブラー、人は極上の食餌よ!」
「……料理って、何?」
「なんと、知らんのか? 元はお前達人間の文化とやらであろう?」
良いか、教えてやろう、と。岩男はエレノアの質問を歓迎した。
「肉はな、調理によってその味を変えるのだ! 焼き、炙り、潰し、混ぜる! そうすることで何倍にも味が増す! 我は戦士だが、同時に美食を探求する料理人でもある! 特に人間料理は一番得意と言ってもいい!」
「……」
「しかし我が料理してやっても、クズ肉は所詮クズ肉でしかない。特にそこらに転がっている肉は最悪だ。付け合わせにもならん。先ほどジュースにしてみたが、マズくて飲めたもんじゃない……だが、お前は良いぞ
「はっ……あれが、料理ね」
嘲るエレノアに対し、岩男は自信を持ってその手にある料理包丁を肩に担ぐ。
「
大男は凶作を嘆く農家のように、手を額に当てて悲しみを表現していた。
そして彼の言葉は、そのまま人類の悲しみも表していた。
――――
ヒトは成長すると、誰もが適性検査を受ける。そして適性のある者は
けれど、軍の大部分の人間は
適合率〇.〇〇〇二%以下。それが人類と
作戦についてきている部隊員の内、三桁部隊は補給部隊である。そして、その構成員は
エレノアは彼らを尊敬している。
自分の何倍の勇気を持って戦場に足を踏み入れているのか、それを考えるだけで頭が下がる思いになる。理不尽な化物に容赦なく蹂躙されるかもしれない未来を知っていて、それでも人類のために戦う彼らを憧憬すらしている。
その、人の勇気と呼ぶべきものを、岩男は一笑に付す。
「惰弱な生命は戦の邪魔よ。それもヒトの戦術の一つかもしれんが、興が冷めるわ」
「……惰弱なんかじゃないわ」
もとより、言葉が通じるとは思っていない。
休憩は終わりだ。軋む体に鞭を打ち、彼女は翼を大きく広げる。
その気配を悟ったのだろう。岩男はまた地面へと手を延ばし、何かを投げようとする。休憩が終わるまで待つ悠長さを悔いろ。彼女はそう思いながら、また回避しようとして、
「ふ――――ッ!」
「!?」
投擲。黒い何かが飛んでくる。その行動自体は予想していたため回避行動は既にとっていた。
しかし投擲されたモノが、予想の一歩上を行く。
巨アリだ。
奴は仲間を投擲物として使った。マズい。ぐるんぐるんと回転しながら飛んでくるソレ。もちろん回避は成功する。何が飛んできても良いように速度はとってある。
しかし、蟻の口から四方八方へと放射される酸の雨は、避けられない――――!
「キャ――――ッ!?」
「三度目だ。我も工夫ぐらいするぞ」
半透明な生暖かい液体を頭からかぶる。その正体は蟻酸だ。刺激臭と、遅れてやってくるジワリとした熱さ。全身にモロに酸を浴びる。熱い、熱い。肌が灼ける痛み。制御を取れなくなった翼を何とか操作しようとするが、だめだ。痛くって全然集中できない。落下速度すら中途半端なままに、黒鳥は地面へと墜落する。
「う…………」
歯を食いしばり、砂にまみれた体を引きずる。重症ではない、まだ動ける。
だが、肉体の損耗がデカすぎた。
――――狙撃銃は、その発射に準備を必要とする。
一撃でどんなアンブラーにもダメージを与えられる狙撃銃は、しかし当然のごとく弾丸を当てる必要性がある。走りながら撃てるアサルトライフルとは違い狙撃銃とは精密動作だ。本来ならば遠い位置まで翔んで離れ、そこで狙撃準備を行う予定であった。しかしその手はもう使えない。この傷ついた体は高速飛行に耐えられない。距離を取ること自体がもう、出来なくなっていた。
「いッ……ヅ……」
「良い闘いだった。終わりはなんとも拍子抜けだが、お前のその羽は我に刺激を与えてくれた。生を実感した」
「クソ……野郎、が……」
「恐れなくていい。一流の料理人たる我は武を尊ぶ。勇敢な己には相応しい栄光が、つまりは我の血肉として共に生きる権利がある! その全てを余すことなく、我が人生の糧としよう!」
嫌だ。
頭上に迫る巨大な掌。それを見つめる無数のアリ。逃げようともがいても、体がちっとも言うことを聞いてくれない。嫌だ。頭がちっとも働かないけど、嫌だ。痛いのも嫌。死ぬのも嫌。でも、何より嫌なのは負けること、負けを認めてしまうこと。弱さは私の首を絞めるから。それではついていけないから。だから、負けるのだけは嫌で嫌で仕方なくって、あぁ、でも――――。
……もう、終わりみたい。
「ちく、しょう」
――――その時、ズガンと。
死を覚悟したエレノアの耳に、鈍い轟音が届いた。
そして同時に、エレノアを食べようとしていた岩男の頭が弾かれたように揺れる。
「む――――?」
「選手交代だ、デカブツ」
近くにある、ひっくり返った駆動車の上。
そこには一人の少年が銃器を構え、笑っていた。
「生の実感がしてえんだろ。僕が思い知らせてやるよ」
*
射出した弾丸は確かに敵に命中したが、しかし外皮に弾かれた。
その光景を強化された視覚で確認し、僕は舌打ちをする。硬すぎだろ。石頭ってレベルじゃないぞ。敵のふざけた身体硬度に内心ビックリしつつ、敵の脅威予測を上方修正する。
今日に入って三匹目の人型アンブラーとの会敵。敵はどうやらビルほどの大きさの巨人で、膂力や耐久力もバカ高い。まるでガリバー旅行記の小人になった気分だ。しかし、このスペックの敵がいたならば、今まで僕が見てきた惨状にも納得がいく。
――――ジュノーと別れた僕が見た光景は、燦燦たるものだった。
ビル街を抜け、コロニーの外へと出て、荒野へとたどり着いた僕に待っていたのは後方部隊が壊滅したという事実だった。
散乱した誰かの四肢と、横転した駆動車の群れ。手あたり次第にひっくり返されているソレは僕達がここに来るまでに乗ってきていた大型駆動車に違いなく、つまりそれを護衛していた彼らは襲撃を受け、抵抗むなしく散ってしまったということに他ならない。
五体満足な死体などなかった。
乱雑に千切れた手足が転がっていたり、生暖かい血を吐き続ける胴体が転がっていたり。まるで偏食の子供の食い散らかした後だ。
その近くには、口から食事をはみ出しながら歩いているアリ型アンブラーがうじゃうじゃいた。
ぼとりぼとりと食い残しを地面に落としながら歩くソイツラは、まるでスナック菓子でも齧ってるかのように呑気していて。その様子にドス黒い感情を抱きそうになる。
だが、耳に入ってきた声が僕を冷静に留まらせた。
誰かいる。
生存者がいるならば助けなければならない。義憤を抑え込み、アリ共はいったん無視して物陰に隠れ、移動する。
そして、瀕死のエレノアとバカでかい巨人を見つけた。
この巨人がいたならこの短時間で後方部隊が壊滅せざるを得なかった理由も分かるし、エレノアが手こずるのも分かる。彼女の本領は機動力であって、戦闘力ではないのだから。
「ははァ……」
何はともあれ、巨人の意識を逸らすという本来の目的は達成できたらしい。
野太い声を上げながら、巨漢がその顔をこちらへと向けてくる。
奴は上裸だった。その肉体は全身が、鋼のような筋肉で覆われている。
そして振り返ったその顔も、想像通りの岩男みたいな顔だった。太い眉に太い唇、掘りの深い男のツラ。脳内で瞬時にゴリラと名付けることが決定されるほどにはむさ苦しい顔だ。
だが、故に警戒心が強くなる。
ゴリラといえば陸上種の中でも危険視されているアンブラーだ。レドラニスカを含め到達者と名乗る輩に元種が影響するかは分からないが、しかし彼らの母体であるアンブラーは元種の影響を強く受けることから全くの無関係なはずがない。
もう一段、僕の中で目の前のゴリラの格が上方修正される。
さて、どうしたもんか。
思案し続けていると、ゴリラが僕を指さして問うてきた。
「己はどっちだ? ヒトか? それともインヘリターか?」
僕はいきなりの質問に一瞬詰まる。敵の思惑が掴めない。答えるかどうか。
まぁいいだろ。時間は稼ぎたい。
「後者は前者も兼ねるからその問いは間違ってると思うが、敢えて言うなら僕は後者だぜ」
「もう一つ問おう。己は戦が好きか?」
「大好きだね。特にお前みたいなゴミをぶっ殺してる時、強く生きがいを感じるよ」
「ふはッ――――気に入ったッ! 女を助けたくば、我を倒してみせよ人の子よッ!!!」
うーん、分からん。怒らせるつもりで喋ったつもりが、ゴリラは嬉しそうに破顔しこちらへと向かってくる。どうなってんだろこいつの感性。気にするだけ無駄か。
僕も即座に戦闘態勢に移る。が、戦う気はサラサラない。打つのは逃げの一手だ。即座に物陰へと身を隠し、飛んできた爆風みたいな拳をやり過ごす。
「む――――逃げるのか?」
上から声が降ってくるのを無視。腰に差してるブレードで戦ってみても良いが、優先順位が違う。まずエレノアを助けるべきだ。僕はそのまま弧を描くように移動して、すぐさま反対側にいたエレノアの元へと駆け寄る。
エレノアの身体は粘液にまみれ、衣服の破損や肌の炎症が目立っていた。
おそらくアリの強酸だ。致命傷ではないだろうが、彼女の翼は本人の意思による精密制御を必要とするためこれ以上の戦闘参加は不可能だろう。それに見たところ体力の消耗も激しい。疲れたところに酸を受けた、そんな展開が予想できる。
僕はエレノアの頬をぺちぺちと張り、小声で喋りかけた。
「おい、意識あるか?」
「……ある、わよ」
「痛いかもしれんが、もう少し頑張ってくれ。お前の羽が必要だ」
「わか、ってる」
僕の意思を汲み取ってくれたのだろう。背中で彼女をおぶさると、エレノアは消耗した体を推して僕の肩を掴んだ。そして僕の耳元で、小声で告げる。
「……五分、ちょうだい」
「了解。他に言いたいことあるか?」
「毒、も、きかない。アリを、投げてくる。あと、かしこいわ」
「重要な情報で助かるよ」
付き合いの長さが明瞭なコミュニケーションを生んだ。
エレノアの選んだ言葉は全て僕が欲しかった情報だ。毒も効かないってことは大体の武装は全部効かないと思っていい。教えてもらわなきゃ今から全部試すところだったからありがたい。モノを投げてくる知性と、ある程度の思考力があることも理解。いよいよマジでゴリラかもしれん。
エレノアが大事そうに抱えていた狙撃銃を拾い上げた時、いきなり空が暗くなった。
「なるほど、女を助けに来たか」
のそりと、僕を見失っていたゴリラが頭上から話しかけてくる。彼の作った影が落ちていた。
こうして近くから見るといやはや恐ろしい。僕達をすっぽり覆い隠すほどの巨躯。その口は人間を丸呑みできそうなほどに大きくて、実際丸吞みにしてきたのだろう。
岩男は僕達と一定の距離を保ちながら、落ち着いた声音で語り掛けてきた。
「安心しろ、我は曇りなき闘争を望む。その女には決着がつくまで手を出さぬ」
「敵の言葉をはいそうですかと信じられるわけないだろうが」
「む……それもそうだな。では時間をやる。離れた位置に置いてくるがいい。邪魔者を背負っての戦闘は、己も不本意であろう」
僕はその言葉を聞いてタップダンスを踊りたい気持ちになった。
どうにもこのゴリラ、騎士道精神に溢れておいでのようだ。コイツは良い。五分ほどもたもた移動してエレノアの回復を待とう。
そう思いながら返答しようとした時、ゴリラ男は指を一本立てて言った。
「十秒待とう。さっさと戦いの準備をせよ」
「あー……もうちょっと待ってくれないか?」
「五分待てとその女は言った。ならば五分後、己達には何か策があるのであろう? 悠長に待つのも一興だが、真の闘いとはそういったものではない。ほら、今から十秒だ」
ばれてーら。地獄耳め。
これ以上の時間稼ぎは無理だろう。僕は即座にエレノアを背負ったまま、全力疾走でゴリラから距離を取る。十秒待つのは比喩でも何でもないらしい。奴はかくれんぼの鬼のように立ち止まっていた。
僕は走りながら、背中のエレノアに話しかける。
「悪い、かなり揺らすぜ。耐えてくれ」
「気にしないで。あと……もし、ダメそうな時は、私を」
「黙ってろ。お前は回復に努めてくれ」
余計なことを聞きそうになったので会話を打ち切る。まったく可愛い奴だ。いつもこうならいいのに、と思いかけて、やっぱ違うなと思った。しおらしいエレノアはエレノアじゃない。いつもの口うるさい小言も、僕達の大切な日常ってやつなのだ。
――――んじゃ、かたき討ちといきますか。
僕は腰のポーチからロープを取り出し、両手で広げて背中に通す。ロープの端と端にある金具を組み合わせ、ボタンをプッシュ。ロープはシュルルと伸縮音を鳴らしながら、僕とエレノアとを纏めて硬く繋ぎとめる。
同じロープを三本取り出し、同じ行為を繰り返し行う。都合四本のロープが二人を縛り上げる。これで激しい運動をしても離れない。背中は死ぬほど揺れるが我慢してもらう。
なにしろこれから、命がけの鬼ごっこだ。
「……逃がさないのか?」
十秒はとうに過ぎていた。
動き始めたゴリラが、すぐに僕達に追い付いてくる。
僕の姿を見つけると、少し困惑したような表情を見せた。当然だ。コイツからすれば僕は女をどこかに置いて、身軽な状態で立ち向かってくると思っていただろうから。それがなぜかコアラの親子よろしく一緒になっていればそりゃ戸惑う。
「言っておくが、情けはかけんぞ。戦士らしく立ち向かってこい」
「何を勘違いしてるか知らないが、僕はやる気十分だぜ」
「ならなぜ荷物を降ろさない。死にたいのか?」
「分かんねえかな。背中に誰か背負うくらいのハンデがあっても、お前は僕達に勝てないってことさ」
「ふはッ――――見え透いた挑発だ、乗ってやろう!」
――――戦闘、開始。
戦いの準備は既にできている。血液が全身に満ちた、冷たくて熱い最高潮の状態。
僕は腰のブレードを抜剣し、低い姿勢を取る。
直後、巨大な掌が空から降ってくる。巨人の掌底、それはゾウの踏襲にも等しい威力を孕む。
受けるような真似はしない。
質量差的に一撃良いもの喰らえば即アウト。ブレードで受けたところで、力負けしてぺしゃんこになるのが容易に想像できる。生憎と僕はトムとジェリーじゃないので潰れたトマトになっちまう。
だから、避けろ。
研ぎ澄まされた反射神経。速度と角度を把握しきり、最高効率の動きで僕は回避する。そして避けながら、ブレードによる斬撃を行使。腕の動脈のあたりを袈裟切りにする。
「ッ!?」
流石のゴリラも驚いたらしい。こちらは無傷で、しかも反撃されているときた。相手にしてみれば理解が追い付かないだろう。
けれど、畳みかけることしない。
時間稼ぎが主軸だ。全力で動くと背中のエレノアが休めないというのもあるが、相手はバケモノだ。油断も慢心もしないし隙も絶対見せてやらない。防戦一方で凌ぎきる。
更に一発、豪速の鉄拳が地を叩く。続けて五発、巨人はがむしゃら叩き潰してくる。砕かれた大地の破片が舞い、砂塵が舞い上がる。それでも視覚に異常はない。回避、迎撃、回避、迎撃。単調な攻撃を的確に捌ききる。
しかし、硬ェなオイ。
切断力と持続力に自信ありのブレードがロクに通らない。さっきから人体構造上急所とされる位置や血管の通っているであろう場所を斬りつけているが、表面を薄く削るのみとなっている。
硬度じゃないなこれ。密度、もっと言えば分子構造が頑丈なのだ。摩擦と圧力で斬るのではなく、熱や振動でズラさないとロクに通らない。だが、おそらく〇七部隊のジャバルダン隊員の能力に近い。金属質への変化形だろうと僕はゴリラの能力を推測する。
それはつまり、物理現象の一切介在しないタイプの変質ではないということだ。
これならいける。僕は勝ち筋を理解し、自らの役目に従事する。
都合五度ほどその攻撃と回避の応酬が続いた時、いきなりゴリラは攻撃をやめ、口を開いた。
「見事なり」
「…………」
なんだこいつ。
「そこの女もそうだったが、己は更に上を行くな! 我の攻撃を完全に見切り、更には一撃を見舞ってくる……はッ、まるで当たる気がせん! いかな道理があるかは知らぬが、見事という他なし! 熟達した戦士よ! 我は己という存在に出逢えたことに感謝する!」
ゴリラはひとしき僕を褒めると、感極まったかのような表情を作る。
「お前ほどの戦士を料理できるとは、我が愛刀も喜んでおるぞ!」
「……あ? 料理?」
「そうとも! 見よこの肉包丁を! お前も我が愛刀の錆となり、我が肉体の糧となるのだ!」
言って背後から取り出したのは、刃渡り三メートルはあるデカい鉄の塊だった。
肉包丁と言われたが、錆びだらけだし刃は僕の横幅ぐらいはあるしで突っ込みどころしかなかった。あんなのに当たったら斬るというよりは潰される。
だが、どうにも肉包丁といった言葉に嘘はないようで、ゴリラ男は戦闘にその刃物を使うことはしなかった。地面へと武器を下ろし、彼は告げる。
「――――さぁ、腹も空いたことだ。征くぞ戦士よ!」
ゴリラ男は口を引き締めると、勇ましい言葉とは裏腹に、僕から距離を取った。
巨人が唸りを上げ、咆哮と共に殺意を振りかぶる。投擲動作。
即座にその意図を理解し、こちらも回避行動に移る。
しなる上腕、膨張する二頭筋。巨人はその全身の動員し、僕を仕留めにかかる。放たれるは目にもとまらぬ殺人ライナー。そこに込めらるは純然たる殺意の色。岩、車、武装、巨アリ。手近にあるものを掴んで投げる。時速二〇〇を超える弾丸の嵐。移動砲台が牙を剥く。
巨人は接近を控え、遠距離攻撃主体に切り替えたらしい。妥当な判断だ。こちらとしてもモグラ叩きより、砲弾ストラックアウトされる方がよっぽど困る。しかもこのボールは生きてるときた。酸をまき散らしながら頭上を通り過ぎていくアリをブレードで真っ二つにしながら、回避行動に全力を注ぐ。
「戦士よ! 荷物を背負ってよく動くな! 曲芸でも見せられているかのようだ!」
口を大きく開き、ゴリラ男は感嘆の意を評してくる。答える暇はない。投擲行動と同時に、巨アリが近場に湧き出していた。四方八方四面楚歌で、僕からは余裕が失われている。
ブレードをストック代わりに使い、岩肌に突き刺して体勢を変える。嫌な位置に回り込んできたアリを避けるため跳躍。空中での後隙を狙った巨人の投擲をすんでのところで躱し、また地上へ。常に全力で移動を続ける。
体の軋む音がする。張り付いた喉が痙攣する。
全力疾走を続けていた。常人の全力ではない、継承者の全力だ。すなわち全力の全力だ。
心臓が早鐘を打ち、筋肉が疲労を訴える。酸素を求めて空を喘ぐ。最適解を常に探し続ける。ふと、どうして苦しみながら走っているか疑問に感じ出す。ゲシュタルト崩壊だ。自分が誰かすら分からなくなっていく。
限界が近い。
だがその時、僕の肩をトンと叩く感触がした。
「五秒なら、いけるわ」
「……充分だ」
いつの間にか、時間稼ぎは終わったらしい。
僕はそのまま手近な高台へと移動し、即座に攻撃準備へと移行する。
強く地面を踏み込み、更に跳躍。
僕の身体は宙へと舞い上がり――――さらに背から出現した翼によって、高度を保つ。
「む――――!?」
エレノアが黒翼を展開し、僕達は滞空する。
巨人が空を飛んだ僕達へと岩を投擲しようとするが、もう遅い。
エレノアが抱えていた狙撃銃を僕に渡す、一秒。
それを受け取り、左腕を支点として構える。二秒。
一発こっきり、照準を合わせる。失敗は許されない。三秒。
誤差を修正。姿勢を
経験と感覚、計算と理屈。僕のあらゆる指標がゴーサインを出す。五秒。
――――
銃身から放たれた弾丸が一条の螺旋となって空を裂く。尾を引くは青白い電撃の線。弾丸は僕と巨人の間にある数百メートルを一瞬にして駆け抜け――――巨人の身体を貫通し、遥か彼方で燃え尽きる。
巨人の脳天に、風穴があいた。
「――――――――み、ごと」
勝負は一瞬。あっけない幕切れ。
だがそれでも、巨人は不平を零さなかった。その点にだけは僕も敬意を評そう。
巨人はやがて自重に従い崩れ落ちる。ズズン。砂埃を巻き上げて倒れ伏す巨体。僕はそれを見届けると、予定より長く飛んでいるエレノアへと声をかける。
「翼、仕舞っても大丈夫だぞ」
「…………うん」
限界だったのだろう。エレノアは滞空動作をやめ、無理やり維持していた翼を空中崩壊させた。落下が始まるが問題ない。僕はエレノアを縛っていたロープを解きつつ、地面へと着地する。
――――僕は空中での射撃が可能だ。
射撃は精密動作である。それを空を飛んでる最中に行い、なおかつ
だが、僕は多くの難しい状況においてあらゆる銃器を命中させる技量を持っている。身体の全権を制御下における僕の射撃精度は百発百中。使ったことのある銃ならば、僕は絶対に外さない。
エレノアが飛んで僕が撃つ。
単純明快だが高高度からの射撃というのは結構ズルくて、故に効果的な戦法だった。
使った狙撃銃はコイルガン。内部の超伝導電磁石によって発生させた電磁誘導力を用いて弾丸を射出する特殊兵装。銃内部で磁場による拘束を受け続けた金属製の弾丸はエネルギーを保持し続け、射出と同時に融解が開始する。圧力による貫通ではなく、金属融解の熱量による貫通を実現させるのがこのコイルガンの利点である。あのゴリラの固い皮膚も、流石に科学の結晶体には勝てなかったらしい。
ちなみに一発のコストがバカ高い。これ一発でこのコイルガンはおしゃか。
だが必要経費だろう。勝負は一瞬でついたものの、余裕があったわけじゃない。僕が回避に失敗すれば死んでいただろうし、何かの間違いでコイルガンがぶっ壊れてたら、ジュノーを探す果てしない旅が始まっていた可能性すらあるのだから。
「さて、と」
僕は気を失っているエレノアを地面へと下ろし、ブレードを握る。
近くにはワラワラと巨アリが集まり出していた。リーダーが消えれば雑魚は統制を失うと思っていたが、どうにも彼らはやる気らしい。おそらくあのゴリラ男はサブリーダーでしかなく、レドラニスカか他に指揮系統が移っただけなのだろう。
つまり、このコロニーにおける戦闘はまだ続いているということだ。
「……やることが多いな」
とりあえず、こいつらを片付けなければならない。
エレノアを休ませたいし、とっ散らかった後方部隊の物資も使えるようにしなければ。何より僕も他の戦場に向かいたい。さっき置いてきたジュノーと、そして一番危険な位置にいるであろうマキナのことが気にかかる。
「無事でいてくれよ」
「ギィィィイイイイイイイイイイイイイ!!」
喋りかけてもいないのに、アリ共が一斉に叫び出す。
この獣達にかたき討ちなんて殊勝さがあるとは思えない。動物的な反応だ。
故に僕も手段を問わず――――野蛮で動物的に、蹂躙を開始した。
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